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作成した小説を保管・公開しているブログです。 現在は連作短編が二篇の他,短編小説,エッセイの類を掲載しています。 連作小説の更新ペースは随時。二か月に三回を最低ラインとして目指しています。
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家族の肖像(後篇)
以前書いたラフテキスト呪絵
に肉付けをして,改題した短編です。
 今回は後篇です。

 前篇はこちら

 前篇に比べると何やら余計な話が増えたような気もするし、いずれリライトしたいような。

ーーーーーーーー
家族の肖像 後篇



 渦中にいる者に、異変は見えない。異変に気がつくのはいつだって外部の者だ。そして、、気がついたころには、いつだって手遅れなのだ。
――――――――――――――



 骨董品店、壱眼古物。
 壱眼(いちめ)と名乗る盲目の老人が営む骨董品屋。その奥座敷で、木村宗吾(きむらそうご)は壱眼の書いたメモ書きと地図を広げていた。
 壺や陶器、絵画に人形、家具、香、はたまた本。壱眼古物の扱う品物は多様である。品ぞろえがよく、店主の目利きも良い。まして、店主の壱眼老は盲目であるとの噂も相まって、壱眼古物は業界でも名の知れた店らしい。
 もっとも、事情を知る宗吾に言わせれば、業界の噂はてんで見当違いである。第一に、壱眼は盲目ではない。ちょっと人より“視え”すぎるから、眼に包帯を巻いている。
第二に、壱眼古物の骨董品業は本業を隠すためのいわば副業であり、彼の目利きが本当に役立つのは本業のほうだ。
 そして、壱眼という老人はそもそもにして優秀な古物商なのだ。
 壱眼古物は噂などなくても名が知れるはずの店だ。噂が拍車を駆けて売り上げが更に伸びているというわけだ。

 なんとずるい。

 宗吾は壱眼の本業の見習いだ。定期的に壱眼古物に来ては、壱眼の仕事から、何か学べるところはないか探っている。もっとも、未だ壱眼古物に勤めようとか弟子入りしようという覚悟はない。壱眼の本業が扱うモノと付き合っていく決心がつかないのだ。
 その癖、今日もこうして壱眼の本業を手伝っている。宗吾はそういう中途半端な男だ。
「これじゃ、絞りこむにも絞り込めないな」
 宗吾の前では卓に広げた巻目市の地図の上で小さなビー玉がぐるぐると円を描いている。壱眼古物の建屋が歪んでいるとか、宗吾が勢いよくビー玉を回転させたというわけではない。宗吾が読んだメモの内容に合わせて、ビー玉が勝手に動いている。
 ダウジング。水脈や遺失物を探しあてる超能力。ペンデュラムや振り子によって行われるそれは、無意識化で行われる筋肉の動きによるなどと説明されることが多い。だが、宗吾のは違う。これを筋肉の動きだと言われたところで、宗吾には信じられない。なにしろ、彼はビー玉にも地図を置いた机にも触れていないのだから。
 壱眼曰く、宗吾の思考の揺れがビー玉に伝わって動き回っているらしい。流石本業というべきなのか、宗吾のダウジングをみても、壱眼は驚きすらしなかった。それも、宗吾が壱眼古物に居ついている理由の一つだ。
 原理はさておき、ビー玉が導くのは探し物の在りかである。例えば、壱眼老が見かけたという曰くつきの品物の場所を探り当てる。もっとも、ビー玉がそれを探り当てる精度については宗吾の意思の及ぶところではない。
「もう少し詳しい情報があればいいのかなあ」
 壱眼のメモにあったのは、顔のない人間の絵と一軒の家である。壱眼は、数日前、ある家の前でメモに描かれた絵を幻視した。彼は、彼の幻視した家に、顔のない人間の絵があり、家に住む者の抱える障りの原因となっていると踏んでいる。
 もっとも、用事でその場を離れた後、どんなに探しても肝心の家に再び辿りつくことができないのだという。
 そこで、店を訪れた宗吾に対して、探し物と言いつけてメモと地図を置いていったというわけだ。だが、貰った情報からでは宗吾にも家が絞り込めない。どうやら実際に現地に行ってみないとわからないようだ。幸い家の全景に就いては、あまりうまくはないが、絵がある。現地で見て歩けばなんとか目当ての家もわかるだろう。
 楽観的な考えの下、宗吾は壱眼古物を出発した。

