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作成した小説を保管・公開しているブログです。 現在は連作短編が二篇の他,短編小説,エッセイの類を掲載しています。 連作小説の更新ペースは随時。二か月に三回を最低ラインとして目指しています。
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ネガイカナヘバ9
黒猫堂怪奇絵巻6話目 ネガイカナヘバ掲載9回目です。

ネガイカナヘバ1
ネガイカナヘバ2
ネガイカナヘバ3
ネガイカナヘバ4
ネガイカナヘバ5
ネガイカナヘバ6
ネガイカナヘバ7
ネガイカナヘバ8

今までの黒猫堂怪奇絵巻
黒猫堂怪奇絵巻1 煙々羅
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る
黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ
黒猫堂怪奇絵巻4 迷い家
黒猫堂怪奇絵巻4.5 薄闇は隣で嗤う
黒猫堂怪奇絵巻5 キルロイ
―――――――――



「彼らも陽波高校の異変に勘付いてやってきていたのだろうか」
「そうでしょうね。佐久間ミツルは、風見山の一件で怪異に接触しているし、ほかの面々もフブキと一緒に七不思議を探っていたんです。二月正の意図に気が付く、そうでなくても、高校の中で起きている奇妙な出来事について、彼らなりの気づきがあっておかしくない」
 むしろ、そういう気づきのある人間を探している。陽波高校に取りこまれるのではなく、怪異の仕組みに気が付き、それを許容できる人間を。
 坂道を上りきり、校門の前で車を止めた。助手席側から校門を見る秋山がため息をついた。
「火群さん。火群さんって陽波高校の卒業生でしたっけ」
「何をいきなり」
「僕は巻目の外から来ているから実は知らないっていう可能性もあるなと思ったんです。というより、そうであってほしい」
 秋山が何を言っているのかわからず、火群は彼の肩越しに窓の外を見た。
「いや、少なくても私はこういうものは見たことがないな。それに、これが校門だって言われたら、正気を疑う」
 門の両側に立つ二つの像。足元は人間だが、背びれと尾びれが付いている。胴体は犬のように毛むくじゃらで、首から上は壊れて存在しない。両手には斧を持っているが、斧の刃の部分にはフジツボのようなものがびっしりとついており、おおよそ物を斬れそうにない。あの斧に出きることがあるとすれば、それは物を叩き壊すことだけだろう。
「異界化の影響だろう。それにしても、あの像どこかで見たことがあるな」
 見た。というのも妙だった。引っ掛かりを覚えるが、今はそれどころではない。火群は運転席を下りて、コートに入っている各種呪物のストックを確認する。助手席から降りた秋山も、手持ちの呪符の確認を始めた。
「中に入らないと祓うことはできないと思うか」
「ええ。おそらくこれを作った宿主も協力者も全て中にいるでしょうから。それとも、火群さんが全体を火で覆いますか?」
「君は本当に厭味だねぇ」
 そんなこと君が一番許さないだろうに。心の中でぼやきながら無線通信の感度を確かめる。本部の加藤に連絡し、通信がつながらなくなって30分が経過した段階で、変異性災害と認定し、係りで関係を持っている全ての術者に連絡をするように申し伝える。
「今回は慎重ですね」
「当たり前だ。怪異の正体も正直なところよくわからないんだろう」
 それに、香月フブキの行方も分からずじまいなのだ。戦力が少ないなか、打てる手は打っておいた方がよい。
「なるほど。そういうところは、係長なんですね」
「どういう意味だい、秋山君」
「いいえ、あなたが常にそうならば、もっと良い結果が出たこともあっただろうにと思っただけです」
 全くこいつは。舌打ちしたくなる気持ちを押さえて、門の前に立つ。行列を作っていた人々は、門の左右の像の前に立ち、ある者は門の中に、またある者は門に入らず高校の敷地の外縁へと別れていく。
 まるで選別だ。だが、あの列に秋山と並んだところで、怪異憑きではない二人は排除されるのが目に見えている。
「どうなるかはわからないが、正面突破だな」
 秋山も渋々といった様子で頷く。彼の性格なら、もう少し考えるべきというところ、時間がないことは重々理解しているということだろう。
 右手の指先に霊感を集中させて、火種を生む。親指に灯った火種を掌の中で転がしてやると、火種はいくつにも分かれ、初めの火種と同じようにビー玉ほどの大きさに膨らんでいく。
 膨らんだ火種を指先に転がし、左手へと受け渡す。左手でも同じように火種を転がし、増やしていく。そうして、両手の上には抑えきれないほどの火種になると、火種は手の中から溢れ、身体を取り囲むようにして浮かび上がり、まとわりつく。
 今の姿を外からみれば、人魂を抱えた幽霊のように見えるのだろう。視界の端に常に火種がちらつき、視界が狭まってきたら頃合いだ。
 そのまま門に向かって足を向ける。身体の周りをまわる火種は、動きに合わせて回転の形を変える。やや前方に大きく回転しようとする火種たちと、自らの支配から切り離す。
火群により作られ、コントロールされていた火種は、直前の指示に従い身体を離れ前方へと飛んでいく。
それぞれが違う速度で動いていたため、前方へ飛んだ火種たちはぶつかり合い、一つの巨大な炎の流れになり、異界の境界線へと衝突する。
互いに異物であるためなのか、不思議と衝突音はない。門の表面を覆う霧が水面のように波打ち、衝突した炎はまるで紙を燃やすかのように霧を払う。十数秒もかからずに、炎は門の一角を囲い、その中の霧を完全に晴らしてしまう。
霧の向こうに見えるのは、陽波高校の校舎だ。
「さて、夜の学校探検だ」
「この状況でよく冗談が出ますね」
 組むのは久しぶりだが、やはり馬が合いそうにない。

