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作成した小説を保管・公開しているブログです。 現在は連作短編が二篇の他,短編小説,エッセイの類を掲載しています。 連作小説の更新ペースは随時。二か月に三回を最低ラインとして目指しています。
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迷い家5
黒猫堂怪奇絵巻1 煙々羅
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る
黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ
黒猫堂怪奇絵巻4 迷い家1
黒猫堂怪奇絵巻4 迷い家2
黒猫堂怪奇絵巻4 迷い家3
黒猫堂怪奇絵巻4 迷い家4

―――――――


 小国の三浦某と云ふは村一の金持なり。今より二三代目の主人、まだ家は貧しくして、妻は少しく魯鈍なりき。
 この妻ある日門の前を流るゝ小さき川に沿ひて蕗を採りに入りしに、よき物少なければ次第に谷奥深く登りたり。
 さてふと見れば立派なる黒き門の家あり。
 訝しけれど門の中に入りて見るに、大なる庭にて紅白の花一面に咲き鷄多く遊べり。其庭を裏の方へ廻れば、牛小屋ありて牛多く居り、馬舎ありて馬多く居れども、一向に人は居らず。終に玄関より上がりたるに、その次の間には朱と黒との膳椀あまた取出したり。奥の坐敷には火鉢ありて鉄瓶の湯のたぎれるを見たり。
 されども終に人影は無ければ、もしや山男の家では無いかと急に恐ろしくなり、駆け出して家に帰りたり。

