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作成した小説を保管・公開しているブログです。 現在は連作短編が二篇の他,短編小説,エッセイの類を掲載しています。 連作小説の更新ペースは随時。二か月に三回を最低ラインとして目指しています。
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人形迷路3
黒猫堂怪奇絵巻7話目 人形迷路3話目

更新できるときに更新しておかないと、更新がとまる。
書けるときに書いておかないと話は進まない。

そういう生活習慣を改めることが来年の目標かもしれない!
ブログの記事数が90を超えてきたので、今年やり損ねたWEBページ作りの必要性が高まってきているのを感じています。
小説の保管庫としてもブログが手狭になってきたような…

人形迷路1 
人形迷路2 

今までの黒猫堂怪奇絵巻
黒猫堂怪奇絵巻1 煙々羅
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る
黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ
黒猫堂怪奇絵巻4 迷い家
黒猫堂怪奇絵巻4.5 薄闇は隣で嗤う
黒猫堂怪奇絵巻5 キルロイ
黒猫堂怪奇絵巻6 ネガイカナヘバ1
―――――――――



 元々、森園市一帯は変異性災害の認知件数が少ない土地だ。地元に根付いた霊能者、祓い師は少なく、また、オカルト・心霊スポットといった情報にあふれる土地でもない。
 無論、変異性災害と疑われるケースが全くないわけではない。直近のケースで行けば、ハイキングコースに出現したとされる巨人、富豪の幽霊が出ると噂の商業ビルなどが目新しい。
 しかし、森園地域における変異性災害の具体的な分布を検証することは難しい。データも、祓い師も少ないこの地域では、怪異を怪異として記録するものがいなかったからだ。そのような状態にあって、森園市変異性災害対策室が一定数の事例を保有しているのが小人の対策だ。
「でも、どうして小人なのか、不思議に思いませんか」
 全国的に、小人は出現例が多い。だが、その姿形を除けば、特徴ある物理的・精神的干渉を及ぼさない。要するに、霊感のない人間から見て、小人の仕業といえる典型例が存在しないことが、小人の特徴ともいえる。
「だからこそ、小人の出現例が多く記録されていたことに興味がわいたんです」
 亜浦は、その疑問を調べるために、森園市への配属を望んだのだという。


「色々と調べてみた結果、面白いことがわかったんです。変異性災害の事例が急増したのは、約二年前、森園市圏内での変異性災害対策部署の設立が議論され始めたときでした」
 二年前のことを思い返しても、火群はそのような記憶がない。当時、森園市の名前を聞いたのは、秋山恭輔が調べていた巨人の噂くらいだ。
「そう。始まりは巨人の事例です」
 森園市郊外で登山客に目撃された巨人。その正体を掴むために山中に入った環境省の調査員が数名、行方不明になった。その後、調査員の捜索のために捜索班が結成されたが、調査員は見つからず、巨人の正体も明らかにならなかった。
 当時、森園市内での情報収集や物資提供を行ったのが、現在の対策室室長、飴井三太郎だ。飴井は、変異性災害の危険性に理解し、本省の調査班のバックアップを進めていた。
「それじゃあ、その時から、飴井室長は市内での小人の出現例を記録し始めた」
 火群の推測に、亜浦は首を横に振った。飴井は意図的に小人の事例を集めていたわけではない。集めた事例に小人の事例が多かっただけだ。少なくても、飴井本人の話を信じる限り。
