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作成した小説を保管・公開しているブログです。 現在は連作短編が二篇の他,短編小説,エッセイの類を掲載しています。 連作小説の更新ペースは随時。二か月に三回を最低ラインとして目指しています。
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エンドロール(前篇)
一日を繰り返す話を作ろう。
短編を書こうと思ったのに気が付けば前後篇になりました。

一日を繰り返す話です。年内に後篇も掲載予定です。
黒猫堂の続きも更新できることを目標に。

ーーーーーーーーー



エンドロール 

人が死に直面したときに見る奇妙な風景。
 天使。三途の川。走馬灯。
 多くの人々により語られているそれらの風景が、本当に存在するものなのか。
 私たちはその答えを自分が死ぬ瞬間まで知ることができない。
 自らが体感したことを語っている。そのように話す人もいるが、それはあくまで臨死体験であって、死そのものではない。九死に一生を得た人が死の間際に見た光景と、死んでしまった人が死の間際に見た光景が同一であると、どうして断言できるだろうか。
 死に直面した人間は、天使も三途の川も、走馬灯すら見ることはない。
 少なくても、私が見ているこの光景は、そういった類のものではない。

 視界の半分を埋め尽くす不可解な文字列。足元から頭上へと絶え間なく流れる文字列とともに、私の身体は地面へと落ちていく。
 耳元で鳴り響くこの曲はなんであったか。そうだ、エドワード・エルガーの「威風堂々」。
 私に最も相応しくない曲と、文字列に包まれて、私の生は終わりを迎える。

 これは、まるでエンドロールだ。「私」という題名の記録映画の終わり。
 
 落ちていく景色の中で、時計の文字盤が視界に入った。11時59分。12時ちょうどに向かって針が振れた瞬間、身体に衝撃が加わり。

―――――――――

 耳元で携帯電話が鳴り響き、常田歩美は悪夢から目覚めた。
寒い。身体をすっぽり包んだ布団の中から右手だけを伸ばしてベッドサイドの携帯電話をつかみ取る。
布団の中で画面の表示を確認するころには、携帯電話は鳴りやんでいた。布団の中を照らす人工の光は、彼女の寝ている間に十数回にわたり着信が来ていたことを知らせていた。
 発信者は小妻直史。常田の上司だ。発信は約1時間前から断続的にある。シフトまではまだ4時間以上もあるというのに、これだけの電話があるということは、面倒事に違いがない。
 寝起きで重い身体を起こし、常田は上司へと連絡を入れた。

 彼女が職場に姿を見せたのはその30分後、午後1時30である。

「おはようございます。小妻主任」
 髪のセットもままならずに出勤したが、昼のシフトの社員がぽつぽつとみられるだけでオフィスは閑散としていた。常田の所属する第3チームの島に至っては、眉間にしわを寄せてホワイトボードの前に立つ小妻直史以外のメンバーがいない。
「ああ、おはよう。何度も電話して済まなかった」
「いいえ、私こそ、気が付かずに熟睡していてすみません」
 熟睡。本当のことを言えば、熟睡とはいえない。常田はここのところ悪夢にうなされている。自分が死ぬ瞬間の夢、盛大なエンドロールにより演出され、地面へと落下していく夢だ。
 ここのところ……? そんなに頻繁にこんな夢を見ていただろうか。
 胸に湧いたふとした疑問は、上司の状況説明を聞いているうちに忘れ去られていく。
「ちょっと、待ってください。電話で説明をいただいたときにも意味がわからなかったんですが、今の説明ももう一度確認させてもらっていいですか」
 一通りの説明を終えた小妻と、その概略が書かれたホワイトボードを前に、常田はまるで自分が業界に入ったばかりで右も左もわからない新人であるかのような気分になった。
「小妻主任の説明は、要するに、うちのチームが作成したプログラムを走らせたせいで、テストユーザーが昏睡状態になったということでしょうか」
「だから、何度もそう説明しているだろう。ウチが開発したアプリケーションのテストによって、3名の人間が病院に搬送された。上からの指示は、状況の早期収束と原因究明だ」
「待ってください。そんなこと、あり得るわけがないじゃないですか。私たちが作ったのはただの収益予測のアプリケーションですよ?」
 そうだ。小妻が問題視したアプリケーションは、飲食店の新規出店の際の収益予測を行うに過ぎないのだ。ネットワーク上から近隣の店舗数や当該エリア付近で書き込まれたSNSの情報などを検索していき、これとユーザーが入力する各種情報等を組み合わせ、集客数、集客層を予測、新規店舗を出店した場合の収益予測を算出する。
 人間を昏睡に落とすような要素など、何一つ存在しない。
「わかっている。だが、現に病院に搬送された3名は、アプリケーションのテスト中に突然意識を失った。画面の表示に致命的な欠陥等がなかったかと聞かれたよ」
 電子機器の画面で、何度も強い光が点滅すると、気分が悪くなる人がいるという話はしっている。しかし、収益予測ソフトにはそのような機能などもちろんない。
「常田。君の言いたいことはわかっているつもりだ。私も、人が昏睡に落ちるような機能を付けた覚えはない。連絡が入ってから、私も実際に動かしてみたが、どこをどう動かしたところでそのような欠陥が起こりそうにはない。諸岡には、病院に搬送されたテストユーザーの端末の回収に行ってもらっているが、端末のほかのアプリケーションと相互干渉を起こしたのかなんなのか、皆目見当が付かない。何しろ、私は営業畑の人間だ。専門家ではないからな」
 それで、連絡が付きやすかった常田を呼んだというわけか。けれども、常田にも思い当たる節はない。

