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作成した小説を保管・公開しているブログです。 現在は連作短編が二篇の他,短編小説,エッセイの類を掲載しています。 連作小説の更新ペースは随時。二か月に三回を最低ラインとして目指しています。
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キルロイ3
連作短編,黒猫堂怪奇絵巻の5話目に当たります「キルロイ」の掲載三回目です。

前回までの「キルロイ」
キルロイ1
キルロイ2

今までの黒猫堂怪奇絵巻
黒猫堂怪奇絵巻1 煙々羅
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る
黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ
黒猫堂怪奇絵巻4 迷い家
黒猫堂怪奇絵巻4.5 薄闇は隣で嗤う

―――――――


 あんた、知ってるか。この辺にある高校、なんていったか、陽波。そう陽波だ。陽波の校庭には異界に繋がっている桜があるんだ。
 あれはこの世界の花じゃない。銀色の桜だぞ。この世の桜じゃあないのさ。こことは別の、向こう側からやってきた花だ。もちろん、元々この世界のものではないんだ。誰だって見られるわけじゃない。
 いつでも見られるわけじゃない。条件があるんだ。けれども、きちんと条件を揃えれば、あの異界の花で満開の桜を拝めるというわけさ。条件を教えろだって、見る気もない奴に教えるものじゃない。見る気があるなら自然にわかるさ。
 何のためにそんな桜を探すのかって。そんな質問をする人がいるなんて思いもよらなかったな。俺がいた世界に戻るためじゃないか。



 あんたは何も知らないんだな。この街は、本当はずっと昔になくなっている。ここは大きな湖なんだ。地図を調べてみると良い。陸地として残っているのは風見山くらいなものさ。あとは全て湖に呑まれている。それが、この街の本当の姿だ。
 息ができているし、どこにも水がないだって。それはそうだろう。本当の巻目市を覆い隠しているのが今、ここなんだから。ここは、巻目市が湖と化したことを、俺達住人に知られない為に作られた湖の上の蜃気楼なんだよ。あんた、ちゃんと読書しているか? 「囲まれる境界」とか「怪異論」とか、そういうのだ。知らない? おいおい、学がないな。

 なんだよ、だから俺は今忙しいんだよ。この虚構の街から抜け出すには、あの桜を見つけるしかない。桜の向こう側には真実の巻目市が、湖に沈んだ巻目市があるはずだ。なんだって? お前も死んでしまうんじゃないかだって? ははっ。お巡りさん、あんた面白い発想するんだな。
 あちらとこちらは別世界だ。あちらのものが流れ込んでこられるのに、こちらのものが流れ込めない理屈はないだろうよ。

*******

 春先の肌寒い毎日もようやく落ち着き、徐々に夏に向けて毎日が暖かくなる。五月が帯びる外気は、そんな季節の移り変わりを意識させる。
 とはいえ、それもまだ陽が高い時分に限った話だ。厚手のコートを着込む必要まではないが、深夜にこうして町内の見回りをするときには未だ肌寒いと感じる。
「見回りお疲れ様です。佐藤先輩」
 佐藤が交番に戻ってくると、後輩の鈴木がデスクで珈琲を飲んでいた。
「先輩も珈琲のみますか。まだ外は寒いですし」
 勤務中にそれほどのんびりしていて良いと思っているのか、佐藤は鈴木に対して指導をするべきか悩んだが、見回りをしてきた町内の様子では、そうそう大事が起きる気配もないことを思い返し、ふっと肩の力を抜いた。
「ところで知ってます? 先輩、虎の話」
「虎? なんだ、野球のチームのことか」
「違いますよ。ちょっと前に街中に出たっていう虎ですよ、商店街に現れて姿を消したっていう」
 佐藤はそのような噂を耳にしたことはなかった。思い返してみても、ここのところのニュースでそのような話を取り上げていた記憶はない。鈴木の思い違いか、どこかでまた与太話を仕入れてきたというわけか。
 ふと、目の前の後輩が、以前、生きた人間を焼いている火葬場の噂を嬉々として語っていた光景を思い出した。
「なんだ、またあの妙な噂のページでも読みこんでいたのか。ちょっとは仕事しろ」
「ああ、あの火葬場の噂の奴ですか。あのスペース、いつの間にか閉鎖されたんですよ。それに、自分が話しているのはそういう話じゃなくてですね、この前、何処かの警官が件の虎の事件を調べ直しているっていう話を聞いたんですよ」
「おいおい、そもそもこの町の何処に虎なんて出る」
「そうっすよね。でも、調べ直している刑事がいるってことは、事件記録自体は存在するわけですよね」
 鈴木の言葉に、佐藤の思考は止まり、二人は交番の中で珈琲を片手に見つめあった。