 だが、それは飴井一人で行われているものではない。どんなに飴井が変異性災害に理解を示していたとしても、霊感のない彼一人の力では、変異性災害の有無を判定できない。
「初めから、外の人間、とりわけ祓い師を取りこまなければ話が進まないんです。飴井室長は、巨人の一件でそれを学んだ。本省は祓い師を使わず、開発中の対変異性災害用装備、汎用性の高い呪物を持ち込んだ。けれども、祓い師がいない調査班と呪物だけではだめだった」
 巻目市でも比良坂で改良、調整した呪物を使用して変異性災害対策に当たる。だが、単純かつ威力を保った呪物を準備したところで、霊感の弱い人間はそれを使いこなすことができない。
「だから、飴井室長は対策室の設立にあたりまずは祓い師を探した、そして、並行して対策室の必要性を訴える実例、森園地域での変異性災害を集め始めた」
 数か月の期間を経て、飴井は、協力者となる祓い師を合わせて5名、森園市に集めることに成功した。
「変異性災害の類型化、蓄積が始まるのは、その頃からです。古い記録から変異性災害のケースを探し出すとともに、今、発生しているケースへの独自の対処を始めた」
 飴井は祓い師たちのマネジメントを開始し、森園市にもそれなりの数の怪異が出現すること、変異性災害として認定されるべき案件が複数存在し、対策室による対策が市民の安全に繋がることを市へと訴えていった。
「その活動を通して、数多く記録されたのは小人の事例です。そして、それら小人の対策を行ったのは、全て同じ祓い師なんです」
 亜浦はそう言って、ビルの前で足を止めた。市役所から徒歩で約15分。人通りの少ない裏通りの5階建て商用ビル。亜浦が立っているのは、その地下階へと向かう階段の前だ。
 階段の上には『BAR』とだけ記載された看板がある。
「名前はないのか」
「ええ。変わっているでしょう。BARというのが店の名前だそうです。店内は、本当に普通のバーですよ。客層によって特殊なサービスをしている点を除いては」
「特殊なサービス?」
「占いです。占い師の名前は、十倉八尾(トクラ‐ヤオ)。森園市変異性対策室の外部コンサルタント、飴井に大量の小人の事例を与えた祓い師です」

*****
 階下のドアを開けると、店内でグラスを洗う女性が目に入った。灯りの乏しい店内で黒い服に身を包みグラスの手入れをしているため、首と両手だけが宙に浮いているように見える。
「あら、珍しいお客さんね」
 女性は、亜浦にそれだけ言うと、洗い立てのグラスに水を注ぎ、カウンターに置く。
「先客はいるんですか」
 店内は、バーカウンターとそれに備え付けられた座席が8つ。あとは人が無理をすれば二人通れる程度の通路しかない。店内で動いているのは、女性と亜浦そして火群の三人だけだ。
「そちらの方は、どなた?」
「同業者です。彼と会うことはできますか」
 彼、という言葉に女性の動きが止まる。彼女は一度店の奥に目をやったのち、火群の手元に目線をやった。
「まだ来店していないわ」
 では、彼以外に店の奥には何かいるのか。目を凝らしてみても何も見えない。女の手の動きが気になり、手元に意識を集中させると、グラスの周りに青白い光が舞っているのが見えた。
「光は三つ。グラスの周りを回っている。触れても害はなさそうだが、触れたくはない」
 見えたものについて答えてやると、女性は顔を上げて、火群を見た。
「そう。先客がいるからもう少し時間がかかるわ。待つ時間があるなら一杯どう」
 女性はカウンターに背を向け手際よく準備を整え、火群と亜浦にグラスを差し出した。
「ジンジャーレモンフィズ。亜浦君がよく飲むから、あなたも同じものを作ったのだけれど、もしお気に召さないなら言って。次に来る時までには、あなたが好む一杯を探しておくから」
 そう話すと女性は下を向きグラスの洗浄に戻った。静かで暗い店内で、グラスを洗う音だけが響く。この後の予定を探ろうと亜浦を伺うも、彼はカクテルを飲みながら、女性の背後の棚を見ている。
