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作成した小説を保管・公開しているブログです。 現在は連作短編が二篇の他,短編小説,エッセイの類を掲載しています。 連作小説の更新ペースは随時。二か月に三回を最低ラインとして目指しています。
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キルロイ2
連作短編,黒猫堂怪奇絵巻の5話目に当たります「キルロイ」の掲載二回目です。

 ところで,みなさんが通った小学校,中学校,高等学校。学校の怪談や七不思議というものはあったでしょうか。
 私の通った学校は,残念ながら七不思議のようなものはなく,映画や小説の中で七不思議のある学校が出てくるのをほんのすこし羨ましいなと思いながら過ごした覚えがあります。
 学校は学生たちにとっての“日常”であり,同時に周辺地域とは隔離された“非日常”であるという不確かな境界線上に作られた空間とも言えます。
 そのような学校だからこそ,現実や常識から一歩ずれたモノ,怪異が存在することに小さな期待を寄せてしまうのですが,そういった期待を抱くのは私くらいのものなのでしょうか。


前回までの「キルロイ」
キルロイ1

今までの黒猫堂怪奇絵巻
黒猫堂怪奇絵巻1 煙々羅
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る
黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ
黒猫堂怪奇絵巻4 迷い家
黒猫堂怪奇絵巻4.5 薄闇は隣で嗤う

―――――――


ふたつ 校庭の一夜桜は、願いを叶えてくれる。願いのない者は一夜桜をみてはならない
――私立陽波高校七不思議



 願いが叶うおまじない。
 そう言われて、試してみたくなるのは人の性。
 けれども、試してみるという行為はとても罪深い。本当に願いを欲している人たちに比べて真剣味が足りないから。

 本当にそうだろうか。試してみたい、その欲求だって十分な願いなんじゃないか。そうやって僕は思う。

 始業5分前のチャイムを聞いて、僕はベンチに寝そべった身体を起こした。昼休みの屋上とはいえ、生徒の影はほとんどない。ここが都市型の学校でグラウンドがなかったなら屋上も違った光景かもしれない。私立陽波高校は街の中に位置しているが、十分なグラウンドが広がっている。昼休みという比較的長い時間、外に出たいと考える生徒はグラウンドにでることの方が多い。
 屋上に上がってぼんやりしている生徒は少数派だ。

 まもなく教室に戻る時間。けれど、その前に。
 僕はグラウンドの端にある一本の木を見つめる。入学した頃から、あの木はずっと花を咲かせない。季節が悪いのだろうかと思っていたが、先輩たちも開花しているところをみたことがないというのだから、枯木なのかもしれない。
 おそらくあの枯れ木が噂の樹だ。僕は毎日、この小さな確信を維持するためだけに屋上に来ている。

