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作成した小説を保管・公開しているブログです。 現在は連作短編が二篇の他,短編小説,エッセイの類を掲載しています。 連作小説の更新ペースは随時。二か月に三回を最低ラインとして目指しています。
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不思議の国7
不思議の国はここで完結です。
文字数調整しながらごりごり押し込んでいったのですが、
実は原稿段階では場面5までしかなかったんです。
5を全部突っ込めるぎりぎりの文字数で調整した結果がここ!
(以下、本編です。字数オーバーになるため、冒頭無駄話は割愛)
ーーーーーーーーー

 その硝子細工は、人間の形をしていたという。バレリーナが片足を上げていて、表題は踊り子の刻。表面は非常にきれいに磨かれている。それでも、ひびのようなものが目立ち、壊れやすいのでご注意くださいという記載がそのひびを生々しく感じさせたという。
 ところが、近づいてみるとこの硝子、ひびなど一つもない、とてもきれいな表面だった。ひびのように見えるのは、硝子の中に何層もの硝子の層があるからだ。表面の硝子と中の硝子が別の形状で作られているため、ひびが入っているようにみえるというからくりだ。
 もっとも踊り子の像のように、何重にも薄い硝子の層を積み重ねる技術があるかといわれると疑問ではあるが。


「少なくても、今の港町にはそうした技術は伝わっていません。硝子を何枚も貼り合わせるということ自体はできるけれども、この話に出てくるような曲線のガラスを何層にも傷をつけずに作ることは難しいのではないか、というのが、職人さんたちの意見ですね」
 篠崎ソラは、取材ノートを閉じて、そう締めくくった。
 マボロシのボックス席に座り、音葉は、机に広げられた資料と彼女の話を思い返した。
 要点は三つだ。
 ひとつ。その町には硝子細工が動く噂があること。
 ふたつ。その硝子細工はパーツには分かれていないこと、そして多層構造であること。
 そして、みっつめ。直接の目撃者はいないが、目撃談のみが伝わっていること。
 通常なら三つ目ばかりに目が行ってしまう。突拍子のない話だからこそ、目撃談の信ぴょう性ばかりに気を取られてしまう。篠崎の上司もそういった発想だから、篠崎に記事を書かせようとしない。
 とても、常識的な判断だと思う。
 もっとも、音葉が追うのは常識の外にあるものだ。だから、三つ目は後回し。気にするべきは二つ目だ。
 篠崎に協力を申し出てから、自分なりに硝子の性質は調べてみた。自在に硝子を動かす方法、音葉に思いついたのは、「熱」と「パーツ化」だ。前者は硝子の性質を使い、後者は硝子の形状が変わらないことを前提とする。
 篠崎が集めた目撃談は全て人間型の硝子細工だ。熱で動くのだとすれば、人型に保ち続けていることが不思議でならない。なによりも、踊り子の細工の話のように、多層構造の細工であるという目撃談が気に入らない。硝子が溶けて動くのなら、多層構造をしている意味がないし、冷えて固まっても多層構造にならない。
何かが間に挟まっていれば別だが。

「喫茶店の店員、東羽新報のヤマダ」
 スペードの1。紅にも全容がわからない、久住音葉を示すカード。その加護を受けて音葉は硝子細工を壊す。一体の腕をたたき折ると、その腕を掴み、武器として振るった。
 硝子同士がぶつかり、ひびが入ると、脚や肘で追撃を入れる。ひびが大きくなると、硝子細工からは黒い液体が染みだす。途端に彼らの動きは鈍り、全体にひびが入っていく。最後は音葉が要所を突くだけで硝子細工が粉々になる。
 一体、三体、五体、八体。硝子細工を屠っていく彼は、背後で見守る紅のことなど振り返りもしない。それどころか、彼は目の前の異形にすら目を向けていない。
