忍者ブログ
作成した小説を保管・公開しているブログです。 現在は連作短編が二篇の他,短編小説,エッセイの類を掲載しています。 連作小説の更新ペースは随時。二か月に三回を最低ラインとして目指しています。
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

キルロイ5
黒猫堂怪奇絵巻5話目「キルロイ」の掲載5回目です。
連載再開しました。一月1話ペースくらいで更新続けられるといいなと思います。

前回までの「キルロイ」
キルロイ1
キルロイ2
キルロイ3
キルロイ4

今までの黒猫堂怪奇絵巻
黒猫堂怪奇絵巻1 煙々羅
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る
黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ
黒猫堂怪奇絵巻4 迷い家
黒猫堂怪奇絵巻4.5 薄闇は隣で嗤う

―――――――

 夜の陽波高校は住宅街に開いた穴だ。
 夜間のナイター設備などがある高校であれば別なのかもしれないが、夜の学校には人の気配も明かりもない。
 住宅街にはほのかに人工の光が灯されているものだから、余計にその暗さが目立つ。
 そして、構内に満ちる闇は怪異が息を潜めるのにはもってこいの場所だ。





 満月の夜と違い、空を雲が覆い尽くしている。おかげで月あかりも校舎には届かず、目を凝らしても周囲の状況を把握することが難しい。
 香月フブキはその暗闇を大きく吸い込んだ。身体の中に暗闇を取り込み、瞳を閉じて、暗闇を感じる。五感で外を感じてはいけない。五感で感じると周囲とフブキは別の物になってしまう。だから、五感ではなくフブキの存在そのもので暗闇と触れる必要がある。
 身体の中の暗闇を受け入れていくことで、フブキの意識が揺らぎ、身体と周囲に満ちた暗闇の境目が薄くなっていく。
 境目が薄くなると共に、今まで見えなかったはずのもの、聞こえなかったはずのものが掴めてくる。
 暗闇に包まれていた校舎の形も、今でははっきりと掴める。そして、校舎の横を駆けていく白い帯が“視える”。目を開いても白い帯が見えるわけではない。しかし、確かにフブキには白い帯が視えている。
 フブキは地面をけり上げて、校舎の隅を走る白い帯を追いかけた。
 帯はフブキの前を滑り校舎の角を曲がる。その先にあるのは、あの枯れ桜だ。
――やはり、一夜桜と呼ばれる木とはあの枯れ桜のことなのだろうか。
 フブキの脳裏には、陽波の周りで鬼に憑かれた者たちの持っていたあの写真が浮かんでいた。
 先日、新聞部の部員たちとともに校庭を訪れた時には、枯れ桜に一夜の花びらが咲くことはなかった。だが、やはりあの枯れ桜には何かがある。
 そんな確信を胸に抱いて、フブキは校舎の角を曲がった。
 しかし、フブキの確信を知ってか知らずが、白い帯はフブキの視界から消えてしまった。確かに感じ取った怪異の気配が消えてしまったことに、フブキは思わず唇をかみしめた。
 彼女の背後で怪異の気配が膨れ上がったのはそのときだ。
 振り返っても目の前にあるのは校舎の壁だけだ。いや。違う。
 見上げれば二階部分から屋上へと繋がる外階段がある。外階段の上を白い帯が上っている。
 あの帯は桜ではなく、校舎の屋上を目指しているというわけだ。外階段は二階からしか繋がっていない。帯に近付くためには校舎の中に入るか……あるいは階段まで飛びあがるか。
 足元に“霊感”を集中させる。うまく壁を蹴ることができれば、三階くらいまでは飛びあがれる、そういうイメージを身体に巡らせていく。幸い、こんな時間に構内をうろつく者はいない。フブキの力は誰にも目撃されないはずだ。
 力を込めて右足を踏み出し……

