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作成した小説を保管・公開しているブログです。 現在は連作短編が二篇の他,短編小説,エッセイの類を掲載しています。 連作小説の更新ペースは随時。二か月に三回を最低ラインとして目指しています。
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ネガイカナエバ8
黒猫堂怪奇絵巻6話目 ネガイカナヘバ掲載8回目です。
4回目が折り返しなら、ここで終わるはずなのですが、全体の分量からすると、3分の1前後といったところなので、物語の起承転結が、25%ずつというのは幻想だって思いました。
ネガイカナヘバ1
ネガイカナヘバ2
ネガイカナヘバ3
ネガイカナヘバ4
ネガイカナヘバ5
ネガイカナヘバ6
ネガイカナヘバ7


今までの黒猫堂怪奇絵巻
黒猫堂怪奇絵巻1 煙々羅
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る
黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ
黒猫堂怪奇絵巻4 迷い家
黒猫堂怪奇絵巻4.5 薄闇は隣で嗤う
黒猫堂怪奇絵巻5 キルロイ
―――――――――


私は知っている。人や動物のように振る舞うが、人でも動物でもない存在を。私は知っている。それらが、多くの人間には見えないことを。私は知っている。それらが人に憑き、力や形を持つことを。
 物心が付いた時には、私にはそれが見えていた。中空を漂うそれに対して声を上げる私に、両親は不安を持ったという。しかし、私は両親の不安を他所にそれらと戯れた。それらは、私が近づくとすぐに物陰に隠れてしまう。そのくせ、私以外の人間にはすぐにまとわりつき、時には人間の胸のあたりに潜り込んでしまう。
 それらと深く繋がっている他人に、私は嫉妬した。その頃の私には、それらが憑いた人間が酷く昏い表情を浮かべることに気が付いていなかったのだ。
 それらが総称して憑き物と呼ばれていることを知ったのは、中学に入ってからだ。故事や古典を紐解くうちに、私は自分の視界にあるそれの存在の名前を知った。
 しかし、憑き物という名前を得た途端、私の目は彼らを映さなくなった。
こうして、私は名もなき友人たちを失った。

 彼女の姿を見たのは、そんな折だ。
 彼女は私のことを覚えていないだろう。彼女が見ていたのは、私が失った友人たちだ。彼女は身体の大きさに見合わない刀を携えて、私の前に現れた。
 刀は低い唸り声を上げて、空気を震わせる。その唸り声に触れた時、私は、彼女の刀が憑き物に関わるモノであり、彼女が憑き物を斬っていることを感じた。
 だが、私の目は、刀を振るう彼女しか映すことはなく、かの友人たちは、姿を見せぬまま、彼女に屠られていった。
 友人たちが屠られたことに怒りはなかった。だが、狩人と獲物という関係だとしても、友人たちと接触を持つ彼女に、私は酷く嫉妬した。
 要するに、私は小さなころからずっと、彼らとつながりたかったのだ。

 私の身体を包む靄は、胸の叫びに呼応して騒めく。私の前に立つ彼女が、私の顔を、私の身体を包む靄を前に目を見開き、身を固めている。
「君は、私の前で、その刀を振るっただろう。私は、君のような力が欲しかった。力さえあれば、彼らは私の前に現れてくれると思っていたからね。けれども、いくら剣の腕を高めても、彼らは私の前に現れてはくれなかった。
 私は、知らなかったんだ。君が彼らと触れ合えたのは強かったからではない。そういう才能を持っていたからだということを。