 柳田國男『遠野物語』より

*******






「思った通りだな」
 洞窟のあった広場の先の雑木林を抜けると、秋山の予想通り、縦に大きく歪んだ門が現れた。横幅が変わらないのに縦にだけ高く、屋敷の内側に向かって弓なりにひしゃげている。小さな子供が門を見上げた時の印象をそのまま形にしたようである。
 秋山が小さな頃に実家の屋敷を訪れた記憶に合致する風景だった。
――秋山家本家大屋敷
 秋山恭輔がその屋敷を訪れていたのは、小学校に上がるか否かのころだ。彼を屋敷につれていったのは叔父であり、父や祖父が屋敷を訪れた様子は見たことがない。
 父が祖父と共に店を始めたことをきっかけに、秋山の家は本家との間に確執が生まれた。故に祖父らは本家に近付かないと聞いたのは、巻目市へ出てくる事を決めた時だ。
 それでも秋山家の子供を本家が受け入れていたのは、本家を仕切る父の姉、つまり秋山の叔母に当たる人物が強い興味を持っていたからだという。
 当の秋山本人は、叔母というのは、一言で本家の霊感持ちを右往左往させる面倒な人間であったという印象くらいしかないし、あまり叔母と話した記憶もない。
 今となってみれば、叔母の方は秋山の“霊感”を、はっきりと言うならば、術者としての才能を視るために屋敷の中に置きたかったのであろう。ゆくゆくは“彼女”のように秋山も礎に捧げようと考えていたのかもしれない。
 秋山は、そんな昔のことを思い出しつつ、ひしゃげた門をくぐった。
 門の向こうの大屋敷も、かつての記憶のままである。山の中に突然現れる巨大な日本家屋。庭園の飛び石を踏み、玄関に立つと、屋敷全体に漂う気配が濃さを増した。
――恭ちゃん、この御札に興味あるの?
 遠い昔に聞いた声が風に乗って聞こえてくる。
――でも駄目、これにはちゃんと役割があるんだから
――そうね、私が使うのを観るくらいなら許されるのかな
 心の何処かでずっと聞きたかったその声につられ、秋山は思わず玄関の扉に手をかけた。そして、はたと気がつく。もうその声の主は存在していないのだと。
――恭ちゃん?
 扉を開かなかったことで声に戸惑いが混ざった。やはり、秋山がこの扉を開けることを望んでいたのだろう。しかし、秋山の記憶では“彼女”はこんなところにはいない。
 いや。
 今度は声に流されるわけではなく、明確な意思を持って扉を開ける。
 すると、先に広がったのは屋敷の玄関ではなく、薄暗い地下の座敷牢だった。座敷牢の奥では、提灯のぼんやりとした灯りに照らされて、人影が揺れている。
――お久しぶりね、恭ちゃん
「あいにく、怪異に友人はいないんですよ」
――あら、忘れちゃったの
「忘れるもなにも、僕がお前に接するのは初めてだ。そもそも、それほど長生きしている怪異でもないんだろう」
――もう、そうやってすぐ斜に構える。だから恭ちゃんは上手くいかないの。それとも、本当に忘れてしまった? それなら、思い出させてあげる。
 座敷牢からの風に乗って流れて来ていた囁き声が、不意に途絶えた。
 ぺたり ぺたり
 代わりに秋山の左腕に何かが貼りつく。それは人肌のように温く、それでいて、死人のように冷たい。左腕から背中へ、背中から肩へ、まるで秋山の身体を登るかのようにそれは秋山の肉を掴んでいく。
 秋山はそれの接触を拒むことなく、ただその場に立ち尽くし、座敷牢の奥の人影を睨みつけていた。やがて、それは秋山の首元に辿りつく。
 ぺたり
 先ほどまでと同じように、ただ、先ほどまでよりも強い力で、それは秋山の首に取りつこうとした。同時に、秋山の首元に青白い光が走り、肉を掴んでいた何かが弾き飛ばされる。
 秋山の周りからそれの気配がなくなると、秋山の首元から一枚の呪符が落ちた。呪符は黒こげになり、足元に到達する前には形を保てなくなって霧散した。
――なんだ。やっぱり覚えているんじゃない。その力、私が教えたものよ
 今までで最も嬉しそうな囁き声が流れてくる。秋山はその声に応じて座敷牢の向こうに笑顔を返した。
 目の前の座敷牢と、秋山の背後にある雑木林が、歓喜の声を上げるがごとくざわめいた。
「悪いが、こいつは“彼女”に教わったものとは違う。記憶を読み違えたみたいだな」
 秋山の一言に、周囲の風景が固まった。一気に色を失くしたかのように静まり返り、そして本当に全ての輪郭が曖昧になっていく。
「侵入者の記憶を覗き、それに合致した風景を作りだす異界。いや、怪異と呼ぶべきか」
――助けて、助けてよ恭ちゃん
 秋山を包む怪異は、方針を変えたらしい。風景を変え、秋山の記憶を再現しようとする。しかし、その先で再現されるものは、先ほど洞窟で観たものとほぼ同じだ。
「僕は“彼女”の結末に異を唱えるつもりはない。そんな光景ならさっき洞窟で見せただろう。忘れたのか?」
 それとも、あの風景は秋山に向けられたものではなかったのか。ふと、そんな考えが頭によぎる。孝子と名乗るあの女性は、秋山の知る“彼女”だ。だが、決定的に異なるその名前はどこから出てきたのだろうか。
 秋山が思考の奥に入り込むのを察し、彼を取り込もうと躍起になったのか、怪異は手早く風景を変えていく。
 やがて秋山の目の前に広がったのは、山のなかとは思えない繁華街のビルと、路地裏のあちらこちらに倒れ込んだ人間たちだ。路地裏にはあの時と同じように雨が降っている。
 路地裏で立っているのは、秋山の他に二人だけ。一人は倒れ込む人間たちの中心で空を見上げて茫然と立ちつくす女性。もう一人は、レインコートのフードを深く被っており、その性別はおろか顔すらもわからない何者か。
 女性は視線を何者かに映すと、声にならない悲鳴をあげて、崩れ落ちた。
――君は“彼女”の結末にも異を唱えないつもりか。
 この声は、レインコートの人物のものだろうか。
――あの時、君がもっと早く動ければ。周りを動かせるほどの力を持っていれば、“彼女”の結末は変わっていたのかもしれない。
 映画の一コマのように、秋山の目の前で女性の顔が大きくなっていく。
――君は今でも“彼女”の結末に納得がいかないのではないか。
 ぱちり
 女性が目を開き、感情の抜けた顔で、秋山の顔を見つめる。彼女の両目の紫の輝きが瞳孔へと収束し、失われていく。まるで、彼女の魂すらも身体から抜けていくかのように。
――ほら。手を伸ばせばやり直せる。“彼女”を救うんだ
 レインコートの人物は、秋山の背後に立っている。秋山は瞳の光を失っていく“彼女”に背を向けてレインコートの人物に向き合った。
 蒼いレインコートは大量の雨を受けて、黒ずんで見える。秋山は何も言わず“彼”に向かって近づき、そのフードに手をかけた。
「全く馬鹿げているよ」
 フードの下から現れた顔は、目を潤ませ、縋る誰かを探しているような、そんな危うい表情を見せていた。今にも目の前の“救い”に手を伸ばしてしまう、そんな気配さえ感じる。
「僕一人の力不足で彼女を失った。それはあまりに独りよがりな結論だ。彼女は、夏樹さんはちゃんと進んでいるよ。失くした過去が戻らなくても。だから、僕も彼女を自分の進めない理由にはしない。そんな顔していたって過去が変わりはしないんだよ、秋山恭輔」
 目の前に立つ自分の輪郭がぼやけた。秋山は、それを見て、自分が巻き込まれたこの異界が何を狙って記憶を引きだしているのか、その目的に気がついた。
 レインコートを着た自らの鏡像と、地面に倒れていた片岡夏樹の姿が消え、秋山は一人真っ白な霧に包まれた石畳に取り残される。
 周囲を見渡せば、一か所だけ霧が晴れ、ぽっかりと暗い穴が顔を覗かせていた。おそらく、先の洞窟の入り口だ。石に腰かけた男は、まだあの物語を騙り続けているのだろうか。