*****
 息を止めて突っ込んだが、校庭に満ちた水は秋の身体を浮かせることがなかった。いつもの校庭と同じように、地面を走るしかない状態で、水面に浮きあがれないことに気が付いた時には息が続かなかった。
 思わず開いた口の中に沼の水が大量に流れ込んでくる。身体の中に、甘ったるい匂いが充満する。身体中が自分ではなくなっていくような感覚に眩暈を覚え、ふらついたが、不思議と息苦しさはなかった。気が付けば甘い匂いも感じられなくなった。
 ふと空を見上げれば、快晴で、太陽の光が眩しい。
 あたりを眺めても、校庭には秋一人だけ。運動部も帰宅途中の学生もいない。
 そうか、今はテストの時期なのか。校舎の様子を見ようと振り返るが、太陽の光が反射して、窓の中の様子は見えない。
 もしかしたら、生徒が校庭にいるのを見つけた教員が、あわててこちらに降りてきているころかもしれない。それに、テストを受けなければ、単位が危うくなってしまう。
 試験期間に行方をくらませた佐久間のことを笑えない。自分はこうして一人校庭に立っているのだから。早く校舎に戻らなければ。
 校舎側に続く階段に足をかけると、鼻のあたりがむずむずした。一瞬、妙な匂いがして、立ち止まる。校舎に戻って試験を受けるべきなのに、そうしてはいけない。そんな気がした。
 一夜桜の見える側から、教員が校庭に出てくるのが見えた。わざわざ、トレンチコートを羽織り外に出てきたようだが、あいにく校庭はそれほど寒くない。一夜桜が銀色の花を咲かせているのだから、そんなことくらいすぐにわかるだろうに。
 教員はこちらに手を振りながら近づいてきた。階段の上に立つと、秋に向けて右手を差し出し、人差し指で秋の眉間に狙いを付けた。
「●×▲※▼■●※」
 教員の顔がよく見えない。渦を巻いていて、目も口も鼻も、全てが一つに混ざりこんでいるようだ。おかげで声がきれいに発声できず、何を言っているのかがわからない。
「先生。まずは顔を整えてからじゃないと聞こえませんよ」
 こちらの意見に耳を貸そうともしない。顔を何度も横に振って、地面を踏みつけた。どうやらとても怒っていることだけは確かだった。そうやって大げさなジェスチャーを取っている間も、眉間に向けた人差し指が全く動かないのも気味が悪い。
 そもそも、こんな教員はいただろうか。この学校には、もっと温和な教員しかいなかったように思うが。いや、旧校舎の頃にはこうした教員もいたのかもしれない……
「わかりました。わかりましたよ。今からテストに戻ります。校舎の外に出たのはすみませんでした」
「●●●▼▼▼■■■」
 今度は口のきき方についての注意だろう。だが、それをいうならまず生徒に向けている人差し指を外すべきだ。無礼な態度を生徒に教え込んでどうするつもりなのか。
「いい加減にしてください。戻るって」
 厭気がさして大声を上げる。教員の右腕がワイヤーで引っ張ったように勢いよく上に跳ねた。耳元で乾いた音がして、秋の身体は左に大きく引き寄せられた。