――

 誰かの視線を感じ、フブキは飛びあがるのを止めた。誰かが見ている。しかし、周囲を見回してもそれらしき気配はない。“霊感”を研ぎ澄ましたところで、やはり視線の主を見つけることは出来ない。だが、先に感じた得体のしれない視線はどこかからフブキに突き刺さっている。その視線の存在が、フブキに非常階段までの跳躍を留まらせる。
 他方で、屋上へ昇っていったあの白い帯は逃すわけにはいかなかった。フブキは白い帯の気配を知っている。あれは、“鬼”だ。祓っても祓っても別の人間の身体を借りて現れる正体不明の怪異。
 いや、比良坂の研究員、岸の調査結果を信じるならば、“鬼”憑きの人間は怪異憑きではない。確かに怪異が憑いているとしか思えないが、その実、祓った後の人間には怪異憑きであった印がない。
 だからこそ、フブキは鬼の正体を知りたい。鬼の正体を知るために、あの白い帯を逃がしたくはない。

 けれども。フブキが跳躍をためらっているうちに、白い帯の気配は消え、それと同時に視線も消えてしまう。
 フブキは、暗い校舎の前で独り立ちつくすしかなかった。

******

――倉橋守。2年5組の男子生徒。一夜桜が咲かなかったあの満月の夜から一週間ほど、体調を崩したとの理由で学校を欠席していた。
 彼が再び学校に顔をだすようになってから8日。倉橋守に特段変わった点は見られない。長期の欠席前と欠席後、彼に起きた変化はたった一つだけ。彼が屋上に行かなくなったことだけだ。
 倉橋守は校舎に寄りかかり、フブキの視線の先で校庭を見つめながら昼ご飯を食べている。これで6日連続。
 フブキは倉橋から教室一つ分ほど離れたところで、倉橋の様子を伺っていた。
 クラスメイト曰く、倉橋はおとなしい。根暗で何を考えているかわからない。クラスから浮いている。部活には入っておらず、授業が終わると何処かへ消える。授業の間の短い休み時間ですら、クラスメイトは倉橋の居場所を知らない。
 ただ、昼休みは必ず屋上に居るのだという。共に昼食をとる友人がいるわけではない。屋上で昼食をとる他のクラスメイトが必ず見かけるというだけだ。
 ところが、退院後の彼は屋上に行くことはせず、校舎の端から校庭を眺めるようになった。些細な変化だ。屋上で昼を過ごすクラスメイトたちは倉橋のその変化に疑問を持っていない。もっとも、倉橋の変化がどんなに劇的であっても、クラスメイト達にとっては興味がないのかもしれないけれども。
 フブキには屋上に行かなくなったという倉橋の変化が気になった。だから、こうして倉橋を追いかけている。“仕事上の”興味ではあるが。

 陽波に通うようになって数カ月。特にインフルエンザのように流行病が広がったことはない。けれども、この高校では常時欠席者が目立つ。
 いくらフブキが風邪をひくことすら稀だとしても、全校生徒が常に健康であるとまでは思っていない。体調を崩すことは誰にだってあるし、何百人も生徒がいれば、全員が元気で過ごしている日など奇跡なのかもしれない。
 非行が目立つ、不登校が目立つなどといった“荒れた学校”などではない。欠席の理由はほとんどが体調不良だ。気に留めるようなことではないのかもしれない。体調不良で数日欠席した生徒の中に、頻繁に“鬼”憑きが現れるのでなければ。
 咲かないはずの校庭の桜。フブキが陽波高校に目を付けたきっかけであるその桜については、先日の夜間取材以上に目だった手掛かりがない。
 もともと、部長の桃山春香のみが乗り気で始めた企画だ。フブキはこれを機に校庭の桜について情報が取れるかと思い活動に参加したが、他の部員は内心面倒に思っていたのだろう。あの夜の検証以降、部員の興味は削がれてしまったのだろう。新聞部は表立った取材活動を止めている。
 取材が止まってしまった以上、七不思議を独りで調べ回るのも目立つ。仕方がないのでフブキは調査の切り口を変えた。
 潜入初日に遭遇した“鬼”憑きと思われる男子生徒。その後、度々構内で見かける“鬼”憑き達の方を調査することにした。
 そして、その栄えある一人目として、彼女は倉橋守に目を付けた。

