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作成した小説を保管・公開しているブログです。 現在は連作短編が二篇の他,短編小説,エッセイの類を掲載しています。 連作小説の更新ペースは随時。二か月に三回を最低ラインとして目指しています。
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迷い家3
黒猫堂怪奇絵巻1 煙々羅
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る
黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ
黒猫堂怪奇絵巻4 迷い家1
黒猫堂怪奇絵巻4 迷い家2
―――――――


 見知らぬ人間が頭に入り込んでくる。代わりに、自分がなくなっていく。
 男は、彼女に打ち明けた。彼女は、彼が疲れているのだと思った。だから、彼女は彼に休息を勧めた。そして。
 ある日、彼は姿を消した。彼が彼女に書き遺したメモには、見知らぬ人物の名前と、身体を乗っ取られないうちに帰るのだという走り書きが残っていた。彼女に対して、「見知らぬ誰かへ ありがとう」との書置きを添えて。
 彼のことが不安である一方、酷い別れ方だと彼女は思った。
 けれども、彼女はすぐに彼の言葉の真意を知る。
 彼女もまた、見知らぬ誰かの記憶を保持し始めたからだ。
 その過程は、彼女の日記に詳細に書かれていた。彼女と連絡が取れなくなった親族が部屋に入って見つけたものだ。部屋の中には彼女の姿はなかった。代わりにいたのは、彼女の日記をめくっている件の男だったという。
 男は彼女の家族達を見て、微笑んだ。そして、問うた。彼女はどこにいるのだろうと。

――西原当麻「現代怪奇譚蒐集」より

*******



【6月7日 深夜】

 1284年。ドイツ、ハーメルンに不思議な男が現れた。男は、様々な色の混じった布の上衣を着ており、自らを鼠捕り男と称した。彼は、ちょっとの報酬で、町の鼠を退治してみせると約束した。
 市民たちはこの男と取引をし、一定の報酬を支払うことを約束した。そこで、鼠捕り男は笛を取り出し吹き鳴らした。間もなく、すべての家から鼠どもが走り出て来て男の周りに群がった。一匹残らず男の周りに集まったところで、男は鼠の大群を引き連れて、町を後にした。男は河の中まで鼠をつれていき、水の中に入っていった。男のあとを追い続けた鼠たちは、男に続いて水の中に入り、溺れてしまったという。

「ハーメルンの笛吹き男か」
 夜宮の指示通り、分析室前主任火群夏樹の関わった過去の事件記録を持ってくると、夜宮はその中から、岸達に一つの事件を提示した。
 それは、火群夏樹が一身上の都合でその職を辞する直前の事件だった。表題に示された怪異の名前は「プンティング」。かつてハーメルンで起きたと伝えられる集団子供失踪事件の主役、笛吹き男の呼び名だ。童話などでその名が使われることは少ないように思うが、笛吹男の服装がまだらであったことから、伝承においては、まだら男、プンティングと呼ばれる。
 しかし、このタイミングでプンディングの資料とはどういうことなのか。
「秋山君の直感に乗ってみようと思う、か」
 岸は、研究室を後にする際の、夜宮の言葉を思い出す。彼女の話ぶりからすれば、秋山恭輔は、火群たまきが夜宮に七鳴神社を起点として今回の調査を依頼したことから、今回の事件の概要を把握したことになる。
 そして、岸の目の前に広がるプンディングの資料。
「細かいことを火群に直接聞ければいいんだが……」
「愚痴を聞くために回線を開いているわけではないですよ」
 モニター越しに今も変異性災害対策係室に詰めている加藤恵理が眉をひそめた。
「ところで、岸さん。今、秘匿ファイルも開いていますよね。職務規定違反です」
「おいおい。そっちでは比良坂での閲覧資料についても管理しているのか」
「火群係長がロックをかけたものは私の方で管理していますから。係長は開いている人間がいても気にはなさりませんが、当事者にとってはあまり他言してほしくない情報です。取り扱いに注意していただかないと」
 夜宮の言葉から始まったことであるし、解決のためにはある程度共有する必要もあるんだがな。その辺りの愚痴や要求は全部呑みこみ、岸は目の前の資料を見つめる。
 プンティング事件は、大雑把に言えば、集団失踪事件だ。特に子供が多く被害にあっており、最終的に20名以上の子供が消えたその経緯から、この変異性災害はプンティングと名付けられたのだろう。
 当初、捜査は難航していたようだが、火群夏樹により、プンティングの発生パターンが解明され、祓い師火群たまきと、秋山恭輔の共闘でプンティングは処理された。失踪者のほとんどは帰還したが、その詳細は曖昧である。また、プンティング事件に関わった比良坂の研究員や対策係の人間は、これを契機にこの職を辞している。変異性災害対策係は、彼らが現在、どこで何をしているかといった情報を持っていない。
 岸が比良坂に入ったのは、この事件の数ヶ月後であるし、鷲家口ちせは当時は比良坂の研究員ではなく、対策係の祓い師として別件に関わっている。岸の知る範囲で、この事件の真相を知るのは、火群姉弟と秋山恭輔のみだ。
「加藤ちゃん。火群はまだ戻ってきてないんだろ?」
「ええ。何度も連絡を入れてはいますが繋がりません。これで4日目……くらいですね」
「肝心な時にいないな。しかし、なんでこの事件なんだ。何が似ている」
 夜宮はこの資料をみて、今回の事件と似ていると言った。秋山の直感を信じるだけじゃない。自分の感覚に従っても、この事件が鍵だと思うと。だが、こうして資料と向き合ってみても、岸には何が似ているのかがわからない。
 今回は子供が消えたわけではない。否、消えたことは消えたが、それは短時間に過ぎない。現在最も奇妙な現象は、失踪した子供に何かの記憶が植え付けられていることだ。岸の眼には、人間を連れ去り何処かへ消えるプンティングとの類似性が見えてこない。
 夜宮や秋山には何が見えているのだろうか。