「鷲家口さんの知り合い、人間への偽装。昔の事件を覚えていて、多数ではなく一つ」
 彼の口から洩れているのは、答え合わせだ。クラブの1と対峙したときも同じだった。久住音葉は全てを、紅だけでなく自分の身すら置き去りにして、ノイズの姿を丸裸にする。
「硝子細工の多層構造。硝子細工に精霊が宿る」
 一五体目。大柄な男の硝子細工が腰から折れて地面に落ちた。中から溢れた液体は、周囲の硝子細工へと逃れていく。音葉が壊せば壊すほど、黒い液体は残った細工に集まっていく。そして、細工達はより人間らしく動くようになる。
 音葉を囲む細工らは、その表面にも変化が現れ、人間のような肌色を獲得する。『彼ら』は袋叩きにしようと音葉を囲んだが、音葉を捕まえる前に、全員が身体のどこかを砕かれて、地に伏せた。これで、二五体。
 彼らの中から姿を見せた音葉には、傷一つない。彼は手に持った硝子の腕を、暗闇の先の集団に向かって投げ込んだ
 このままでは、きりがない。いずれ、音葉が押し負けるときがくる。

*****
 それは、あまりに当たり前にそこにあったものだから、等々力は何度も目をこすって視界を確認した。初めは気が付かなかったし、同行した警察官たちも通り過ぎた。
 ただ、鷲家口眠だけが、それの前に立って声をあげた。等々力たちがそれに気が付いたのは、彼の声がきっかけだ。
「なんだ通路があるじゃないか」
 運転手たちが逃げたとされる出入り口の横には、地図にない通路が深々と穴をあけていた。穴を辿ってみれば、たどり着いたのは椅子と硝子が散乱する小部屋だ。小部屋を過ぎて行軍すると、職人街にでた。見覚えのある風景に、同行した警官も、等々力も目を丸くした。ただ一つ、違うところがあるとすれば、星すらみえない極端な暗さだ。等々力たちはライトを片手に職人街を先に進んだ。
 事態を把握できていない等々力たちと比較すると、鷲家口はこの場所に答えを見つけたのだろう。振り返ってみて、等々力はそう思う。
 あの時の、鷲家口は、職人街に出た瞬間にこうつぶやいたのだ。
「ああ、これが件の常設展示か」
 事態を把握できないまま頼りなく進む等々力たちを置いて、彼は、今しがた見つけた答えに向かって、どんどんと闇に分け入っていく。距離をおかれ、彼の姿が見えなくなるまで、数分もかからなかっただろう。
 懐中電灯の明かりだけを頼りに、互いの顔を確認しながら、等々力と同行した警官は、路地裏の中を進んだ。
 鷲家口の姿が見えなくなった段階で、元来た道を引き返し、対応策を考える。そういった選択肢を考える余裕すら失っていた。
 いや、もし仮に引き返すことに思いを巡らせていたとして、等々力たちがあの奇妙な小部屋に戻ることは叶わなかっただろう。このとき、既に、等々力は自分が前に進んでいるのか、後ろに進んでいるのか、鷲家口を追いかけることができているかわからなかった。
 だから、等々力は、手元のライトが先を行く青年の後姿を見かけた時、それが鷲家口眠だと迷わず思いこんだのだろう。先を行く彼は、けがをしたのか足取りが重く、右脚を引きずって歩いていた。よくよく考えれば、事故に巻き込まれて間もない。目に見える大きな怪我がなかっただけで、身体にはダメージが蓄積されていただろう。
 鷲家口の身を案じ、等々力は大きな声で彼を呼んだ。だが、どうしたわけか、彼は等々力のことを気に留めない。仕方がない。早く追いつくことが肝要だ。
 隣にいる警官に、眠を追いかけて走る旨を伝えようとした。だが、振り返ってみても、そこに警官の姿はない。辺りを懐中電灯で照らし、彼の姿を探すも、見えるのは人気のない職人街の建物ばかりである。
 警官の名前を呼ぼうとして、等々力ははたと気が付いた。
 同行していた警官の名前を知らない。そもそも、彼はいつから鷲家口と等々力と同行していたのだろうか。署を出るときだったか。