 その後、夜勤のスタッフも含め、連絡が付いたスタッフの協力を仰ぎながら、事実の把握と原因の究明に走り回ったが、常田が呼ばれた時から何一つ進展はない。時間だけが過ぎていき、午後10時を回っている。
 関係各所からの問い合わせに、小妻も疲労が色濃くなっていた。
 テストユーザーのところから端末を回収した諸岡久が戻ってきたのはちょうどそのころだった。
「諸岡。遅かったじゃないか」
 回収に向かってから9時間。テストユーザーは市内にいるというのに、それほど時間がかかるなど信じられない。小妻はここぞとばかりに不満をぶつけた。しかし、それを受ける諸岡は、いつものように縮こまるわけでもなく、ただ頷くばかりだ。
「おい。だから、俺の質問に答えろ。どうして、こんなに」
「遅くなったんだ」
 質問の最後を諸岡が横取りする。小妻の顔が見る見るうちに真っ赤に染まっていくのが見えた。なんてことをしてくれたのだ。常田の背中に冷汗が伝った。
「お前っ」
 フロア中に響く諸岡の怒声を予感して、常田は耳を押さえた。しかし、肝心の怒声はいつまでたってもやってこない。代わりにやってきたのは、何か大きなものが倒れる音と、フロアのほかのスタッフのざわめきだった。
「な、なんだ」
「おい、誰か、救急車呼べ」
「小妻主任が倒れたぞ」
 周りのスタッフの声で、常田は小妻が突然床に倒れた事実を知った。目をそらしていた小妻たちのほうを見ると、なるほど確かに小妻がいない。ヘッドフォンをした諸岡が携帯電話の画面を開いて目の前にいたはずの常田に対して見せていた。その画面に何が写っているのか、常田は知りたくなかった
「やっぱり」
「諸岡君……何したの?」
「あ、常田さん、出社してたんだ。ねぇ、常田さん。佐木敦って知ってる?」
 佐木敦。なんで、諸岡がその名前を知っているのか。常田の頭は目の前で起きている唐突な展開についていけなくなっていた。

 そして、そこから彼女がどこで何を行っていたのか、彼女自身にも確かな記憶がない。
 次にはっきりと意識を取り戻したとき、常田は会社の屋上に立っていた。落下防止柵を乗り越え、屋上の縁に裸足で立っている自分に気が付き、常田は慌てて後退りをしようとした。しかし、身体がいうことを聞いてくれない。
 ここから動くことを身体が許さない。
「ど、どうなってるのよ……」
 一歩先は空中だ。路上を歩く人々はとても小さい。常田の務める会社が入っているビルは12階建。ここから落ちたならば、到底助かることはないだろう。

 落ちる?
 常田は、例の悪夢を思い出した。これは、まるであの悪夢のような。

 眼下に広がる町の音と、風の音しか聞こえなかったはずの屋上で、騒がしい音楽が響き始める。それは、耳元で突然なっているかのようにも、足元から響いてきているかにも思える。
 エドワード・エルガーの「威風堂々」。
 常田歩美は直感した。これは、あの悪夢と同じ光景だ。だとすれば。
 嫌な予感は必ず当たる。彼女が小さい時から続いているジンクスだ。
 屋上の縁が歪み、白い靄のようなものが現れたかと思うと、それらは文字列になって彼女の眼前に上ってくる。
 漢字なのか、記号なのか、彼女が生きてきた25年間のなかで一度も見たことのない文字。いや、正確には悪夢の中だけでは見たことがある。

 いいや、それも正確ではないかもしれない。

 視界が文字列に浸食されていく様子を見ながら、常田は思い出していた。
 自分は、この光景に何度も出会っていることを。悪夢などではない。
 常田歩美は、この奇妙な光景を何度も体験しているのだ。
 そして、その結末をよく知っている。
 なぜ、今まで思い出せなかった。いったい何が起こっている。大量の疑問が沸き起こるも、それは一つの問題を前に消し飛んでしまう。
 このままでは、死ぬ。
 どうにか身体を後退させようとするが、まるで自分の体ではないかのように言うことをきかない。常田がどんなに叫ぼうとも、その声は音にならず、威風堂々の音量が大きくなるだけだった。
 そして。
 常田は何度目かわからない死への一歩を踏み出す。身体が宙に浮かび、重力に引きずられ、落下を始める。「威風堂々」が大きく鳴り響き、視界を埋める文字列が勢いを増す。
 エンドロールが盛り上がっていく。
 もはやどうしようもない。常田はこのまま12階下の地面に激突し、死ぬ。
 納得がいかない。何が、どうなって、こうなったのだ。
 プログラムのバグとは何だったのか、諸岡は小妻に何をしたのか、諸岡はなぜ、佐木のことを知っていたのか、私はなぜ飛び降りているのか、たった12時間の間に、何が起きたというのか。
なぜ何回も同じことが繰り返されるのか?
 エンドロールは疑問に答えない。ただ、決められた文字列を流し、常田の人生に幕を引く。
 理不尽だ。こんな理不尽が許されてたまるか。
 常田の視界に時計の文字盤が見える。時刻は11時59分。針が振れて12時ちょうどになる瞬間、常田は地面に衝突し

――――――――

 耳元で携帯電話が鳴り響く。寒い。
 常田歩美は自らを包んでいる布団の中から右手だけを外にだし、ベッドサイドに手を伸ばす。素早く布団の中に引き込んだが、携帯電話は既に鳴りやんでいる。
 着信の相手を確認する。小妻直史。常田が目覚める1時間前から何度も電話をかけてきたらしい。
 要件は、おそらく収益予測プログラムのことだろう。
「なんで……?」
 小妻からの電話の内容が収益予測プログラムのことだと、どうして思ったのか。
 その仕事はユーザーテストの段階に進んでいる。今のところ、良好な回答を得ているはずだ。なのに、どうしてそのことが頭をよぎったのか。
 常田は起き上がり、身体を包んでいた布団をよけた。
 そして、立ち上がり。
「威風堂々」
 どこか遠くで、聞き慣れたクラッシックが流れているような気がして、常田は思わず肩を抱いた。耳鳴りだろうか。だが、単なる耳鳴りにしては、なぜかとても怖い。
 時計を確認すると、まだ13時。出社までは4時間もある。
 もう一度、布団の中に戻ろうか。そう考えた常田を呼び止めるかのように携帯電話が鳴り始めた。嫌な予感はよく当たる。小妻直史からの電話だった。
 