 一夜桜を観に行ったあの日、フブキは校舎の屋上に奇妙な気配を感じていた。“鬼”憑きのような。そうではないような、幽かな怪異の気配。
 その時はすぐに気配が消えたこともあり、追いかけはしなかった。しかし、その後、深夜の構内で同じ気配が動き回るのをフブキは何度も見かけている。それは枯れ桜の辺りか校舎の屋上で不意に気配を消す。
 倉橋はフブキ達が一夜桜を観に行った翌日から欠席が続いていた。よく屋上に出入りしていたし、ひょっとすると何か関係があるかもしれない。
 際立った根拠もない、単なる勘。フブキが倉橋に目をつけたのはその程度の理由だ。

 それだけなのだが……
「んー。ああいうのが好みなのか。意外だ」
 フブキの後ろでコロッケパンを食べながら呟いているのは、沖田敬だ。
「ああいうのってどういうのですか」
「え、ほら。あそこに寄りかかってパン食べてる奴。5組の倉橋守だよね」
「私はただダイエットのために校舎の周りを散歩しているだけですよ」
「ダイエット?」
 沖田はフブキの後ろから飛びのいて、フブキの身体をじっと睨みつける。まるで何かの品評会でも始めようかという視線が絡みつく。視線に耐えられなくなってなんだかむずがゆい。
「あ、あの!」
「ん? 何?」
「あの、あそこにいる人、沖田先輩の知り合いなんですか?」
「ああ、倉橋は中学校の時の後輩だよ。まあ、知り合いって言うほどでもないけれども」
 意外な所に情報源がいたものだ。フブキはつい踏み込んで尋ねてみようと考えた。しかし、口に出そうにも、沖田の勘違いが厄介だ。
「彼、中学校の時はもうちょっと明るい感じだったんだよ。うん、そうだな。あれがもうちょっと明るかったら、上月の好みかもしれない」
「私の好みって先輩?」
「ほら、上月、静かそうに見えて、興味のあることにはぐいぐいいくじゃない。何にでも興味持ちそうであかるい子、好きなんじゃないかなって思って」
 それは……どうだろう。不意に、仕事上付き合いのある冴えない大学生を思い出し、フブキは思わず頭を振った。あんな呪符バカがなんだというのだろう。
 沖田は、フブキの様子を見て、倉橋が好みではないという意思表示だと感じたらしい。残念そうに肩を落とした。
「そっか。倉橋も新しい友人が増えれば昔みたいに明るくなるかと思ったんだけど」
「あの人、明るい人……なんですか?」
 少なくても数日間フブキが見ている限りだとそんな様子はないし、クラスメイトから聴いた印象とは程遠い。
「私が知ってる倉橋は、少なくても、あんな風にぼんやりする子ではなかったよ。どちらかといえば、いつも友達とつるんでいるタイプ」
 それはまったく真逆ではないか。
「高校に入ってから雰囲気が変わった?」
「それならそれでいいんだけどね。倉橋の雰囲気が変わったのは、春香と同じように“見た”後からじゃないかな」
「見た?」
 春香と同じというのは、新聞部の部長、桃山春香のことだろう。そういえば。桃山と沖田は同じ中学校の出身だと新聞部の誰かに聞いた記憶がある。
「うん? ああ、なんでもないよ」
 どうやら沖田はあまり話したくないことを口にしてしまったらしい。沖田をじっと見つめると、諦めたのか沖田は口を開く
「そういう目で見られたら困るって……春香たちは、中学の時に見たのよ。その、なんていうの、怪談」
 まさか
「怪異」
「カイイ? あ、怪異。そう、そういう呼び方が正しいかもしれない。春香と倉橋は中学校で、怪異を見た。二人とも少し雰囲気が変わったのはそれから」
「あの、怪異って、具体的には何を見たんですか」
「具体的にって言われてもなあ。私は見たわけじゃないから。ただ、“人”を見たって二人とも話していたかな」
 人間。それは例えば、三階の窓の外に人間が立っているとかそういう話だろうか。フブキは、七不思議のひとつ、窓に貼りついた高校生の話を思い出していた。
「人って言われてもわかんないか。私たちの中学校ではそういう話があったの。“図書館の窓際、入口から死角になっている本棚の前に、突然人間が現れて本を読む”って。誰も見たことがない人で、話しかけたり触ると消えてしまう。本の好きな学生の霊だって噂なんだけど、見た目は学校の先生。いくら怪談でもチグハグで笑っちゃうよね」
 でも、春香と倉橋はそれを見た。そう呟く沖田の視線は何処か遠い。
「春香が七不思議を調べたがっている理由も、その辺にあるのかもしれないわね。まあ、一夜桜は空振りで、学生の張りつく窓ガラスは割れちゃってるし、他の噂は調べようもないけれど」
「先輩は、桃山先輩や倉橋さんの見た怪異を信じるんですか」
「どうだろう。怪談話って言うのは、嘘だってわかってても怖いからいいんであって、本当にそんなことが起きるのは嫌かな。でも、親友が本当に見たって言うなら、信じたいし、私にも見えたら違ったかもしれないね」
 そう話す沖田には何処か怪異に惹かれているようなそんな雰囲気があった。友人には見えて時分には見えない。そこにもどかしさのようなものを感じているのだろうか。
 でも。フブキには、怪異に惹かれるという意見がわからない。奴らは祓うべき“敵”であっても魅力的な相手ではない。断じて。
「上月? 大丈夫?」
 いつの間にか、フブキは両手を強く握りしめていたらしい。沖田が心配そうな瞳をフブキに向けていた。もしかすると、表情も険しくなっていたのかもしれない。
 フブキは慌てていつもの“上月桜”の顔を作って、微笑んだ。
「大丈夫です。ただ、桃山先輩の見たっていうそれが本物だったら、怖い話だなと思って」
「言ってるじゃない。怪談は本物じゃないからいいんだって」
 それは全くもってその通りだ。だが、残念な事に怪異は実在している。少なくても、フブキはそれを知っている。