いや。警察署を出た時は、鷲家口と二人だったはずだ。
 あの警官はいったい誰だったのか。佐藤と名乗る刑事のことが頭をよぎり、背筋に冷たい汗が流れた。
 見知らぬ何者かが、いつの間にか生活圏に入り込んでいる。硝子化した死体が目に浮かぶ。鷲家口は何と言っていただろうか。
 いいや。そうした説明のつかないことはないという前提で、等々力と鷲家口はこの件を進めると決めたのだ。等々力までがそのような思いに囚われてしまっては、事件を見通す目がなくなってしまう。
 早く、鷲家口に話をしよう。まずはそこからだ。等々力は姿を消した警官のことも含めて話をまとめながら、鷲家口眠の後を追いかけた。
 真後ろまで追いつき、もう一度声をかける。だが、彼は返答を返さない。
 不自然だ。そう思い、彼の顔に懐中電灯を当てた。
 黒い髪の毛が生えているが、額は透き通り、目や鼻のあるべきところは窪んでいるが穴はない。口の周りには皮膚が見え、力なく開いた口からは、黒い液体が流れ出ていた。
 懐中電灯を当てたまま、等々力が固まっていると、透き通った皮膚の内側を黒い何かが網目のように走り抜けた。
 それに合わせて、硝子でできた顔が表情を変えたようにみえる。ほほを緩め、目元が緩む。硝子なのに、まるで生き物のように形を変え、その顔は等々力に微笑んだ。

 等々力が気絶したのは、その数秒後のことである。

*****
 四〇。一つ一つの細工に対応する時間が伸びている。音葉の身体を包んでいる、スペードの1の力が弱くなっているように見えた。紅と音葉の力は無尽蔵ではない。使い続ければやがて限界に達する。
 しかし、紅と違って音葉にはその焦りは感じられない。周囲を浮かぶ海月が照らす音葉の表情は、どこかリラックスしているようにも思える。
 硝子細工たちは仲間が壊れていくたびに、徐々に動きの鋭さが増していく。初めに現れた時と違い、ただ動き回るのではなく、音葉の動きを先読みし、時には複数人で攻めかかる。個体によっては、腕や足、胴体と、細工の一部分が人間のそれへと姿を変えていた。まるで、鷲家口が見せてくれた死体の写真のように。
 音葉の右後方から迫る細工は、既に上半身のほとんどが人間のような姿に変化している。音葉は、躊躇うことなくその顔に硝子の塊を叩き付ける。硝子細工のままの首が折れ、液体が噴水のように吹きだした。41体目。
 吹きだした液体、ダイヤの2は、他の細工に流れ込む。ダイヤの2を吸収した細工は一瞬固まり、震える。硝子面が見えている部分をダイヤの2が伝っていく。内側から黒く染められた硝子は、膨れ上がり、表面を人間の皮膚状へと変化させていく。
 音葉と紅の前に立ったそれは、着物に身を包み、右手で白髪の混じる前髪を弄った。ふっと息を吐いて首を回すその動きに、今までのようなぎこちなさはない。
 一連の経緯を知らなければ、人と区別がつかないだろう。
「随分と同胞が散ってしまった」
 それは辺りに散らばった硝子の破片を眺めて、言葉を落とした。声の調子から、紅は、それが男の姿を模していると思った。
白い唇から漏れた声は柔らかく、それでいて、硝子管を通したように何重にも反響する。まるで特別な楽器からでる音を聞いているようだ。
「同胞、ですか」 
 音葉は紅と男のちょうど間にたって、男に問いかける。彼の右手は、男が同胞と呼ぶ硝子細工の腕を持っており、その腕を剣のように、男に差し向けている。
「ええ。私たちにとっては大切な同胞です」
 男の言葉に、ふっと、音葉が笑ったような気がした。駆け寄って、音葉の顔を覗き込みたい。だが、紅の脚は頑として動かない。
ここに立って、彼のやり方を見ていること。それこそが、今の音葉の望みであることを、紅の身体はよくわかっている。
「あなたに同胞などいないはずだ。今まで壊した彼らもみんな、あなたの一部に過ぎないでしょう」
「それは、大きな誤解です。私は、彼らと共にここで生き、時を過ごしてきた」