 甘くすえた匂いが込みあがってきて、秋は大きくせき込む。太陽が消えて、視界が急に昏くなった。
「おい。大丈夫か」
 見知らぬ男の声がして、秋は自分が誰かに肩を掴まれて走っていることに気が付いた。
「なんであんなのがいる。あいつの顔はみちゃだめです」
 秋たちの前をもう一人、別の男が走っていた。右手には何枚かの紙切れを持っており、秋たちの後方に向かって、それを投げる。投げられた紙切れは、不思議なことに、ピンと張り、まっすぐと、秋の横を通り過ぎていく。
「秋山、あれを知っているのか」
「ええ。以前に祓ったことがあります。報告書あげたでしょ」
「記憶にない。管理職のところにどれだけ報告書が来るか、フリーランスの君は知らないんだろう」
 また、乾いた音が響き、男たちは身をかがめた。秋も隣の男に頭を押さえられる。ああ、あの音は拳銃の発砲音だ。秋がそう気が付くころには、校庭の端にある運動部用の用具室にたどり着いていた。隣の男に押し込められるように、秋は用具室の中に転がりこむ。
「あの拳銃は本物だな」
 息を切らせながら扉の前に立つ男が、扉の隙間から外の様子を伺う。
「おそらく警官にとり憑いているのでしょう。迂闊だった。あれが七不思議の三番目、記憶を奪う顔のない男でしょう。いったいどこで拾ってきたんだ」
 もう一人の男は、用具室の裏口を見つけたのか、その前に積まれた段ボール箱を懸命によけている。秋は彼を手伝おうと思ったが、どうやら腰が抜けているらしく、立てない。
「君は、秋マコト君だね。僕は秋山恭輔。君の友達、佐久間ミツル君に君を見つけたら助けてほしいと頼まれたんだ」
 こちらが正気を取り戻したことに気付いたのか、段ボールを避けている男が名を名乗った。
「あっちで外を伺っている目つきの悪い人は、火群たまきという。ああいう顔立ちだけれど、良い人だし、君をこの校内から出すまで手を貸してくれる。まずは安心して」
 火群と紹介された男が、秋山の方を睨み付けた。確かに目つきが悪い。だが、どこか存在感の薄い秋山に比べると、緑のコートの内側に伺える細身ではあるが筋肉質な肉体は、こうした場では頼もしさを感じるような気がした。
「言いたい放題言ってくれるねぇ。あの警官もどきに対しては、君よりは役に立つと思うぜ。君の放った呪符はあまり拘束力がないようだ。あの警官、まもなく動き始めるぞ」
「顔はどうです。奴の顔に貼った呪符はとれていますか」
「いいや、それを剥がすのに手間取っているようで、地団太を踏んでいるよ。全く、なんなんだあれは」
「おそらく、夢喰いの獏でしょう。少なくても、僕が前に対峙したとき、奴は獏だった」
 ジュフ ユメクイノバク カイイ。二人の間で飛び交う言葉の意味が分からず、秋は置いてきぼりになった気分だった。
 いや、カイイ、怪異、か。ならば、ジュフとは、呪符のことだろう。七不思議の話をしていたことを思い出し、自分の置かれた状況を整理すると、彼らの言葉が見えてきた。そして、自分が置かれた非現実的な状況を再認識し、寒気が込み上げてきた。
「獏だけじゃどんな怪異かわからないだろう。なんとかする方法はないのか」
「そんなにどうにかしたければ、焼いてみたらどうですか。あいつにはいま関わる必要がない。それよりも、武道館の様子みたでしょう」
「じゃあ、何か、あれはあのまま放置をしておけと。拳銃もって追いかけてきているのに」
「そうですよ。あいつには鏡の何枚かでも差し向けて放置しておけばいい。それより、裏口が空きました。こちらからでますよ。秋君も、危険だけれど着いてきて」
 秋山恭輔は荷物をどけて、用具室の裏口を開けた。扉を開けると同時に、あの甘ったるい水が用具室の足元に流れ込んでくる。足がすくむが、火群が様子を伺う扉の向こうには、拳銃を持った怪異と呼ばれる何かがいる。おそらく、裏門に入るときに出くわしたあの奇妙な景観に違いない。
 ここにいても、あの警官に見つかるか、水に飲まれて意識を失うかのどちらかだった。もう立ち止まっていられる時間がない。両足を思いきり叩き、無理やり立ち上がる。
 その様子を見て、秋山と火群が同時に笑った。
「掘り出し物、拾ったんじゃないですか」
「悪いが、私は本人の意思を大切にする口でね。立てるなら歩ける、秋といったね。さっさと逃げ切るぞ」
 火群の合図で、秋は裏口に向けて踏み出した。
 用具室の前では、あの警官の甲高い声が響いている。