*******

 みつからない。
 地図を広げて辺りを見まわしても、壱眼のメモのような特徴の家はない。そもそも家が少ない。まだ開発が始まったばかりのような様相である。巻目市内にもこんな土地が会ったのかと、宗吾は素直に驚いた。
 地図とビー玉を片手に、家を探して約二時間。ビー玉が回転していた範囲内は一通り回ったが、どうにも見つかる気配がない。
 壱眼は決して盲目ではない以上、彼がみた建物は何処かにあるはずだ。そう思い直して周囲の家を眺める。そして、宗吾は一つの事に気がついた。
 壁の色。壱眼から聞いた話によれば、異界というのは現実のような色彩ではなく、特定の色に覆われていることが多いのだという。仮に壱眼が視えてしまうそれもまた、異界の色彩に覆われているとしたらどうだろうか。実際の色と彼が視た色は違うかもしれない。「あ……けど、そもそも老には何色に視えているんだろう」
 根本的なところで躓いた。宗吾は道端に地図を広げたまま、頭を抱えた。

 この時、彼は気がつかなかった。それまで範囲を定めてぐるぐると回っていたビー玉が、地図上のある一点の家に止まっていたことを。そして、その家の中から奇妙な叫び声が聞こえていたことを。



 何かの焼けた匂いがする。口の中が根伐期、喉が渇いた。
 息を吸おうと口を開けると、厭な匂いが灰まで入り込む。不思議と痛みはない。ただ、とても嫌な気分になる。灰の奥で、喉の中で、口の中で、その匂いが、私を私から引きはがそうとする。
 この匂いから逃れたい。けれども、身体は動かない。私に許されたのは、息を吸い、息を吐くことだけだ。

 ああ、厭だ。いっそ、息をすることも止めてしまおうか。

*******

 何かに強く押しつぶされていた肺が急に自由になる。反射的に息を吸い込み、むせた。胸に手を当てるとまだ鼓動が伝わってくる。
 ぼやけていた視界が徐々に元に戻っていく。私は自分の部屋のベッドに居る。どうやら夢の中のあの黒い影から逃げ切れたようだ。
 カーテンの向こうはまだ暗い。あとどのくらい経てば、朝日が昇るのだろう。朝が来れば、夜まで眠らずに済む。夢の中に居るあの黒い影から逃げられる。
 そうした焦りが、私の手に時計を探させた。左手がベッドサイドの時計をつかんだ時、二人の人間が視界に入った。
 まさか。夢の中の影が外にまで出てきたのだろうか。声をあげそうになった私に、一人が素早く近寄って、私の口を塞いだ。
「驚かせるつもりはなかった。ごめん。僕たちは怪しいものじゃない」
 侵入者はそういって、私の眼を見て、頷いた。少なくても、夢の中に居るそれではなかったとわかり、私は肩の力を抜いた。では、目の前の人物は誰だろうか。
 窃盗、誘拐、殺人……? 物騒な単語が頭の中を駆け巡る。
 けれども、彼等に抵抗をする気力はなかった。事件に巻き込まれるなら、それでもよい。夢の中よりはましだろうから。
「用事が会って家を訪ねたのだけれど、君の様子がとても……」
 男が言葉に詰まって後ろを振り返る。椅子に座ったもう一人が言葉を続けた。
「あんたは、今目覚めないと取り返しがつかなくなるところだった。少々礼を欠く行動ではあったが、部屋に入らせてもらったよ」
 取り返しがつかない。侵入者たちが私の夢の事を話しているのではないか。まさか、ここはまだ
「現実だよ。少なくてもあんたの夢の中ではない」
 カーテン越しに刺しこんだ月光が侵入者の姿を照らした。椅子に座っているのは赤い布で目を隠した老人だ。私は老人の姿に息を呑んだ。
「私は壱眼という。市内で古物商をしている。君の隣にいるのは宗吾。私の助手だ。今日は君の家にある絵のことで伺わせてもらった」
 絵。この家に、古物商が目をつけるような価値のあるような美術品が会っただろうか。
「私が欲しいのは、階段の踊り場にあるあの絵だよ」
 踊り場。つまり、壱眼と名乗るこの老人が欲しがっているのは『家族の肖像』ということだ。しかし、なぜ。古物商が妹の描いた絵を欲しがる理由が想像できなかった。
「突然のことで、驚いただろう。私たちが絵を求める理由についても、君の部屋に入った理由についても、なるべく説明しよう。ただね、ここでは説明がしにくい。まずは隣のアトリエまで行かないかね」
 老人はそういって、私を部屋から連れ出した。