*******

 目撃者も多くいる中で、突然子供が失踪する。そうした報告が、変異性災害対策係に上がってきたのは、既に5件近い事件が発生してからだった。巻目市警察署は、連続誘拐事件の可能性を鑑みて、極秘裏に捜査を進めていたようであったが、子供の失踪後、家族に対して何者からか要求がなされた事実はない。
 現在、係長が警察に捜査情報を共有するように働きかけている。対策係ができて三年。変異性災害と呼ばれる怪異の存在は非常識であり、理解がならないという警察側の姿勢は強固であり、資料の開示にすら長い時間がかかる。
 だが、失踪のペースから考えれば、数日中に次の子供が消える。そう話す若い祓い師の眼は真剣だった。
「これが変異性災害によるなら、いや、人間の行動だとしても、法則性があるはずです」
 彼の言うことには一理ある。この研究施設が開設されて一年。各人の経験則と古い研究資料に頼る旧来の方法を反省し、此処には各種情報収集・分析のツールが揃えられている。おかげで、怪異に対する対応策は進歩を始めている。
 その成果の一つに、変異性災害の規則性がある。それぞれの怪異は個性に富んでいるが、個々の怪異自体は、規則性をもって行動している。怪異にもルールがあるというものだ。
「だから、今は事件資料の収集をしているんだろう。資料がなければ、法則もわからない」
 もう一人の祓い師が、若き祓い師に声を上げる。私たちの手元の情報は余りに少ない。
「ですが、警察が何かを知っているとは限りません。彼等は僕たちと違う視点で事件を見ているんです。ここで考えるのをやめたら、僕たちは手掛かりを失うかもしれない」
 若い祓い師は引かない。私は心のどこかで彼のその言葉を期待していた。彼の言葉が、場の空気を変えようとするその瞬間を待っていた。

 巻目市内で二か月の間に広がった失踪事件。それは人通りが多い場所で唐突に発生する。その場所にいた通行人に尋ねても、全く目撃情報は出てこないのが特徴だ。
 まるで、煙のように、人間が消えてしまうのだ。
「“異界”入りした。ということは考えられないでしょうか」
「失踪現場で異界開きをしても、それらしい異界が現れないのに、どこに異界がある」
「怪異が異界ごと移動しているというのは」
 怪異は宿主に宿る。宿主が移動すれば怪異も移動する。ならば、怪異によって形どられる世界、“異界”もまた移動することは十分にありうる。だが、異界は怪異よりもさらに発生条件が複雑であり、移動する異界は発生しないというのが、現在の私たちの見解だ。
 祓い師の一人が唱えた仮説に、その場の全員が同意しかね、言葉を詰まらせる。その静寂を破ったのは、やはり、あの若き祓い師の言葉だった。
「考え方を変えてみましょう。僕たちは失踪に気を取られすぎているのかもしれません。例えば、失踪時に周りの人間から何一つ情報が得られないこと自体が問題だとしたら」
「だから、気がつかないから、怪異の仕業じゃないかって話だろう。何が違う」
「違います。今、僕たちは『怪異によって人が消えている』と考えています。そこでは、怪異は失踪者に牙をむいたと考えている。でも、仮に、怪異の影響が失踪者以外に及んでいたのだとしたら」
 彼の言葉にその場にいた人間すべてが止まった。
「怪異は人間を消しているだけじゃない。消えた人間の周りにも何か影響を与えている。だから、失踪当時の状況がわからない」
 可能性はあった。けれども、やはり、情報が少なかった。だから、その時、誰も彼の意見を完全に支持出来なかった。