「カウンターはバーの顔です。カウンターをみれば、店主の顔が見えてくる」
 この店は、火群から見てどう見えるか。暗にそう尋ねられている。店内が暗いため、カウンターもよく見えない。女性が用意した間接照明だけが、うっすらと目の前の棚を照らしている。並んでいるのは、各国の様々な酒、リキュール。カクテルの材料だ。
 ここにいるのが秋山であれば、更に踏み込んだ観察をするかもしれない。だが、火群は目的を持たない観察は苦手だ。目的を持てない観察では、全容はぼやけてしまい、何も記憶に残らない。
「市松人形、か?」
 思考が揺らいでいくような錯覚の中、棚に並べられたビンの間に、ポツンと置かれた人形が目に入った。黒い着物に身を包み、肩に触れる程度まで伸ばした髪。髪の間からは幼さの残る、しかし感情のない顔がこちらを覗き込んでいる。
 バーの雰囲気とかみ合わない。何故人形が置かれているのか。考えを巡らせる前に、重たい扉が開く音が聞こえ、店内に明かりがともった。
 紅い。一面が紅に塗られた店内で、黒服の女性と、亜浦。そして、一番奥の席にもう一人、男がいる。黒のスーツに白いシャツ、紺のネクタイに身を包み、両手は白い手袋をしている。まるで喪中だ。
「無事に相談はできた。イナバ」
 女性は喪服の男に問いかける。男はかけていた眼鏡の位置を整えながら小さく頷いた。
「また何かあればどうぞ。できれば、今度は一杯飲んでいってくれると嬉しいわ」
 男は彼女の声が聞こえていないのか、何も言わずに店を出る。そして、店の扉が閉まったと同時に、店内の灯りは消え、再び闇が訪れた。
「彼が来ました。こちらへどうぞ」
 女性の呼びかけに合わせて、バーの奥にほんのりと明かりが灯る。亜浦に促され、明かりに近づくと、バーの最奥のドアが開いており、地下へと続く階段が覗いていた。
「この先に?」
「ええ。十倉八尾がいます」
 階段を下りると、紅く塗られた狭い廊下に出る。廊下の両側にはところどころ凹みがある。どこの凹みにも、黒い着物を着た市松人形と、紅い着物を着た市松人形が交互に安置されている。壁の凹みは通路の両側で互い違いになっており、まるで人形の視線が交差しないように意識しているようだ。
「人形には触れないように気を付けてください。それは全て十倉の使う呪物ですから」
「この人形が?」
「ええ。次の曲がり角を曲がれば、十倉のいる部屋です」
 角を4度曲がるとブラウンの扉が現れた。扉に空いた新聞受けのような穴に、亜浦が女性から受け取ったカードを投げ入れる。待つこと約1分。ロックが外れる音が響き、扉が開いた。部屋と廊下の間には暖簾がかけられていて、部屋の中の様子がよくわからない。
「ようこそ、亜浦創史君。それと、亜浦君の同業者さん、さあ、中に入って」
 部屋の奥から、くぐもった声が火群たちを呼んだ。亜浦は視線で火群に先に入るように促した。亜浦に先んじて暖簾をくぐる直前、亜浦から耳元でアドバイスを受ける。
「人形に呑まれないように気を付けて」
 暖簾を抜けると、火群は部屋の様子に驚き立ち尽くした。なるほど、亜浦のアドバイスの意味はこれか。
「これは、すごいな」
 火群の視界を埋め尽くすのは、おびただしい数の市松人形だ。廊下に並んでいた黒と赤の着物の人形が、8畳間に所狭しと並べられている。部屋の壁はいずれも5段からなる棚が設置されており、棚の上にも同様に人形が並んでいる。
 火群は全ての人形に自分が覗きこまれているような不快感を覚えた。
 十倉八尾と名乗る術師は、その人形たちの中心で胡坐をかいている。人形だらけの光景も異様であるが、十倉の姿もまた奇妙と呼べるものに違いない。顔、腕、脚と、肌が露出する部分はくまなく灰色の包帯が包んでいる。包帯で両目を隠した知人はいるが、ここまで徹底した人間は初めてだ。
「あなたが?」