 でも、そのことはもういいんだ。私は、こうして彼らと再び巡り合えた。だからね。私はこの力を失いたくないんだ。私は、私たちは、僕たちはひとつなんだ。邪魔をしないでくれ」
 私は、彼女に向けて、刀を突きだした。彼女の身体が爆発したように大きくなり、私の身体は後ろに飛ばされた。何が起きたのかわからない。
 初めに感じたのは唸り声だ。武道館を包む空気を震わせた。私を包む靄が唸り声に怯える。
 声の主を探して、私たちの眼は辺りを見回した。
 重苦しい空気が一部だけ、まるで何かに喰われたように軽く、済んでいる。そこには彼女が立っている。彼女の左腕には白い澱が巻き付いていた。あのような澱は見たことがない。この空間に初めからあったものではない。異物だ。
澱は隙あれば腕の主を覆い尽くすつもりなのか、鳴動を繰り返していた。
「私は、あなたの前でこれを見せた覚えがない。あなたの話に覚えがない。でも、あなたは、これを持った私を見たことがあるんですか」
 彼女の問いに、私は頷いた。そうだ。見たことがある。彼女の左腕を包む澱から、あの刀が見えている。そうか、あの澱は、私の目では見えなかっただけか。
私の疑問に答えるように、彼女の刀が凛と震える。その刀の震えが、私と彼女が出会ったことがあることの徴だと、私は答え、私たちは再会を喜んで笑った。
「それは違う。この刀、水蛟は怪異を斬る刀。ここは異界。怪異の気配で満ちているから、水蛟が反応している。あなたに呼応しているわけじゃない」
 そんなことはない。刀を取り出したときから、彼女の顔が青白く、血の気が引けているのはどう説明する。私のことを思い出したのではないか。
「大森先輩。あなたに憑いたその靄が、あなたの目を塞いでいる。今は何を言っても聞いてもらえないのだと思う。だから、私はあなたに憑いた怪異を斬る」
 彼女が、私に向かって刀の切っ先を向ける。そうだ。それでいい。私は彼女に勝って、この力を私のものにするのだ。
「香月フブキの名に命ずる。霊刀水蛟よ、我が力を喰らい、我と共に怪異を殲滅せよ」
 彼女の手元で、刀が大きく震えた。

*****
 高校に近づくにつれて、表情を失った人の行列は大きくなっていく。校門に続く坂の下で、秋は思わず立ち止まった。
「なんだよこれ」
 坂の両端はまるで大みそかの二年参りだ。周辺の住人が皆、陽波高校へと向かっている。
「これは時間がかかりそうだな。しかも、たぶん校門のあたりはごった返しているぜ」
 佐久間の言う通り、校門までたどり着いても、校舎には入れないだろう。だが、桃山先輩もまたこの行列の中にいるかもしれない。
「この中に桃山先輩がいるかもしれないし、校舎の中に先輩がいるなら校舎に入らないと」
「だったら、どうしたらいい。一人一人行列の顔を確認するか?」
 そりゃあいい案だ。と答える佐久間の表情が険しい。
「秋。俺はこういう景色をほんの少し前に見た気がするんだ。よくは覚えていないが、これは良くないことへの前触れだ。桃山先輩を探すのは重要だが、取り返しがつかなくなる前に逃げ出すことも重要だ」
「そうしないと、記憶を失う?」
「もう互いに抜けているんだけどな。行列はみんな正門に向かっているから、裏門は開いている。俺は沖田先輩と行列を見ながら正門に。秋は裏口に行く。先に校舎についた方が校舎内に桃山先輩がいないか探す。見つけ次第さっさと家に帰るってのでどうだ」
 要するに、迷うくらいなら急いで探して逃げ出そうという提案だ。
 異議なし。秋は心強い友人に頷いて、裏門へと走った。

 佐久間の読み通り、裏門へと続く坂道には人がいない。秋は友人の勘の良さに改めて感心した。普段使わない裏門への道、以前に通ったのは一夜桜の取材の時だったろうか。
 あの時は、誰もこんな大事になると思っていなかった。いつからこんな事態に巻き込まれたのだろうか。