 予定と随分違うじゃないか。どうなっている。香月フブキはどこにいる。
 顔をなくした警官は、用具室の窓ガラスに弾丸を撃ち込み弾が足りなくなったと知ると、鉄パイプで窓ガラスを全てたたき割ったらしい。そんなことをしているうちに侵入者を逃したらしく、ムジナが紀本カナエを探して近くを通った時には、バットを手に大きく仰け反りながらけたたましい笑い声を上げているところだった。
 陽波高校内の異界化とは全く別次元の異物。元々は、名無しが差し向けた紀本カナエの監視役であるが、この様子ではもはや役に立たないだろう。紀本の行方を尋ねようと思ったが、興味の対象は紀本ではなく、香月フブキになっている。
 ムジナは男の前に立ち、手元の本を開いた。名無し曰く、彼もまた西原当麻の作りだした怪異だという。そうであれば、本の中に戻ってもらうのが一番早い。
 だが。
「顔見せろよ顔隠すなよ、被るだろ俺と被るだろ、被り物だろ。被り物は割らなきゃだめだ。香月、あれは被り物だ、嘘をついた学生は処刑! 処刑人は私がやります! はい! はい」
 元々がどうだったかは知らないが、怪異と宿主の相性が悪い。眼前に振り下ろされたバットを避けて、ムジナは本を閉じた。男は押さえが利かないのか、何かを叫びながらバットを振り上げるが、体幹が崩れているため、千鳥足のようにふらついている。
 それでいて、ムジナに向けて振りぬいてくる一撃は常に全力で、隙があれば顔を覗き込んでくる。どうやら、記憶を奪うという怪異の本質は忘れられていないようだ。
「けれどね、君みたいな異物を相手にしているほど、僕も暇ではないんだ」
 懐から別の本を取り出す。ムジナの本に反応して、足元にあふれる水が波打った。あらかじめ目星をつけていたページを開き、水面にかざす。
 男は立ち止まったムジナに向かって大きくバットを振り上げて、ムジナの頭上へとバットを振り下ろそうとした。
 ムジナの足元がはじけ、視界が赤黒く染まる。それは一瞬のことだ。次の瞬間には、バット男の身体を咥えた大きな女性の顔が宙を舞っていた。長い髪を振り乱した巨大な女性の顔、その首から下は魚そのものだ。
 体長5メートルほどの大きさの巨大な人面魚。いや、西原当麻曰く、それは巻目の地に生息していたという『人魚』だ。陽波高校のあるこの土地は、人魚が支配する巨大な湖であった。人魚は人を襲わない。
 彼女が襲うのは、怪異に憑かれ、人と怪異の境界線を侵した者だけだという。
 バットを振りかぶった男は人魚と共に異界の湖の中に落ちて姿を消す。水面はすぐに元の静けさを取り戻して、用具室の前にはムジナ以外の人影がなくなった。
 人魚についての記述があるページはまだ健在だが、ページに触れる度、水面が湧きたつため、ムジナは本を閉じた。手駒を一つ失ったのは痛いが、実験の成果は上がっている。
 逃げた紀本カナエを見つけ出し、この異界から抜け出すことができれば問題はない。
「とはいえ、それほど時間はないな」
 高校の上空に向かって吹き上がっていた怪異の気配は徐々に収束しはじめている。陽波高校の敷地全域を覆っていたであろう異界の水は既にほとんどが干上がり、校庭で異界化を促進していたはずの人々は放心した様子で立っている。もはや、彼らに触媒としての力は残っていないだろう。
 紀本カナエとその協力者が作りだした異界は、武道館の中に生まれた香月フブキという宿主に吸われ続けている。香月はやがて自らを怪異へと姿を変えるだろう。だが、不思議なことに武道館のあたりは静けさに包まれている。
 彼女はこの後に及んで、自らの存在を保ち続けているのだろうか。名無しが興味を持ち、彼女の生家へムジナを連れ出した理由は、案外とそのようなところにあるのかもしれない。