 その報いが、今、このときだ。

 振り下ろされた拳を受け止め、横に受け流す。相手が体勢を崩したところで、首元に一撃。私に殴りかかってきた男は意識を失い、路上に倒れ込む。
 私の周りには、何人もの人間が倒れている。いや、これは本当に人間なのだろうか。人間はあれほどに唐突に、無表情で、そして機械的に人に襲いかかるものだろうか。
 突然現れた、いや豹変したというべきか。その暴徒を伸したおかげで身体のあちらこちらが痛い。この場には倒れた暴徒と傷だらけの私の身体以外には何もない。私は、どうして暴徒たちと争ったのか。私は何を守るつもりだったのだろうか。私自身、いや、違う。私が守りたかったのはそれではなかったはずだ。
 私は、いったい何を守ったのだろうか。いや、いったい何を守れなかったのだろうか。

――守れなかったそれを、取り戻したくはないか

 耳元で囁くその声が、私の思考を妨げる。守れなかったそれ、それを取り戻す……?

――そうだ。今なら取り戻せる。ここでなら、やり直せる

 どうして、こうなってしまったのだろうか。どこからやり直せば、この結末に辿りつかないのだろうか。そうして、私はその囁き声に応じることも拒絶することもできないまま、その場に立ちつくしているのだった。

*******

【6月7日 深夜】

 これは、独りよがりで自分勝手な罪悪感だ。
 電話越しの長正の声に夜宮は胸が締め付けられた。長正は夜宮を責めていない。寧ろ、現状の打開に向けて協力しようと言ってくれている。
 秋山が『石段の噂』を調べ始めた時に、夏樹と長正を近づけたくないと述べていたことを思い出していた。もしかしたら、夜宮はあの時に引いておくべきだったのかもしれない。そうすれば、秋山の足取りが途絶えることもなかったのかもしれない。
「夜宮さん? 大丈夫ですか」
 こちらから電話しておいて、言葉を失ってしまうなんて、自分は何をしているのだろう。事態は既に進行している。夜宮にできることは、事件の詳細を把握することだけだ。
「すみません。大丈夫です。今、私が話した事件、それが長正さんが昨日の夜話してくれた夏樹さんの」
「ええ。そうです。といっても、先日もお話しした通り、私はその事件の結末を知りません。詳細を知っているのは、係長と秋山さんだけです」
 岸の言うとおりだ。長正は事件の終わりを知らない。そして、夏樹はその事件の記憶を失っている。けれども、夏樹が失ったのは事件の記憶だけではない。昨晩、あまり深入りしないでほしいと暗に示していた、そのことを、夜宮は言葉にする。
「長正さんが事件の詳細を知らないということは、昨晩もお聞きしました。でも、長正さんは覚えているんですよね。夏樹さんの、その……お二人の子供のことを」
 比良坂民俗学研究所に勤めていた時に、長正と知り合い、火群夏樹は片岡家に入籍した。夏樹の語るその記憶には大きな誤りがある。昨晩、長正はそう述べた。時間が止まったままのあの部屋の中で。そして、彼女の記憶にもう一つ大きな欠落があった。
 七鳴神社の横に建てられた片岡家の二階とリビングを繋ぐ廊下。その間にある子供部屋。かつてそこにいたはずの子供の記憶を、今の夏樹は失っている。それでも彼女は時折、あの部屋に入っては、見えない子供に話しかけるのだ。自分が何をしているかを全く理解しないままに。
 あの部屋で歌っていた夏樹を寝かしつけた後、長正は、夜宮にそのことを語った。秋山は夏樹のそうした状況を案じていたのだ。事件の詳細を知っているが故に。そして……
「いえ、実を言うと、私の記憶も随分と曖昧なところがあります。夏樹だけじゃない、私もまた、あの事件で記憶を失っているんです。私の方が、彼女よりも失った部分が少なかった。だから、かろうじてあの子がいたことは覚えている」
 長正の答えは、予想通りだった。長正もまた、事件により消えた子供の記憶を欠落させている。そして、これが秋山の態度の答えだ。
 夜宮は、分析室で“プンティング”の事件を見た時、その可能性に気がついた。一見すると、ほとんど接点のないような二つの事件、だが、その構造には類似性がある。
 我が子が怪異に巻きこまれる不安。大切な誰かが奪われる不安。事件を起こし、そうした気持ちを煽ることで、人々の心の中に巣食う、その記憶に取りつき、不安と混乱を増幅させ、人を陥れんとする。プンティングはそうした怪異だったのだと思う。
 プンティングが真に喰らいたかったのは失踪者ではない、失踪者の周辺の人間達だったのだ。夜宮は記録を読んだ時に、そう感じた。
 故に、被害は加速度的に広がり、怪異を祓った後も多くの影響を残しているのだと。
 秋山は直感的に、石段の噂も同じと考えたのではないか。子供の失踪と記憶喪失という原因不明の事件が、その周囲に不安を広げ、更に大きな変異性災害を発生させんとする。
 それに気がついた火群係長はその実体を早く掴むために似た経験をした実姉を利用しようとしている。秋山の眼にはそう映ったのではないか。だから、彼は夏樹と長正を事件から遠ざけたがったのだ。
 現在、秋山の不安は的中している。変異性災害は段階を進め、子供は見知らぬ記憶を語るようになった。親は不安に襲われているだろう。
 だが、変異性災害対策係は、風見山地区に潜む怪異の正体どころか、手掛かりすら掴めていない。風見山地区に潜む怪異は、今もじわじわと影響を広げている。
「長正さん。その、厭な事を思い出させてしまって、すみませんでした」
「構いませんよ。それより、何か手掛かりになりましたか」
「はい。秋山君が見ていたものが何だったのか、少しわかった気がします。」
 夜宮には、秋山のような強い霊感や、他の人たちのような経験はない。だが、何もできないわけではないはずだ。プンティング事件と今回の事件、その類似性が真実ならば、直感や霊感に優れずとも、怪異の元凶に近付けるはずだ。