「ええ。初めまして。十倉八尾と言います。この町でしがない占い師をやっています」
 声の様子からすると、十倉は男だろう。しかし、この部屋で一体誰の何をどのようにして占っているのか。
「何を、どのように占っているのか」
 こちらの考えを読むような十倉の言葉。優良な顧客ならこの時点で、十倉に対し警戒心を抱くか、心が読めるのか、と驚くのだろう。残念ながら火群は占い師にとっての優良な顧客ではない。
「コールドリーディング、か?」
 火群に続いて入ってきた亜浦が、足を少し擦った。
「なるほど。占い師が心をつかむ方法についてはご承知のようですね。もしかして、あなたも占いを?」
「いいや。ただ、職業柄そういった手合いを見ることも多くてね」
「職業柄、ですか。変異性災害対策室の方々は、私のような占いというより、心霊スポットや都市伝説に詳しいという印象があったのですがね」
「ところ変われば仕事も変わる」
「そう。つまりあなたは森園市の人間ではないのですね。亜浦君が連れてきたと聞いて、不思議には思っていましたが、合点がいった。さて、ところであなたはどのような用事で私に会いに来たのですか」
 占い? それとも? 十倉はそういって近くの人形を愛おしそうに撫でた。

*****
 火群が小人に興味を持っている旨を話すと、十倉八尾は数冊のファイルを取り出した。ファイルの中には、彼が森園市で発見し、対応した変異性災害の案件がつづられていた。
 そのほとんどは亜浦の言う通り、小人の事例であったが、意外なことに、十倉八尾が対策を行った事例には小人以外のものも相当数含まれている。
「この、カシマレイコというのは」
「知りませんか? 人の身体を奪っていく女性の都市伝説」
 火群も都市伝説としてのカシマレイコは知っている。だが、変異性災害として名前を見たのは初めてだ。
 巻目市では、怪異は伝承に基づく名称で分類することが多い。香月フブキをはじめとする幾人かの祓い師は、名づけの前に怪異を祓ってしまうし、数少ない新規の名付けを行う秋山恭輔も都市伝説を利用しない。
 秋山以外が名づけをする際は、比良坂が保管する大量の資料を基に、怪異の分析を進めるが、その資料は、元をたどれば火群家のものだ。結局は、火群家の怪異退治の歴史が古いから、伝統的な名付けがなされているにすぎないのかもしれない。
場所が変わると名付け一つとっても随分と変わるということか。
「なるほど。興味深いですね。怪異は出現した際に名前を持っているとは限らない。いや、むしろ名を持たない怪異の方が多数でしょう。名づけは、我々祓い師が怪異を捉えるための行為でしかない。ひょっとすると、怪異は我々に観測されることによって、発生時から更に一段階変異を遂げているのかもしれない。
 この町の怪異が都市伝説の名前で処理されることもやはり、対策室の環境が背景にあるといえるでしょう。亜浦君は本省にいたこともあるから、怪異への知見が深いですが、対策室の面々は違う。彼らは怪異との関わりが深いわけではないからね。そういったメンバーで対応するときには、古来よりの怪異の名前よりも、都市伝説上の名前の方が定義しやすい、というのはあるかもしれない」
 そうだとすれば、小人という名称で怪異が処理されているのはどういうわけだろうか。小人は都市伝説上の存在とは違うように思うが。
「そこは、私が小人を専門に取り扱っているから、ということで説明になっていませんか」
 疑問なのはそこだ。小人は出現例の多い怪異ではあるが、専門で取り扱えるほど大量に出現するというのがわからない。十倉から渡されたファイルに掲載されているケースは50件。そのうち、小人ではないケースは6件しかない。つまり、彼は森園市で活動を始めてからそのほとんどのケースが小人だということだ。
「なるほど。火群さんは、森園市内でそれほどまでに小人が出現していること自体に興味を持っていると」