*****
 初めてその本のことを知ったのは、姉が失踪して一月が過ぎた、ある曇り空の日だ。
 両親は突然の姉の失踪に混乱し、既に疲弊し始めていた。念願の教師としての就職口を見つけ、就職を間近に控えた朝、姉、如月真は突然行方をくらました。
 当時、姉は、私たち家族と共に、生まれ育った巻目市の実家から、隣の市の大学へと通う大学生であった。隣の市といっても、電車で一本、通学に90分かかるのは少々遠いようにも思うが、本人はそれを苦にする様子もなく、毎日大学へと通っていたように見える。
 年相応の女性であり、また大学生であるが故の悩みなどは抱えていたが、姉自身、あっけらかんとした性格で、家族の前で授業の話から恋人の遍歴、友人の愚痴などを垂れ流すような人物だった。
トラブルを抱えていたら家族の誰かが気が付いていたに違いない。捜索願を出したとき、家族のだれもが警察にそう話した。少なくても、表向きは誰もがそう信じていた。
だが、多くの人間が秘密を持っているように、如月真も秘密を持っていた。私がその一端を知ったのは、私立陽波高校に赴任し、先輩の教員から姉の話を聞かされたときだ。
その時、私は初めて如月真という人間が、家族に対して隠し事をしていることを知った。
家では剣道部に所属し、男子生徒に混ざって剣道に励んでいるスポーツ少女だった彼女は、学校ではその傍らで文芸部に所属し、風変わりな怪談をいくつも書いていた。
文芸部の顧問は、如月真のそうした一面を語り、そして、彼女が家では文芸部の活動を隠していたことを知った。
当時彼女が書いていたのは怪談だ。青春小説や、推理小説など、高校生が書きがちな小説の内容から少しずれ、学校の帰り道に人影が立っている話などを淡々と書く。そこには、無駄な煽りも感情もない。まるで、ただ本当にそれが起きたことのように書かれていた日記のような文体に、実の姉でありながら薄気味悪さを感じた。
そして、失踪から一月。私は彼女の机の中にあった原稿、「陽波高校七不思議」を手に取っていた。