******

 この棚にはあまり手を伸ばす人がいないのだろう。抜き出した冊子の上には薄らと埃が積もっている。私は手袋でやさしくその埃を払い、冊子を胸元に抱えた。
 バランスを崩さないように気をつけて脚立を降り、一息をつく。手に抱えた冊子は5冊。もう少し背が高ければ脚立を使うことなく最上段の本に手を伸ばせるのに。脚立を使って本をとるとどうしても、一回に探せる本の量が減ってしまう。
 ようやく揃えた冊子の目次を拾って読んでみても、探していた項目がない。一つ前の本には確かにこの本に掲載されると書いてあったのに。
 五冊の冊子をめくっても、該当する頁がない。どうしてだろう。
 もしかしたら、題名を変えて掲載されているのかもしれない。そんな希望を持って頁をめくってみるけれども、それらしき内容はやっぱりない。
 私は本棚の上段を見上げてため息をついた。手元の冊子が詰まっている本棚に残っているのはあと数冊。そこになければ、おそらく存在しないのだろう。学校の外で手に入るようなものではないから、卒業生で持っている人はいるかもしれない。ただ、私にはそうした知り合いはいない。
「おや、珍しいな。ここに生徒がいるの」
 すっかりしょげていたら、人が入ってきたことに気が付かなかった。不意に声をかけられて、私は思わず立ち上がった。その拍子に椅子にスカートが引っ掛かって、ゴトンという音と共に椅子が倒れ込んだ。
「驚かせるつもりはなかった。すまない」
 こちらに頭を下げたのは、すっかり見慣れた教師の顔だ。
 私の方こそ、いきなり驚いたりして申し訳ない。
「学生は図書室を自習に使うものだと思っていたからね。ましてや書庫に入って探し物をする人がいるとは思わなかった」
 教師はそう言って頭をかいた。どこか困ったような表情をしている彼に私もどうしたらいいかわからなくて机に置いた冊子を持ってみたり置いてみたりしてしまう。
「ああ、僕のことは気にしなくていい。僕も本を探しに来ただけだから」
 この教師は、どんな本を探しに来たのだろうか。
「今度の授業で使う資料をね」
 それでは、まるで試験勉強をしに来ている私たちと同じだ。
「うん、まあそうだね。君の方がよっぽど図書室に相応しいかもしれない」
 そう言って笑うので、私もつられて笑った。
「ところで、それは××××だろ。どうしてそんなものを探しているんだい」
 私が手に抱えていた冊子に興味を持ったらしい。私は、目の前の教師がこれを知っている事に驚いた。以前、別の教師に尋ねたときには誰も知らなかったのに。
「懐かしいなあ」
 教師は机の上に置いてあった他の冊子を手にとって中身を眺めている。懐かしい。私は教師の呟いたその一言の意味に気が付いた。
 もしかして。先生は。
「こんな懐かしい物を開いて、君は何を探しているんだい」
 教師が私の眼を覗きこむ。私を見つめる瞳は深い湖の様で、背筋が震えた。目の前の教師は私の求める答えを知っている。根拠はない。これは直感だ。
 私は、教師にその質問をした。