 厳密には火群の興味は異なるのだが、確かに気になる点ではある。
「火群さんは、こういう仮説はご存じありませんか」
 十倉の手が棚の上の人形に伸びる。人形が彼の手に収まる瞬間、カクリと頭を垂れたように見えた。手に取ったのは黒い着物を着た市松人形。十倉はその人形を自分の耳元にもっていき、何かの音を聞いている。
「怪異は常に仲間を欲している。力の弱い怪異程、同一の怪異を呼び寄せやすい。その最たるものが魑魅魍魎である。地元の民俗学研究家がたてた仮説です。ええっと、なんといったかな」
 確か、研究者の名前は西原当麻。

*****
 目が覚めると身体が酷く暑く、両腕が強張っていた。一度目を閉じて、浅い呼吸を止め、大きく深呼吸をする。強張った両腕に力を入れて、曲げ伸ばしを繰り返すと、目覚めた時の奇妙な息苦しさが薄れていった。
 斎藤茂は、汗でべったりと濡れた上着に不快感を覚えながら、仮眠室のベッドから起き上がった。巻目駅での転落死事件の事情聴取を終え、被疑者である伊藤友来を署まで連行した。そこで一端仮眠に入ったことは覚えているが、何かとてもひどい夢を見たように思う。
 夢の内容を思い出そうとすると頭の奥が締め付けられるように痛かった。とにかく、何か水分を取ろう。そう思って、仮眠室の扉の前に立ち、斎藤は違和感を覚えた。振り返り、仮眠室の中を見渡す。巻目署、強行犯係の仮眠室は、ベッドが二つにソファが一つ置かれた簡易的なものだ。二つのベッドの間には敷居が付けられている。仮眠室に入った時には敷居はあげられていて一人だったが、今は敷居が降ろされている。
 誰か、自分以外にも仮眠している人がいる。それ自体は特におかしな話ではない。だが、妙な胸騒ぎがあった。先ほど目覚めた時と同じ、胸が締め付けられるような感覚に襲われる。
 なに、奥で寝ているのが誰か確認すればいいだけの話だ。頭を振って、気を取り直し、斎藤は敷居に近づいた。どこかで電車の走る音が鳴っているような気がした。だが、巻目警察署の周りを走る路線はない。
 敷居に手をかけて、意を決して覗き込む。敷居の向こう側は、酷く昏かった。窓から差し込む月明りも敷居によって完全に遮られているのだから仕方がない。しかし、いやに暗くないだろうか。確か、明かりがあったような……。ベッドの上には何かが載っている。何か、いや、眠っているのだから人だろう。
 誰が寝ているのか確かめようと、ベッドの横に近づいた。
――トテトテトテトテ
 足元で奇妙な音が鳴ったような気がして、斎藤は足を止めた。周りを確認しても不自然なところはない。いや。視界の端を何かが走り抜けたのを見て、斎藤は息を呑んだ。
――トテトテトテトテ
 電車の音が耳に響いてくる。電車の音と共に聞こえるその足音を、斎藤は知っている。それが何であるか、どういう意味を持つのか、そしてベッドの上にいるのが誰なのか、斎藤は知っているはずだ。
「そう、これは」

 バタン。扉の開く大きな音に、斎藤茂は仮眠室のソファの上で飛び起きた。ブラインドの隙間からは明るい日差しが差し込んでおり、仮眠室の中はひんやりとした朝の空気に満ちている。
 音のした方を見ると、目の下にクマを作った加治田が立っていた。
「おう、起きたか斎藤」
「え、あ、はい。おはようございます」
「おはよう。俺はこれからちょっと寝る。二時間後には捜査会議だ。例の容疑者の事情聴取もある。朝飯食ってこい」
 加治田はそういって、ふらふらと仮眠室の奥のベッドに倒れ込んだ。部下が仮眠していたことについては特に指摘はない。
「ああ、そうだ。お前ひどい顔しているぞ。本当に仮眠とったのか?」
 うつぶせになった加治田が枕に顔をうずめながらつぶやく。その様子が、先ほどまで見ていた夢の中の影を思い起こさせて、斎藤は加治田から目を逸らした。あの夢の中で、ベッドの上にいたのは加治田なのか? いや、考えても仕方がない。