――おやおや、あなた、その子のこと知っているんですね
 上り坂が終わり、裏門が見えた途端、声が聞こえた。周りを見ても人影はない。
――こっちですよ。こっち。君は、彼女を知っているんでしょう。
 声は秋に向けられている。だが、声の主が見えない。正門前の行列とは違う不気味さ。
 気にせず校内に入らなければと思ったが、裏門のあたりに見えた深い霧に足が止まった。
 このあたりで霧が出ているのは裏門だけだ。
――安心してよ。僕は怪しい者じゃない。怪しいのは、むしろあの子のほうなんだ。
 足を踏み出せ。深呼吸、目を閉じる。そして、前へ走り出す。
   とん。
 駆けだしてすぐに、人間に衝突した。転びそうになると、相手が秋の身体を支えた。
「君は陽波高校の生徒だろう。ある生徒を探しているんだ。どこにいるか教えてくれないか」
 声の主は秋の顔を両手で覆い、上へと向けた。秋はおそるおそる目を開けた。
 顔がない。秋の顔を覗き込んでいるその人物には顔がなかった。目や鼻、口があるべきところには何もなく、顔の表面に大きな渦が一つ。
「教えてくれよ。香月フブキは、彼女はどこにいるんだ。僕は彼女を助けなければ、君たちを彼女から救わなければならないんだ」
 香月フブキ? 聞いたことのない名前だ。声は渦の奥から聞こえてくる。
 ぐる ぐる ぐる ぐる
 渦が回転するにつれて、秋の記憶もぼやけていく。ぐる。ぐる。ぐる。ぐる。
 身体から何かが抜けていくような感覚。足元がおぼつかなくなり、視界が揺らいでいく。僕は誰だったか。自分の名前が思い出せない。ここはどこであったか。
ああ、どこでもいいではないか。ぐる。ぐる。
 渦の向こう側に見覚えのある建物がある。あれはなんだったろうか。
「教えてくれ。香月、フブキは、どこにいる」
 そんな名前は知らない。僕に聞いてもわからない。学校のどこかにいるんじゃないか。
そう、そうだ。あの建物は学校だ。そして、僕は。
 目の前の渦が回転の速度を速めた。これはだめだ。この渦を見つめてはいけない。以前にもそうしたものを見たことがある。秋。そうだ、僕の名前は秋。
 秋は、渦に向かって右手を伸ばした。見た目は回転しているのに、その表面はのっぺりとしている。手の感触と見た目が違う。どちらかが、もしくはどちらもが間違いだ。そうだ。秋の手は人間の顔を塞いでいる。表面がのっぺりとしているのはおかしい。
「お、し、え、て」
 声が途切れており、息苦しそうである。やはり、これは顔なのだ。秋は、顔を思いきり押し、顔を押さえた両手を振りほどいた。顔のない人物はよろめいて尻餅をついた。
 視界の端に渦が見えたので慌てて目を逸らす。ぼやけていた思考が戻ってくる。そう。裏門だ。裏門から学校に入って、桃山先輩を探し出す。
「むしむしむしむし。ぼくは、けいかんだぞ。けいかんをむしするのははんざいだ。はんざいしゃにはばつだばつだばつだばつだ。ぼくはしょくむにしたがいけいをしっこうする」
 尻餅をついた顔のない男が両足をばたつかせて叫ぶ。そして、乾いた音と共に、秋の真横を何かが通り過ぎた。
 更に二回。顔のない男の手には黒いものが握られており、そこから煙が上がっていた。
「くそっつぎはあてるぞ。うごくなよ。はんざいしゃなんだから、うごいちゃだめだ。うごいたらしょけいだ。うごかなくてもしょけいだ」
 顔のない男の言葉に、秋の身体は自然に反応していた。男の顔に向けて膝をつきだす。顔がのっぺりとしているなんてあるわけがない。あるとすれば、それは面だ。面で顔を隠し、言い分を聞かない相手に銃を向ける。そんな警察がいてたまるか。
 膝が面にめり込んで、男は妙な声を上げて倒れた。地面に転がった姿を見れば、やはり顔には面がついている。面の真ん中が少し凹んで、表面に描かれていた渦が歪んだらしい。面を見ていても先ほどのように意識が遠くなることはなかった。