上月桜君、大森優香君。
私は、武道館の中にいた二人の生徒の名前を呼んだ。大森優香は、床に座り込み、ただ茫然と後輩の姿を見つめている。身に付けた胴着はあちこちが裂け、また高熱の何かに当たったかのように溶けていた。彼女自身の顔や手なども、ところどころ赤く腫れており、大層暴れまわったのであろうことが推測される。
だが、どうやら彼女の願いは叶わなかったようだ。力強く私に答えた、「怪異を掌握できる力」という希望は、上月桜と出会うことで打ち破られてしまったのだろう。
否、たまたま口にできる希望を持っていただけで、本当は私の下を訪れた他の生徒たち、校舎に染みついた多くの生徒たちの影と同じ想いだったのかもしれない。
私は力を与えたつもりであったが、それは彼女にとっては酷な行為だったという可能性を、今の私は否定することができない。
そう言うことなら、彼女もそうだろう。私の前に不意に現れ、私の目的に手を貸すといった少女。彼女は、私に対して、私がどうなっていくのかを見るのが望みだといったが、それもまた真なる望みとは遠く離れていたに違いない。ゆえに、彼女、紀本カナエは今も七不思議に囚われている。
陽波高校は、願いを見つけられず彷徨う生徒たちの墓標なのだ。

では、彼女はどうだろうか。私は、武道館に残るもう一人の生徒、上月桜の前に立った。上月桜、本名を香月フブキという。巻目市役所環境管理部第4課変異性災害対策係。怪異に対応するために作られた部署の嘱託職員として働いている。紀本からその情報を聞いた時には、少々驚いた。
だが、彼女の手に握られている刀は、まぎれもなく私の手の中にある力と同質のものを宿している。刀は鳴動し、突き立てられた武道館の床を通して、校舎に残った声を吸い上げ続けている。異界の動きが急に弱まった原因はここにあるのだろう。
大森優香を核として吹き上がった彼らは、刀を通して香月フブキに流れ込んでいる。彼女が彼女の形を保ち、声を呑みこみ続けているのは奇跡的なことである。
一歩バランスを崩せば、彼女の存在は声と共に歪み、消えてしまうことだろう。
かつて、私の姉、如月真がそうして姿を消したように。そして、その他の多くの生徒がそうしてきたように。
これは、私がけしかけたことではない。陽波高校という場がそうさせている。この学校は、生徒を喰らう。そういう風にできている。

陽波高校七不思議。その原稿は、かつて旧校舎から新校舎への移転の際に、如月真が寄稿した怪談話だ。もっとも、図書館に保管された原稿と、私が見つけた原稿は大きく異なる。
図書館に保管されている、寄稿された原稿は、七不思議の謎を解くことを求める一種の推理小説だった。だが、この原稿は、作者が実際に体験した七不思議の記録の体をなしている。
特に異なるのが、七つ目の七不思議に関する記載だ。寄稿には、七つ目を観測した生徒はいないと書かれていた。しかし、彼女の部屋にあった原稿では消えた生徒の行く末、鏡に写りこみ、こちらを覗き込んでいた異界の詳細が記載されている。
七つ目の七不思議の冒頭は、このように始まる。
――この学校は、異界との境界線、鏡の面のようなものだ。七不思議はいずれも異界からのアプローチのひとつに過ぎない。異界は自分たちを認識できる者を探している。七つの不思議を体験した者は、資格あるものとして異界に招待される。本当の恐怖はここから始まる。
 異界化と共に校内に満ちた水は、甘くすえた匂いがした。果実の腐った匂いのようなそれは、陽波高校は異界では人魚の住む湖であることを示す。
七不思議の一つ目。落ちていく男子生徒は、現世に恨みがあって校舎を覗き込んでいるわけではない。彼は、助けを求めている。湖に落ちれば人魚に身体を奪われるから。身体を奪われた者は、現実へは戻ることができないから。
私もまた、異界に落ちたとき、同じ行為をしたからわかる。うまく屋上の柵に捕まることができたから、生きている。柵を乗り越え屋上に転がったと同時に、真下から大きく水が跳ねる音が聞こえ、私の横を巨大な魚が飛び上がった。あれは、私のように異界に入った者を食べるために、校庭内を泳いでいる。

