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作成した小説を保管・公開しているブログです。 現在は連作短編が二篇の他,短編小説,エッセイの類を掲載しています。 連作小説の更新ペースは随時。二か月に三回を最低ラインとして目指しています。
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ネガイカナヘバ3
黒猫堂怪奇絵巻6話目 ネガイカナヘバ掲載3回目です。

ネガイカナヘバ1
ネガイカナヘバ2

今までの黒猫堂怪奇絵巻
黒猫堂怪奇絵巻1 煙々羅
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る
黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ
黒猫堂怪奇絵巻4 迷い家
黒猫堂怪奇絵巻4.5 薄闇は隣で嗤う
黒猫堂怪奇絵巻5 キルロイ


―――――――――

 陽波高校の図書室に書庫があるということを、今の今まで知らなかった。
 それはいかに図書室と縁がない時間を過ごしていたかということを示す事実だ。
 そんな話を隣でしていたクラスメイトの結城美奈もまた、書庫のなかを見るのは初めてのようで、本棚を眺め驚きの声を上げながら書庫の奥へと消えていった。
 ほとんどの学生は図書室を自習のためにしか使わない。それに、陽波高校の図書室は近隣の学校に比べれば規模が大きく、学生が読みたがる本はたいてい開架におかれている。書庫に足を踏み入れる学生は少ないに違いない。
「さくら。こっちに学校史の棚があるよ」


 美奈が目的の棚を見つけてくれたので、フブキは彼女の声に従って本棚の中を進んだ。開架が自習スペース付きの開放的な空間なら、書庫の中は閉鎖的で息の詰まる小さな迷路だ。天井近くまで高さのある本棚が縦横にいくつも並び、視界を遮るため、どこに立っていても書庫の全体を見渡すことが難しい。
 美奈の声がするのは、書庫の一番奥だ。突き当たった本棚に沿って曲がり、部屋の隅に向かって進むと少し開かれた場所に出た。4人ほどが本を閲覧できる丸テーブルを囲むように四方を本棚が囲んでいる。まるで小さな秘密基地のようだ。
 美奈はテーブルを挟んでちょうど反対側の本棚を眺めていた。
「すごいよ……前は学生が学校史作っていたみたい。最近じゃ卒業アルバムに簡単な歴史が載っているだけなのに」
 フブキも美奈の横に並んで本の背表紙を確認していく。学校史は毎年二回ずつ、ほんの数年前まで作成が続けられていたらしい。発行元を確認すると、文芸部とされている。
「美奈、うちの学校、文芸部あった?」
 転校初日に生徒会の人から部活動の話を聞いたように思うが、文芸部というものには聞き覚えがない。
「うーん。私は知らないなあ。私が入学したときにはなかったと思うけど……廃部になったのかな」
 美奈が手に取ったのはもっとも最新の学校史だ。あとがきには部員が一人になってしまった旨の記載がある。
本棚の上を眺めると、どうやら文芸部は文芸誌も定期的に作成していたようだ。「ヒナミ」という捻りのない題名の文芸誌と、テーマを絞って作品をまとめたと思われる冊子がいくつも並んでいる。
「それで、さくらはここから何を探すつもりなの」
 学校史を一通り眺めた美奈はフブキに振り返った。まっすぐにフブキに向かう彼女の視線に耐えられなくて、フブキは黙って学校史を手に取った。
「もしかしてまだ七不思議の取材に協力するつもり?」
 フブキが本当に知りたいのは、陽波高校に潜む怪異の正体だ。新聞部の取材に協力することは主目的ではない。それに、できるなら新聞部の部員たちも七不思議の件から遠ざけたい。
「佐久間君の入院した理由、佐久間君は覚えていないって言ってたけど、私は」
 佐久間ミツル。彼は七不思議を追いかけてどういうわけか、風見山の怪異に巻き込まれた。七不思議自体にも怪異が絡んでいる以上、美奈や新聞部の部員をこれ以上関わらせたくはない。
「大丈夫だよ」
 フブキは美奈に微笑んだ。上月桜として、友人を安心させるための笑顔。けれども、結城美奈の表情は曇ったままだ。
「大丈夫じゃないよ。新聞部のみんなも、学校も、七不思議のことを調べ始めてから、何かがおかしいよ。さくらは気にならない? いつの間にか、みんなが七不思議の噂をしている。誰も触らないようにしているけど、学校の中がいつもと違う。これ以上は、危ないよ。もう七不思議を調べるのは止めよう? そもそも、あんな不思議なこと、起こるわけがないって、わかってることじゃない」
 そうだ。香月フブキはわかっている。七不思議のような不思議は起きる。“変異性災害”と呼ばれる現象は、実際に起きるものだと。だから
「大丈夫だよ。七不思議自体を調べるわけじゃない。そのルーツを探ってみようと思っただけだから」
 祓い師である香月フブキはここで手を引くわけにはいかないのだ。