*******
 この家に越して来てから、妹の部屋には入っていない。
 前に暮らしていた家では、画材を貸してもらうためによく出入りしていたように思う。
 妹の部屋には母が利用していた画材と、妹の好きな犬のキャラクターがあしらわれた画材があった。母の画材は私が使い、妹は犬のあしらわれたものを使う。
 それもこの家に越してくる以前の話だ。私はここに越してきてから絵を描かなくなった。元々妹に比べれば私の才能などたかが知れている。仕事が忙しいから。そんな理由を言い訳に、私は自分の才能に見切りをつけた。そして、妹と比較して筆を止めてしまった自分と向き合うのが厭で、妹の部屋から距離を置いていた。
 老人が妹の部屋のドアノブに手をかける。扉が少しだけ開くと、絵具と炭の匂いが外へと流れ出る。懐かしい匂いだ。
 だが、私は妹の部屋の中に入ることがためらわれた。冷たい空気が広がってくるような気がする。けれども、とても焦げ臭い。足下に目をやると妹の部屋からあの黒い何かが流れ出ていた。夢の中から現実に、あれが出てきたのだ。
 私は悲鳴を上げた。あとずさりをしようとしてバランスを崩した私を、宗吾という青年が支えた。
「大丈夫。部屋の中に入れば、全部わかる」
 何が大丈夫なものだろうか。この黒い何かは、私を……

 老人が扉を完全に開いた。焦げた臭いが風に乗って私に襲いかかる。喉が苦しい。目が痛い。私は口を塞ぎ、目を閉じて、ただその風が収まるのを待った。
 そして、風が収まり、私は目を開いた。
「何、これ」
 部屋の中には老人が立っている。小さな電球が部屋の中を照らしている。老人の周りには見渡す限りにカンバスがかけられていた。カンバスに描かれていたのは妹がかつて得意としていた抽象画でも、現在学んでいるという写実的な絵でもない。真っ黒な人の顔だ。
 その顔に私は見覚えがある。それは、夢の中で私の上に乗っていたあの人影だ。
 どうして妹の部屋にあの影の絵があるのだろうか。しかも、こんなに大量に。
 気がつけば、足元にあったあの黒い何かが見えなくなっている。
 何がどうなっているのか。私には何もわからない。
「どうかしたのかね。ここが、この部屋がアトリエだ。そして、この絵は」
 止めて。その先は聴きたくない。私は、その先の言葉を聞きたくはない。


 件の家の現在の住人は、宮野隆司という。
 巻目市に越してきたのは二カ月ほど前。以前は、隣の件で暮らしていたという。やけに一戸建てに拘る客であったので、印象的だったと、不動産仲介業者は話した。
「それで、その宮野の家が件の絵のあるところなのかね」
 宗吾の報告を聞いた壱眼が肝心なところに踏み込んだ。宗吾の答えはわからない、の一言だ。
 壱眼に視えている現実ではないもの、その色についての補足を受けて、宗吾は問題の家を探しあてた。その家の前で、宗吾のビー玉は確かに反応した。だが、ダウジングのビー玉が反応したから、曰くつきの絵がないかなどと家主に尋ねられるほど、宗吾は度胸が据わっていない。
「だから、実物は確認できていないと」
「ええ、まあ。他に分かることはないかと思って宮野隆司自身について当たってみたことは当たってみたんですけどね」
 周りの住民に話を聞いても、宮野の家で奇行や奇妙な現象が見られると言った噂が聴けたわけではなかった。もっとも、意外な事に宗吾の勤務先に宮野隆司の資料があった。その資料には曰くつきの品の存在など記載はされていない。あったのは、宮野家が巻目市に越してくることになったきっかけだ。