「レコード盤」
「レコード盤?」
「そう。この硝子細工はレコード盤なんだ。不思議に思ったのは、等々力刑事に扮したあなたが、等々力刑事自身のことをよく模倣し、また東羽新報のヤマダと名乗るもうひとりのあなたの記憶も共有していた時だ。
 あなたは硝子細工の表面を変化させ、人に擬態する。擬態は見た目のみでなく、その人物のしぐさや記憶までをも模倣する完璧なものだ。
それでいて、あなたは擬態した他の人物の記憶をも保持している。群れではありえない。群れならば、ヤマダと等々力刑事は別の液体を宿しているはずだ」
ダイヤのカテゴリに含まれるノイズは、理を司る。紅は音葉に説明した自分の言葉を思い出した。
先日彼と遭遇したクラブの1は命を司る。ただ蒙昧に自らを増やすことを目的とした。だが、理を司るのであれば、それはおかしい。ダイヤのノイズは己が理のためにその姿と能力を有する。音葉はそう考えているのだろうか。
「君が何を考えているのか、よくわからない。僕たちは、こうして言葉によって情報を共有しているだけに過ぎない。僕たちは、君たちと同じように、個であり、群れなんだよ」
 男は音葉の仮説に真っ向から異を唱える。紅は、目の前の男について、ダイヤの2について、それがどこから来た何者なのかを知らない。
 紅にわかるのは、それがこの現実の外から来たものであり、現実と相容れない性質をもつということまでだ。
 音葉も紅とそれほど違わないはずだ。今の彼に、男を説き伏せるだけの言葉はない。
「四十一。あなたが、ここに現れるまでに壊した同胞の数です」
「それほどまでに、仲間が散ったのか」
「ええ。あなたのコレクションがそれだけなくなったのです。今のあなたは、四十一体の硝子細工の中にいたものが集まってできた。四十一体分の身体を集めなければ、あなたは僕と話をすることができなかった。まともな思考すらできなかったのでしょう」
「何が言いたい」
「一つ一つの身体には、溝が刻まれている。それは、あなたが中を通り抜けるための道であり、身体を動かすための導線だ」
「なるほど、同胞を屠っただけあって、よく僕たちのことを見ているね」
「そしてもう一つ。あの溝は、それぞれの硝子細工がどのような人物を模倣したものか、あるいはガラス化した人間がどのような人物であったかを記録している」
 だから、違う硝子細工に入りこめば、違う人間を模倣することができる。この細工は、あなたが人間を模倣するために作り続けたコレクションだ。
 音葉の答えに、男は何も答えることなく、前髪を弄る。少し上体が低くなったのは、音葉を警戒しているからだろう。
 おそらく、久住音葉は、ダイヤの2の性質を言い当てたのだ。
「全く、そこまで言われたら、おとなしく自分の出自を認めたほうが楽になれるのではないですか。それとも、その身体が、自分は一人であることを受け入れたくないのですかね」
 沈黙を打ち破ったのは、音葉でも男でもない。それは、暗闇の中から、ここにいるのがさも当然という態度で現れた。
 卵のように丸い身体をしており、瞳が少し大きい。こちらの問いに、まともに答えるそぶりを見せない本心の分からない態度。
 まるで、人の言葉を話す卵、そう、ハンプティダンプティではないか。
 刻無。この町の資料館を守る館長が、何故、こんなところにいるのか。背後には目を丸くして辺りを見回す鷲家口眠の姿もあった。
「突然来て、何を言い始めるかと思えば、そんな世迷事を話にきたのか。刻無」
「それを世迷い事だというのは、やはり、あなたが今入っている器がよろしくないのでしょうね。その器は、あなたのことを、命の水と呼び、魂の器だと言った」
 刻無たちはどこから現れて、何故、ダイヤの2のことを知っているのか。刻無はこちらの疑問に答えるどころか、この場にはダイヤの2と自分しかいないかのように振る舞い、ダイヤの2に話しかけた。