**********

「それで、友人と喧嘩してまで資料調べねぇ」
 書庫から大量に借り出してきた文芸部の学校史と部誌、鷲家口ちせはその山を興味深そうにのぞき込んだ。
「フブキ、青春してるね」
 フブキは思わず蹴りを入れてやりたくなったが、我慢した。
「ちせ。冗談言っている場合じゃないの。このまま“鬼”憑きが増えたら」
「わかってる。わかってる。だから協力しているでしょう。25年前から20年前までの学校史、目を通したけど気になることはないわ」
 ちせが外れの山に学校史を置いた。代わりに隣の山から文芸誌を数冊手に取る。そして、キャスター付きの椅子に座って、フブキの隣に陣取った。
「でも、いいの? その友達。フブキのことを心配して」
「じゃあ、調査しなくていいわけ。陽波高校には確実に怪異がいるのよ」
「だからそういう話をしているわけではないの。その友達に、一言何か言っておかなくていいのか聞いているのよ」
「そんなの、何を話せばいいのよ。美奈に怪異のことを伝えるわけにもいかないし」
 結城美奈の友人としてのフブキ――上月桜――は、単に個人的な興味から七不思議を調べているに過ぎない少女だ。校内の異変の原因を突き止めることも、怪異を退治することもしない。普通の高校生なのだ。何も話すことができない相手に、どうやって説明すればいい。
 フブキは目の前に積まれた資料の山を見てため息をついた。
「フブキ、今、美奈って言った?」
「え? ああ、うん。そう、結城美奈。知り合い?」
「結城。それ、巻目警察署の結城辰巳刑事の娘さんじゃないの」
 結城辰巳? どこかで聞いた名前だが、ピンとこない。
「そっか。フブキは直接会ったことがないか。秋山君と変異性災害の対応にあたっている刑事。秋山君のおじいさんと付き合いがあるのだったかな。娘さんは確か陽波高校に通っていて、写真部。名前は美奈。ね? たぶんフブキの友達の結城美奈さんってその子だと思うのだけど」
「え、ええっと、それじゃあ、美奈も変異性災害のことを知っているの」
「それはどうだろう。ただ、秋山君とは元々知り合いだし、美奈さんも秋山君と面識があるから、もしかすると多少は事情を知っているかもしれないね」
 美奈が秋山と知り合いで、美奈の父親は巻目署の刑事? 美奈が変異性災害について何か知っている素振りなんてあっただろうか。
「あ、そっか……だから」
 思い返してみれば、美奈は七不思議について妙に怖がっている気配があった。もともと怖がりなのかと思っていたが、仮に、彼女が怪異の存在を知っていたのだとしたら話は変わってくる。
 結城美奈も考えていることは、フブキと同じなのではないか。学校にいるかもしれない怪異に、変異性災害に新聞部の部員やフブキを近づけたくなかった。だから彼女は七不思議に深入りするのを嫌がっていたのだとしたら。
「どうしたの、フブキ。思い当たる節でもあった」
「思い当たるっていうか、うーん」
 フブキは突然知らされた友人の情報をどう扱えばいいのかわからなくて机に突っ伏した。美奈の忠告を聞いて、深入りをやめていたほうが、彼女に要らない心配をかけることはなかったのだろうか。だが、仮に美奈の助言通り深入りをやめたとして、怪異はその影響力を強めていく。今回の相手はそういう手合いだ。
 フブキが手を出さないとしても、フブキ以外の誰かが、いずれは怪異の正体を突き止め、祓うだろう。けれども、そこまで待つ間に生徒が怪異の被害に遭うことは容易に想像が付く。
 何も知らない学生として振る舞うことはできても、足を止めることはできない状況なのだ。ただ、フブキにはそれを友人に伝える言葉がない。
 そして、手がかりが手に入るのは、決まってこういう時なのだ。
 フブキは手に取った冊子の題名を手でなぞった。
――陽波高校七不思議 二月正 著