 そして。壱眼と共に宮野家を訪れた宗吾は、この家に纏わりつく歪みのきっかけが宗吾の調べた資料の中にあることに気がついた。

*******

 私は、妹の部屋で壱眼老人が語る言葉に耳を傾けることができなかった。彼の話は何から何までもわからない。私はただ、彼の前で床にへたり込むことしかできなかった。
「あなたは何を言っているの。この家に住んでいるのは、父と母だけ……? 私も、妹だって此処に住んでいる。あなただって、今こうして私と話しているじゃないですか」
 壱眼は言った。ここに暮らしているのは私の父と母だけだと。ならば私はなんなのだ。私は現にこの家に住んでいて、彼らの目の前にこうして座り込んでいる。
「そう。確かに君は私の前に居て、こうして話している。この部屋にも、あの踊り場にも、妹さんが描いたという絵が存在している。だから、この家は歪んでいるのだ」
 歪んでいる。老人の言葉に私の眼は妹の部屋に飾られた絵の数々を追いかけた。どのカンバスにも描かれている黒い人影。家族の肖像から染み出てきた黒い何か。夢の中でも妹の部屋でも臭う、焦げの臭い。

 オモイダシタナ オボエテイルダロウ

 夢の中で聞いた声が頭に響く。カンバスの中の人影が一斉に私を見た。黒い人影の中で唯一鮮明に描かれた右目が私を見つめる。
「私たちは絵を買い取りたい。それが、この家の歪みの原因だからだ。そして、私たちは君を、君の家族を助けたい。あの絵によって歪んでしまったこの家からね。
 だから、君に思いだしてもらいたい。君たち家族の歪みの原因を。なに、それほど難しいことを求めるわけじゃない。ただ一つ。質問に応えてくれれば良い。
 君は、誰だ」
 壱眼の質問が私の心の中に刺さる。私は誰か。

*******

 その日は珍しく、父も妹も早く帰宅していた。私は妹の部屋にいて、妹と画材の話をしていた。
 私はようやく仕事を見つけ就職する。仕事で忙しくなれば、母の画材を使う機会も減るだろう。母がこれ以上絵を描かないのであれば、一度物置にしまった方がいいだろうか。そのような話をしていた。
 父は母と話があると言って、リビングで話しこんでいた。その日の母は何処か落ち着きがなかったようにも思える。けれども、私が家に帰って来た時、母は笑顔で私を迎えていたようにも思う。
 そして、その夜。
 私が気ついたのは、熱い空気が喉に入り込んで息苦しくなったからだ。目を開けると白い煙が目に入り、慌てて目を閉じた。焦げ臭い。息をすると喉が焼けるような感じがして、咳き込んだ。
 目覚めは最悪だったが、私の目の前に広がっている光景は掬いようのないものだった。既に二階の廊下はオレンジ色に染め上げられ、一階へ逃げることなどできなかった。私の部屋にも煙が入り込んでいるが、もしかしたら窓から逃げられるかもしれない。
 そう思ったあの時、部屋に戻っていれば結末は違ったかもしれない。しかし、私はそうはできなかった。妹が、二階の一番奥の部屋にいる妹のことを助けるべきだと思った。
 廊下の炎を避けながら、妹の部屋に入り込んだ。しかし、意外な事にそこには誰もいなかった。画材だけが並べられたその部屋には、妹の姿はなかったのだ。
「そう……私はそのまま、逃げ場を失ってしまった。そして、気がついた時にはこの家に越して来ていた。私は毎朝仕事に出て」
「何の仕事をしていたのだね。仕事先は」
 仕事先。覚えていない。私は毎朝家を出て、仕事をして、帰ってくる。その記憶はあるのに、何処で誰と何の仕事をしていたのか、それを何一つ思いだせない。
 私の手にあるのは、仕事に出かけるまでの記憶と、仕事から帰って来てからの記憶だけだ。なぜなら。
 私は自分の両手を見た。灯りに照らされた私の両手は黒い。まるで炭のようだった。口は乾き、焦げた臭いが身体中に満ちている。暑さはない。その代わり、暴いてはいけないものを暴いてしまった喪失感が身体中を蝕んでいた
「そのカンバスに描かれているのは」
 私だ。妹の部屋には私の絵が、焼けて炭と化した私の絵ばかりが描かれている。
 そうだ。あの『家族の肖像』。もしかして、あそこに描かれていたものもそうではないか。私は力の入らない身体をひきずりながら、踊り場に向かった。そして、そこに飾られた絵を改めてじっくりと眺めた。