「命の水。懐かしい呼び名です。そう、彼、いや私は、私自身のことを理解した数少ない理解者だ。そして、私を生かすために身体を捧げた」
「いいや、彼は逃げたんだ。自分の夢の中に」
 刻無は、男に背を向け、音葉と紅に向きなおった。
「本来は旅行者の方々に迷惑をかけるべきではないのです。これは、この港町の、いや、この刻無と彼の問題です。旅行者の方々がこんなにも彼に近づいてしまうとは」
 厄介だった? 紅は刻無の次に続く言葉を予想し、身構えた。だが、彼の口から出たのは、予想もつかない言葉だった。
「それもこれも、私の管理が甘いせいなのでしょう。とてもお恥ずかしい。それでも、私はこの結論が正しいと思うのですよ。クズミオトハさんというのでしたかね」
 どうか、彼を殺めてやってください。刻無はそういって、音葉に頭を下げた。
音葉がなんと答えたのかは、よく聞こえなかった。紅が次に見たのは、手に持った硝子を突き出す音葉の姿と、それを受け入れ、地面に倒れた人物の様子だ。倒れた身体からは光が漏れ出し、身体がガラスへと変じていく。
全てが終わり、音葉の元に駆け寄ると、彼の前には男が一人倒れていた。
男の顔からは生気が失われ、目があったはずの場所には硝子がはめ込まれていた。左脚と腹部、そして右腕は完全に硝子細工に姿を変えており、腹部に開いた穴からは、層状の断面が見える。
 男の胸には、トランプの札。カテゴリはダイヤの2。ダイヤの背後には硝子を満たす黒い液体が描かれていた。

 紅たちの街へ帰るためには、再び電車に乗らなければならない。行きとは反対側の路線に止まった車両に乗り込み、紅はぼんやりと窓の外を眺めていた。ホームの陰から、昨日まで滞在していた街の風景が見える。
 紅と音葉が滞在したのはたった三日。時間にして、七十時間。その間に、あの町は大きく変わってしまったかもしれない。
 向かいに座る乗客が広げている新聞に目をやる。東羽新聞。東羽新報が発行を終えた後、それを引き継ぐ形で始まった地元紙だという。
『職人街で集団失踪。一晩で二十数名が行方をくらます』
 小さな記事ではあるが一面の一画を占拠しているその記事の原因は、紅たちにある。紅は、手に持ったトランプを改めて眺めた。
「気に病むことではないと、あの館長さんも言っていたじゃないか」
 新聞の向こうから顔を出したのは、鷲家口眠だ。眼鏡をかけていたので、誰かわからなかった。
「鷲家口先生は、目が悪いのですか?」
 我ながら素っ頓狂な質問だと思った。紅の気持ちを知ってか知らずか、眠はふっと笑い声をあげた。
「僕のこれは伊達だよ。あまり外で知り合いに会いたくなくてね」
 知り合いに会いたくはないが、声をかけるのは躊躇わないというわけだ。
「それで、久住君はどこにいるのかな。彼と一緒に戻るんだろう」
「音葉なら、あっちに」
 紅は後ろを向いた。ホームに立つのは、音葉ともう一人、白髪の髪をした線の細い男だ。
 眠も紅の横に近づき窓の外を覗き込んだ。
「いやあ、あれ本当にあの人なの」
 眠の言いたいことはよくわかる。けれども、本人と音葉がそう言うのだ。
「どうなったら、あの卵型の館長が、あんな青年に姿を変えるのか、改めて考えても意味が分からないね」
 それは、紅も音葉も同意見だ。音葉が欲しがっていた力はこうして手元にあるものの、これが、どういう経緯で生まれ、そして刻無館長がどうして姿を変えたのか、その答えは紅にもわからない。

*****
「君たちにはお世話になりました。おかげで、私もこうして元の姿に戻ることができました。例のことは気にすることはありません。これは、私たちの町の問題ですので」
 白髪の男、刻無は地下の職人街で出会ったときと同じ調子で、音葉に話しかけた。一晩明けてその姿を見ても、音葉には何がどうなっているのかよくわからない。
「あの、刻無館長。結局、あなたは」