**********

 陽波高校では、古くから生徒の間にとある七不思議が伝わっている。
 読者の皆様は、七不思議というと、学校の怪談の定番のように思っているかもしれない。
 実は私もそう思っていた。
 笑うベートーベン、動く人体模型、トイレに潜む赤い紙青い紙、学校というのは多くの怪談話を生む場所であり、七不思議というのはそうした怪談話をパッケージ化した、言い方は悪いかもしれないけれど、「お手軽怪談」という側面を持っているものである。
 これが、私が今回の企画を始める前に抱いていた七不思議への印象だ。
 実際のところ、今回の“旧校舎の記憶を残そう”という企画に参加するにあたって、私が七不思議を取り上げたのも、おそらく七不思議くらいあるだろうという安易な想いがなかったといえば嘘になる。

 ところが、調べてみると不思議なことに、学校の七不思議というものは、そもそもにしてあまり広まっていない怪談話なのだという。
 端的に言えば、“七つ不思議があることが珍しい”らしい。
 七不思議と冠するだけあって、不思議は七つなければならない。ところが、学校内に怪談が現れるところといえば、トイレや特殊教室、付属施設といった生徒の生活空間に隣接した、あるいは生活空間の拡張にあたる部分がほとんどである。そういった施設にひとつずつ不思議が住み着いているという状態は稀だといわれれば、納得はいくようにも思う。

 このままでは前置きが長くなってしまうので、この辺で強引にまとめてしまおうと思う。
この短編集を通して、私が皆様に知ってほしいことは、二つ。
一つは、陽波高校は七不思議がすべてそろっている珍しい学校だということ。
 そしてもう一つは、陽波の七不思議は、一般的な七不思議と違うということ。
二つ目について読者の皆様に伝えるのは、この前置きではなくて、七不思議を紹介する私の手腕にかかっているべきものだと思う。だから私は、あえて前置きで語らなかった。
 本当なら前置きでそのようなことを言わずとも、感じ取れる文章にするべきなのだが、その辺は私が自身の力不足を自認しているということで、一つご勘弁を願いたい。
二月正(フタツキセイ)

目次
1.陽波高校七不思議
 一つ 化学準備室の窓から高校生の霊が見える
 二つ 階段の踊り場では足音が踊る
 三つ 校庭には夜にだけ咲く狂い桜がある
 四つ 夕暮れ時には影の校舎が現れる
 五つ 顔が映らない鏡がある
 六つ 真夜中の校舎では声だけが授業をしている。
 七つ 七不思議を七つ知った者は姿を消す。
 