「警察なら僕よりもあっちをなんとかしろよ」
 声を荒げて、校舎の方を指さすと、男は指につられて校舎の側を見た。そして、男は叫んび声を上げて倒れた。
「いったい何なんだよ」
 これは悪い夢だ。秋は現実感を失っていく目の前の光景に、眩暈を覚えた。

*****
 俺は音楽で食っていくんだ。うちの高校のレギュラーになれない程度でプロを目指すなんて無理。海外に行って、旅行して。夢らしい夢なんてないけれど、かっこいい彼ができたら。隣のクラスの●●がかわいくて。
 高望み。今の私にはできない。無理。ダメ。人並みを目指すべき。夢なんて持つだけ憑かれるだけだ。やりたい。できない。できない。できない。できない。できない。できない。
 私は、虎だ。

水蛟が大森の竹刀から離れる瞬間。獣の咆哮が自分を包む感覚に、フブキは我に返った。
竹刀に憑いた怪異が水蛟に腕を伸ばしているのをみて、すかさず距離を取る。怪異の手は水蛟があったはずの空間を掴み、大森の竹刀を引き寄せる。大森は怪異によって身体を大きく振られる。左肩に隙が見えた。
 フブキは彼女の左肩を水蛟で斬りつける。怪異の声が、水蛟を伝い流れ込む。声の大きさに遠のく意識をなんとか留め、怪異に呪力を流し込む。水蛟を伝った呪力にかき乱され、怪異は形を失い、霧散する。
 大森の横を抜ける際に、靄の合間から胴着が見えた。水蛟は確実に大森優香に憑いた怪異を祓っている。
「徐々に動きにきれがなくなってきているね。どうやら、君は短期決戦が得意なタイプのようだね。知らなかったよ」
 振り返る大森の両目には、べったりと怪異が貼りついている。彼女の眼は失われ、代わりに靄の奥に潜む大量の目が周囲を覗き込んでいる。
 
大森が纏う紫の靄は陽波高校に通う生徒たちの声だ。どうやって集まってきたのか、なぜあのような形をしているのか、わからないことは多いが、彼らは一様に夢を語り、夢が実現できないことを嘆いている。
そして、大森に力を貸し、大森に偽りの夢を叶えようとしている。水蛟で斬りつけるたびにその声が幾重にも重なりフブキの中に流れ込む。水蛟を触媒に、フブキは怪異と繋がり、怪異の特性を取りこんでしまう。
もはや怪異から刀身を放していても、耳元で彼らが嘆く声が離れなかった。
それに。
 生徒の声に交じって聞こえる獣の声がフブキの身体を竦ませていた。いつもなら、無理やり抑え込めるはずなのに、呪力を巡らせようとすると獣の声が聞こえてくる。まるで、フブキに身体をよこせと叫んでいるかのようだ。
 その度に、フブキは夜の校舎で見た自分の腕を、宿見家で見たあの少女の姿を思い出す。
「呼吸は整ったかい。上月君」
 大森の竹刀が眼前に振り下ろされる。反応が遅れてジャケットが少し破れた。
身体の中で虎が吠えた。
 フブキは右腕で大森の刀を受け止め、力任せに振りほどく。左手に掴んだ水蛟を手放し、刀身が足元を向くように素早く持ち替える。そして、左の拳を大森の頭部に向けて振りぬいた。
 怪異が大森の身体を後退させるが遅い。拳は当たらずともその先に待つ水蛟が大森の目を覆う怪異を裂く。
 バランスを崩した大森に向かって、体当たりをし、身体を回転させ、怪異を水蛟で切り裂いていく。紫の靄の底に胴着が見えた。肉の匂いと血の匂いがする。
血だ。靄が晴れた隙間をめがけて、水蛟を構え突進する。
 足元の怪異が慌てて大森を旋回させる。ならば、脚を落とせばよい。姿勢を低くして、足元を狙う。水蛟は刀身が長すぎる。小刀を取り出して右手に構える。大森の攻撃は水蛟で防ぎ、脚に向かって小刀を何度も突き刺す。
 フブキの攻撃を避けるように、怪異が大森の身体を右へ左へと動かしていく。まるでダンスのステップのようだ。そちらにばかり気を取られ、彼女からの攻撃は減り動きは一定になる。