 背景はこの家のリビングだ。ちょうど私の立っている踊り場を背にして、家族が並んで座っている。家族写真のように写実的な絵だ。向かって右側に座るのが母。真ん中に座っているのが父。そして、左には女性。しかし、その女性には顔がなかった。
「どういうこと」
 私がこの絵に感じていた違和感。それは、おそらく私が黒い人影で描かれているからだろう。そう思った。しかし、そうではない。ここには妹の部屋にある黒い人影のようなものは描かれていない。この絵の違和感は、写実的に描かれているにも関わらず、ただ一人顔のない女性がいることに起因している。いや、それだけじゃない。この絵、『家族の肖像』には家族が足りない。
「その絵は、君が考えているようなものじゃないよ。君はまだ全てを知ったわけじゃないんだ」
 私のことを追いかけてきた青年が、階段の上から私に声をかけた。
「君たちの家族は、火事に見舞われた。その時、君の良心は助かったけれども、君は二階にいて逃げ遅れた」
 そうだ。私はつい先ほどそのことを思い出した。私は既に死んでいるのだ。だが、まだ確かめていないことがある。妹のことだ。あの晩、妹は部屋に居なかった。それはつまり、彼女は火事に巻き込まれなかったということではないのか。
「いいや、事件はそれで終わりなんだ。家が焼け、君が死んで、君の良心は生き残った。その事件の前から、君のお母さんは、精神的に不安定だったそうだ。君に声をかける前に、君のお父さんからある程度の話を聞いた。君を失くし、家が焼けてしまい、君のお母さんは酷くふさぎこんでしまったらしい。
 そして、次第に幻覚を見るようになった」
 私は、以前母がリビングで叫び声を上げていたことを思い出した。あれは、母の発作ということか。いや、それだけではない。母は私と会話をしていた。しかし、私は死んでいるのだ。母と私の会話も、母の幻覚ということではないだろうか。父が母と私が会話している様子を心配そうにみていたことも説明がつく。
 だが、それは、何かがおかしい。
「まだ目をそむけるかい。壱眼さんは、自分で気がつくべきだと言っていたけれど、僕にはもうみていられない。君の認めたくないという気持ちもわからなくはないけれどもね。
 いいかい。君は既に死んでいる。あの火事で亡くなったんだ。そして、あの火事で亡くなったのは君一人。生き残ったのは両親だけだ」