 2.解説(下巻)
――――――――――
 二月正というペンネームで書かれた「陽波高校七不思議」。それは、今から16年前に当時の文芸部部員によって書かれた短編集だ。短編集が書かれた当時、新校舎――現在フブキたちが利用している校舎――が建設されて2年が経過し、旧校舎から新校舎への機能の移転が完了、翌年には旧校舎を取り壊しが行われることになっていた。
 毎年学校史を作成していた当時の文芸部では、旧校舎の取り壊しにあたって、旧校舎の記憶を何かの形で残したいという想いが生まれていた。それは、新校舎移転から旧校舎取り壊しまでの3年間の学校史が、その以前また以後における学校史よりも力を込めて制作されていたことからも伺える事実だ。
 彼らは、移行期の3年間で旧校舎という学び舎を本の形で記憶しようとしたのだとフブキは思う。
「陽波高校七不思議」は、そうした文芸部の活動の一環で作られた、旧校舎を題材にした小説作品の一つだ。パラパラと内容をめくる限りでは、上下巻に分かれており、上巻では著者の二月正が集めたあるいは創作した七不思議を物語調で紹介し、下巻ではその解説を行うという構成だったようだ。
 だが、図書館のどこを探しても、解説巻であるはずの下巻は見当たらない。紛失したのか、そもそも作られることがなかったのか、そのあたりは謎のままだ。
 ところで、早急な問題としては、ここに書かれている七不思議と、フブキたちが探っていた七不思議には大きな相違がみられるという点だった。
 それをどう考えるべきか思案していると、突然「陽波高校七不思議」が宙に浮いた。フブキは慌ててそれに手を伸ばし、顔をあげると美術教師の如月一と目があった。
「上月」
「あ、ハジメ先生」
「あ、じゃない」
 如月は上月桜――香月フブキ――から取り上げた冊子の表紙と中身をざっと見た。
「ずいぶんと古い感じの小説みたいだが、授業には関係なさそうだね」
「えーっと、そうですかね」
「なるほど、桜君には関係ありそうに思えるのか」
 如月がにっこり微笑み冊子を閉じる。そして、教室の全員に向かって聞こえるように手をたたいた。
「さて、今日はいつもと違って教室で授業したからか、みんな退屈そうだ。でも、僕は美術に取り組むということは絵を描いたり彫刻を彫ったりすることだけではないと思う。今回は絵をテーマにして授業をしたから、絵に即して話そうか。絵は、描くことだけで成り立つものではない。絵は描かれて、見られて、語られることで記憶に残る。君たちの手元にある美術資料に残っている絵はすべてそうして見る者が後世に語ってきた結果ともいえる。
 だから、冒頭でも話した通り、今回と次の授業では君たちに美術を“書いて”もらう。背景的な知識は配ったプリントに書いてあるし、簡単ながら僕も話したつもりだ。必ずしも美術史的な背景をきちんと掴めないといけないなんて思う必要はない。ほかのクラスも同じ授業をやっているから、この絵は美術室に飾っておく。いつでも観に来ればいい。見たことを、感じたことを、言葉にする。君たちがこの授業で観た“絵”を他者にどうやって伝えるか。それがこの授業での君たちへの課題だ。
 ちなみに、みんなが提出した感想の中から、いくつか、講評のために発表してみようと思っているんだけど」
 発表という単語が出た瞬間、教室がざわめく。美術の授業なんて適当にやっていれば単位が来る。どこかでそんな風に思っているから、よほど好きな生徒以外は身が入っていない。それを発表といわれると途端に話が変わってくるというわけだ。
「僕は、この冊子とあの絵に関係があると思う君の意見がぜひともきいてみたいな、上月桜君」
 そして、フブキもまた祓い師であると同時に、「発表」という言葉にざわめく授業に身の入っていない高校生の一人なのだ。