姉でありながらたいした想像力だと思った。だが、その後の記載もどこか違和感が付きまとう。普段の生活を見ていた家族として、彼女がここにかかれたような物語を作ることができると、到底思えなかったのだろう。
 それに、どうしてこちらを寄稿に乗せなかったのか、そのことが酷く気になったのだ。
 だが、今ならわかる。如月真は実際に異界を見た。見たことを原稿にそのまま書いた。そこで、怖くなったのだろう。書いた内容が、再び現実に現れることを。そして、それが現実ではないことを誰かに証明してほしかったのだ。だから、問いかける形に原稿を変えた。
 
 彼女が何を思って失踪したのか、失踪するまでの間、どうしてその原稿を持ち続けたのか。私は彼女とは違う以上、そのことについて何も語る言葉を持たない。
 だから、せめて彼女が見た世界を、自分でも見てみたい。陽波高校に赴任し、自分にも怪異が見えることに気が付いた時、私はそう願った。

「なによ、結局ただのシスコンじゃない。如月先生」

 声に呑まれ立ち尽くしていたはずの香月フブキが、こちらを見つめていた。私、如月一は、彼女の声にこたえる言葉を持たなかった。代わりに、右手に持った本、如月真の原稿に力を込めた。彼女の原稿に呼応して、校内の声が大きくうねる。
 香月に流れ込む声もまた大きくなったのだろう。彼女の身体がびくりと跳ねた。
「そうやって振る舞うところが、図星だって言っているの。結局、あなたは姉の隣に立ちたかった。ただそれだけなんでしょ」
 私と姉の事情など、何も知らないであろうに。だが、構わない。香月は間もなく壊れる。この学校に染みついた声は、一人の人間が受け止められるものではない。
 香月フブキに声を集めようとしているのは、私の思惑でも、紀本カナエの思惑でもない。おそらく、香月がこの高校に入学してきた時から、紀本は見限られていたのだろう。しかし、彼らが望むように、彼女が怪異へ変容することはない。
香月フブキは器を保持できずに壊れる。それだけで、私の願いは叶う。
「一人では受け止められないから、間もなく私は壊れる。その考えは甘いよ。先生」
 こちらの考えを見透かすような発言。だが、大森優香が全ての声を拾えなかったように、姉が繋がれなかったように、この地に集まる声は一人で受け止められるものではない。
「ああ、わかっていないね。香月フブキは、もう壊れているよ。だから、イチは考えが甘い」
 そう言って、彼女は私の頬に手を伸ばす。声に呑まれたはずの瞳には意思が宿っている。
「イチ、あなたは、私が誰かわからないの?」
 香月フブキの右手が、私の頬に触れた。目元を人差し指で軽く撫でられる。
「ねえ、隣に立てている? イチ」
 イの発音がうまくなくて、チだけが強く聞こえる。その呼び方は、知っている。
 私は、彼女が誰であるか、知っている。
 彼女の右手に触れると、香月フブキを取り囲む声の流れが大きくなった。声は香月フブキの身体を水柱の中に押し込んでいく。
私の手は水柱に弾かれて彼女から離れる。
厭だ。私は、もう一度、彼女と話をしたい。
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プロフィール
HN:
若草八雲
年齢:
37
性別:
非公開
誕生日:
1986/09/15
職業:
××××
趣味:
読書とか創作とか
自己紹介:
色んなところで見かける人もいるかもしれませんがあまり気にせず。
ブログとか作ってみたけれど続くかどうかがわからないので、暇な人だけ見ればいいような。
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