「私は資料館の館長ですよ。この街の歴史を集めて、管理している。ずっと昔からね」
 音葉は、彼が地下で話した昔話を思い出す。
「あなたは、命の水を使ったのですか」
「さあて。久住さんには、あれが命の水に見えましたか」
 いや。彼の問いに音葉は首を横に振る。音葉が手に入れたのは、少しばかり変わった性質をもつ硝子に過ぎない。何かに命を与えることができるほど強い力ではない。
「ならば、私にそれを使うことはできませんよ。この町に、命の水などなかったのですから。では、まもなく出発時刻ですよ」
 刻無の人を食ったような笑みに押され、音葉はしぶしぶ電車に乗り込んだ。音葉が乗るのを待っていたかのように、電車の扉は閉まり、動き始めてしまう。
 どうやら、ノイズと呼ばれるものを相手とすると、奇妙な出来事に多く出くわすらしい。
 流れていく風景を前に、音葉は大きくため息をついた。
「まあ、でも。欲しかったものは手に入った、かな」
 町に帰って、篠崎さんに会いに行こう。そして、水鏡と今後のことを話し合わなければ。

*****
 これは、ちょっとした昔話だ。
 そもそもの始まりは、海岸沿いで男が見つけた小さな石のかけらだった。その欠片は、海岸に流れ着いた他のどのガラクタよりもきれいな光沢をしており、男は娘が喜ぶかもしれないと思い、これを持ち帰った。
 異変はそれから三日も経たず起きる。いつも海岸沿いでガラクタを探しているはずの男の姿が見当たらない。それどころか、男の家族すらも見かけない。村人たちは、仕事をせずにほっつき歩く男のことを疎ましく思っていたが、その家族のことは大切に思っていた。だから、男の家族に何かあったのではないかと男の家に駆け付けた。
 それから七日。村を訪れた旅人の一行は、その村の奇妙な光景に混乱した。村には誰一人生きた人間はいなかった。代わりに、村中が非常に精巧な硝子細工であふれていたのだ。
 旅行者たちは、それが、近隣の誰かが作った芸術なのか、凶事の出来事の前触れなのか判断することができなかった。とにかく、自分たちの暮らす街へとその事実を報告にかえるべきであろうと判断した。
 だが、言葉だけでは誰も信じてくれるわけがない。
 そう思い、彼らは運び出しが容易であった、少女の硝子細工と、その少女の細工の手に握られていた黒い鉱石を持ち帰った。

 ほどなくして、旅行者たちの故郷でも、この奇妙な硝子細工が散見されるようになった。同時に村を訪れた旅行者が行方不明になった。同胞が消えていく現実を前にして、旅行者たちは自分たちが持ち帰ったものが凶事であると認識した。
あの硝子細工は、元は生きている人間なのだ。

 旅行者たちは、硝子細工と化した同胞を救うため様々な方法を試した。誤解のないように指摘すると、彼らの行動は同胞のためを思っての行動ではない。完治しなければ、自分たちが硝子細工になることを避けられないという恐怖からだ。
 だが、どんなに探しても、硝子細工を人に戻す方法などそうは見つからない。
 行き詰った彼らは、自分たちが持ち帰った細工を調べるべきと考えた。だが、街に戻ってから増えた細工は見つかれど、肝心の娘の細工がない。そうしているうちに、硝子細工は増え、同胞は減っていく。
 旅行者たちは数を減らし、治療法が見つからぬまま、最後の一人になった。彼は自分もまた硝子になってしまうのだろうと、事態を投げだした。
 そんなときだ。彼の前を、見覚えのある娘が走ったのは。男には子供の知り合いなどいない。けれども、男はその娘のことをよく知っていた。娘を追いかけて、路地へ入り、男は彼女をどこで知ったのか思い出した。
 娘は路地の真ん中に座り込んでいる。その瞳からは黒い液体が滴り落ち、娘の足元に水たまりを作っていた。娘から液体が流れ出るたびに、娘の身体からは色が抜け、彼女は透き通っていく。それは、男が旅先で見つけた硝子細工の娘と瓜二つだった。