 小妻からの一報を受け、慌てて出社をしたものの、オフィスは思っていた以上に静かだった。それもそのはず、今日は休日であるし、小妻のもとに入ってきた奇妙な事故報告については、まだ全社的に伝えられているわけではないらしい。
 収益予測アプリケーションの誤動作による意識消失。
 常田が所属するチームが開発を行っていたプログラムのテストユーザーが続けて三人、意識を失い救急車で搬送されたのだという。
 プログラムの開発を担当していた諸岡久が現場を回って状況確認を行っている。オフィスに残っている小妻は電話での情報収集に回っている。わざわざ電話で呼ばれた常田はといえば、プログラムに想定外のエラーがないか、デスクの端末でテストを繰り返すくらいしかやれることがない。
 開発チームにはいるものの、デザイン面での協力が主であり、プログラムの細かいことについては知らないのだ。画面上で適当な位置を設定し、収益予測を行い、画面上のエフェクトや予期せぬ動作が発生しないかを確認するくらいが関の山だ。
 それに。二時間近くテストを繰り返していても、このプログラムのどこに意識混濁の危険があるのかがまるでわからない。画面が激しく点滅するなどという要素もない。
「本当に、うちのプログラムが原因なの……?」
 ひとまず、諸岡が戻ってきてから事情を確認して、原因にあたりをつけるしかないだろう。常田がそのように結論付けたところで、頃合いを見計らったかのように携帯電話が鳴った。佐木敦。画面に表示されるその名前を見て、常田の表情はあからさまに曇ったに違いない。
 携帯電話の電源を切り、デスクの引き出しにしまいこんだ。
 今は彼と話したくない。おととい、常田の部屋を訪れた佐木の顔が思い浮かんだ。
――これ以上その仕事にかかわるべきじゃない。すぐ職場を離れるべきだ。
 まさか、今日のトラブルを予見しては……なんてね。あまりに都合がよすぎる。

 だが、常田のそんな思いとは裏腹に、目の前に立っている諸岡は、佐木敦の名前を口にしている。オフィスの時計は午後10時を回ったところだ。調査から戻ってきた諸岡が、携帯電話の画面を小妻に見せたところ、小妻が意識を失って倒れた。
 そして、諸岡は今、常田に対してその画面を見せながら、佐木敦の名前を口にした。
「常田さん。知らない? 佐木敦。ちょうど常田さんと同じくらいの年齢の男なんだけど」
「同い年の男の人はみんな知り合いなんて話、あるわけないでしょ」
「ああ、うん。そうだね」
「そんなことより、小妻さんに何をしたの」
 常田は諸岡が見せている携帯電話の画面を見つめた。そこに表示されているのは、常田が何時間もテストを繰り返した収益予測アプリケーションの画面である。これを見ただけで小妻直史が意識を落とす理由がない。仮に、意識を落とす原因があるのだとしても、どうして常田は意識を落としていないのか、説明が付かない。
「そこだよ。小妻さんはこれを見て倒れたのに、常田さんはこれを見て倒れない。だから、佐木敦のこと、知ってるんじゃないかなって思ってさ」
 意味がわからない。常田歩美は、目の前の同僚の話にまったくついていけなかった。真剣な目で話し続ける諸岡の言葉の一割も常田の耳には届かない。まるで、別世界の人間が目の前に立っているような感覚に襲われ、常田は気が遠くなるような気分に襲われた。

 否。本当に気が遠くなっていたのかもしれない。
 気が付けば、常田はビルの屋上に立っている。ビルの高さは12階。落下防止用の柵を乗り越え、常田は屋上の縁に乗っていた。あと一歩踏み出せば、地面に落下して死ぬ。
 諸岡との話ののちに何が起きてこうなったのか。なぜ自分が飛び降りようとしているのか皆目わからない。
 その代り、常田歩美は気が付いた。これと同じ体験を過去に何度もしていること。
 自分は何度も、この場所から飛び降り、死んでいるということに。
 屋上の縁から白い靄が現れ、文字列が浮かび上がる。眼前に流れる読むことのできない文字列の流れ。
 耳元で騒がしく鳴り響く、エドワード・エルガーの「威風堂々」。
 常田の意思とはかかわりなく、足を踏み出す彼女の身体。
 彼女の体は足先から地面へとあっという間に落ちていく。視界を覆う文字列が加速し、「威風堂々」がクライマックスに向けて速度を上げていく。

 人生の終わりを告げるエンドロール。
 それに包まれて、常田歩美の中に芽生えたのは怒りだった。
 どこの誰に対する怒りでもない。何度も体験しているはずのこの光景に、落ちる瞬間まで気が付かなかった自分に対する怒りだ。
 もし、もう一度、もう一度繰り返せるのであれば、次はもっと早く対策をとれたかもしれない。電話で起こされた時から、今までの約11時間。できることは、きっとあった。
 視界の中に時計が映り込む。時刻は11時59分。針が振れて12時ちょうどになる瞬間、常田は地面に衝

―――――――――

 鳴り響く携帯電話を無視して、常田歩美は布団から起き上がり、時計を確認した。午後1時。出社まであと4時間。彼女が死ぬまであと11時間。
「覚えている」
 携帯にかけてきているのは小妻直史。収益予測アプリケーションの異常の件で呼び出しをされている。今頃、オフィスでは諸岡が現地調査に向かう準備をしていて、病院に運ばれたテストユーザーは3人だ。
 常田は両腕を大きく前に伸ばし、両手を何度も握って開いた。身体の感覚はきちんとある。悪夢なのか、現実なのか、その区別はつかないが、少なくても、常田自身は自分が生きているように思える。
 そして、彼女は繰り返している。あの奇妙な自殺の現場までの11時間を。
「今度は死なない。死んでたまるものですか」

