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作成した小説を保管・公開しているブログです。 現在は連作短編が二篇の他,短編小説,エッセイの類を掲載しています。 連作小説の更新ペースは随時。二か月に三回を最低ラインとして目指しています。
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エンドロール(後篇)
エンドロール後篇です。
前・中・後にわければよかったなあと思う程度に分量間違えました。
これで、短編エンドロールは終わりです。

前篇はこちら→エンドロール(前篇)


ーーーーーーーーーー




 ベッドから飛び起きて、鳴り響く携帯電話を壁に投げつけた。鈍い音がして携帯が止まったところで、常田歩美は我に返った。
 寝間着が汗でぐっしょりと濡れていた。ひどく頭が痛い。時計を確認すると午後1時。
 今回もまた巻き戻った。どうにか生きることを許されたらしい。
「なんなの、あれ」
 山本友子の家で手に入れたフラッシュメモリ。その中に含まれていた問題のアプリケーション。それは、目には見えない何かの出現を予測するものだった。常田は交差点に現れた謎のワイヤーを見つけ、そして、そのワイヤーを操る何かに宙づりにされ、落とされた。
 今までの繰り返しと違う。威風堂々が流れ、エンドロールのような白い文字列が現れたことは同じだが、彼女はビルの屋上ではなく、足場も何もない空中から交差点へと落下した。
 それに、目が覚める前に見た夢の光景がちらついた。
「あなたの人生は一度きり。よい最期を?」
 読むことができないはずのエンドロールに判読可能な英文が紛れ込んでいた。あれは、常田自身の記憶ではない。いつもと違う死に方、巻戻る前の悪夢。変化のカギは、あのフラッシュメモリ内のアプリケーションだ。
 拡張現実を見せる機能かと思ったが、おそらく違う。単なる拡張現実の効果で人間が宙に浮くわけがない。
「そんなこと」
 あるわけない。今の常田はそう言い切ることができない。現実に同じ一日を繰り返しているのだ。常識から外れた何かがそこにいたとしても不思議ではない。
 変化のカギがあのアプリケーションになるならば、打開策もそこにある。1時15分。確か、まだ諸岡は一件目の現場に行く途中だったはずだ。