*******

 交番の情報端末に表示された事件記録は、ほとんどが黒塗りにされていた。
「なんだあ、これ。報告書を黒塗りにしちゃ何が何だかわかんないじゃない」
 鈴木はぼやきながら、引き出した事件記録の黒塗りではない部分をピックアップして、交番の情報端末上でまとめあげていく。端末の操作に疎い佐藤は、後輩の後ろで、彼のまとめを目で追っていた。
「変異性災害対策係、市役所の一部署の名前がなんでこんなに出てくるんだ」
「さあ、そもそも、変異性災害対策係ってなんですかね。環境管理部っていうと、森林保護とかやってるとこですよ。風見山の方の交番で勤務していた時に職員に会ったことありますけど、変異性災害対策係なんて名前、聞かなかったなあ」
「とにかくだ、お前の抜き出している部分を揃えていくと、どうもその変異性災害対策係の要請で、事件自体がそっちに持っていかれたみたいだな」
「そうみたいですね。黒塗りになっているのは、情報の漏えいを防ぐためですか。多分、署の資料管理課まで直接足を向ければ原本が見られるんじゃないかな」
 なるほど。どういう理屈で市の一部署が警察の事件を横取りしていけるのかはわからないが、捜査資料を全て引き上げるようなことまでは確かにしないだろう。もっとも、佐藤も鈴木も取りたてて目の前の事件記録の内容に強い興味を持っているわけではない。
 ただ、鈴木の言った事件記録があるはずという言葉から、興味本位で事件記録を漁っているに過ぎない。
「ね。詳細は良くわかんないけど、確かにあるんですよ」
 鈴木は勝ち誇ったような顔で佐藤を見た。だが、佐藤は鈴木の話が単なる噂ではなかったことよりも、その事件を刑事が洗い直しているというその一言に妙なひっかかりを覚えた。特に業務に関係のある事柄というわけではない、ただ、洗い直すという行為と目の前の事件記録が整合しなかった、それだけのことだ。
「それで、結局、その警官はこんな記録のいったい何を再検討しているんだろうな」
「さあ。僕が聞いたのは、奇妙な事件を再捜査している変わり者がいるって話だけですからね。関係者に気になることでもあったのか、そうじゃなければ、虎でも見てしまったんでしょうかね。ほら、よく言うじゃないですか。化け物を見ると、化け物に魅せられてしまうって」
 化け物に魅せられる。そのような、ものなのだろうか。もしそうであるならば、自分は化け物には出くわしたくないものだ。佐藤はそう思った。