 つまり、君の家族、宮野家は三人家族なんだよ。

 歪んでいる。私には妹がいる。絵を描くことが好きで、抽象画が得意で、今は大学に進んで……
「抽象画が得意だったのは君だよ。それと、あのアトリエの絵は妹が描いたものじゃない」
 嘘だ。そんな馬鹿な。
 だが、父は私と妹、そして母が会話している様子に戸惑いを見せていた。私は、妹とも二人でよく話をした。そして、夜になると私たち家族は互いに顔を合わせることがなかった。私も妹も顔を合わせるのは食卓に居る時くらいだ。
 私たちの家族の間にあった、小さな隙間。
 それは、私も妹もいなかったからだ。存在しない娘たち。それが家の中の歪みに繋がっている。けれども、私はここでこうして古物商の人たちと話をしている。
 歪んでいる。全くその通りだ。私たちは家族と呼ぶには大きくずれてしまっている。父は『家族の肖像』をみて、何を感じていたのだろうか。
「残念だけど、これ以上僕に説明できることはない。君にも君たち家族が歪んでいたことは理解できたと思う。
 そして、重要なのはここからだ。君たちの歪みはその絵『家族の肖像』が原因で起きている。そこに込められた強い想いが、君や君の妹を作りだし、この家を歪めてしまった。けれども、絵に込められた想いの影響はそれだけでは済まなかったんだ。君たちの真実が、君を壊そうとしている。このまま歪んだ生活を続ければ、遅かれ早かれ君は真実に潰され破綻する。
 だから、僕たちに『家族の肖像』を惹き取らせてほしい。お願いできないかな、宮野朋子さん」
 青年は、踊り場まで下りてきて私の顔をみた。そして、最後に母の名前を呼んだ。


 娘は、陽子はやさしくおとなしい子でした。
 これといって大きな問題を抱えることなく育ってくれていました。それがおかしくなりはじめたのは高校に入学して暫くしてからです。
 ええ、そうですね。もっと早く気が付ける兆候があったのかもしれない。でも、私は気がつかなかった。そして、今でも私には陽子があのように塞ぎこんだ理由がわかりません。
 気が付けば、彼女は部屋にこもるようになり、学校へ行かなくなりました。私たちとも会話をすることはなくなってしまって。それはもう、どうしたらいいのか悩みました。
 そんな状況が変化したきっかけが絵でした。私も、妻も、若い時分には絵を描いていましてね。部屋にこもりきりでは気分も塞ぐだろうと、妻が絵を描くことを薦めました。
 陽子も私たちの子だったのでしょうかね。妻が描いてみせた絵に興味を示して、自分でも絵を描くようになりました。
 妻とは違って、陽子は抽象画が上手でした。私や妻は写実的な絵を描いてきたもので、抽象画の善し悪しはあまりよくわかりません。初めは戸惑いましたが、妻の妹には理解してもらえたようでしてね。絵を描くようになってから二年くらい経った頃には、義妹のアトリエを頻繁に訪れるようになっていました。
 高校に通わず部屋にこもっていた頃に比べると、明るく、前向きになって
 ええ、よく知っていますね。ああ……そうでしたか、火災調査員、保険会社の方でしたか。そうです。半年ほど前でしょうか、私たちの家が焼けたのは。怪しまれても仕方のない火事だったかもしれませんね。
 え? そういうつもりで調べているわけではない。そうなのですか。ああ、そうだ。陽子のこと、ですよね。
 あの火事は、ちょうど陽子の大学合格が決まった日のことです。あの火事さえなければ、彼女は今頃この街の大学で美術史を学んでいた。絵を描くのではなかったのか? 私も同じことを思いました。でも、陽子は絵を描くだけじゃなくて、絵が描かれた理由を知りたいといっていました。義妹のアトリエで扱っている絵を見て、そんなことを思うようになったと。
 私たち夫婦はほっとしましたよ。昔はあまり自己主張もしなかった子が、引きこもりから脱して、自分の進みたい道を楽しそうに語ったんですから。
 それが、あの火事が陽子の将来を全て奪ってしまった。
 妻は、あれ以来心を病んでしまいました。表向きには、何も変わりがないようにも見えるかもしれません。
 ですが、帰宅するたび食卓に座り、いないはずの陽子と楽しそうに話をしているんです。医者の話では、回復するまでの間ゆっくりと見守って寄りそっていくことが大切なのだそうです。けれども、私にはもう耐えきれそうにない。ここではない何処かを見つめる妻に私はどのように接すればいいのかすらよくわからなくなりました。
 妻、ですか。彼女は彼女にしか見えない娘と向き合っている時間以外は一心不乱に絵を描くようになりました。陽子の代わりを務める気なのでしょうかね。
 ええ、そうです。あの絵もこの家に越してきてから彼女が描いたものです。顔のない子、ああ、あれが陽子です。妻は現実にある物しか書けないのです。今は陽子はいないから、顔も書けなくなったのでしょう。
 写真? そうですね、写真があれば顔が描けるかもしれない。私も同じことを思いました。けれども、二階のアトリエに入って、彼女の描いた絵を見た時、それが間違いだと悟りました。彼女の記憶の中にある陽子は、あの日、逃げ切れなかった時の姿のまま焼きついてしまっているのだと。
 私は怖い。妻がこのままおかしくなってしまうのだと思うととても怖い。娘がいなくなって、妻までもがいなくなるのではないかと不安なのです。もし、妻が良くなるのなら、どうか妻を助けていただけないだろうか。