 一件目の現場はマンションの5階だった。昏倒したテストユーザーは芳野朗という20代の青年だ。部屋を訪ねると、同棲相手の大学生――ミカとなのった――が応答した。
 ミカの話によれば、芳野は昨晩から様子がおかしく奇妙な言動を繰り返し、今日の朝方、携帯電話の画面を見て何かつぶやいたかと思うと、倒れこんだのだという。
「これがその携帯ですか」
 諸岡はミカの話におびえたのか、芳野の携帯を何か汚いものでも触るかのように摘みあげた。
「そう。アキラ君が見ていたアプリケーション、あなたたちの会社のロゴが付いていたから、もしかして、これを見ていて何かあったのかなと思って、電話したの。別に、謝ってとかそういう話じゃないんです。ただ、会社の人なら何が起きたのかわかるかなって思って」
 そう話すミカの手は小さく震えている。
「これがウチのアプリだってわかったのは、なるほどこのアイコンを見てですね」
 諸岡は携帯の画面に表示されたアプリケーションのアイコンを常田に見せた。確かに、常田たちの会社のロゴだ。
「原因については、こちらでも調査します。調査にあたって、もう少しお話を聞かせていただけないでしょうか」
 そう持ちかけてみれば、ミカは何のためらいもなくうなずく。彼女が何を不安に思っているのか明確にはわからないが、少なくても彼女はこちらの調査に協力してくれる。なのに、諸岡がまともな情報を持っていなかったのはおそらくアプリケーションで昏倒するという話に現実味がなかったからだ。
「芳野さんの携帯に入っているアプリケーションは確かにミカさんの言う通り、当社のアプリケーションのように見えます。ですが、このアプリケーションはテスト段階なんです」
「テスト段階?」
「ええ。昨日に不具合がでるという話がしたいのではありません。私は、芳野さんがこのアプリをどこで手に入れたのか、ミカさんは何か知らないかということなんです」
「え、アプリってダウンロードでとってきたんじゃ」
「いいえ、このアプリケーションはまだ本稼働しているものではなくて、一般のユーザーの方に当社からお願いをして特別にテストをしていただいています」
「それなら、アキラ君にあなたたちの会社から送られてきたんですね」
「ところが、当社のテストユーザーリストには芳野朗さんはいない。配った記録が残っていないのです」
「え、そうなんですか?」
 ミカではなく諸岡が驚く。諸岡は連絡を受けて現場を回っているだけで、事前情報の下調べはしなかったらしい。まったく、肝心なところで抜けている同期である。
「そんな。あ、でも1週間くらい前かな、アキラ君のところにあなたたちの会社の人が、システム開発部の人だったと思うけど、名刺があったはず」
 ミカが芳野の部屋に消えていく。彼女が芳野の机をあさっている音が聞こえ始めた途端、諸岡は耳元で小さくささやいた。
「常田さん、もうテストユーザーのリスト見たんですか」
「諸岡君に電話した後に、営業に尋ねてみたの。ところで、このアプリ、本当にウチのものなの」
「それは、どうなんでしょう。でも今、ウチの人間が来たって話でしたよね」
「システム開発部の人間がわざわざテストユーザーのところにはこないでしょ。」
 それに、フラッシュメモリの中のアプリケーションは全くの別物なのだ。常田は机に置かれた芳野の携帯を手に取り、件のアプリを稼働させる。表示されたのは山本友子のパソコンに入っていたアプリと同じ地図だ。画面のどこを探しても収益予測用の設定画面がない。
「常田さん勝手に動かしちゃまずいですって……ん? このアプリってこんな画面でしたっけ」
 常田の背中越しに画面を覗き込んだ諸岡が画面の端を指さした。
「予測値って確か地図の色分けで出るんですよね。こんな点みたいな表示ありましたっけ」
 彼の示す場所には赤い点が明滅している。点を画面の中央に表示されるように地図の位置を動かしてみる。明滅が止まり、赤い点が情報に伸びて円柱状になっていく。
「これ、ウチのソフトと違いますね。この前テスト開始って話をしたとき、こんな画面なかったでしょ」
 諸岡もようやく不自然さに気が付いたようだ。ミカとともに、芳野のもとに来たというシステム開発部の人間の名刺を探すと芳野の部屋に入っていった。
 その間にも円柱は伸びていき、そして地図の周囲に同心円状に赤いエリアを広げ始めている。ステータスに表示される“danger”。時刻は14:50。あと10分少々でこの位置に何かが現れる。
 幸い距離は離れているうえに、ベランダから捉えられる位置だ。ベランダを開けて芳野の携帯を赤い点が表示されている位置に向ける。前回交差点でカメラを向けた時と同じようにカメラのアイコンが表示された。
 アイコンを押す指が震える。そこにはいったい何が映るのか
 前回の交差点での出来事を思い出す。またあの時のように突然この一日が終わるかもしれない。
「You only live once. The good end.」
 起きる前にみた光景を思い出す。繰り返しに気が付いてから、死ぬのは怖かったが、また巻戻るから大丈夫とどこかで思っていたのは確かだ。だが、あの夢は、常田のみに起きている繰り返しが死によって終わることを予感させるものだった。
 怖い。
 アイコンを押せずに戸惑っていると、ミカと諸岡がリビングルームに戻ってきた。
「常田さん、名刺ありました。あと、アプリケーションの入ったフラッシュメモリです」
 声をかけられて芳野の携帯を思わずコートの中に隠してしまう。
「ええっと、システム開発部、佐木敦」
 ミカに渡された名刺は確かに常田たちの会社の名刺だった。だが、そこに書かれた名前は常田の同級生佐木敦のものである。
「この佐木、という方が芳野さんにフラッシュメモリを届けにきたんですね」
「ええ。そうです。そういえば……常田さんってもしかして常田アユミさんですか」
「えっ? ええ、そうですが」
「その佐木さんという方が、アキラくんにメモリを渡したときに話していたんです。不具合があればトコダアユミさんに尋ねるといいって。解決策を見つけてくると話していました」
 何を言われているのか全く分からなかった。佐木は名刺を偽造し、この奇妙なアプリケーションを芳野朗に手渡し、何かあったら常田に聞けと言い残していったのだ。
常田が初めにしたように何もわからず会社に出社していたら、おそらく諸岡だけがこの話を聞いたのだろう。だから、諸岡は彼女に対して佐木敦の名前を挙げたのだ。
 だが、いったいなぜ。佐木はこの状況の何を知って何を求めて動き回っていたというのか。
「あの、常田さん?」
 独り混乱し、深刻な表情でもしていたのだろう。諸岡が首を傾げていた。
「ああ、何? 佐木のこと?」
「いや、そうじゃなくて、さっきから鳴っているこの音、なんでしょう。携帯の音ですかね」
 言われて初めてコートの中で電子音が響いていることに気が付いた。芳野の携帯だ。ポケットから取り出して画面を見ると、アプリケーションが警告を発している。
 携帯画面の時刻は14:49。地図上の赤い点は先ほどのままだが、同心円状に広がっていた赤いエリアは一方向に鋭く伸びた形に変形し、そして、芳野朗の部屋を包んでいた。
 “danger”というステータスが明滅している。何かが来る?
 ミカの悲鳴が聞こえ、常田は窓の外を振り返った。巨大な何かがベランダを突き抜け、窓をたたき割り、常田たちは部屋の奥へと吹き飛ばされた。何が来たのかわからないまま、常田は床に身体を叩き付け、意識を失った。