「ええ、少し目覚めの悪い夢を見ただけです」
「そうか。あの被疑者の話を聞いてりゃ、どのみち気分が悪くなる。まずはちゃんと飯食ってこい。起きたら俺が暴れないように見張るのがお前の次の仕事だ」
 それだけ言い残すと、加治田は目を閉じ、寝息を立て始めた。

 加治田の言う通り、伊藤友来の取り調べは難航を極めた。厳密に言えば、彼は犯行を認めており、犯行直前、直後の経緯も順序立てて話せているのだから、特段困ったことはない。伊藤の供述は、目撃者の供述とも、現場の状況とも合致しているし、疑わしいところはない。
 ただ一点、彼が何故同僚を線路に突き落としたのか。その理由がわからないことを除いては。
「だから、なんで殺そうとした、と言われてもよくわかりません。彼とは仕事の話をするつもりで、そうそれで話しかけて、しゃがみこんで彼の足を抱えたんです」 
「待て。俺たちが聞きたいのはその経過じゃない。何で、足を抱えたのか、だ」
「なんでと言われても……」
 ここで伊藤の供述は止まってしまう。取り調べを務めている加治田が苛立ちを隠せなくなったのか、立ち上がり、取調室を出る。取り調べの記録をしていた斎藤は、伊藤と共に室内に取り残されてしまった。
 伊藤は、斎藤の顔を見ると、どういうわけか頭を下げた。
「あの、本当に申し訳ありません。私がちゃんとお話ができないから」
「そう思っているなら、話してくれないか」
 ええ、そうできたら、そう、何よりなんですが。伊藤は曖昧な表情を作り、右手の親指を口元に近づけた。彼が緊張している時に魅せる様子だ。もう親指の爪はボロボロなのに、伊藤はそれを噛むことを止めない。
「僕も、彼には悪い、いや、どういったらいいかわからないんです。彼を殺してしまったこと、それは許されないことなんです。でも、刑事さんたちの質問に正しく答えられていない」
「正しい答えは必要ない。お前がどう感じて、同僚を落としたのか。その事実が知りたいだけだ」
「それです。それが私には難しい。私は感じたこと、考えたこと、起こったことはすべて話しているつもりです。でも、刑事さんたちが欲しい話とはかけ離れてしまっている」
 かけ離れているわけではない。ただ、彼の認識と斎藤たちが考える殺人者の認識は酷くずれているように思うが。これ以上話を続けたところで有益な話は出てこないように思えて、斎藤は記録を取っている情報端末の画面を閉じた。
「そうだ。伊藤さん」
「なんでしょう、刑事さん」
「昨日、駅で話していた小さな子供の件ですが」
 ふと思い出して、尋ねてみたが、何が聞きたかったのか、斎藤自身もよくわからなかった。
 伊藤の反応もよくわからず、最終的にはどうしてその話をしていたのかもわからなくなって、斎藤は伊藤と共に首を傾げた。
「わかりました。一度休憩を取ります」
 話を切り上げて、取調室を出ると、外では加治田が怪訝な顔で斎藤を迎えた。
「加治田班長。出過ぎた真似をしました」
「いや、別段特に問題はない。ところで、お前、さっき伊藤と話していた」
「ああ、小さい子供の話ですか?」
「それ、お前も見たのか?」
 加治田は急に声を潜め、背中を丸めた。お前「も」というのはどういうことだろうか。
「いいえ、私は見ていません。ただ」
「ただ?」
「ホームの転落防止柵、あれに足跡みたいな変な痕が付いていたような気がして」
 足跡ねぇ。加治田は何かを考え込むかのようにじっと目を閉じた。しかし、その答えを口にすることなく、斎藤の背中を叩いて取調室に戻ろうとする。
「まあいいや、斎藤。志摩連れてこい。記録係りの交代だ。それと、この件は、動機に不明確な点はあるが、殺人事件として送検することで話が通った」
 そう話す加治田はどこか納得がいっていないように見える。