*******

「これは、何かの取り調べではない。ただ、俺は君がやっていることに興味があって、こうして話を聞きにきただけだ。だから、無駄な緊張は無用だ。わかるな、高橋文雄巡査」
 どうにも二人で話をする場所が確保できず、結城辰巳は高橋文雄を署内の取調室に連れ込む羽目になった。
 結城辰巳は巻目市警察署勤務の刑事である。刑事の仕事は、その配属する係によって盗犯や凶悪犯、薬物犯罪、知能犯など、扱う事件の区分が変わるのが一般的だ。結城も元々とは盗犯係の刑事であり、早い話が、空き巣やスリを捕まえてまわっていた。もっとも、現在の結城は、巻目市特有の事情から、特定の係に属することなく、全ての犯罪に横断して現れるある現象に対する対処を専門に任されている。
 結城個人としては、その現象自体を目にすることができないため、本当はごめんこうむりたいのだが、事件現場に現れる青年、秋山恭輔との個人的な関係性があることを理由に、署長より対策班に指名されたというわけだ。
「それは、ですね」
 言葉に詰まった高橋の前に、結城は一冊の事件記録を差し出した。
 事件記録といっても、目の前の事件それ自体は何かの犯罪の捜査記録とはいえない。街の中に獰猛な虎が現れたという目撃記録と、その虎の発生経路を追った捜査報告書がほとんどなのだから。
 一か月ほど前に発生した、巻目市市街地における虎の目撃例。この事件記録は表向きそのような記録に過ぎない。だが、その中身をひも解いてみれば多くの人間が眉をひそめる。この事件記録はそのほとんどの部分が黒塗りにされており、事件の内容などおおよそ読みとることができないからだ。
 警察の作成した記録について、黒塗りを指示しているのは、警察ではなく、巻目市市役所の一部門である。その名称を変異性災害対策係という。超常現象の類による人的な被害を抑えるためのオカルト専門対策部署とでも言えばおおよそ間違いはないだろう。
 結城はその部署の外部職員として化け物退治に関わっている青年、秋山恭輔とある事件をきっかけに知り合った。事件解決後、秋山恭輔の親類から秋山恭輔自身の話を聞いたことが、結城と秋山のその後の微妙な関係性の発端だ。
 そして、今、結城の目の前におかれた事件記録は、変異性災害対策係により、変異性災害事案と認定され、警察の手を離れた件である。本来ならこのような事件は署内の資料保管室に保管され、一般の警察官が目にすることはまずない。平時の仕事に忙殺されて資料保管室に移動してしまった事件記録を読みかえす時間はないのである。
 それが、目の前の巡査は何を思ったのか、資料保管室からこの事件記録をとりだした。
「君はこの事件記録を読み直して、何を追いかけようとしていたのか。私は純粋にそれが知りたい」
「それは……その」
「高橋文雄、と言ったね。君がこの記録にある虎を目撃した警察官の一人であることは私も知っている。捜査報告書を作成したのは君だろう。つまり、君は、事件当日、とても奇妙な体験をしたのだろうと思う」
 高橋は、奇妙な体験という言葉に反応してその視線を結城に向けた。
「あなたも……?」
「ああ。私もあのような手合いは何度も見てきている」
 正確にはそれは嘘だ。記録を読む限り、この事件における変異性災害“虎”は、人が完全に変態したものなのだろう。結城がかつて関わった案件のなかに、それほどまでにはっきりと人の変態が見られるような事件はなかった。だからこそ、“霊感”を持たない結城には変異性災害を視ることができなかったのだ。
「他の人間に比べれば、この類の体験について、理解を示すことはできると思う。初めに話した通り、この事件記録を持ちだしたことについて、君をどうにかしようという話なしではないんだ。だから、話してもらえないだろうか」
「僕は、虎の事を調べているわけではないのです。あの、虎を追いかけていった少女のことがどうにも気になって」
 なるほど。結城は、高橋が突然出くわした“虎”に対して妙な関心をもってしまったのかと考えていた。しかし、どうやら彼が関心を持ったのは、変異性災害対策係の祓い師、香月フブキのようである。
「彼女は香月フブキという名前なんだと先輩に教えていただきました。あんな猛獣に向かって、まだ若い女の子が躊躇なく追いかけていくのは、僕には理解ができないというか……それに、彼女、中学生の時に補導歴がありますよね。それも、公園で木刀を振り回していたとか」
 虎の一件にて、捜査報告書を変異性災害対策係に引き渡す際、実際に虎に対処した祓い師は香月フブキであったと聞いた。おそらく、高橋は事件現場にて虎と応戦する香月の姿を見たのであろう。だが、たったそれだけの経験から、香月の過去の記録を調べ、彼女の補導歴まで探り当てるとは、結城も意外だった。
 それにしても、変異性災害案件の対策班に回された頃には、香月フブキが出てくると現場の警官にも怪我人が出ると有名だったことは知っているが、彼女に補導歴があることまでは知らなかった。
 そして、目の前の警官に、急に気持ち悪さを覚えた。たった一回遭遇しただけの祓い師に対して、人間はこうも執着できるものなのだろうか。高橋は、結城のそんな心中を察することもなく、訥々と香月フブキについて調べたこととまだ若い彼女が“虎”と争うことについての危惧を語っている。
「君の言いたいことはおおよそわかった。確かに、香月君は若い祓い師だ。現場に出ている彼女の姿に動揺したこともよくわかる。しかし、彼女は変異性災害対策係によって雇われている人間なんだ」
「それは、そうですが。ですが、そもそも、あのような子をあんな危険な現場のために雇うということは」
「その気持ちはわかる。だが、彼女が雇われていることの意味を考えるんだ。君は、事件当時先輩から聞いていただろう。彼女はああした荒事のプロなんだ。君が警官として日々犯罪と向き合っているのと同じように、彼女は私たちが理解できないこうした事件と向き合っている。彼女の選択に対して、私たちが言えることはないんだ」
「はい……わかっています。わかっているんです」
「それならいい。あまりこの件に深入りをするな。この類の話には関わるな」
 忠告に素直に頷いたので、結城は今日の所は高橋を解放することにした。迷惑をかけて申し訳なかったと何度も頭を下げながら、職務に戻っていく高橋の姿を見送り、結城は独りになった廊下で大きなため息をついた。
「ったく、ただでさえ縄張り踏み荒らされているのに、こっちの人員のケアまで仕事とは」
 結城とて、変異性災害対策係の仕事のやり方に納得しているわけではない。高橋の有している懸念とは違い、彼が腹立たしいのは、変異性災害と認定された事件が警察の手から離れていくという事実だ。どんなに被害者の声を聞いても、結城たちはその事件の終わりまで関わり続けることはできない。
 だが、秋山恭輔の“霊感”のない者に変異性災害には対処はできないという言葉が胸の中に刻まれている以上、結城は変異性災害対策係のやり方に真っ向から非難を唱えることはできない。何より己の身をもって知っているのだ。変異性災害に対して自分が無力だということを。
「それにしても、あの巡査。大丈夫なのか」
 自分の中の困惑を胸の奥に押し込めて、結城は高橋が消えていった廊下の先を見つめた。香月フブキに対する懸念を語るときの高橋の目を思い出すと、背筋がざわついた。あれは、何かに魅入られているような、そんな瞳ではなかったか。