 怪異を観測するとき、我々は何を覗きこんでいるか。これは、怪異を“見る”という行為の意味を考える問題かもしれない。
 “見る”。それは我々の五感の一つを用いた行為であり、我々が外界を認識し、外界と交流する方法の一つである。我々は“見る”ことによって、自分の周りに何があるのかを認識する。“見る”という行為は、ややもすればそうした外形的な機能しか着目されない。
 しかし、“見られる”ことは客体の意識をも変化させる。他人に見られている振る舞いと、そうではない振る舞いは異なる。つまり、“見る”という行為は、“見られる”側にも影響を与える。
 では“見られる”行為はどうだろう。我々が“見る”ことで客体に影響を与えるのだとして、“見られる”側は、“見ている”者に影響を及ぼさないのだろうか。

 “見られる”とはそこに存在することを周囲から観測される受動的な行為だ。受動的であるが故に、“見られる”行為は客体の意図と関係なく発生し得る。しかし、それはあくまで、意図せずに“見られる”こともあるに過ぎず、客体が意図して“見られる”ことも往々にして存在する。
 では、“見られる”ことを意図する客体の、その意図とは何か。客体は、何を意図して“見られる”のか。もしかすると、本質はそこではないかもしれない。
 私が本当に知りたいのは“見られる”ものは、“見る”ものに対してどのような影響を与えるのか。そうしたことなのではないだろうか。
――西原当麻『怪異論』観測の章より

*******

『そうだ。私は、あの子を、あの子を彼等から守るために拳を振るったのではなかったか。でも、ここには、あの子の姿はない。代わりに響くのは、あの奇妙な笛の音だけだ』
 記憶が混線している。囁き声は、混線した記憶の過去を取り戻すように語りかける。
 火群たまきは笑い声をあげたくて仕方なかった。目の前で繰り広げられる悪夢のリピートは、火群の記憶ではない。これは、彼の右眼に焼き付いた姉の記憶に過ぎない。