 意識を失っていたのはほんの数分程度。しかし、目の前に広がるのは全く別の光景だった。
 部屋の窓ガラスは全て割れ、何か大きなものが部屋に突き刺さっている。触れてみてそれが鉄筋であり、また常田たちを襲った衝撃の原因だとわかった。何が起きたのか正確なことはわからないが、どこからかこの鉄筋が部屋に突っ込んできたというわけだ。
 アプリケーションは目に見えないものを察知するものだと思っていたが、物理的な脅威が目の前に現れたことで、常田は冷静さを取り戻し始めていた。
諸岡とミカの様子を確かめると、彼らはとっさに玄関のほうに飛びのいたため、軽傷ですんでいた。常田自身は直撃を受けたように思ったが、不思議なことに大きなけがはなかった。
アプリケーションがまだ芳野の部屋を危険区域として表示していることを確認し、可能な限り早く逃げることと、後始末を諸岡に任せ、常田は一足先にマンションを出た。
 地図を見ながら赤いエリアから逃れ、先ほど手に入れた佐木敦の名刺に書かれた番号に電話をかける。
「はい、佐木です」
 何度連絡を取っても電話に出ることのなかった佐木敦の声だ。
「佐木君? どういうことなの。説明して」
「……常田か。この電話番号、やっぱり君はあのまま会社に残ったんだね」
 暗くこもったような声。後ろでは電車のホームの音が微かに聞こえている。
「会社に残ったうえに、芳野の電話番号から電話をかけている君なら、たぶん聞きたいことが山ほどあるのだと思う」
「それ、どういう意味。佐木君、何を知っているの」
「何も知らないよ。僕は何も知らないんだ。ただ、君が芳野の携帯電話から連絡をしたときは、君にとってももう後戻りのできない段階にきている。説明しようにも僕もよくわかっていないから説明ができないし、君を困惑させるだけかもしれない。
 けれど、忘れないで。君の人生は一度だけ。そして、その終末も一度だけなんだ。奴の甘言に乗ってはいけない」
 その言葉は、あの夢で聞いた言葉と同じ。
「お願い、佐木君。どこかで会って話せないかな。君が配ったフラッシュメモリのこと」
「残念だけど、それはできない。僕にもそれほど時間はない。あのアプリを使えるなら、それで逃げ切るんだ」 
 ホームの音が大きくなり、佐木の電話はぷつりと途切れる。
「佐木君は何かを知っていた。後戻りができないってどういうこと」
 芳野の携帯が震える。また赤い点が現れたことを伝える警告だ。現れたのは50メートルほど後方。あの点は常田を追いかけてきている。後戻りができないというのは、このことか。
 アプリケーションを見ながら逃げ続けるか、目に見えない何かの正体を確かめるか、どちらもしないで待っていたら、死ぬ。
 常田は目の前を通り過ぎるタクシーを止め、乗り込んだ。まずは会社に戻ろう。アプリケーションについて少しでもわかる人間がほしい、そう思った。
 会社の住所を告げると、タクシーは常田の歩いてきた方向へと走り出した。
「待って、どうしてそっちに」
「どうしてって、その住所ならこちらを通ったほうが近いですよ」
 運転手が後ろに視線を投げたのと、突然対向車線からトラックが突っ込んでくるのはほぼ同時。タクシーは衝撃とともにひしゃげ、常田の体は車体に押しつぶされた。右手に持っていた芳野の携帯も折れる。そして。一瞬、目の前に白い文字列が流れたような気がした。