*******

「てなわけで調査終了。もっとまともな取材に切り替えよう」
 新聞部部室。副部長の秋が調査報告書と題した紙束の読みあげを終えて、結論を告げた。
 理科室の窓ガラスが割れてから二日。七不思議を調べようと(部長だけが)意気込んでいた矢先のアクシデントに、新聞部七不思議取材班に命じられてしまった部員たちは、面々に複雑な思いを抱いたらしい。
 その想いが一番初めに行動に出たのが、先ほどまで取材の報告をしていた二年の秋マコトだ。
 結城美奈は彼が読みあげた報告書のコピーをしげしげと眺める。秋は美奈の隣のクラスの男子で、こういった報告資料を作るのが上手い。本人は将来ジャーナリストになりたいらしく、小学生のころから何かを取材しては紙にまとめるという活動を続けてきたのだという。
 そんな経緯もあって、彼は事実を見ることを大切にするので憶測に基づいた話はあまり好きではない。今回の部長の企画、学校の七不思議についての取材にもっとも不満をもっていたのは彼だろう。
「結局なんで窓が割れたかわかんないわけだし、少なくても窓ガラスが割れた以上、例の怪談話の舞台はなくなったわけでしょ。秋君の言うとおり、この企画はここまでかもね」
 秋に賛同したのは美奈の向かいに座っていた三年生の沖田先輩。彼女が七不思議に消極的なのはおそらく面倒だからだ。
「え、でも先輩。窓ガラスが割れる前には、見たって人います。朝、私たちのクラスでも話題になってました……」
 小さな声で反論をするのは一年生の紀本。彼女の意見を聞いて秋が身を乗り出そうとしたところで、紀本の隣に座っていた佐久間ミツルが秋の発言を制した。
「確かに、僕も聞いたよ。おとといの朝、図書室に寄った時に話してる奴がいた」
「いや、ミツル。そういうけど、結局検証も不可能なんだし、俺はおとなしく諦めるべきだっていってんの。部長、部長はまだやる気なんですか?」
 この話し合いを黙って聞いていた新聞部部長、桃山春香は、秋の質問に黙って頷く。その様子をみて、秋は呆れたと言わんばかりにため息をついた。
「まあ、待てよ秋。確かに理科室の幽霊の話は確かめようがない。結局、結城と上月も心霊写真は撮れなかったわけだし、お前の欲しい証拠って奴も見つからない。けど、七不思議は別に一つだったわけじゃないだろ」
 美奈と桜、そして新聞部の面々は佐久間の後ろにあるホワイトボードに目をやった。そこに書かれている七不思議は、七つではないが、一つでもない。
「まさか、ミツルくん。君」
「察しが良いですね沖田先輩。一つ目がダメなら二つ目です。この、夜桜の噂を確かめてみましょうよ」
 佐久間が示すのは『校庭の一夜桜は、願いを叶えてくれる』という噂だ。
「その一夜桜って校庭の枯れ桜のことでしょ」
「沖田先輩知ってるんですか」
「知ってるもなにも、私たちが入学したころからあの桜の噂は有名だよ、ねえ春香」
「ええ。私たちの先輩の代から一度もあの桜が咲いている所を見た人がいなくて、いつか狂い咲きするんじゃないかって噂になっていたわね」
「そんな昔からあるの」
 先輩たちの話を聞いて、佐久間が驚いた。
 それはそうだろう、学校の七不思議なんてのは先輩から後輩に脈々と受け継がれている怪談なのだから。
 美奈は頭の片隅でそんなことを考えながらも、内心どうやってこの取材から撤退しようか、その理由を考えるので必死だった。

 窓に張りつく高校生。二日前のそれは、まぎれもなく心霊写真だ。心霊写真が消え、窓ガラスが割れ、写真を取ったデジタルカメラは壊れた。
 それぞれがどんな関係にあるのか、美奈には全く想像がつかなかったが、あまり良い気分がしないのは確かだった。どちらかというと、これ以上七不思議に触れて何かに巻き込まれることの不安の方が大きい。

 ところが、窓ガラスが割れてからというものの、桜が以前よりも七不思議探しに熱心になってしまっている。昨日もカメラがないからといって秋と共に窓ガラスの話を聞いて回っていた。美奈としては、仲の良い友人である桜にあまりこの手の話には関わって欲しくなかった。
 ここにいる誰もがあまり気にしていないかもしれない。けれども、時として怪異は現実に美奈たちに牙をむくのだ。美奈は、それを間近に体験した。

「桃山先輩。その噂、先輩達が入学したころは確かに狂い咲きの話だったんですか?」
 美奈がウチに抱えた不安と向き合っている間にも、桜は七不思議の話に入り込んでいる。
「ええ。そうよね、ケイ」
「そうそう。狂い咲きって聞くから、季節外れの花見でもできるんじゃないかって男子たちが騒いでたけど、結局咲かないのよねあの桜」
「変ですね」
「そう、変なのよ。やっぱりあれは枯れ木なんじゃない」
「そうじゃなくて、七不思議の噂がです」
 桜の言葉に一瞬、部室の空気が止まった。
「桃山先輩は、学校内で聞いて回った噂を基に取材をしようって提案したんですよね」
 彼女の瞳には、先ほどまでとは違う輝きが満ちているような気がした。美奈は、桜のその眼差しと同じものを何処かでみたことがある。けれど、いつ、どこでみたのだろう。
「ええ、そうよ」
「あーそれなら僕もこの話が出てから気になって聞いて回ったけど、確かに男女関わらず、知ってる奴は結構いるな。聞いた噂もだいたいホワイトボードに書きだした奴だ」
「佐久間君と、桃山先輩の話の通りなら、不思議だと思いませんか。先輩達が入学したころはただの狂い咲きの桜だったのに、いつのまにか一夜桜なんて名前までついて、願いがかなうって噂になっている。これ、もう噂としては別物じゃないですか」
「言われてみれば確かに……誰か夜に咲いたのを見たのかな」
 桜の疑問に刺激されて出た、沖田先輩のこの言葉が、美奈を含めた七不思議取材班の今後を決めた。

*******

 一夜桜の噂?
 あ、あの願いがかなうって奴? うん、聞いた聞いた。
 誰から……誰だっけ、二組のヨシからじゃないかな。え、その時から願いがかなうって話だったかって? そりゃそうでしょ。え、違うの?