*******

 納得はいかない。まだ高校生の少女である。
 それが、変異性災害なる名称の事件であるからといって、猛獣である虎と相対することを当然の生業としている。彼女がプロなのだといわれても高橋には到底納得できるようなものではなかった。
 だからといって、彼ができることはない。彼は、ただあの日であった少女のことを気にして、過去を調べて回ることで精いっぱいだ。そして、その行為すらも結城という名前の刑事に釘を刺された。
 いったい、変異性災害とはなんなのか。街中に突然虎が現れる事件、結城の口ぶりではそれ以外にもこの街に同様の不可思議な事件が起きているということだろう。
 そういえば。あの時、高橋が出会った者は奇妙なことを話してはいなかっただろうか。高橋は、虎と出会う少し前に出会った、妙な物語を口にする男のことを思い出した。
 その男を見つけたのは本当にたまたまだ。親戚の家を訪ねた帰り道、私立陽波高校の近くで、空を見上げながら足取りおぼつかなく歩く男を見かけた。顔には生気が乏しく、携帯端末を握った右腕はだらりと垂れていた。
 高橋は男の様子が気になって、声をかけた。すると、彼は高橋に対して奇妙な話を語ったのだ。
 彼が探しているのは、銀色の花を咲かせる桜の樹だという。男曰く、その樹は高橋達が暮らす巻目市とは別の滅んでしまった巻目市がある世界へと続く扉なのだという。生気を失った顔にも関わらず、滅んだ巻目市について語る男の眼は酷く輝いており、高橋は、彼が薬物の常習者なのではないかと疑った。
 だが。“虎”を見てしまった今なら、あの男は単なる薬物中毒者とは思えなくなってしまっていた。
 確か、あの時、高橋は陽波高校の近所にある交番へ、ひとまず男を連れていったのではなかったか。
 気が付けば、高橋の足は自然とあの時の交番に向かっていた。高橋が交番についたころには、夜間の交代を終えたばかりの警官が二人、交番の中で珈琲を飲みながら情報端末を覗きこんでいた。
「はぁ。不審者の保護のその後? それは、いつの話ですか」
 佐藤と名乗った年配の巡査は、高橋の話を一通り聞き、デスクの後ろに置かれたファイルをチェックし始めた。高橋が交番に入る前から情報端末を覗きこんでいた若い警官は、顔をこちらに向けることなく、そのキーボードをたたき続けていた。
「日付は、おそらく二か月ほど前だと思います」
「二か月前ですか。もう少し正確な日程がわかれば、すぐに調べられるんですけれどね。鈴木、二か月前の日誌どこにやった」
「え、僕は知らないですよ。マコさんが休憩室の棚の方に綴じたんじゃないですか」
「全く、仕事熱心なのは褒めるべきことなんだがな」
 佐藤はファイルを片手に交番の奥へと入っていった。
「すみませんね。時間とらせてしまって」
 鈴木と呼ばれていた警官が高橋に向かってペコリと頭を下げた。
「こちらこそ、突然すみません」
「まあいいんですよ。夜の巡回も一回目を終えたところですし、実は暇してたんです。ここいらは不審者とかもめったに出ないものですから」
「はあ」
「ところで、高橋さんは、虎の話って知っています?」
 虎。その単語に高橋は思わず背筋を正してしまう。
「野球の話、ですか?」
「まったく、その返し、流行りなんですかね。虎と言えば虎ですよ。ちょっと前に商店街に出たっていう事件ですよ」
 鈴木の声が急に小さくなり、高橋は交番の中で独り取り残されるような印象を受けた。
「いや、そんな話は聞いたことがないが」
「そうですか。てっきり、高橋さんが虎の事件を調べ直している警官だと思ったんだけどなあ」
「なんの話をしているんですか」
 鈴木は交番の奥を覗きこんでから、高橋の顔をみて大きく歯を見せて笑みを浮かべた。
「いいじゃないですか。隠さなくて。高橋さんが探していたのは銀色の桜の話をする不審者のことでしょう」
 高橋は耳を疑った。佐藤にも鈴木にも不審者が銀色の桜の話をしていたことは説明していない。思わず交番の入り口に向かって後ずさる。入口の扉がガタつき、彼は思わず振り返った。
 そこには何もいない。だが、交番に入った時には見えていた道の反対側が見えない。
「高橋さんも、あの時の男と同じ顔をしていますよ。僕にはね、わかるんです。怪異に魅入られた人間には特有の表情があるんですよ」
 怪異に魅入られる。背後の警官は、ほんの一瞬で得体のしれない何かに変じていた。彼の言葉が何を意味するのか、高橋には理解ができなかった。
「あの男を追跡して何を見つける気なんですか。銀色の桜は見つけられないですよ。高橋さん。でもね、大丈夫」
 高橋の肩に鈴木の手がかかる。肩に彼の指が食い込み、高橋は痛みに顔をゆがめた。
「怪異は求めてくれる人の下に必ずやってくるんです」
 振り返ってはいけない。直感的にそう思った。だが、鈴木の力は想像以上に強く、高橋は無理やり身体を反転させられた。そして。
「ようこそ、怪異の世界に」
 そこにいたのは、鈴木ではなかった。
 顔のない男が、高橋の顔をじっとのぞきこんでいた。