 娘の足元に流れでた液体は、排水溝に流れていく。地面に傾斜など付いていないのに、排水溝へ向かっていくその液体は、まるで命をもっているかのようだった。
 男は、全てが流れ出る前に、空き瓶の中に掬い取った。
それはとても不思議な液体だった。見た目はただの墨だ。だが、硝子に垂らすと、中に入りこみ、硝子を溶かして居所を作ってしまう。硝子が人や動物の形をしていると、細工が命を持ったかのように動き始める。
 それは、無機物に命を与える特異な水だ。他方でその液体は、同胞たちを硝子へと変えたものでもあった。動物に垂らせば、生きていようが死んでいようが硝子化する。
 初めはネズミの死体に一滴、液体を垂らして一晩置いてみた。すると、翌朝には、死体の代わりに精巧な硝子細工が置かれていた。そして、死体を入れた水槽の端には、並々とたまったあの液体があった。一滴が、動物を硝子化し、そしてその量を増やすのだ。
男は、もっと多くの液体をほしいと思った。そこで、動物を集め、次々と硝子へと変えていった。けれども、動物で増やした液体が、人間に効果を発揮するのかわからなかったし、動物から採れる量では、人間の細工を動かすのには到底足りないように思えた。
 まもなく、男は人狩りを始めた。生きている人間、しかも、消えてもあまり目立つことのない者を狙って攫っては、彼らに液体を呑ませる。
 硝子細工の代わりに、大量の液体が手に入ったが、それでも男は満足できなかった。自分の体が硝子化してしまう前に、少しでも多くの液体を集める。そうすることで、硝子化して命を落とすことを防げると考えたのだ。
 もっとも、男の体が硝子化したとき、必要なのは一滴の液体だけだった。一滴が硝子化した身体に入り込んだ瞬間。男はそれが何であるのか、本当のことを知ったのだ。
 硝子に命を吹き込む力などなかった。見た目は人に戻っても、硝子化した男の腕は、もはや男のものではない。
だが、男は自分の仮説が間違っていたことに耐えられなかった。仮説が間違いであると認めたら、彼が今までに屠ってきた人間の数に、押し潰されてしまう。だから、彼は自分の仮説が正しいと思いこむことにした。
「そうして、男は自分の硝子化した身体に液体を入れ続け、やがて自分が誰なのかよくわからなくなってしまった。名前も、年齢も、何もかもがわからなくなって、男は、黒い液体を地下に閉じ込めることにした。
 ただね、これが少しばかり厄介だ。液体も男も同じ人間の記憶を持っていて、どちらも自分は人間だと主張して聞かない。暗闇に入れておいたなら、生き埋めだなんだとうるさくて仕方がない。
 だから、男は地下にも同じ街を作ったんだ。人間として生きていてもおかしくない、模造品の街をね。なぜそれを私が知っていたのかって? そうですね。それは、あなたのご想像にお任せしますよ。久住音葉さん」
刻無館長は、地上に戻り、地下で手に入れた新しい身体を大きく伸ばした。
「そうそう、狐に摘ままれたような顔をなさらず。ほんの昔話です。あの硝子細工たちの処理をしてくれたことについての、私からのちょっとした謝礼ですよ。お二人とも、こういった話を探しているのでしょう?」
 そう言って笑う彼の顔は、朝日に照らされて、硝子のように反射した。
 だが、彼の顔にあの液体の影はない。

鏡の国 了
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プロフィール
HN:
若草八雲
年齢:
37
性別:
非公開
誕生日:
1986/09/15
職業:
××××
趣味:
読書とか創作とか
自己紹介:
色んなところで見かける人もいるかもしれませんがあまり気にせず。
ブログとか作ってみたけれど続くかどうかがわからないので、暇な人だけ見ればいいような。
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