 咲いたのを見た子がいるって話は聞いたことはないけど。初めて聞いたのはいつって言われても、今年の秋ごろには既に話になっていたんじゃなかったっけ

 んーにゃ。部活の先輩からはあの桜は狂い桜だから近付くなって話をされたな。桜の木の下には死体が埋まってるんだとさ。まあ、ありがちな話だわな。咲いたのをみたことあるかって? いやいやいやいや、夜まで練習しててもそんなもんみたことないわ

 この前5組の奴が好きな女の子に振り向いてもらうんだとか言って夜に校庭に忍び込んだって話を聞いたぞ。結果? 桜は見れずにその辺ランニングしている変なおっちゃんに絡まれたから二度とやらないってさ。あー告白? 桜も見れないのにする価値はないって

 願いをかなえる桜の噂ね。初耳だわ。私たちが入学したころは狂い桜って呼ばれていたんじゃなかったかしら。ねえ?
 ん? どうだったかな……あんな枯れ木どうしようもないだろうって思って気にしたことがなかった。そういや隣の組の男子共は夜桜見物しようぜとか話してたが、なんで夜に咲くと思ってたんだろうな。
 それは、ウチの高校には桜がないからでしょ。狂い咲きしたら夜にでも集まってみんなで宴会しようとか盛り上がってたんじゃなかった? ウチのクラスでも花見したいって話はあったわよ。
 そうだ、授業中に盛り上がって、吉川先生が、咲かない桜に希望をもつのもほどほどにしなさいとか怒ったんだよな確か

*******

 国語の教師、吉川多輔は、もう15年近くこの学校に勤めている。教頭先生を除いて、最も長く陽波高校で過ごしてきた人だ。
「校庭の桜の樹の話? 生徒の皆さんから狂い桜と呼ばれている木のことですね」
 一夜桜の噂の出所を当たるために、学校中で尋ね回ること約2週間。国語の吉川先生も狂い桜の話を知っていたという噂を聞き、職員室横の応接室、桃山先輩が先生に是非話を聞きたいと申し込んだ。
 そして、その翌日である京、美奈と桜、そして桃山先輩の三人は、こうして吉川先生と向き合っている。
「私たちが入学したてのころには、狂い桜の噂はもう有名だったと思うんですが、もっと昔からあの噂はあったんですか」
「どうだったかな。少なくても、この前一年生の子達に聞かれた、願いがかなう桜という話は聞いたことがないね。あの桜は、この学校を立てる時から敷地内にあったものらしくてね。そのころからほとんど花を咲かせることはなくて、数年に一度、ぱっと満開になったんだという話は、近所に住んでいる方から聞くことがあったけれども」
「それじゃあ、狂い桜っていうのは」
「そうだよ。学校内での噂というよりは、近所のお年寄りの間では比較的有名な話だった。それもこの五年か六年の間は、桜がめっきり咲かなくなってしまったからね。そろそろあの木も本当に寿命なのかもしれないと町内会長さんは寂しそうにしていたよ」
 吉川先生の話した内容は、おおよそ桜の読み通りだった。桃山先輩たちの頃の噂には、一夜桜という名前も願いがかなうという名前もない。ただ、校庭の枯れ桜は狂い桜としか呼ばれていなかったのだ。彼女が知らなかった、読めなかったのは、その名前の由来が陽波高校ではなく町内会の人たちであったということくらいだろう。
「そんな経緯があったんですね。ところで、願いことを叶えてくれるという話を吉川先生は聞いたことがないんですか」
「ないねえ。いや、そういえば、君たちのクラスでもそのことを話題にしてる子がいなかったかね」
 吉川先生に問われて、美奈は桜と顔を見合わせる。少なくても、美奈は新聞部の取材に協力するようになるまで、この手の噂とは縁がない。表情から察するに桜も同じなのであろう。
「おや、違ったかな。それとも、結城さんや上月さんは学校の七不思議のような噂とは無縁なのかな」
「そうなのかもしれません。少なくても、私たちは、クラスでそのような話を聞いたことがありません」
「ふむ。もしかしたら、別のクラスだったかもしれないねぇ。確か、君たちと同じ二年生の教室でその話を聞いたんだ」
 それで。どんな話を。と今にも乗り出さんとする桃山先輩の様子に、吉川先生は少し頬を緩ませた。
「慌てなくてもいいですよ、桃山さん。あれは確か3か月ほど前でしたかねぇ。ちょうど上月さんが転校してきてクラスに馴染み始めたころじゃないですか? そろそろ、学年もあがるころだし、クラス替えはないけれど、何かイベントをしようなどと生徒たちが話していましてね、その中で聞いたんだと思います」
「イベント……? それ、きっと隣の組ですね。4組は春先に森林公園まで花見に行っていますから」
「ああ、そうか。そうだね。じゃあ、結城さんたちのクラスで聞いたというのは、私の勘違いか。花見をしようという話の中で、女子が何人か話題にしていたんじゃなかったかな。ウチの学校にも桜があって、桜の咲いているところを見られると願いが叶うとか」
「咲いているところって……桜は別に一日で散るわけではないんじゃ」
「そうですよ。結城さん。だから私もおやおやと耳を傾けた記憶があるんです。話をよく聞いてみると、なかなか咲かない桜の木があって、その木が上手く咲いたときに願いを叶えてくれるという話でしたのでね。あ、これはあの狂い桜の話かなと思ったんです。いつのまにか、願いを叶えてくれるという噂になっていたのだとね」
 いつの時代も願掛けというものはあるのだね。そう話す、吉川先生は、自分の学生時代のことでも思い出したのか、ほんの少し遠い目をしていた。
「そう、確か、あの子たちは桜が咲くのは満月の時なんて話もしていましたね」