 その隙をついて、フブキは彼女の足元に向かい、水蛟を振り回した。怪異は突如伸びたリーチに対応しきれない。水蛟が大森の足元の靄に触れ、その靄を食いつくす。
 足回りは落とした。低くした体勢を元に戻し、彼女に向かって大きく踏み出す。もう我慢ができなかった。水蛟を横に振りかぶり、大森の首筋に向かって振る。
 彼女の首が飛び、血が飛び散る。血だ。待ちに待った血。

 虎が歓喜の声をあげ、フブキは我に返った。既に水蛟は振りぬかれている。ジャンプしているため、フブキの身体は宙に浮いている。急な回避は間に合わない。このままでは水蛟は彼女の身体ごと怪異を斬り伏せる。
 虎に呑まれた。そして、そのために人が死ぬ。
 殺してたまるか。
 繋いだ怪異がフブキに残るというのなら、虎以外の怪異もフブキに残っているはずだ。
 咄嗟に浮かんだのは、祖父の家に生えた人面樹だ。何でも構わない。身体に残っているのなら、それはフブキの一部だ。力を貸せ。
 足元に不快な感触が生まれる。丸く、もろい。だが、それは足場だ。フブキはそれを踏みつけて、もう一段、高く飛ぶ。水蛟の軌道は逸れて大森の頭のうえすれすれを抜ける。
 大森の仮面が水蛟に喰われて剥がれる。
 フブキは大森優香の背後に着地した。着地の途端、大量の声が身体を駆け巡り、意識が呑みこまれそうになる。姿勢と意識を保とうと、水蛟を床に突き立てた。
 だが。水蛟は床から大量の声を喰らい、フブキの身体に流しんだ。陽波高校に潜む怪異の正体に気が付くと共に、香月フブキという器は、流れ込む怪異の圧力に耐えきれず崩壊した。

*****
 校庭には、周辺から集まった多くの人間が何重もの輪を作っている。彼らは一様に表情を失い、ただ輪を作ることにだけ執心している。いや、心を失っている以上、執心ですらないのかもしれない。
「まるで機械みたいだな」
 思わず漏れた感想に、彼女は意外ですねと感想を返した。
「あなたは、これが人間だとでも話し始めるかと思っていました」
「それは、僕が機械だという揶揄かな」
「いいえ、違います。自分の行動が何を意味しているのか、それを考えることもなく盲目的に集まり、活動を始める。この光景は人間そのものの一つの側面だ、なんていうのかなと」
 それは、彼女が自分に向けられるべき言葉であると、彼女自身も自覚の上の発言だろう。
ムジナは左手で顔を覆う面を撫でた。凹凸も何の模様もない卵型の面。相手に対して表情を見せていないことを今一度確認する。
「まさか、ここで起きることの結末を見るために、あなたたちがわざわざここまで来たわけではないのでしょう」
 彼女はムジナとその背後に立つ男に向きなおり、校庭を背に両手を広げた。彼女が着ているのは陽波高校の制服だ。だが、彼女と同じ制服を着ている生徒は現在いない。赤と紺のラインが入ったセーラー服。それは確か、陽波高校が旧校舎であった頃の制服だ。
 耳にかかるほどの長さに切りそろえた髪が、校庭から吹き上がる怪異の気配になびいて浮き上がる。髪が崩れるなどと気にするような年齢であるだろうに、そのような素振りは見せない。寧ろ、怪異の気配を積極的に感じたいとでも言わんばかりに両手を広げている。
「カラス君。いや、紀本カナエ君と呼ぶべきかな」
「カラスと呼ばないということは、私も向田涼子と同じく切り捨てられたというわけですね」
 どうやら、彼女は想像以上にこちらの動きを察知しているようだ。流石、自ら仲間を追い込んだ経験があるだけのことはある。ムジナは淡々と彼女に結果を伝える。
「そうだ。君の今回の行動は、我々の意図に反する部分が多い。よって、君は除名、速やかに我々が関わった痕跡を消すこととなった。まあ、ここまで事態を大きくしてしまえば、痕跡を消すにも限界があるけれどね」