――その昔、陽波高校に伝わっていたと言う七不思議を知りませんか

 そして。教師は私の問いに、私の知らない、私の探していた答えをくれた。

「本は地図だ。私たちが迷った時に、道を示してくれるそういう物だ。そうは思わないか、桃山春香さん」

 書庫を出る時に、教師が投げかけたその問いは、私の耳に今でも残っている。

「お、春香! どう? その後、七不思議の噂」
 部室で独り、あの日、書庫での事を思い出していた。夜桜見物が空振りに終わって一週間以上が経過している。
 部員たちは七不思議には興味を失ったのか、取材のために動いている気配がない。中間テストも近付いているからか、部室に顔を出す頻度も減ったように思う。
 今日は珍しく、友人の沖田敬が顔を見せた。
「どうって。見ての通り。続報はないし、他に調べられる噂はないよ」
 そう、七不思議の残る噂は実際に調べられるものでもない。そう伝わっているらしい。結局、この手の話はそこまでで終わり。それ以上はないのかもしれない。
「それを言ったら初めからそうでしょうが」
 その通りだ。それでも取材してみたい。そう言ったのは他の誰でもない、私。
「まあ、夜桜と窓の高校生以外それっぽい話はないしねぇ」
 沖田は私の様子など構わず、じっとホワイトボードを眺めている。昔からそうだ。沖田は私の事を気にしない。気にしないようにしている。それが、彼女なりの付き合い方で、私はそんな彼女の付き合い方が嫌いじゃなくて、こうして今も同じ部活にいる。
「あ。そうだ。春香。これは?」
 彼女が指示したのは、ホワイトボードの一番下に書かれた5つ目の噂だ。
「それ、誰かが聴いたって話をしていたけど、ほとんど知られていないし、誰が言ったのかもはっきりしない話よね」
 その話をホワイトボードに書き出したのは誰か。私はそのことには触れない。
「そうそう。でもこれ、この前バスケ部から聞いたよ。新聞部、こういう話集めているんだろって」
 それはまた有名になってしまったものだ。
「やる気ないなあ。とにかく、この話、ちょっと調べてみてもいいんじゃない。他の四つは、もうこれ以上調べようもないし、ここまで調べてまとめたら、それなりに企画になるかもしれない」
「ん。ありがとう、ケイ」
 本当はその噂には触りたくない。できることなら、それは私とあの教師の間だけで留めておきたい。そんな思いがふとよぎった。