*******

 二週間にわたる部員たちの調査で分かったことは、実のところ初めの段階とあまり変わらなかった。
 ひとつ、一夜桜の噂は、一年生や二年生の教室で多くささかれており、三年生は余り知らないこと。三年生にとっては、校庭の枯れ桜といえば噂の狂い桜というわけだ。
 ふたつ、一夜桜の噂は、十中八九間違いなく校庭の枯れ桜のことを指しているが、噂が出始めたのは早くても今年の初めころであること。
 みっつ、枯れ桜が咲いたところを見た生徒は、学内にはいないようであること。少なくても、一夜桜を目撃したという生徒の噂は存在しないこと。

「でも、変じゃないか。誰も見たことのない夜桜を見れれば願いがかなうってのはまあありそうな噂だが、願いのない奴は見てはいけないっていうルールはどうして付いたんだ? 前半だけで十分な噂だろ」
 秋は調査結果を聞いて納得がいかない表情を見せる。その様子を見て、やはり、彼は現実派なんだなと美奈は思う。一夜桜の噂にタブーが付与された理由、そんなの一つに決まっている。そして、その理由は本物を引き寄せかねない危ういものだ。
「決まってるじゃない。そうしないと怪談にならないからよ。七不思議のひとつに数えられるようになるのに、願いがかなう木だなんて、ちょっと迫力に欠けるでしょ」
 その点、沖田先輩は七不思議を語る学生のことを理解し始めたらしい。美奈もおおよそ彼女の言うとおりだと思っている。
 関わるべきではないと思いながらも、取材に同行するようになって、美奈は七不思議の噂がかなり広がっていることに驚いた。一年生のクラスまで行けば、興味を持っている者や良く覚えている者こそ少ないが、七不思議のひとつかふたつは知っている者に簡単に会える。
 思い返せば、理科室の窓ガラスが割れた日の教室の事にしてもそうだ。あの時、隣の席のゆかり以外にも、理科室の三枚目の窓ガラスという言葉に身を固めたものがかなりいた。彼等は知っているのだ。陽波高校の七不思議という怪談を。
「それで、どうします? 一通り調べては見た者の、噂の出所はよくわからないし、なんで狂い咲きの桜が一夜桜なんて噂に変わったのかもわからない。ただ、少なくても七不思議のひとつとして知っている生徒はそこそこいる。これじゃ記事にも何にもならない」
 佐久間の言葉にその場に集まった部員たちは黙り込んだ。
「元々、目的は七不思議を確かめることだったんでしょ、これ以上この噂を追いかけてもわからないんだから、確かめてみるのが一番なんじゃない。ね、春香」
 意外にも、一番に声をあげたのは沖田先輩だった。そして、彼女が乗り気であることに勇気をもらったのか、部長である桃山先輩が頷く。秋が裏切られたような目で沖田先輩を見つめているのに対して、佐久間はそうこなくちゃとばかりに張り切っている。紀本は先輩たちの様子に戸惑っており、意見をいえるような様子ではない。
 止めるなら、今なのかもしれない。
 けれど。
「なら、確かめるのは三日後、今週の木曜日ですね」
 隣に座っていた桜が話を進めてしまう。
「三日後って、なんでわざわざ」
「佐久間君、聞いてなかったんですか? 吉川先生が、一夜桜が咲くのは満月の夜だっていう話を聞いたって、さっきの報告聞いてなかった?」
「なるほど、三日後は満月か。ちょうどいいじゃない。それじゃあ、三日後の夜に学校に集合ってことね」
 それまでは、各自追加で取材するもよし、違うことをするもよしってことで。沖田先輩が桜の提案を呑んで、パンパンと手を叩く。打ち合わせ終了の合図とばかりに、集まった部員たちはそれぞれに椅子の上でだらけるなり、部室の外に出ていくなりと、散らばっていった。