 小妻直史からの電話はことごとく無視して、常田歩美はゆっくりと昼食をとった。
もともと出社は5時からであるし、今慌てて出社したところで事態の説明を受けて、アプリケーションの動作チェックにいそしむことしかできない。午後10時を過ぎて諸岡がオフィスに戻ってくるまで、無為な時間を過ごすだけだとわかっていれば、わざわざ出社するのは時間の無駄だ。
ネットワークニュースや新聞、テレビの報道を一通り検索してみても、倒れたテストユーザーの話は出ていない。まだニュースにはなっていない……のか。
手元のメモに書き出した、覚えている限りの11時間の出来事を眺めてみても、結局、あのアプリケーションに何が起きたのかは全くわからない。
諸岡に聞いてようか。だが、オフィスに戻ってきた諸岡の様子を思い出すと、連絡を取るのもためらいがある。そもそも、小妻からの連絡を断っているなかで諸岡に連絡を入れるのもどうなのか。
そうだ。佐木。
諸岡は、常田が覚えている3回の繰り返しで、ずっと佐木敦のことを気にしていた。佐木敦のことを知っているか。なぜ、調査から戻ってきて早々その話がでるのか。
佐木敦は、常田の中学の同級生だ。卒業以降は連絡が途切れていて、互いに何をしているのか知らなかった。どういうわけか、4日前……今日を繰り返しているのだとしたら何日前になるのだろうか。ともかく、4日前に、彼は不意に現れた。何か、とても焦った様子で、常田が関わっている今の開発から離れるようにと話していた。
事情も全く話さない、佐木の言葉が唐突すぎて、受け入れることはできなかったが、ひょっとすると何かを知っているのかもしれない。
とにかく、10時間30分後には、再びビルから飛び降りているかもしれないのだ。やれることはやっておかなければ。
常田は、息を整え、佐木敦に連絡を取った。しかし、何度電話しても、通じない。
「んー。どうなってるの。結局、何が起きているのかが全くわからない」
 これでは、繰り返していることを覚えていたとしても、何の意味もない。常田がくじけて机に突っ伏しそうになったとき、リビングの固定電話が鳴った。まさか、携帯が出ないからって、固定電話にまで小妻が電話をかけてきたのだろうか。
「あ、常田さんですか。諸岡です。諸岡久。小妻主任が連絡付かないって言ってたんで、もしかして家かなって思ってかけてみたんですよ」
 恐る恐る受話器をとってみると、諸岡久からの電話だった。オフィスに戻ってきた時のように理解のできない雰囲気はない。
「あ、いや、まだ出社時間じゃないから電話の音切っていて」
「あーまあわかります。休日ですしね。それはそうと、ちょっと面倒なことが起きてて」
 諸岡は、電話先で収益予測アプリケーションにまつわるトラブルを説明した。
 ニュースには取り上げられてはいないが、意識を失ったテストユーザーは三人。会社のほうでも何が起きたのか詳細は押さえられていないが、利用者の家族や友人から、一報が入ったのだという。
「その、アプリケーションで意識を失うっていうの、よくわからないんだけど」
「ああ、それは小妻主任も同じこと言っていました。だから、僕が実際にアプリ使った機体の回収に出向いているんですよ」
「もう回収は済んだの?」
「まだです。一人目の家族とは連絡が付いたので、今そっちに向かっています。あ、それで、例のアプリなんですけど、常田さんは使ったことあるんですよね」
 それは、ある。何度も動かしたが、原因はわからなかった。そして常田歩美は何度も死んだのだ。
「ええっと、常田さんは社内の端末での利用のみですよね」
「そうだけど」
「あれ、テストユーザーに渡されるとき、どんな形で渡されていたか、知っています?」
「えっ、それはアプリケーションなんじゃないの」
「そうじゃなくて、テストユーザーに渡すときの記録媒体の話です」
 記録媒体。確か、CD-ROMに記録したものを交付したのではなかっただろうか。チームの誰かがそのような話をしていたような記憶がある。
「電話で聞いた限りだと、フラッシュメモリで渡しているみたいなんですよね。だから、もしかしたらウチの問題っていうより、フラッシュメモリの中身が改変されたとか、そういう話なのかもしれないなって」
 フラッシュメモリ? 常田の記憶と諸岡の話は食い違っている。
――そうだ。この前、死んだとき
 一回前に死んだとき、オフィスで諸岡は言っていなかったか。
配布されているプログラムはフラッシュメモリに入っていたんです。それをダウンロードしたのがこの画面。そして、常田さんは見ても大丈夫だけど、小妻主任は見ただけで意識を失った。重要なのは二つだ。フラッシュメモリで配布されていることと、常田さんは見ても大丈夫なこと。
そう、はじめに諸岡が佐木敦の名前を出したことに驚いてしまい、その後の話について、すっかり記憶から抜け落ちていた。
「なんで、フラッシュメモリなんかにデータを入れて」
「さあ? 修正しやすいとか誰かが考えたんじゃないですか。その感じだと、少なくても常田さんは知らなかったみたいですね。あ、すんません。テストユーザーの家に着いたんで、いったん切りますね」
 諸岡は一方的に通話を終了した。
 常田は受話器を片手にリビングで一人立ち尽くしていた。
彼女が飛び降りるまで約10時間。集まった情報は断片的で、いまだ何が起きているのかわからないままだ。

――――――――

 腕時計で時間を確認する。午後3時40分。小妻直史の小言交じりの状況説明につき合わされたため、思ったよりも時間を食ってしまった。
 諸岡久からの電話の後、常田歩美は慌てて身支度を済ませ出社した。彼女が何度も体験していた通り、オフィスには小妻直史以外の開発スタッフは来ていなかった。眉間にしわを寄せながらひっきりなしに電話をかけていた小妻は、常田の姿を見て、手が増えたことにほっとしたのかもしれない。延々と状況説明を行い、常田が電話に出なかったことをなじった。
 内に溜まった焦りを口に出して疲れたのか小妻がいったん落ち着いたその隙に、常田は開発フロアを離れ、営業部門のところへ顔を出していた。
「んーアプリケーションのユーザーテストねぇ。ウチの会社は、ネットワーク上で配布するか、CD-ROMで配布するね」
 営業部の社員に説明を聞きながら、常田はテストユーザーへのアプリケーション配布記録を検索した。リストの中にはフラッシュメモリでデータを配布したというものはない。
「その社内ルール、昔からなんですか」
「昔からだな。フラッシュメモリにいれて外部に渡したら、改造されるだろ」
「その辺は一応プロテクトを付けたり、使用許諾付けて改造には責任を負わないとかそういうことするだろうなと思って」
「それにしたって、外部ユーザーにフラッシュメモリでデータを渡すことは、うちの営業部だとないな。よそはともかく」
 なるほど。では、諸岡の言っていた、フラッシュメモリとはどういうことなのだろうか。整理のつかない頭で目の前のリストを眺めていると、コートのポケットの中で携帯電話が鳴った。諸岡からだ。
「あ、常田さん。諸岡です。今大丈夫ですか?」
 声の調子からは、様子がおかしくなった気配はない。常田はほっと胸をなでおろした。
「今、二人目のテストユーザーの友人という人のところに行ってきました。前の件も併せて、ユーザーが最後に使っていた端末と、プログラムを配布されてきたフラッシュメモリを受け取りました」
「中は見ていないのよね」
「ええ。指示通り、端末も動かしていないですし、フラッシュメモリも読み込んでないですよ。それで、どうしますこれから」
 諸岡は異常の起きたアプリケーションを確認し、佐木敦という名前を知り、何らかの原因で様子をおかしくした。そして、オフィスに戻ってきて小妻直史を昏倒させた。今、電話の先にいる諸岡は正常に思える。そして、問題のフラッシュメモリと端末を持っている。
「諸岡君。会社まで何分で戻れる?」
「え、もう一件のデータの回収をしてからだと……」
「それは後でいいわ。まず手元に回収できたものを持って、開発2部の片桐さんのところまで来て」
「ええっと、それは、小妻主任からの指示です?」
「違うけど、言わなくていい。彼は彼で別の調査をしていて忙しいから、あとでまとめて報告すればいいわ」
 なるべくややこしいことにはしたくなかった。何しろ常田には時間がない。諸岡から約30分で戻るという連絡をもらい、常田は営業部のテストユーザーリストとテスト実施リストの二つをプリントアウトした。