******

 夕暮れの校舎は暗い。そんなことはずっと前からわかっていた。
 だが、ここまで暗かっただろうか。
 窓の外の景色すら良く見えないのは、夕日が射しこんできているからか、それとも。
 ありえない想像が頭をよぎり、背筋がざわついた。彼はその想像を振り切るために廊下の端へ向かって全力で走る。突きあたりの階段を降りれば、体育館への渡り廊下がある。そこから校舎の外に出れば良い。
「本当にそれでいいの?」
「体育館に行こうよ」
「練習、練習」
 何処からともなく響いた声をかき消すため、彼は大声で叫んだ。彼の叫びに呼応して、目の前の廊下が伸びた。
 5クラスしか存在しないはずなのに、教室が倍に増える。
 後ろを振り返ると、先ほど走り抜けたはずのホールが遠くに見える。
 それほどまでに走ったのか。否、彼が走り抜けたのは4クラス分の教室だけだ。今、背後に伸びている廊下は教室いくつ分なのか、彼には判断が付かない。廊下の果てが見えないのだから。
「練習いかなきゃ、来週は大会だよ」
「レギュラーなんだろ」
「そうさ、大会で優勝して、大学でもレギュラーに」
 耳障りな声は廊下中に反響している。耳を塞げば塞ぐほど、音は大きくなり、廊下は伸びる。
 どうしてこうなったのだろう。興味本位だった。特に危ないとは思わなかった。ちょっとした暇つぶし。そう、その程度の認識に過ぎなかったのだ。こんな奇妙なことに巻き込まれるなんて、彼は全く想像していなかった。

「想像していなかったからといって、逃れられるわけではないよ。想像力の不足もまた、君自身に返ってくる」

 彼は背後から聞こえるその声に、頷いた。頷いてはいるが、その何を言われているのかは理解できていない。彼は、ただ、この奇妙な状況から抜け出したい。それしか頭になかった。

「大丈夫だ。君のように迷う者の方が多い。だから、安心して、今は休むんだ。もがいたところで何も起きない」

 だから、その問にも頷いた。問が何を意味するのかなど、彼は考えなかった。
 校舎の風景がぼやけていく。やがて、彼は深い湖の中に沈んでいく。湖の上には羽の生えた人間が飛びまわり、湖の中では巨大な魚が口を開いている。彼は呑みこまれる。呑みこまれ、溶けていく。
 
 ほぅ。

 梟の鳴き声のような、人間の声のような、奇妙な声を聞いて、彼は意識を失った。

 次に彼が目覚めたのはベッドの上だった。彼の顔を覗きこんでいた誰かが大きな声を上げる。ベッドの周りは騒がしく、彼は多くのことを尋ねられた。彼はその問いに一つ一つ応えていく。
 彼の応答に周囲の人間は安堵の声を漏らす。彼は家に迎え入れられ、日常へと戻っていく。周囲の人間が日常だと呼んでいる生活に戻っていく。
 日々通う“校舎”と呼ばれる建物に入ると、あの湖を思い出す。彼が溶けていったあの湖は何だったのか。自分に羽が生えていないのはなぜなのか。
「ほぅ」
 彼は呟いてみる。彼は真似てみる。あの時聞こえた鳴き声を。
 その時だけは、生きているようなそんな気がする。あの湖は見えないけれど。

―――――――

次回 黒猫堂怪奇絵巻5 キルロイ6
PR
comments
yourname ()
title ()
website ()
message

pass ()
| 64 | 63 | 62 | 61 | 60 | 59 | 58 | 57 | 56 | 55 | 54 |
| prev | top | next |
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
若草八雲
年齢:
37
性別:
非公開
誕生日:
1986/09/15
職業:
××××
趣味:
読書とか創作とか
自己紹介:
色んなところで見かける人もいるかもしれませんがあまり気にせず。
ブログとか作ってみたけれど続くかどうかがわからないので、暇な人だけ見ればいいような。
バーコード
ブログ内検索
P R
最新CM
[03/01 御拗小太郎]
[01/25 NONAME]
最新TB
Design by Lenny
忍者ブログ [PR]