*******

 休憩室の棚には二か月前の日誌はなかった。やはりデスクの後ろの棚に片付けられていたのだろうか。そう思い戻ってくると、不審者の情報が見たいと言っていた警官は姿を消していた。鈴木は佐藤が休憩室に入る前と同じように、情報端末で業務日誌を付けている。
「あれ? 高橋さん、帰っちゃったのか」
「高橋? 何言ってるんですか、先輩」
「何って、さっき来ていただろう。以前に保護した不審者の話が知りたいって人が」
「いいえ。誰も来ていないですよ」
「おいおい。冗談はやめろ。さっきまで、お前と虎の目撃情報を調べていて、そのうちにそこの入り口から」
 鈴木は、なんのことかわからないといった様子で首を傾げた。
「先輩。疲れてるんじゃないですか」
「いや、おい」
 鈴木が机においていた缶コーヒーを投げた。佐藤は反射的にそれを掴んだ。冷たい。
「寝ぼけてないで、それでも飲んで目を覚ましてくださいよ。まだ勤務始まったばっかりなんですから」
「あ、ああ」
 釈然としなかったが、とりあえず言われたとおりに缶コーヒーの蓋を開けて、口にする。いつも飲んでいるものよりも遥かに苦いような気がした。急に頭が重たくなってくる。
「佐藤さん」
「なんだ、急にあらたまって」
 佐藤の顔を見つめる鈴木には、目がなかった。目だけではない、鼻も、口も、耳もない。のっぺりとした顔のない男が佐藤を見つめている。そして、困った口調でこう言った。
「虎の事件なんてないし、交番に男は訪ねてきませんでしたよ。今日もこの交番は異常なしです」
 顔のない男がそう言うのだ。きっと、そういうことなのだろう。佐藤はぼんやりとした気分で、顔のない男に向かって頷いた。そういえば、目の前の男は何という名前だっただろうか。
「僕の名前は鈴木です。いい加減、後輩の名前、覚えてくださいよ」
 いつもの人懐こそうな目や口が顔に生えてくる。ああ、そうか、彼は後輩の鈴木だ。
 佐藤は男の顔が戻ってくることに安心感を覚えた。

――――――――

 陽波高校の周りには、顔のない男がでる。男に出会った者は記憶を奪われる。
――私立陽波高校七不思議

―――――――

次回 黒猫堂怪奇絵巻 キルロイ4
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HN:
若草八雲
年齢:
37
性別:
非公開
誕生日:
1986/09/15
職業:
××××
趣味:
読書とか創作とか
自己紹介:
色んなところで見かける人もいるかもしれませんがあまり気にせず。
ブログとか作ってみたけれど続くかどうかがわからないので、暇な人だけ見ればいいような。
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