 午後4時30分。常田歩美はオフィスのロビーでコーヒーを飲んでだらけている同僚、片桐千夏を捕まえて、諸岡が持ってきた携帯電話とフラッシュメモリを彼女の目の前に並べていた。
「急ぎの用って、これのことか。そういえば、小妻が忙しそうにしていたものね」
 片桐は諸岡のたどたどしい状況報告を聞いて、なるほどと頷いた。
 アプリケーションのメンテナンスを行う部署であるはずの開発2部にはまだこの件についての連絡がいっていないらしい。
「まあ、ものが来ない限りそもそも何が起きているのかわからないし、それから連絡って考えていたんじゃない。うちの部署、そういうことでは怒らないし。それはそうと、これ、本当に諸岡君がもらってきたものなの?」
 片桐は目の前に置かれたフラッシュメモリをしげしげと見つめ、常田と同じ感想を口にした。
「そうですけど、別に僕、何もしてないですよ」
「何かしたなんて言っていないでしょ。常田さんはどう思う?」
 机の上に置かれたフラッシュメモリは、同系統、保存容量も同じ。フラッシュメモリに刻印されているロゴは常田たちの務める会社の物だ。つまり、このフラッシュメモリはまるでウチの会社がテストユーザーに対して渡すために使っているものに見える。けれども。
「こんなフラッシュメモリ、社内でも見たことないですよ」
 常田が答えを言う前に、諸岡がそう答えた。
「ええ。少なくても私が勤めてから、こういった形態の媒体を利用した記憶はない。なんだか根深い問題掘り出したんじゃないの、あなたたち」
 片桐は、常田と諸岡を軽く睨めつけ、フラッシュメモリを手持ちのノートパソコンにつなごうとした。常田は思わずフラッシュメモリを手にした片桐の右手をつかむ。
「片桐さん、待って」
「何よ。接続して中身見てみなきゃ、どうにもなんないでしょ」
 それは片桐の言う通りなのだが、なにより、このアプリケーションを開いてテストユーザーが3人も昏倒したのだ。うかつにアプリケーションを開くべきではない。
「あ、常田。私は別にアプリケーションを稼働させる気はないよ。まずは、ソースコード確認して、ウチの物なのかどうか、確かめてみようと思っているだけ。いきなりアプリ開いて意識落としたら世話ないじゃない」
 常田の心配など端から想定済みだと、片桐はノートパソコンを操作していく。やがてフラッシュメモリに記録されたプログラムのソースコードが表示される。
 片桐は、自分のパソコン内に記録されている元々のソースコードとフラッシュメモリ内のソースコードを並べて、検証を始める。
「あ、ソースコードの確認に関しては、ちょっと時間かかるよ、7時くらいにまた来なよ」
 片桐の目は既にノートパソコンに向いていて、常田と諸岡を見ていない。
 手持無沙汰になった諸岡が所在無く立ち尽くしているので、常田は彼の腕を引っ張り、ラウンジを出た。

 午後4時50分。常田は諸岡を連れて、諸岡がフラッシュメモリを回収に行くはずだったもう一つの現場に向かい、車を走らせていた。
「片桐さんはちょっと変わった人だけど、仕事はしっかりしている人だから、あんまり気を悪くしないの」
 片桐の対応に気分を害したらしい諸岡をなだめながら、常田はナビゲーションシステムの表示する時間を計算していた。
三つめの現場は会社から1時間程度。現場で昏倒した人の家族への対応をしたとしても午後8時には会社に戻ってこられるだろう。だが、以前に諸岡が帰ってきたのは午後10時だ。2時間のラグはどこで生まれたのか。
そもそも諸岡はどこであのアプリケーションを開いたのだろうか。尋ねてみようにも、今回の諸岡はまだアプリケーションを見ていない。
「僕だってわかっていますよ。片桐さんに頼んでなかったら、ぼくは不通にアプリ起動してたと思いますし、もしそれで昏倒なんてことがあったらシャレにならないですからね。まあ、うちのアプリでそんなこと、起きるとは思えないですけれど」
 だが、そもそもあのフラッシュメモリは常田たちの会社から提供した記録のないものなのだ。中に入っているデータがどのような出自のものなのか、誰にも予想ができない。諸岡も常田同様に不安を抱えているに違いない。