「斎藤。お前、志摩と後退したら結城のところに行ってこい。足跡の話を全部結城に話してこい」
「え? いきなり、どういうことなのでしょうか」
「それがこの件を加治田班で扱う条件なんだよ。別に問題はないさ。事件と直接関わりのある話じゃない」
 加治田はそういって、取調室へと入った。

 市役所に、特殊な案件を処理する部署が設立されたのに合わせて、警察と当該部署の折衝役を任されたという話は知っているが、実のところ結城辰巳警部補がどのような人物なのかはよく知らない。
 斎藤が知っているのは、結城と加治田は反りが合わないこと、加治田の反発具合に対して、結城はそれほど加治田のことを嫌っていないこと、その程度である。
 二人は同期であるが、階級は加治田の方が上だ。これは、加治田の方が事件をかぎつける嗅覚がすぐれていることの所作、とも噂されている。正確には、結城が不可解な案件を引く確率が高い、という噂として。警察官同士の足の引っ張り合いのようにも聞こえるが、そうではない。
 結城辰巳という刑事は、おおよそ現実とは思えない、オカルト紛いの事件に居合わせることが多いのだ。不運な巡り合わせにより、犯人を捕らえることは難しく、事件自体は解決するものの、功績をあげられない。
 そうした事情が積み重なり、彼は警部補に留まったまま、巻目市役所環境管理部第四課変異性災害対策係との折衝役に収まっている。
「さて、今の話で全部かな」
 斎藤が現場で見た奇妙な足跡の話を一通り聞き終えた結城辰巳は、席を立ち、コーヒーメーカーに紙コップを置いた。豆を挽く音が応接室に響き、先ほどまでの静寂がかき消される。
「ええ。私が現場で見たのはそれだけです」
「なるほど。そして、君は転落防止策の上に足跡があるのをみた。伊藤友来は犯行直前に小さな子供を見ていたか。ところで、伊藤が犯行直前に見た小さな子供だが、何か特徴を話してはいなかったか?」
 特徴らしい特徴といえば、その小ささだろう。彼はとても小さい子供だと話していた。外見についてはほとんど聞いていない。あとは
「足音。ですかね」
「足音?」
「え、ええ。さっき取調室で話を聞いたときに、聞いてみたんです。そんなところを子供が歩いていたら、足音が目立つんじゃないかと」
 紙コップに注がれたコーヒーが目の前に置かれる。その水面に映った眉をひそめ、疑問を浮かべる自身の顔が見えて、斎藤は思わずコーヒーを横に避けた。
「それで、具体的には」
「トテトテトテ、と固いブーツでステップを踏むような、そんな音だったそうです」
 机を挟んで正面に腰かけた結城は、手元の紙に何かをメモすると、少しの間、黙り込んだ。沈黙がいたたまれなくて、コーヒーを手に取るが水面に映る自分の顔が直視できず、斎藤はコーヒーを喉に流し込んだ。
「なあ、斎藤くん」
 コーヒーを飲みほした斎藤の顔を見て、結城が声を潜めた。
「僕は、あの時、現場にいたのだけれど、伊藤が言う小さな子を見ていない。ホーム内で駆けまわっていたというのなら、僕が現場でみかけなかったというのも納得がいく。けれども、そいつは転落防止策の上を歩いていたというんだろう? なんで目撃者が伊藤以外に出ないんだ?」
 あいにく、結城の問いに対する答えを今の斎藤は持っていない。
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プロフィール
HN:
若草八雲
年齢:
37
性別:
非公開
誕生日:
1986/09/15
職業:
××××
趣味:
読書とか創作とか
自己紹介:
色んなところで見かける人もいるかもしれませんがあまり気にせず。
ブログとか作ってみたけれど続くかどうかがわからないので、暇な人だけ見ればいいような。
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