「かなり前からあれを使って記憶消去はしていたのでしょう。この程度の異界化、なかったことにするくらいどうとでもなるのでは」
 それとも、私が呼ぼうとしているモノのほうに問題があるのかな。
 安い挑発に、背後の男が嗤った。ムジナは後のことを彼に任せることにして、紀本カナエの背後に立ち上る怪異の気配に意識を向けた。
 校庭に集まる人々を依代に、陽波高校に巣食う怪異が集まり、上昇気流のようなものを作りだしている。気流は校庭の上空に溜まり、拡散し、陽波高校をドーム状に包んでいる。気配だけが高校を包み込んでいるように見えるが、よく見れば、無数の顔や腕の姿が見えてくる。
 紀本カナエの狙いはわかっている。そのための依代に誰を用意したのかも。だが、事は紀本の思っているようには進まない。
「カラス。君は僕らを出し抜こうとしたようだな。だが、君が力を貸した彼、二月正もまた君を出し抜こうとしている」
 男はムジナの前に立ち、紀本カナエに対して言葉をかける。あくまでカラスと呼び続けるのは彼なりのこだわりだろうか。たったいま除名といわれたにも拘らずその名を呼ばれる紀本の顔が歪む。
「知っている。彼は、全てをここに封じるのが目的だからね。でも、私がそれについて対策しないとでも思ったの」
 彼女は勝ち誇ったように校庭の先、武道館に目をやった。だが、男はそれを鼻で笑う。ムジナは知っている。目の前の男は、さらに一手先を行くことを。
 上昇気流が乱れ、ずしんという地鳴りが響いた。
 気流の中で呻いていた顔が一瞬にして全て止まり、武道館の方へと意識を集中させていくのがわかる。
 いいや、彼らは武道館に吸い寄せられている。
「何? 何が起きたの」
 今、この異界は紀本カナエの想定から外れた。ムジナは仮面越しに武道館の様子を伺う。武道館の内部に向かって怪異たちが吸い寄せられていく。怪異だけではない、紀本カナエと、彼女の協力者が作りだした異界そのものが武道館の中の何かに吸い込まれて行く。
「水蛟、というのは繋ぐ力だと言っていなかったかい、名無し」
「その通りだ。あれは使用者と怪異を繋ぐ呪物だ。つまるところ、これは水蛟の話でない。使用者の器の話なのだ。ああ、すまないな、カラス。もう、君たちの話ですらない」
 名前を持たない男は、紀本カナエの隣に立ち、興味深げに武道館をみつめる。彼の視界にはもう紀本カナエはいない。
 紀本は、言葉を発することもできないまま、両手を広げた格好で、名無しとムジナを睨み付けていた。ムジナたちを出し抜いて、自分だけが力を手にしようと思ったのだろう。だが、目論見は何も達せられず、全てを名無しとこのムジナに奪われるのだ。さぞかし無念だろう。
「紀本カナエ。僕は、君の仲間を蹴落としてでも力を欲する貪欲さが好きだった。だから、君に声をかけ、この場所を任せたんだ。けれども、許してくれ。君のその貪欲さも含めて、全ては予定通りに進んでいるんだ。紀本。君は初めからここで退場する予定だったというわけだ」
 その後。紀本が何を叫んだのか、ムジナにはわからなかった。彼女の叫び声がムジナに届く前に、紀本は名無しに顔面を押さえられ、屋上から突き落とされた。
 ほんの一瞬、落ち行く彼女の身体を何かが下に引き摺り落とすような光景が見えた。
「名無し。今、何か見えなかったか」
「理科室の窓に飛び降り自殺をした生徒の姿が映る。どうやら、カラスはまだ悪あがきを辞めるつもりがないらしい。向田涼子といい、あなたが見つけてくる駒は、優秀な駒が多いよ」
 名無しはそれだけ言うと、まるで初めからそこにいなかったかのように姿を消した。校庭を覗き込んでみるが、そこには名無しの姿も紀本カナエの姿もない。
紀本は済んでのところで異界へ逃げ込んだ。名無しは武道館の様子でも観に行ったのだろう。自分の仕掛けた罠を間近で眺めるというのは、良い趣味だとは思えないが。