 三人目の家についたときには、午後6時を少し回っていた。スーパーマーケットの入り口で倒れた女性は、自らの両親と夫の四人で暮らしていた。妻が突然倒れたという報せを聞き、夫は病院に詰めたままだという。
 常田と諸岡が尋ねた家では、白髪交じりの父親と母親が、娘を襲った事態に混乱していた。事情を説明し、倒れた女性にフラッシュメモリが届けられたことはないか尋ねると、女性の使っていた部屋に通された。
「なんだこりゃ」
 部屋に入った途端、諸岡が妙な声をあげたのもうなずける。彼女の部屋には何台ものハードディスクドライブが並んでいた。そして、反対側の壁には、壁一面にメモが貼られていたのだから。
――午前10時  コンビニ○○
――午前11時  郵便局
――午後9時30 ???
 メモに書かれているのは、時間と場所。だが、それが何を示すのかは常田には全くわからなかった。
「娘が倒れたと聞いて、部屋に入ろうとしたら、そんな様子になっていて。一週間前に部屋に入った時にはそんなメモはなかったのに……」
 部屋の入り口で娘の様子を話す母親は、決して娘の部屋に入ろうとはしない。常田たちが部屋を見て回る様子をうかがうだけだ。
 やがて端末の一つにフラッシュメモリが刺さっているのを見つけ、諸岡がそれを回収した。ハードディスクドライブの電源が入っていなかったため、メモリのデータがどうなっているのか見ることはできなかったが、二人とも、部屋の異様さとフラッシュメモリの中身に対する不気味さから逃れるかのように女性の家を後にした。

「なんだったんですかね、あの壁のメモ」
 女性の家が全く見えなくなったころに、諸岡が口を開いた。
「あら、気にしてないかと思った。ハードディスクばかりみていたから」
「そりゃ、フラッシュメモリがあるとしたらそっちでしょと思って。でも、あのメモは嫌でも目に入りますよ。結局何書いてあったんです?」
「何って、時間と場所を書いたメモがたくさん貼ってあっただけで」
 時間と場所。口にしてみて、何かがひっかかった。その組み合わせを、常田はつい数時間前に目にしている。起きて、繰り返しに気が付いて、それで。
「まさか」
 常田は後部座席のほうを振り返り、視界がブラックアウトした。

 耳元で回っている放熱ファンの音が気になり、常田はうっすらと目を開けた。固く冷たい感触に、自分が床の上に転がっていることを伝えてくれる。
 さきほどまで車に乗っていたにも関わらず、どうして。
「大丈夫か。突然倒れて」
 常田の手をつかんで助け起こしたのは、片桐千夏だった。どうやら、ここは開発のオフィスらしい。状況がわからず周囲を見回す常田を片桐と諸岡が心配そうに見つめていた。
 壁にかかっている時計は午後9時を指している。3時間分、時間が飛んでいる。
「常田、大丈夫? 小妻だけじゃなく、あんたまで意識が戻らなかったらって思った」
 片桐は胸に手を当てて大きく息を吐いた。片桐が言うには、常田たちが三つめのフラッシュメモリを回収して会社に戻ってくる直前、小妻が、常田たちが一度会社に戻り、片桐にメモリの解析を依頼していたことに気が付いたのだという。
 常田たちが片桐の元を訪れる前に、小妻はアプリケーションを無理やり開き、そして、意識を失ったという。
「そのあとはもう救急車呼んでなんだと30分ほどごたついてね。その間にこっそり抜けてきたら、あんたたちがラボに来てるわ、常田は倒れてるわでもう何が何だか」
「常田さん、いきなり立ち止まってそのまま身体が崩れたから何が起きたかびっくりしたんですよ」
 諸岡や片桐の話をまとめると、常田は記憶のない3時間分、意識を失っていたわけでもなく活動をしていたことになる。だが、一切の記憶がない。それに、起きた時に死ぬ前の記憶を書きだしたとき、小妻が倒れたのは午後10時過ぎだったはずだ。
 未来が書き換わっている。そんなSF小説のような一言を思い浮かべ、常田は首を振った。
 未来は書き換わっていない。時間がずれただけで、小妻直史はアプリケーションを見て意識を失ったのだ。それはつまり、このままでは常田は再び死ぬということだ。
「それで、アプリの解析は終わったの?」
 本当は小妻の容態を聞くべきなのかもしれない。だが、常田にとっては、このまま放置していれば自分が死ぬという事実のほうが大切だった。意識を失った人たちが助かる方法は生き延びてからでも考えられる。
「ああ、それだけど、そのアプリケーション、似ているようで全く別物だね」
 片桐は、常田の発言を非難するわけでもなく、検査結果を答えた。アプリケーションは会社が作ったものではない。フラッシュメモリに入っているプログラムは、当社の開発したそれとよく似ているが全く違うものだという。
「まあ、見てもらうのが一番早いよ」
 片桐がノートパソコンに手をかけたのを見て、常田は思わず声をあげた。しかし、片桐は常田の静止を気にすることもない。
「だから何度も言っているじゃない。少なくても、私と諸岡はこのアプリケーション画面を見てもなんともなかった。小妻は倒れたけど、私たちは大丈夫だったのよ」
 片桐と諸岡は大丈夫だった。やはり、頭の整理が追いつかない。アプリケーションを使って昏倒した人間がいる一方で、何ともない人間がいる。どうして?

 どうして……
 その疑問に答えてくれるはずだった片桐と諸岡の姿は見えない。常田が立っているのは、つい先ほどまでのラボではなく、落下防止策を乗り越えた先、ビルの屋上の縁だった。
 突然状況が変わったことに慌てて危うく落ちそうになるところをこらえた。だが、縁から足を離すことができない。常田歩美はビルの屋上で、見えない力に身体を固定されている。腕時計を確認すると11時58分を指している。常田が地面に頭をぶつけて死ぬのは約二分後、まもなく常田の身体は落ちていくのだろう。
 聞き慣れてしまった「威風堂々」が鳴り響き、得体のしれない文字が足元から浮き上がってきている。
 ただ死を繰り返していた時よりも、情報はつかめた。それでも何も整理が付かなかった。常田はどうして死ななければならないのか。どうして今日を繰り返しているのか。何も答えが見つからないまま、常田の身体は宙に浮いた。
 そして