*******

 私に妹はいない。私もここにはいない。私たち姉妹は存在していなかった。けれども、私も妹もこの家で暮らし、絵を描き、母と話していた。
 青年は私を母の名で呼んだ。それが歪みの答えだ。私は、『家族の肖像』が抱えている歪みの正体をしった。そして。
「絵は壱眼古物が責任を持って引き受ける。それでいいかな」
 老人の申し出に頷く私は、妹でも私でもない私の母、宮野朋子の顔をしている。彼女が頷く様子を見て、私は眠りについた。もう、悪夢には襲われないだろう。



 何か見落としている。

 『家族の肖像』と名付けられた絵を引き取り、壱眼古物に戻った宗吾は喉のつかえがとれないまま、奥座敷に転がっていた。
 壱眼が見たという曰くつきの絵画は確かにあった。その絵は宮野家に起きた過去の悲劇を、それによって失われたものを覆い隠すかのように描かれたものだった。失われた家族を埋め合わせるための絵は、描き手の下に失った家族その者を呼びもどした。それだけでは飽き足らず、覆い隠したはずの悲劇の記憶までをも呼び戻し、呼び戻された家族を殺そうとしていた。
 それが、宗吾があの家で見た奇妙な出来事の全容だ。

 本当に?

 宗吾はつてを使って調べた宮野家の家族関係図を眺めた。そこには宮野陽子の妹はいない。しかし、母である朋子の中に生まれてしまった陽子には、生前から妹がいるような記憶があった。そのことがどうしても納得がいかない。
「おや、宗吾、まだうちにいるのか。いいのかい、仕事は」
 奥座敷を覗きこんだ壱眼をみて、思い切って疑問をぶつけてみようかと思った。
「ああ、そうだ。そういえばね、宮野の家のことなのだが、私はあの家の祖母を知っていたのだよ」
「はい?」
 壱眼から飛んでもない発言が飛び出して、宗吾は疑問をぶつける機会を失った。
「知り合いというわけではない。宮野陽子の祖母、宮野朋子の母だね、彼女も名が知れたというわけではないが、画家でね。以前に絵を扱ったことがあったのだよ。朋子さんの顔を見てそのことを思い出した」
 あの家は、代々絵描きの家だったというわけだ。壱眼はそう言って、一枚の紙をテーブルに置いた。
「上の絵が朋子の母の作品だ。ウチにまだコピーが残っていた。それとな、気になったからちょっと調べてみたのだが、これが朋子の妹が開いていた個展の絵。そして、あのアトリエの奥にあった陽子の絵がこれだ」
 朋子の母が描いたというのは風景画。これに対して、朋子の妹が描いたというのは抽象的な絵だ。まるでステンドグラスを見ているかのような錯覚を覚えるこの絵は……犬をモチーフにしているのだろうか。これがどれくらいの価値を持つものなのか、宗吾にはわからなかった。
 そして、その横に載せられた陽子の絵もまた、モチーフのわからない抽象的な絵である。朋子が陽子の死後に描いていた絵とは随分タッチが違う。寧ろ、この絵の描き方は朋子の妹の方に似ているのではないか。
 そこまで考えた時、宗吾は見落としていた点に気がついたような気がして背筋が寒くなった。
「待ってください。これ、もしかして」
「さてな。私は物に宿った想いのようなモノしか視ることができない。あの家族に起きたことの真実など、私にはわからないさ。絵は手に入った。とりあえずあの家の歪みは収まるだろう。それ以上に、追及する気はない。
 まあ、場合によっては、君の仕事には関わってくるかもしれないな。宗吾」
「そんな面倒な案件、触りたくないですよ。担当者が気づいたら対処すればいいんです」
 オカルトまがいの古物の取り扱いを手伝い、不審な事案を発見した。そんな報告を先輩社員にした日には、どんな説教をくらうか。
 宗吾は壱眼の刺しだした紙を裏返し、立ちあがった。
「さて、せっかくの休日が終わる前に、私も退散しますかね」
 宗吾には、まだ壱眼の本業に師事する覚悟がない。だから、今回のことも、ここまでだ。これ以上、踏み込むことはしない。