*******

 校庭の枯れ桜を満月と重ねると一夜桜が現れる。
 僕は何度も方法が書かれたそれを確認し、呼吸を整えた。やるべきことは決まっている。あとは一歩踏み出す勇気だけだ。けれども、その勇気がなかなか出ない。そんなこんなでもう二回も機会を逃している。今日こそは。そう思う気持ちがあっても、足が前に出ないのだ。
 けれども、今日は違った。誰かが近くに駆けよってくるような気配がして、思わず校門の柵を乗り越えてしまった。そうしたら、なんだか気持ちが軽くなってしまった。
 せっかく校舎に入ったのだ。試すだけ試してみよう。そんな気持ちが生まれたのだと思う。

 夜の学校は、昼間にきていたときと全く違う。人の気配がない巨大な箱と、大きな庭が広がっている。まるで生きている気配がしない光景だなと思った。
 校庭の端に生えている枯れ桜は昼間に見るとそこだけ寂しげな風景だったけれど、生きている気配のない夜の学校であれば、枯れ桜こそがここにあるべき物である。そんな感じがする。

 もっとも、今日は満月だ。この枯れ桜は枯れ桜なんかじゃない。願いをかなえる一夜桜として、満開の花を付けているはずだ。

*******

「ちょっと、遅いぞ二年生諸君」
 美奈が陽波高校の裏門についたのは、午後10時。待ち合わせは10時30分だから、30分も早い。学校の近所の喫茶店で時間を潰していたという、佐久間と秋にたまたま会って、早いけれども覗いてみるかという話になり、三人でだらだらと裏門までやってきた。
 だらだらしていたのは、専ら美奈が本当に確かめに行くのかと引きとめようとしていたからであり、三人が裏門に辿りついたのは、秋の一夜桜なんてあるわけがないという強硬な主張と、佐久間の美奈は怖がりだなという評価の前では、彼女の提案は受け入れられなかったからだ。
 そうはいっても、まだ集合時間まで30分もある。なんとか二人を説き伏せられないだろうかと考えていたが、裏門に着いてみれば、どこかのコンビニで買ってきたのかアメリカンドッグを咥えた沖田先輩が一番乗りで到着していたのである。
「遅いって、まだ集合30分前ですよ。沖田先輩、なんだかんだいってこの取材、やる気になってきたんですか」
「そんなことはないわ。ただ、ちょっと興味あるじゃない。あの狂い桜が満月の夜だけ咲くなんて」
 それは十分にやる気があるというのではないだろうか。佐久間の問いに対する沖田先輩の反応に、美奈は佐久間たちと顔を見合わせた。
「もう、それはどうでもいいじゃない。とにかく、他の皆が集まり次第、桜を観に行くんでしょ」
 それは。ここで止めないとこのまま一夜桜の怪談を探しにいくことになってしまう。何かあってからでは遅い。美奈のなかの不安は膨らむが、楽しそうにしている沖田先輩や佐久間たちの姿に、何故か言葉を失ってしまう。
――桜を見るんだ。ただそれだけのこと。
 それだけのことではない。心霊写真の時から秋山に言われていたことだ。
「一番のりかと思っていたら、もう皆集まってきているのね」
 裏門の前で騒いでいた沖田先輩たちの姿を見つけて、道路の反対側から渡ってくるのは桜と桃山先輩だ。
 もう、止められない。せめて、今回の怪談は何でもないものであった、そういう結果に終わって欲しい。美奈はそう思い、じっと目を閉じた。