――ここは分岐点だ。君が手を伸ばせば、全てはやり直せる。

 囁き声は語りかける。だが手を伸ばしても、火群の現実が変わらない。眼前にあるのは他人の過去であり、怪異の見せる単なる幻に過ぎないのだから。

――手を差し伸べるだけでいい。それですべてが変わる

 これ以上付き合っている必要もないだろう。早く彼女を捕まえて、何のつもりでこんな茶番を始めたのか、じっくり話を聞こうではないか。
「悪いが、俺は姉の記憶に絆されるような人間じゃない。相手を間違えたな」
 囁き声の主が怯んだ。火群は振り向きざまに左手の指を鳴らす。火群の足元に種火が宿る。彼の周囲を包んでいた霧が引き、霧の向こうに黒いコートで全身を包んだ女性の影が現れた。
「君が、迎田涼子でいいのかな」
 その名を呼ばれてもなお彼女の瞳はまっすぐに火群の姿を捉えた。
 仕掛けを解除すれば戦意を喪失すると思ったが、彼女の眼差しはまだ意思を有している。
 どうやら、迎田涼子は火群と一戦構える気のようであった。

*******

【5月31日 昼】

 迎田涼子。市内の不動産会社に勤める26歳の女性。勤務先は二日前から欠勤。職場に親しい知り合いがい。取り立てて問題行動を起こしたこともない。要するに影が薄い。
 火群が身分を偽り、彼女の勤める会社内で集められた情報はこの程度だった。
 会社に申告している住所は、二階建てのアパートの一室であり、新聞受けには三日分の新聞が差し込まれていた。どうやら火群が嗅ぎつける前から姿を隠しているようだ。
 試しにアパートの前に置かれた植木鉢を持ちあげてみると、底に合い鍵が張り付いていた。
「まだこんな方法で鍵隠している奴がいるのか…」
 半ば呆れつつ、火群は迎田涼子の部屋へと侵入した。
 一人暮らし用の、1DKの部屋。
 部屋の真ん中には情報端末、奥の本棚と机の上には大量に積まれた紙の束。仕事に行く以外にこれといった活動をしていなかったのか、クローゼット等を物色しても、ビジネス用の服以外にものがない。
 机上に置かれた書類に目を通すと、仕事関係の書類の他に、市立図書館や市の歴史資料館の資料のコピーが目についた。それぞれ、細かく書きこみがなされており、番号の振られた付箋が貼られている。
 火群は、本棚から巻目市の地図のコピーが閉じられているファイルを手に取った。
 机に置かれた資料の付箋の番号と対応して、番号等の書きこみがなされており、場所の特定やその周辺で起きた事件等についての細かい分析がなされている。新聞の切り抜きがまとめられているファイルは、事件の起きた場所や祭りや各種行事の時機・場所・系譜等を分析したものだ。
「優秀な生徒だな全く」
 どうやら、迎田涼子は巻目市の歴史や伝承について独自に研究を進めていたらしい。初めから“霊感”を持つ人間がやる方法ではない。火群や秋山恭輔のような“霊感”の強い人間たちは、こんなことをしなくてもある程度怪異の全容をつかみとれるからだ。
 これは、“霊感”を持たない人間が怪異に相対するために取るアプローチだ。
 一通り本棚の資料を確認し終えると、火群は情報端末の電源を入れた。誰かが部屋に訪ねるとは考えていなかったか、パスワードが設定されておらず、簡単に端末内の情報を確認できる。
 まずはメールの履歴を確認する。ナナシ、カラス、カズラ、イナバ……ネットワークスペース上でのアバター名で連絡を交わしていた履歴が大量に表示される。
 そのいくつかを閲覧すると、迎田涼子は自らを“ことり”と名乗っていたこと、ナナシ達とは頻繁に何らかの決議を行っていたことが伺える。
 その他にも、“顕現”“排除”“波及効果の観測”等の用語が目立つ。
 とあるメールに添付された画像を開くと、篠山斎場の写真が映った。メール本文には、“種まきは終了し、肥料は与えた。顕現を確認したが、介入あり。数日中に処理される見込み”とある。メールの受信日は、秋山恭輔が煙々羅を処理する四日前。
「人為的に変異性災害を発生させる何者かがいる可能性ね」
 おおかた秋山の予測通りである。対策係の長を務める者としてはこのような行為は許し難い。まずは端末の情報を保存して、迎田涼子の行方を捜すべきだろう。最新のメールを読む限り、迎田涼子は新しい怪異を生むための計画を既に実行に移している。風見山の写真が添付されていることからすれば、おそらく、『石段の噂』や短期失踪者の出現にも彼女たちが関わっている。
 彼女たちを、放置しておけば、いずれ大きな変異性災害が発生するだろう。いや、既に発生している可能性もある。

――おいおい。あんた他人の部屋でちょっとやりすぎじゃないかい?