********

「どうしたらいいの。佐久間君の話を聞いてもよくわからないよ」
 美術の授業で突然課題を渡された上月桜は放課後の教室で頭を抱えていた。話を聞くと、授業中に関係のない本を読んでいたことが如月先生にばれてしまったのだという。
「わからないって言われてもな……俺も授業を聞いていて理解できたのはその程度だぞ」
 桜が泣きついたのは同じく美術の授業を取っていた佐久間ミツルと秋マコトだ。芸術家目の選択に書道を選んでいる結城美奈は、隣で話を聞く以上の手伝いができなかった。
「佐久間の説明だとぼんやりしているんじゃないか。もう少し順番を立てて」
「おいおい、人に説明させておいてそれかよ。じゃあ、秋はどうなのよ。ハジメ先生の話、理解できたか?」
 一週間ほど前には行方知れずになり病院で入院していたというのに、佐久間はすっかり元の調子を取り戻している。彼が行方不明になる直前、どこで何をしていたのか、本人は全く覚えていない。美奈は、佐久間が消える直前、何かを調べていたことを聞いたような気がしていたが、それが、誰からだったのか、どんな話だったのか、ぼんやりとしていて思い出せなかった。
「理解できているかといわれると自信がないが」
「ほら、お前だってあんまり変わんないじゃないか」
「二人とも、そうじゃなくて、結局この絵はなんなの、何書けばいいの」
 口論を始めそうになった秋と佐久間に桜が泣きつく。桜の机に広げられているのが、美術教師の如月が出した美術を“書く”課題の課題作品だ。
クノップフという画家の「見捨てられた街」。セピア写真のような色合いで描かれた誰もいない街角。ひどく寂しい絵だ。美術の資料にはもっと色々な絵があるのに、なぜこれを選んだのだろう。
「まあ、なんていうか……この絵を見た感想? だけじゃなくて、レポート読んだら何の絵を見てどう感じたのかが相手に伝わるように書けっていう、そういう課題なんだろ」
「さっきまでの説明よりも今の方がよほどわかりやすいな」
「秋は結局何も説明していないけどね」
 秋と佐久間が掛け合いをはじめ、桜は右手に持ったペンで左の掌を軽くたたきながら、何かを考えている。どうやら、何をすればいいかについてはわかったらしい。
 穏やかな放課後だと美奈は思う。桜が入学してから今まで、どこか慌しさと気味の悪い感触が残る毎日だった。おそらく、七不思議を調べていたからだろう。あの七不思議には触れるべきではなかったのだ。カメラに心霊写真が写りこんだときに、秋山に言われた通り。
「それで、上月は結局何を読んでたの、小説か何か?」
「え、まあ。そんなところかな」
 如月に注意された本の話になって、桜が一瞬、美奈のほうに視線をやった。目が合う前にふっと視線を逸らされてしまい、美奈は胸の奥が痛んだ。
 桜はこの前の図書室でのことをまだ気にしているのだろうか。けれども、友人としては、これ以上七不思議に深入りしていくことは避けてほしかった。七不思議の周りからは、秋山恭輔が関わるべき、“変異性災害”の気配がする。学校中がどこかざわついているのはそのせいだ。
――それなら、秋山に相談すればいい。
 不意に浮かんだその案に、美奈ははっとした。よく考えれば、すぐ思い至る話。それに、秋山恭輔は相談すれば、調査をしてくれる。
――でも、これは学校の中でのこと。外に相談することでもないし、まだ怪異だと決まったわけでもないし。
 どうしてか、秋山に相談することがためらわれる。ためらう理由なんてどこにもないのに。美奈は自分の気持ちが理解できなかった。突然、自分の足元が真っ暗になるようなそんな感覚に襲われる。
「おい、結城? 大丈夫か?」
 気が付けば、佐久間がしゃがみこみ、美奈の顔を覗き込んでいた。
「顔色悪いぞ。調子が悪いなら早く帰るべきだって」
「佐久間君に言われたくはないかな」
 思わず、強い言葉を返してしまう。佐久間はバツが悪そうに立ち上がり、額をかいた。
「ご、ごめん。私、今日は帰るよ」
 美奈は混乱していた。とても気分が悪く、思考がまとまらない。七不思議について、今、学校に起きていることについて、秋山に話すべきだ。それで全ては解決するはずなのに、何かが美奈の気持ちにストップをかけるのだ。
 とにかく校外に出よう。慌てて玄関に向かい、靴を履く。校外に出て、一息ついて、秋山に電話しよう。秋山がだめなら、父でもいい。とにかく、今までのこと、七不思議のことを話してみるのだ。そうすれば、何かが分かってくるのかもしれない。そう思った。
 その時、結城美奈は、まだ気が付いていなかった。彼女のクラスの靴箱の端に、見知らぬ、だが確実に出会ったことのある男が立っていることに。男は右手で顔を覆い、彼女の同行を伺っていた。
不思議と、周りの生徒はその男の存在を気にかけない。だが、仮に誰かが気が付いて、彼の顔を見ていたならば、その生徒の反応で、結城美奈は彼の存在に気が付けただろう。
なにぶん、その男には顔がないのだから。
 だが、残念なことに、彼女が立ち上がり、玄関に向かって歩き出すまでの間に、顔のない男の存在に気が付く生徒は現れなかった。
 そして、結城美奈は心に抱えた焦りや不安を全て失い、何事もなかったかのように帰路につくのだった。