*******

 校庭の端にある枯れ桜。それは、校庭に入ったときに感じていた通り、夜の校舎にはひと際馴染んだ光景だった。やはり、人気のない校舎は生きていないのだ。そして、生きていない校舎の横で満月の光に当てられている枯れ桜は、正しい在り方をしている。
 そう思った。
 けれども、これから僕が見るのは枯れ桜じゃない。満開の桜だ。
 ポケットに入れていた携帯端末を開いて、画面を表示する。今日は満月の夜だということをもう一度確かめる。
 そして、僕は携帯端末を枯れ桜に向けた。端末の画面には満月に照らされた枯れ桜が映りこむ。

 いや、そこに映りこんでいるのは枯れ桜ではない。

「これが……」

 僕は思わず声を失った。枯れ桜は月明かりに照らされて、銀色の花を咲かせていた。おおよそ桜とは思えない生気のない色で輝く花。けれども、拡大してみれば、そこにあるのは確かに桜の花びらだった。
 一夜桜は一面を銀色に染める、生きていない桜なのだ。
 僕は暫くの間、その不思議な光景に魅せられて呆然としていた。ふと、一夜桜の足元で人影が動いたことが気になった。初めからあんな人影はあっただろうか。
 あれは、誰だろう?
――君の願いごとは何かな
 人影が僕の方を向いて、そう言ったような気がした。願いごと、そうだ。一夜桜には願いごとをしなければならないのだった。そう、僕の、僕の願いごとは……願いごとは……
――そう、君は願いごとがないのか。それじゃあ仕方がないね
 人影の首ががくんと落ちて、急にうずくまった。僕はそれを見て、急に不安になった。あの人影は、何かすごく厭な感じがする。言葉にできないけれど、僕は、あの人影を見るべきではなかったんじゃないか。
 思わず何歩かあとずさりをして、僕は一夜桜の怪談には続きがあることを思い出した。願いを叶えてくれる桜の樹に願いを言えない者はそれを見てはならないんじゃなかったのか。なんで。なんで、そんな注意がされていたんだ。
――願いがない。それはとても哀しいことだね
「えっ」
 目の前から桜が消えた。今、僕の視界を覆っているのはのっぺりとした銀色の影だ。上に視線を上げると、そこには大きな顔があった。顔? 目も鼻も口も耳も、何もついていないのっぺりとしたそれは、顔、なんだろうか。
――でも大丈夫。君の願いは僕が引き受けるから。
 銀色の影から、銀のしずくが垂れてくる。僕の顔に銀のしずくがかかって、僕の身体は銀色に。一夜桜と同じ生きていない色に……