市役所の面々もそろそろ到着する頃だろう。大森優香、紀本カナエが用意した怪異の新たな宿主。その座を奪い取ったのが仲間だと知ったら、彼らはどう対応するのだろうか。
 火群たまきなどが出てくれば、案外淡々と祓ってしまうのかもしれない。それはそれで、少し面白みに欠ける。

*****
 裏門の霧を抜けて、校舎に飛び込んだものの、秋は自分が本当に校舎に来たのかよくわからなくなっていた。
 裏門の横の武道館は確かにあるし、その先には、一夜桜と噂された枯れ桜が生えている。校舎もいつも登校してくるときに見かける形そのものだ。
 だが、全てが何処か違う。そう、例えば足元だ。陽波高校は丘の上にあるし、敷地内に池はない。だが、裏門から校舎に入った途端、秋の足首までが生ぬるい水に浸かった。陽波高校の敷地は一面浸水しているのだ。水の上にはところどころに蓮の花のようなものが浮いている。手で掬ってみると、少しぬめりけがあり、甘い匂いが手に染みついた。
果物のような匂いだと思ったが、何の匂いなのかわからない。流石に味を確かめる気にはならず、秋は甘い沼地の中を人の気配がする方向へと進む。
校舎の横から校庭に出ると、そこは完全な沼になっていた。校庭は、校舎の敷地よりも低い。校舎の周りで足首までの浸水があるのであれば、当然校庭は水没しているはずだ。
だが、目の前の光景は、水没と言っていいのかも首を傾げるものだった。
校庭では校舎に押しかけてきた人々が巨大な輪を作っている。彼らは水没した校庭の底で、空を見上げて何かを語り続けていた。秋は足元の水を確認する。甘い匂いがするだけでなく、この水は酷く透明度が低い。水に浸かった自分の靴すら見ることができない。
だが、同じ水で水没したはずの校庭に立つ人々の姿は、はっきりと見えるのだ。おそるおそる近づいて、校庭の上に溜まった水に手を伸ばしてみる。やはり、足元の水と同じ感触、同じ匂いがする。確かにそこに、水らしきものがある。
 ではどうして校庭の様子が秋には見えるのか。いや、それだけじゃない。校庭に立つ人々が話し続けていることが秋にはわかる。彼らはまだ水の底で生きている。そして、その中には桃山先輩がいるかもしれない。
 だが、この水の中に踏み込んで大丈夫なのか。自分もまた彼らと同じように、あるいは溺れてしまうのではないか。秋は異様な空間のなかで、初めて現実的な恐怖を覚えた。
 一度覚えた恐怖はそう簡単には取り除けない。竦んだ足を沼の先へと進める勇気を秋は持っていなかった。
 校門の方はどうなっているだろうか。分かれた友人たちのことを思い浮かべて、秋ははっとした。正門は校庭と同じ高さだ。おそらく正門も奇妙な霧に包まれているのだろう。そして、そこを抜けたら沼の底というわけだ。
 携帯端末を出すが、電波は届かない。ちくしょう。どうやら無理にでも沼に入らないとまずいらしい。このままでは佐久間たちが何も知らずに沼の中に入ってしまう。
 秋はめいいっぱい深呼吸をし、校庭に満ちた沼の中に飛び込んだ。

 校舎に向かって行列をなす人々は、本当に様々だ。サラリーマン、主婦、陽波の生徒がいるかと思えば、子供や老人までいる。
 周囲に暮らす人々が全員夜の陽波高校へと向かって歩いているという印象はあながち間違いではないのかもしれない。
 佐久間は沖田先輩と共に彼らの中に桃山先輩の顔がないか探して回っていた。もう坂道は中腹で、そろそろ校舎が見えてくるころだが、一向に桃山春香の顔はない。
「これはやばいな……」
 行列と共に校舎に近づくにつれて背筋が寒くなり始めていた。風見山で記憶を失う直前、あの時も同じような感触があった。自分の中の直感が告げている。今の陽波高校は近づくべきではない。