 端末の情報を集めるのに集中していた火群は、突然耳元で聞こえたその声に思わず動きを止めた。

――何考えているか知らないけどさ、こういうのは犯罪だと思うよ。罪には罰を。悪夢の時間だ。

 金属音。朝、監視者を追い詰めた時と同じ音が火群の耳を襲った。一瞬で身体の自由が奪われ、火群の身体は宙に浮き始める。耳を塞ごうにも身体の自由が効かず、動けない。
――あんた、この部屋の主がガードの甘い人間だと思っていただろ
 気がつけば、端末のモニターにシルクハットを被った白い兎のアバターが現れている。
 アバターはステッキを画面の前で浮いている火群に対して刺し向けた。
――誰が、あんたみたいなやつに安易に情報を渡すっていうんだよ。残念だけど此処で終わり
 敵意に満ちたウサギの声と共に金属音が大きくなる。火群は意識を保つのがやっとだった。これ以上続けば、あの男のように意識を失う。
 気力を振り絞り、火群は右手の指を鳴らす。今ここで足掻かねば終わってしまう。火群の指が小さく鳴ったと同時に、目の前の端末に火がついた。
――なっ、お前。何した。おい、このやろ
 ウサギが急に慌てた声を出し、金属音が収まった。宙に浮いていた火群の身体は床にたたきつけられ、火群は思わず笑みをこぼした。
「悪いが、その程度で死ぬほど鈍っちゃいないんでね」
――化け物め。だが、あんたに邪魔をさせる気はないよ
 ウサギが捨て台詞を吐くと、情報端末が爆発した。しかし、起き上がってみれば端末の残骸が部屋中に散らばっていた。
「これ以上手がかりも与えないってわけか」
 手口から見て、朝、監視者を攻撃したのもあのウサギのアバターを操る者だろう。端末の中を確認するまで攻撃してこなかったことからすると、ネットワークを介してこちらの位置を特定しているのだろうか。
 だが、仕掛けてくるのが少々遅かった。火群はウサギからの攻撃を受ける直前に見た名前を思い返した。柴田幹人。石段の噂と共に挙げられていた新たな宿主の名前だろう。

*******

「ああ、うん。そう、送った情報で全部だよ。今回は忙しそうだし、料金は後でいいから」
 店長はそう言って電話を切った。
 携帯端末に表示された柴田幹人の情報を確認しながら、火群は珈琲に口をつけた。迎田涼子の部屋を後にした火群は、まず、店長に彼女たちが次なる標的にしているであろう柴田幹人の情報収集を依頼した。今回の件にお金の匂いを嗅ぎつけていた彼は、二つ返事で依頼を受けて、二時間もしないうちに調査結果を送ってきた。
 火群はそれを待つ間、近所にあった喫茶店で彼女の部屋から持ち出した研究ノートを読みこんでいた。対策係室には連絡を入れていないが、あちらからも連絡が入っていない以上、報告はもう少し後でもよいだろう。
 この二時間、迎田涼子の研究ノートに目を通してわかったことは数点。
 迎田涼子はそもそもフィールドワークの技法を学ぶために、巻目市の民俗の研究を始めたようである。研究ノートの初めは本当に地道なフィールドワークの痕跡が残っている。
 そんな彼女が変異性災害について興味を持ったのは、数年前に起きた連続児童失踪事件を独自調査した時だ。奇しくも、今回の件について初めて目にした時、火群が想起したその事件をきっかけに、迎田涼子は怪異の存在に気がついたのだ。
 変異性災害に気がついて以降、彼女の研究は大きく変化する。変異性災害の兆候や爪痕を探る研究にシフトし、発生場所を確定し、データを収集する。おそらく、彼女は怪奇現象が起きる理由について自分なりに解明しようとしたのだろう。
 その成果が、現在では変異性災害を生みだす技術として利用されているわけだ。
 仮にこの研究を比良坂へ持ち込んだらどうなっていただろうか。彼女は優秀な研究者の卵だったに違いない。自分ではその可能性に気がつかなかったかもしれないが、ここまでの研究は、変異性災害に関わる者にとって価値が高い。
 故に、常に人員不足に悩まされている対策係の長としては、まだ見ぬ彼女が今回の事件に関係していることが酷く残念に思えた。

―――――――


次回 黒猫堂怪奇絵巻4 迷い家4
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若草八雲
年齢:
37
性別:
非公開
誕生日:
1986/09/15
職業:
××××
趣味:
読書とか創作とか
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色んなところで見かける人もいるかもしれませんがあまり気にせず。
ブログとか作ってみたけれど続くかどうかがわからないので、暇な人だけ見ればいいような。
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