 気が付けばベッドの上で息を切らしていた。午後1時。常田歩美は自分の部屋に戻っていた。つまり、あの事故で前回の常田歩美は死んだのだ。まだ時間的猶予があると思っていたが、不運にも事故に巻き込まれ、いつもより早く“死んだ”というわけだ。
 いいや、あれは不運じゃない。“死ぬ”直前に白い文字列が見えた。それに、あの赤い点。常田がアプリケーションを起動し、赤い点を映したことを知り、あの赤い点が示す何かが彼女を追ってきたのだ。
「アプリを手にしたら追われる。けれども、手にしなければ必ず死ぬ」
 異変の原因を知らず死を繰り返すか、異変の原因を探ろうとして死ぬか。提示された選択肢は二つというわけだ。どちらを掴んでも、彼女はこの繰り返しから出ることができない。
 何度繰り返しても彼女を突き動かしていた力が抜けて、常田はベッドの上に倒れこんだ。
 考えがまとまらない。どうしてよいかわからない。かかってくる電話も、何もかもから耳を塞ぎ、常田はベッドの上でうずくまった。
今度は動かない。もう動かないからどうにか見逃してほしい。
だが、そうした抵抗もむなしく、午後9時を過ぎたころには意識を失い、気が付けばビルの屋上に立っている。
足元からエンドロールが流れ始める。心なしか、流れている文字が判読できるような気がした。数字、漢字、アルファベット。以前には見られなかった文字が浮かぶ。
エンドロールが判読できるようになってきている。
――その終末も一度だけなんだ。奴の甘言に乗ってはいけない
思い出すのは繰り返していた時のどんな風景でもなく、佐木敦の言葉だった。奴の甘言に乗ってはいけない。奴とは誰だ。そして、甘言とはなんだ。

>You only live once. The good end.

 良き終末。繰り返しから解放されるのなら、それは良き終末かもしれない。だが、本当にこれが良い選択だというのだろうか。幾度も同じ一日を繰り返し、足掻こうとすれば悉く阻まれる、そんな終末が良かったなどと誰が思うものか。消えかけていた怒りが再び膨らんだ。
 耳元でなる威風堂々が常田を追い立てる。彼女に飛べと圧力をかけている。だが、常田は背後にいる“何か”にむかって振り返った。彼女を繰り返しの中に追い込んで、彼女を殺し続ける“何か”、その正体を見るために。
しかし、常田はそれと向き合う前にそれに背中を押された。足場を失い、空中へと身体が放り投げられる。それでも、彼女は諦めなかった。ビルから落ちるその一瞬、彼女は“それ”を確かに見た。
 宙に浮いた人間の上半身。まるでギリシアの彫刻のように白く、力強い。両手を前に突き出して、それは真っ白な眼で常田を見つめていた。彼女の体とそれは細く白いワイヤーでつながっている。ワイヤーを掴んで一緒に引きずり落とそうとしたが、ワイヤーは彼女の手からするりと抜けて、屋上へ巻き上げられていく。
 常田だけが地面へと落ちていく。常田歩美だけが落ちて、死ぬ。

 そして、時間は巻き戻る。



 ノイズ。数秒間のノイズの後、マイクが風の音を拾う。雑音。そして、カメラに彼女の目が映る。カメラの位置を合わせながら、彼女は話し始める。
「それは目視することができない。私たちは見えないもの、感じ取れないものの存在を認めることは難しい。けれども、感じ取れないことと存在しないことは同じではない。私たちが感じ取れないとしても、そこに確かに存在する、そういうモノもある。
そして、その存在は、感じとれてしまった不運な何人かの言葉で語られる。誰にも信じられないかもしれなくても、彼らは語らずにはいられなかったのだろう。
私も、その一人。私は、それを見た。どうか、話だけでもいいから聞いてほしい。
それは、私を含め何人かの人間をこの奇妙な現象に巻き込んだのだ。
 私は、今日の午後1時から午後12時までの間を延々と繰り返している。
 午後1時に電話を受け、目が覚める。そこから私たち××××の××××の××××」