********

「君は、私が顔を出すと本当に嫌な顔をするね」
 男は手持無沙汰なのか、手に持った缶コーヒーを机の上で回転させていた。
 紀本カナエは男の正確な素性を知らない。彼には名前がない。いつから紀本たちに接触を始めたのか、彼がいったい何を目的に協力をしているのか、紀本は彼のことを何一つ知らないといってもよい。
しかし、名前のないその男の素性を知らずとも、彼のことを知っている人間は、彼が現れるのは悪いニュースを持ってくるときに限られると知っている。彼が現れて、嫌な顔をしないほうが難しい。
「まあいい。私は、君がそうやって感情を惜しげもなく表に出す瞬間が気に入って声をかけたのだからね」
 それよりも、早く用件を言ってほしい。男に割いている時間はそれほどないのだ。
「祓い師。秋山恭輔」
 不意に出たその名前に、紀本は手を止めた。
「カラス。君がコトリの処分を利用して仕掛けた時間稼ぎは、確かに彼らの動きを鈍らせているよ。けれども、校内にも薄々異変に気が付いている人間がいる。秋山の名前は、その中の一人から出てきたものだ」
 男はどこからその情報を拾ってきたのか。そんな具体的な祓い師の名前のことを。
「問題はどこからということではない。君にはそれほど時間が残されていないということだよ。秋山恭輔は未だ力を取り戻していない。彼らもまだ事の全体は掴んでいない。だが、露見するのは時間の問題というわけだ」
 それは、計画が遅いことが原因ではない。寧ろ、加速したことが原因だろう。
「ああ。わかっているよ。気がつく人間が出てきたのはプランが順調な証だろう。それでもなお、君に残されている時間は少ない。私は君が見せてくれるだろう新しい風景に期待をしている。私だけではない。私たち全員が、君のプランに興味を持っている。」
 厭らしい言い方だ。男の背後に見える顔のわからない構成員たちをチラつかせ、全体を曖昧にする。
「さて、時間もないことだろう。くれぐれも彼ら、変異性災害対策係には気をつけることだ。君が知らないうちに、彼らは核心に近づくぞ」
 もっとも厄介な一言を告げ、名前のない男は姿を消した。紀本は目の前の本棚をまじまじと眺める。学校史と文芸誌がごっそりと消えている。手元の貸出記録に書かれた名前は上月桜。彼がこのタイミングで忠告に来るということは、上月桜と変異性災害対策係には繋がりがあるということだろう。
 上月桜、その動きを押さえておく必要がある。そういえば、彼女が執着している生徒がいると聞いた。そのあたりで何か仕掛けてみようか。

―――――――――

次回 黒猫堂怪奇絵巻6 ネガイカナヘバ4
 ネガイカナヘバは次で折り返しの予定です。

その他 短編  酒の蟲
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HN:
若草八雲
年齢:
37
性別:
非公開
誕生日:
1986/09/15
職業:
××××
趣味:
読書とか創作とか
自己紹介:
色んなところで見かける人もいるかもしれませんがあまり気にせず。
ブログとか作ってみたけれど続くかどうかがわからないので、暇な人だけ見ればいいような。
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