 鳴り響く携帯電話。常田歩美は布団から顔をだし、慣れた手つきで時計を確認した。午後1時。
ビルの屋上から飛び降り一日が巻戻る謎の現象。自分が飛び降り自殺をする一日を繰り返していることに気が付いてから、すでに5回目の昼だ。
 常田歩美が死ぬ一日は、小妻直史からの電話から始まる。小妻は、常田の務める会社の上司。彼は常田の所属する開発チームにより開発された収益予測アプリケーションの不具合を報せるために午後1時、6回目の電話をかけてくる。彼女はこの6回目の電話よりも早く決して目を覚まさない。この一日は小妻の電話を起点に始まる。
 収益予測アプリケーション、画面上で特定のポイントにおける収益をシミュレーションするに過ぎないそれは、テストユーザーを昏倒させるという不可解な事故を惹き起こしたという。もっとも、常田の同僚、諸岡久が事故現場で回収するアプリケーションは、収益予測アプリケーションとよく似た全くの別物だ。まるで常田たちの務める会社で作成したかのような見た目のフラッシュメモリに記録されているが、そもそもフラッシュメモリでテストユーザーに渡す運用は車内にはない。
 つまり、媒体からしてよく似た別物というわけだ。
だが、このことに気が付くのは実際に回収作業に回った諸岡久のみ。しかも、諸岡久は三つのフラッシュメモリを回収して会社に戻ってくるころには、アプリケーションへの疑念、そして佐木敦という人物のことであたまがいっぱいであり、事情を聴くことができない。
常田は5回の繰り返しのうち3回諸岡と共にフラッシュメモリを回収に回った。回収中の諸岡久はいつもの気のいい同僚のままであるし、佐木敦と出会うこともない。諸岡は常田が同行していない何処かで佐木敦に出会い、アプリケーションへの疑念を持つということになる。
「だめだ、全然わからない」
小妻直史の電話を無視して、自宅のリビングでこの“5日間”の体験をまとめ、常田は机に突っ伏した。まだ、諸岡からの電話はない。起きてすぐ諸岡に一件目の回収について、できる限り事情を確認してきてほしいという指示をしたのが効いているからだろう。指示をしなければ、諸岡はフラッシュメモリの件について不思議に思う程度の事情しか聴かずに件目の現場へと移動する。
諸岡が二件目以降の回収に向かう前に、前回までの情報を整理し、この奇妙な状況を打開し、昏倒事件と自らの自殺の解決策を探しあるための手がかりがほしい。そう思ったのだが、どうにも進展はない。
佐木敦とは“今日”も連絡はつかない。“4日”前に現れた彼がなにを伝えたかったのか、あのとき、もっと聞いておけばよかった。いくら考えたところでこの繰り返しは4日前には戻らない。
リビングの壁掛け時計は2時20分を指している。もう“今回”は10時間もない。それに、繰り返しの中で、常田の記憶は唐突に途切れてしまう。なぜそうなるのか、何が引き金化はわからない。まるで、映画の場面転換のように、常田歩美の一日の断片が切り取られ消えていくのだ。それを考慮すれば、10時間どころか5、6時間程度しかないかもしれない。
また死ななければならないのか……しかも、必ず繰り返すとは保証されていない。
一通りの疑問や情報を書き連ねて手詰まりになったノートの書きおこしを見つめ、暗い気持ちが押し寄せた。意識が落ちそうになり、視界が狭く暗くなっていく。
「あれ……この感じ、どこかで見たような……」
 そう。昏倒した3人目のテストユーザー、彼女の部屋の壁には何が貼られていたか。
 時間と、場所。
 彼女の親は一週間前に部屋に入った時はそのようなメモはなかったと言っていた。
「まさか」
 10分後、慌てて着替え、カバンにノートを突っ込んだころには、先ほどまでの昏い気持ちは吹き飛んでいた。

 昏倒した3人のテストユーザーのうちの一人、山本友子の部屋の壁には何枚ものメモが貼られている。
 初めに部屋に入った時、そのメモの異様さと書かれている内容に目が行ってしまい、またフラッシュメモリの回収を目的としていたために、その意味を考えなかった。
 いや、まさか自分と同じ体験をしている人間がいるなんて可能性、ノートに書き記した自分の行動を見直すまで思いもよらなかったのだ。
だが、今は違う。そういう視点でみれば、山本友子が壁中に貼り付けたメモの意味が見えてくる。これはシミュレーションの結果だ。
時間と場所だけが書かれたメモばかりなのは、彼女に残された時間が少ないからだろう。壁全体を眺めると左から右に向かって時系列が流れているのが見えてくる。左端のメモは午前9時。右端のメモは午後9時30分。その間に同じ時間は無い。つまり、彼女が繰り返しているのは午前9時から午後9時30までの12時間だ。

常田たちと小妻直史、そして事故報告のあった3人のテストユーザーとの違いは何か。
書き出したところで巻戻れば白紙に戻る。それでも、ノートに疑問点を書き連ね、常田は考えることをやめられなかった。
午前11時から午後13時前後までの行動メモはあるが、そこから一気に午後8時まで時間が飛ぶ。おそらく、彼女は11時から13時までの間のどこかでアプリケーションによって意識を失った。そして、午後8時、病室で目覚め、午後9時30分の段階で何らかの理由によって12時間時間を遡る。
 朝起きてからの数時間、彼女は活動場所や行動を何度も変えたのだろう。分岐したメモが上下に広がっているのはそのためだ。しかし、どうしても最後のコンビニにたどり着いてしまう。彼女が昏倒したのはこの家から50メートルほど離れたところにあるコンビニエンスストアだ。外出すれば必ずといっていいほど前を通るだろう。
「でも、なんでアプリケーションをとりだすの」
 彼女が避けるべきは昏倒することだろう。それを避けるために一番良いのは配られたアプリケーションを見ないことだ。見なければ昏倒しないのだから。
「いや、違う。諸岡君と片桐さんは見ても昏倒しなかった。それに、私も」
 常田はアプリケーションを実際に見た後ビルから飛び降りてしまうのであり、テストユーザーたちのように昏倒し病院に送られるわけではない。
 常田たちとテストユーザーは何が違う?
 常田は山本友子の部屋のパソコンを起動し、フラッシュメモリの中のデータを覗いた。ソースコードを見せられても実際にどう動くプログラムなのかわからない。一番はやいのはアプリケーションを開いてみることだ。
思い切ってアプリケーションを起動する。もうすでに何度も見ている収益予測アプリケーションの起動画面が表示され、山本友子の家周辺の地図が表示された。
ここまでは常田たちが開発したソフトと全く変わらない。ここから、収益予測を立てたい箇所やそこで行いたい事業を入力し、シミュレートが始まる。
「あれ、設定表示がない」
 実際に動かそうとして初めて、片桐が全く違うアプリだと言っていた意味が分かった。このアプリケーションには肝心の予測をするための基礎情報を入力する機能がないのだ。
「待ってよ、じゃあ、このアプリは何を予測しているの」
操作できるのは地図の縮尺とアプリ開始、終了のみ。このアプリケーションは起動したときからユーザーの意思にかかわらず、どこかの何かの情報を収集し、何かを予測し続けている。画面上の地図の一角に赤い点が灯った。ここ、山本友子の家から500メートル先。赤い点は地図の情報に三次元的に伸びていき、円柱上の表示になる。そして、赤い柱から同心円状に赤が広がる。おおよそ50メートルの範囲に広がった赤は、そこで動きを止める。
 カーソルを合わせてみると、時刻が表示された16:55。今からちょうど15分後だ。その時間に、発生する何かをこのアプリケーションは予測した。
 常田は自分の携帯電話をパソコンにつなぎ、アプリケーションのダウンロードをした。フラッシュメモリと携帯をコートのポケットに入れて、山本友子の部屋を出る。