 数分にもわたるノイズ。

 ノイズが解消されると、画面には一人の女性が映し出された。灰色のダッフルコートに身を包んだ彼女がいるのはビルの屋上だ。動画の初めから彼女が話し続けていたのだろう。彼女は鋭くカメラを睨み付け、彼女を時間の繰り返しに捕えているという何者かについて話を続けている。
 まったくひどい出来だ。その何者かは、彼女以外にも最低三名の人間を時間の繰り返しに巻き込み、そして、殺しているのだという。名前をあげていた部分はノイズで掻き消えているからわからない。
 おそらく、劇中でそこは明らかにするということなのだろう。
「私は、奴から逃れることができない。けれど、誰にも知られず、奴がこうして殺人を繰り返していることを、私たちの死をもてあそんでいること、私はそれが許せない。」
 許せないといったところで、彼女は午後1時から午後12時の時間から出ることはできず、必ず死ぬというのだから、どうしようもないではないか。
「だから、今から奴の姿を皆さんに明かす。そして、奴を見つけるためのツールをあげる」
 女性はカメラの前に携帯電話を掲げた。電話の画面に映っているのは地図だろうか。
「このアプリは、奴が出現する場所を予測する。それだけじゃない。このアプリを通して撮影すれば、そこには奴の姿が映る」
 なるほど、拡張現実というわけか。しかし、拡張現実は現実の存在を殺すことができない。「現実味がない。そう思った人もいるかもしれない。だから、私は奴の姿をここに明かす。この映像はすべて私が皆さんにあげるアプリケーションで撮影している。まもなく、奴がここにあらわれる。誰でもいい。奴を見つけて。そして、私たちの代わりに解決策を探してほしい」
 女性はカメラに背を向けて歩いていく。小さく聞こえているBGMは、エルガーの威風堂々か。女性が屋上の柵を越える。どうやらビルから飛び降りるということらしい。
「ん? これか」
 いつから表示されていたのか今一つわからない。カメラの後方から女性に向けて何本かの白いワイヤーが伸びている。そして、画面の情報から突然腕のようなものが現れた。
 気味が悪くて、思わずのけぞってしまう。
 腕はどうやらワイヤーとつながっているらしく、というより腕とワイヤーは一体のものらしい。腕がワイヤーをつたって女性のほうへと向かっていくと、カメラの後ろからつながっていたはずのワイヤーが消えていく。
 ワイヤーを巻き取って腕が徐々に太くなっていくにつれて、実はワイヤーはあちらこちらから伸びていたことが鮮明になる。四方から集まってくるワイヤーが徐々に人間の上半身を形作る。女性がビルのふちに立つころには、転落防止用の柵に真っ白な男の上半身が貼りついていた。
 男は腕のチカラだけで自分の体を持ち上げ、柵を乗り越えようとしていた。女性はまだ背後の男の姿に気が付いていない。いや、気が付いていても振り向かないだけなのか。
 女性はまだビルには落ちない。威風堂々は徐々に大きく鳴り響き始めたが、先ほどから風の音が入る。まるで本当にビルの屋上で音楽を鳴らしているかのようだ。妙なところだけよくできている。
 女性の両側から白い文字が浮き出してくる。ビルの縁いっぱいに広がり下から上空に流れていくそれは、何かを書き記したもののようだが、カメラの位置からでは遠すぎて見えない。まるで映画のエンドロールのような光景だ。
「まさか、あそこに公式ページのURLが表示されて、女性が落ちて終わりとかか?」
 上半身だけの男が転落防止柵の上まで上り詰めた。その瞬間、女性が振り向いた。女性の顔は男の上半身に隠れて見えないが、身体の動きでそれがわかる。
 威風堂々のせいで聞こえないが、彼女は何かを叫んでいた。そして、大きく縁を蹴って、落ちた。
 フェンスにつかまっていた男の右手から凄まじいスピードでワイヤーが伸びていく。何が起きているのか理解ができない。あの女は、自分を殺す者の映像を映すといったのに、実際には自分で飛び降りている。それに、上半身だけの男の正体はなんなのだ。
 できの悪いプロモーションかと思っていたが、意外に惹きこまれる内容だ。動画の下部に表示されていたURLを開くと、公式ページではなく、何かのソフトがダウンロードされた。
「まさか、本当にもらえるのか。凝った作りだ」
 画面では右手が手首までワイヤーになってしまった男が右腕を柵に何度も腕を打ち付けていた。男にとってこの光景は想定外だったということだろうか。
 そうだとすれば、今まさにこれが録画されているという光景すらも、イレギュラーか。
 画面を閉じるためにカーソルを動かすと、突然男が振り返った。背後のエンドロールが一部歪み、明確な文字列に変わる