*******
 
 全ての荷物を運び出し、父と母がこの家を後にする。
 私は、その様子を『家族の肖像』のあった居間でじっと眺めていた。
――君は誰だ
 この家から出ることができず、消えていくしかない私は、両親を見送りながら壱眼老人の問いかけを思い返していた。
 私は宮野陽子なのだろう。母が陽子を失った隙間を埋めるために描いた『家族の肖像』が作りだした幻覚だ。そして、夢の中で私を襲った黒い人影もまた、宮野陽子である。
 私は自分によって殺されかけていたのだ。まるで本物の記憶が偽の記憶を許せずに殺そうとしていたかのようだ。事実そうなのだろう。
 少なくても、私はそう確信している。
 それは、壱眼と名乗る老人とその付き人の青年、宗吾が語った宮野家の事情にはひとつ、触れられていないことがあるからだ。
 存在しなかった私の妹のことではない。
 私が生前描いていたという絵のことだ。その絵が母の描く写実的な絵ではなく、叔母の描く抽象画によく似ていたということの意味である。
 私が死んだあの火事の日、私は二階で絵を描いていた。そこに妹はいなかったが、私は確かに絵を描いていたのだ。
 そして、あの日、母はひどく興奮した様子で父と言い争った。思い返してみれば、それまでもたびたび言い争いはあったのだ。私が叔母のアトリエに長く通っていたことも、今思えば言い争いが激化する原因の一つだろう。
 今の私は、母が作りだしたものだ。母の記憶も薄らとある。だから、言い争いの原因がどこにあったのか、だいたいの予想がつく。母は、私が叔母のアトリエに通っていたそのころからゆっくりと壊れていったのだ。
 そして、私が叔母のアドバイスの下で、大学進学を決めた時、完全に壊れてしまった。

 私は、母のその記憶と、私たち家族の中に潜んでいた問題を覆い隠すためにこの家に現れた。実際には存在しない妹と共に。

 父と母が最後の荷物を持って家を出る。玄関の扉が閉まると、家の中から人の気配が消えた。
 踊り場にあった壁の黒ずみがゆっくりと私の方へと向かっていく。あの黒ずみは陽子だ。母を救うため全てを覆い隠そうとした私に対して押さえきれない感情をぶつけたがっている。
 私は、テーブルに忘れられていった手鏡を手に取り、自分の顔を見た。
 ああ、顔がない。私の顔は、あの肖像に描かれていた顔のない少女そのものだ。
 黒ずみが私の身体を呑みこんでいく。陽子は私だとでも言いたいのか。

 私は身体を呑みこんでいく黒ずみを受け入れながら、壱眼老人の問いに答えを出した。

 私は誰か。
 私は、宮野陽子であり、そして、宮野朋子だ。
 妹の名は、宮野洋子。宮野陽子の母親である。

家族の肖像 了
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1986/09/15
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色んなところで見かける人もいるかもしれませんがあまり気にせず。
ブログとか作ってみたけれど続くかどうかがわからないので、暇な人だけ見ればいいような。
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