 15分後、常田はアプリが予測した交差点の前に立っていた。交差点の端で携帯を片手に周囲の様子をうかがっている常田以外に、交差点には人も車もいない。何かが起きる気配など微塵もなかった。だが、携帯に表示されたアプリケーションはこの位置を指して赤く点滅し続けている。ご丁寧に“danger”というステータスが表示されている。
「あれ、このアイコン」
 “danger”という表記の横にカメラのアイコンが表示されていた。触れてみると、アプリケーションがカメラモードに切り替わる。何気なくカメラのレンズを交差点の中央に向けてみる。交差点には何もない。だが、カメラの画面には白いワイヤーのようなものが何本も表示されていた。カメラの調子がわるいのだろうか。何度も見比べてみるが、やはり交差点の上には何も見えない。
それとも、これがこのアプリの機能なのか。拡張現実機能というわけだ。だが、このワイヤーはいったいなんなのだろう。
 常田は画面に表示されているワイヤーのなかの一本、自分の後ろに向かって伸びているそれを追いかけた。ちょうど自分の頭上を通っているらしい、一本のワイヤー。
 そして彼女の後ろに浮かぶ、白い、白。

 自分が何を見たのか理解できないまま、気が付けば常田は宙に浮いていた。身体を動かそうにも、自由になるのは首と左手だけ。おそるおそる下を見ると、さきほどまで立っていた交差点がとても小さく見えた。それに、全体的に暗い。まるですでに夜であるかのように。
 耳元では小さく「威風堂々」が聞こえている。そして、常田の目の前にはすっかりおなじみとなった白い文字が浮かび上がっていた。
 時計を確認したい。左手を顔の前まで持ってくると、11時58分を指している。
 交差点でアプリケーションにしか映らないワイヤーを辿ったところまでは覚えている。ワイヤーの先にあったものがなんであったのか、よくわからない。何かがあった。
おそらく、それは今彼女を宙に浮かせているものであり、目の前に浮かぶ白い文字と同じ性質のものだ。彼女は、それを見たからここで宙に浮いているのだ。

 そうだとしたら、テストユーザーが意識を失ったのは、山本友子が意識を失うにも関わらず、アプリケーションを開いたのは。
 思考を巡らそうとする彼女を邪魔するかのように「威風堂々」の音量が大きくなる。そして、身体を支えていた妙な力が不意に途切れ、常田は空中に投げ出された。交差点へと落ちていく中で、彼女は空中に向かって、左手に持った携帯を掲げた。
 ほんの一瞬、画面に映ったのは、宙に浮かんだ人の上半身。

――――

 痛い。痛みが意識を呼び戻し、自分の身体がまだそこにあることを認識させる。右腕、右手、左手、両足、背中。幸いなことに身体はバラバラになっていないようだが、視界は闇に閉ざされている。体勢を変えようと動いてみて、自分が椅子に縛り付けられているらしいことに気が付いた。
 どういうことだ。時間を確認したい。声を上げようと口を開けたが、声の代わりにひゅぅと掠れた音が響いただけだった。
 何が起きているのか、ここはどこなのか、何時なのか。
 必死に直前の記憶を思い出す。何回も一日を繰り返しているうちに、自分と同じように一日を繰り返している人がいることに気が付いた。すべてあのアプリケーションのおかげだ。私は、あれを用いて繰り返しの原因を突き止めようと足掻いた……はずだ。
 背後に何かの気配が現れる。それ”は、私の髪を掴み、頭を後ろにのけぞらせた。冷たく固い何かが首元に触れた。
 殺される? どうして? そんな結末、私は見たことがない。
――結末は一度だけしか見られないから結末なんだ。
 名前も知らない数日前に一度だけ会った男。その男が別れ際に呟いた一言が再生された。彼と会った翌日、私の元にあのフラッシュメモリが届いた。
 彼は、私が繰り返しに巻き込まれること、そして、この結末を迎えることを知っていたのだろうか。
 耳元では曲名もわからないクラッシックが流れている。今まで闇に閉ざされていた視界に、ゆっくりと文字が流れ始める。まるで映画のエンドロールだ。
>Would you like to continue ?
 エンドロールの中に混ざりこんだその文字列に、私は頷こうとした。しかし、背後にいる何かがそれを許さない。私を救うかもしれない文字列は視界から消えていく。
>You only live once. The good end.
 最期の文字列が視界から消えると同時に、首筋にあたっていた固い何かが力強く私の首に食い込んだ。
耳障りな音が響き、終幕。
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プロフィール
HN:
若草八雲
年齢:
37
性別:
非公開
誕生日:
1986/09/15
職業:
××××
趣味:
読書とか創作とか
自己紹介:
色んなところで見かける人もいるかもしれませんがあまり気にせず。
ブログとか作ってみたけれど続くかどうかがわからないので、暇な人だけ見ればいいような。
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