>I watch you

突然動画にノイズが走り、画面がブラックアウトした。再生が終了したのだろうか、それにしては、リプレイや関連動画といった情報が出てこない。
 気味が悪い。急に背筋が寒くなったような気がして、肩を抱いた。気が付けばダウンロードしたソフトのインストールが終了していた。ここまでしたのに開かないのももったいないかと思い、ソフトを開く。
 表示されたのは動画の中で女性が持っていた携帯に写ったのと同じ地図。よくできている。地図上には赤い点が表示されている。これがおそらくあの奇妙な男の位置なのだろう。
 どこかで見覚えのある住所。これは、自宅?
 自分の家の住所が表示されていることの理由を考える前に、全身がこわばった。背後に冷たい気配が迫っている。パソコンの画面が完全にブラックアウトする。黒い画面の向こうに机に座る自分の顔が映り込む。その背後に見覚えのある男の顔が映っていた。
「うそ」
 男は右手を上に掲げるが、手首から先が存在しない。代わりに、私の身体にワイヤーのようなものが巻き付いていた。それが身体を動かせないようにしているのだ。
 男が耳元に顔を近づけ、何かを囁いた。パソコンの隣においた時計が左回りに回転を始める。男の左手が私の前に差し出され、私の顔に指先を向けた。
 そして、その指先が勢いよく私の顔に迫り。
―――――――――

「私にはあなたが見えている」
 常田歩美は振り向きざまに彼に携帯を向けた。携帯の画面にははっきりと、男の姿が映る。男は上半身しかない。全身のあちらこちらからワイヤーが伸びていて、その一つは右手から常田に向かって伸びている。おそらく、男の影響下にあるものは皆ワイヤーにつながれているのだろう。唐突にそう思った。
「私は、あなたに支配されたりしない。あなたの姿はもはや誰にだって見えるのよ」
 男の顔が驚きで歪む。常田の言葉の意味を彼が理解するまで多少の時間がかかるだろう。いや、そもそも目の前の存在に理解する能力が備わっているのか、それが何なのかが分からない以上、常田には知るすべもない。
 ただ、終わるとしてもそいつに一矢報いてやらなければ気が済まなかったのだ。時間が巻戻った途端に、山本友子の自宅に向かい、フラッシュメモリを回収した。アプリを可能な限りコピーして、屋上に仕掛けたいくつもの携帯にインストールしている。目の前の男の姿は、携帯を通してネット上に流れるだろう。
 もはや、姿の見えない超常現象ではない。目の前の男はその存在を明かされるのだ。たとえ、常田がここで終わったとしても、彼がさらなる被害を広げていくことは難しくなる。そう思った。
 思い切りビルのふちを蹴る。あとは、彼女が落ちていく。それですべてが終わる。彼女は目をつぶり、自分の体が地面にたたきつけられる瞬間を待った。
 ビル二階の壁掛け時計が12時ちょうどを指し示す、その瞬間。
 常田歩美は9階下の地面にたたきつけられ、その生涯を絶った。

12月22日
 12月22日午前0時ごろ
 ■■■市内の商業ビル屋上から女性が飛び降り死亡した。
 女性の身元は、商業ビルの4階にオフィスを構える株式会社ユースフルのデザイナー、常田歩美氏(27)。
 同日、ユースフルでは、新規開発ソフトの不具合によりテストユーザーが一名意識を失った事故が発生しており、常田氏は同事故への対処のため出勤していたところ、ビルの屋上から転落した。警察は事件と事故の両方の可能性を見据えて関係者から事情を聴いている。

 株式会社ユースフルは■■■市内に本社を持つ携帯端末用アプリケーションの開発事業を営む会社。本件に関する取材に対しては、「優秀な社員を失ってしまい、まことに残念だと感じている。現在社内においても事実関係を調査しているため、詳しい内容を話すことはできない」と明確な回答を留保している。

――エンドロール END

ーーーーーーーーーーー
 次回以降の更新予定
  黒猫堂怪奇絵巻 ネガイカナヘバ3~
  短編 : 酒蟲
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HN:
若草八雲
年齢:
37
性別:
非公開
誕生日:
1986/09/15
職業:
××××
趣味:
読書とか創作とか
自己紹介:
色んなところで見かける人もいるかもしれませんがあまり気にせず。
ブログとか作ってみたけれど続くかどうかがわからないので、暇な人だけ見ればいいような。
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