*******

「あっれ? やっぱり枯れ桜のままじゃん」
 意気揚々と校内に入っていった沖田先輩が、桜を見てがっくりと肩を落とした。彼女を追う形で枯れ桜の前にやってきた美奈たちの前に、月あかりに照らされた、昼間と同じ枯れ桜が姿を現した。
「満月じゃなかったってことなんでしょうか」
 美奈の横で紀本が不安げに携帯端末を操作する。
「そんなことはないわよ、ほら月丸いじゃない」
「ケイ、満月の前の日だって月はほぼ丸く見えるでしょ」
「春香。流石に私もそれはわかる。でも、ちゃんと満月の日を調べた上で今日だったんでしょ」
 沖田先輩に尋ねられた紀本がうんうんと頷き、美奈たちに携帯端末を見せる。月の満ち欠けを知らせるニューススペースは確かに今日が満月であると伝えている。
「それじゃあ、一夜桜の噂も実在しなかったってこと……?」
「どうだろう。場所が違うのかもしれないし、佐久間君たちが校庭の他のところも回っているから、その報告を待ってから判断しましょう」
 明らかにやる気を失くした沖田先輩に対して、桃山先輩は気落ちした様子も見せず、佐久間たちを待つと言って、持ってきたデジタルカメラで枯れ桜の撮影を始めた。どちらかというと怪談話が好きではなかった沖田先輩の方が気落ちしているように見えることが、美奈にはほんの少し意外だった。
 そうこうしているうちに、校庭の他の場所を見てくるといって分かれた佐久間と秋、そして桜が枯れ桜のところまで戻ってきた。
「あちゃー、その桜も狂い咲きには見えないな」
「どうやら、季節外れの花見をしようという君の目論みは外れたみたいだね、佐久間」
「二人ともその反応ってことは、はずれ?」
「ええ、校庭のどこにも花をつけた桜の樹なんてありませんでした。どうやらこの噂は実在しないようですね」
「ったく、聞いた中では一番ありそうな怪談だったんだけどなあ」
 沖田先輩に報告をする佐久間は、自分の狙いが外れたことに悔しさをにじませる。秋はその横で、だから言わんこっちゃない、いい加減取材を止めましょうと沖田先輩と桃山先輩に訴えていた。
 結局、怪談は実在せず、心霊写真のような奇妙なことは起こらなかった。美奈は、新聞部の部員たちが枯れ桜の下でいつも通りの様子を見せていることに、見せていられることに安心した。
 そういえば、桜は?
 親友の様子が気になって辺りを見回すと、皆から離れて、桜が校舎の屋上の方を見つめていたのが目に入った。
「さくら? 一夜桜の噂、嘘だったみたいだね」
 親友の様子を気にしながら、彼女に近づいてその顔を覗きこむ。桜は声をかけている美奈のことなど眼中になく、険しい表情でじっと校舎を見つめている。桜が新聞部の部室で七不思議について話すときと同じ瞳を見たような気がして、消えかかっていた不安が胸中に蘇る。
「ねえ、さくら?」
 ようやく呼びかけに気が付いたのか、桜は目の前に美奈がいることに驚き、そして、いつもの表情に戻った。それでも美奈の表情には不安が現れていたのだろう。彼女は美奈の肩にそっと手を置いて、言った。
「大丈夫だよ、美奈。まだ大丈夫」
 皆のところに戻ろう。狂い咲きも見られなくて時間も余ったわけだし、近所のファミレスでやけ食いでも提案しようか。桜はそう言って、笑った。
 まるで、美奈に見せた先ほどの表情を忘れてほしいとでもいうかのように。

*******

 出席をとるぞー。みんな着席してくれー

 ああ、そうだ、倉橋は今日から暫く休む。
 え? なんでだって? あー、どうも調子を崩してしまったらしくてな、親御さんから入院するという連絡がきた。
 見舞い? まあ、行ってもいいのかもしれないが、いきなり押しかけるのは迷惑なんじゃないのか。そんなに具合が悪いのかって?
 先生もよく知らないんだ。まあ、そういうわけだから、誰か休んでいる間の授業のサポートとかしてやれよ? 

 知ってる? 5組の倉橋守の話。
 ああ、入院したって奴か。最近多くないか? お前の所の先輩もこの前、数日休んでただろ。
 きのせいじゃないの。インフルエンザとかそういうわけでもないんだしさ。
 じゃあ、どうしていきなり倉橋の話なんか。
 え、だって中学の同級生でしょ。何か知ってるかなあって。
 何かって、クラスも分かれちまったし、そこまで仲良かったわけでもないから、知らないよ。あいつのことなら、屋上組の方がよくわかるんじゃないか。昼休みはよく屋上にいたんだろ。
 ふーん、そんなものかなあ。てっきり一夜桜の被害者かと思ったんだけどなあ。
 一夜桜? なんだ、それ。
 え? 知らないの。まったく仕方ないなー。ここだけの話だよ?

―――――――

次回 黒猫堂怪奇絵巻5 キルロイ3
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若草八雲
年齢:
37
性別:
非公開
誕生日:
1986/09/15
職業:
××××
趣味:
読書とか創作とか
自己紹介:
色んなところで見かける人もいるかもしれませんがあまり気にせず。
ブログとか作ってみたけれど続くかどうかがわからないので、暇な人だけ見ればいいような。
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