 たとえ桃山が校舎の中に入ってしまっていたのだとしても、それは突き詰めれば桃山自身の問題だ。佐久間たちが校舎に飛び込んで、桃山を救い出し無事に脱出できる公算はないし、小説のように都合よく誰かに救われるとは限らない。
 この行列を歩く者たちと同じように、異変に巻き込まれて戻れなくなる可能性だって充分にあるのだ。何かしら言い訳をつけて沖田先輩を連れて引き返すべきだ。
 裏門に回った秋が気になって携帯端末を鳴らしているが、何度かけても通じない。秋のことだ、日ごろは引いた見方をしているくせに、形振り構わず校舎に入ったのかもしれない。
 あの友人をこの場に連れてきたことは失敗だったかもしれない。沖田を説き伏せて、秋の自宅に二人を留めておくべきだったのではないか。
 行列に見えた陽波の制服に駆け寄り、声をかける。違う。桃山春香ではない。確か、同学年の女子だ。
「おい、大丈夫か。この先はまずい、目を覚ませ」
 肩をゆすって声をかけても、女子生徒は歩くのを止めない。列から外れれば違うかと、腕を引いたら、ものすごい力で振りほどかれた。思いもよらない反撃に、佐久間の身体は歩道を離れ、車道に転げ出た。
 車のヘッドライトの光に目を閉じる。どうして、こんなところに車が? 轢かれる? 
 頭が真っ白になって佐久間は車道にへたり込んでしまった。そのまま、身体が鉄の塊に弾き飛ばされるのを待つ。痛いのだろう。風見山から戻ってきたというのに、こんな面倒にまきこまれて、最後は交通事故とは、ついていない。
 だが、不思議と衝撃はやってこなかった。目を開けると、車は佐久間の前で止まっており、運転席からは眼鏡をかけた男がこちらを覗き込んでいた。
「君、佐久間ミツル君だね」
 こちらの名前を知っていることに、驚いた。佐久間は男のことを知らない。
「ああ、驚かせて悪いね。私は、市役所の環境管理課に勤めている火群という者だ。この先の、陽波高校で何やら騒ぎが起きているという話を聞いてね、こうやって様子を見に来た」
 助手席に座っているのは、大学生だろうか。どこかで彼を見たことがある。だが、市役所に知り合いはいない。
「君たちは、この行列が何なのか知っているのかい」
「いいえ、誰に声をかけても無反応で、僕らも怖くなって」
 嘘はついていない。どういう類のものであるか見当がついている程度だ。
「そうか。君は、そうだな。鷲家口。佐久間君と、さっきもう少し下にいた女の子を連れて、引き返してくれないか。大丈夫。後の処理は秋山と私で十分だ」
 秋山。その名前には聞き覚えがあった。けれども、誰なのか思い出すことができない。思い出そうとすると、寒気が強くなった。おそらく、記憶をなくしていた時に見た何かだ。ならば、踏み込むべきではない。
 渋々といった様子で下りてきた長身の女性は、鷲家口ちせと名乗った。火群からは彼女の指示に従って、家に帰るようにやんわりと指示される。
 佐久間は、彼の指示に従うと頷き、校内に入ったであろう友人の名前を告げた。
「秋君か。わかった、騒ぎの中でそれらしき子を見かけたら、こちらで保護するよ。とにかく、君と君の先輩は鷲家口君の指示に従って、こちらの連絡を待っていてくれ。大丈夫だ。一時間もすれば騒ぎは収まるさ」
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HN:
若草八雲
年齢:
37
性別:
非公開
誕生日:
1986/09/15
職業:
××××
趣味:
読書とか創作とか
自己紹介:
色んなところで見かける人もいるかもしれませんがあまり気にせず。
ブログとか作ってみたけれど続くかどうかがわからないので、暇な人だけ見ればいいような。
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