*******

 意識を集中させ、予め決めた最小限の手順で現実を歪める。呪術戦において重要な事は手順の簡便さと手数の多さであるという、火群家の教えに則って、火群たまきの基本動作は出来ている。
 指で小さく音を鳴らす。火を表す記号を宙に描く。それだけで自分の周囲に幻の焔を呼び寄せる。
 幻の焔は指に混める霊気の厚みが増せば増すほど、現実と区別がつかなくなっていく。焔に触れた相手方がそれを現実と疑ったならば、火群の呪術は対象を燃やす。
 物に対してかける呪術は、相手がいない分更に簡単だ。霊気の厚みを調整するだけでいいのだから。
 そのような簡易的手法を確立した術者が強い呪術的干渉にある異界に入ればどうなるか。答えは簡単だ。火群たまきの周囲の街は、数分前とは異なる光景へと変貌していた。
 どれだけビルに火の手が伸びても声を上げる者も逃げ出す者も現れない。この風景こそが、火群の立つ場が現実ではないことを示している。
 火群が指を振るうたび、街に広がった焔はまるで生き物かのように跳ね、蠢き、その風景を呑みこんでいく。
 もっとも、どんなに街が燃えても、火群の眼前に立つ女性、迎田涼子は動かない。
 彼女は火群が焔を放つ前から、両手で印を結び、ただ祝詞をあげ続けているのみである。だが、何らの抵抗をしているとは言い難い彼女に。火群の焔が到達することはない。
 彼女の周りに浮かぶ何枚もの呪符が近づく焔を弾いているのだ。
「いい加減に諦める気はないか。君がどれだけ祝詞を続けたところで、この空間はまもなく壊れる。君がそこで粘り続ける意味なんてない」
 火群の言葉に、迎田涼子は反応しない。彼女の狙いは時間稼ぎなのだろう。
 彼女の力は火群を組み伏せられるほどのものではない。せいぜい今のように呪符で防衛をし続けることしかできないだろう。だが、火群を此処に留めておくという意味においては、彼女の戦略は功を奏している。火群の焔は未だ迎田涼子に到達することはなく、彼は姉の記憶により作られた異界からでていないのだから。
 脱出のためには彼女の立っている位置が鍵だ。
 異界は、現実世界とは異なる理によって作られる世界だが、異界と現実を繋ぐ境界線だけは現実世界の理から逃れられない。仮に境界線すら現実から外れたならば、異界は現実と接点を持てなくなる。すなわち中に入った者は外に出られない。
 そして、火群を閉じ込めた迎田涼子の狙いが何処にあるとしても、彼女が異界の中にいる以上、この異界はまだ現実世界との接点を有していなければおかしい。そうでなければ、彼女は目的を達した後にどうやってこの異界から帰還するつもりなのか、説明がつかない。
 火群は異界に足を踏み入れて以降、ほとんど動いていない。彼を惑わすはずだったに違いない異界の風景は、彼の姉の記憶に過ぎず、火群は冷静さを保ったままだったからだ。
 彼が動いたのはおそらく数歩。そして、彼の背後に現れた迎田涼子は、姿を見せて以降、一歩もその位置を動くことがない。
 おそらく迎田涼子の立っている地点こそが、その路地裏との接点なのだ。だからこそ、彼女は攻撃にも逃げにも転ずることなく、その場に留まり続けている。
「いい加減にしてくれないか。俺は君とこんな異界で遊んでいたいわけじゃない。ただ、君のやろうとしていることを知りたい。君たちが、意図的に変異性災害を起こそうとする理由を知りたいだけだ」
 “君たち”。その言葉に一瞬だけ迎田涼子が反応した。
 今まで途切れることなく続いていた祝詞が、ほんのひと時だけ途切れる。それに合わせて彼女の周りを浮遊していた札が乱れた。火群の撃ち出した幻の焔達が、この機会を逃すまいと彼女に向かって殺到する。
 爆発音も、叫び声も、これといった目立った反応もないまま、迎田涼子は火だるまになる。そして、彼女の祝詞が完全に途切れると共に、まやかしの風景の輪郭がぼけていった。火だるまになった彼女は、後ろに倒れるように身体のバランスを崩し、そして消えた。
 火群は彼女を追うように彼女が立っていた場所へと足を踏み入れ、視界が元の路地裏に戻ったのを確認した。
 路地裏の至る所には赤褐色の小鬼たちが蠢き、小指程度の小さな弓矢で火群の姿を狙っていた。火群の視界からすっかり異界の気配が消えたと同時に、何百本という矢が火群に向かって飛んでくる。
 トン
 火群は物怖じすることなく、右足で一度地面を踏みつけた。そして、次の瞬間には路地裏が紫色の焔に包まれた。焔は矢と小鬼を漏れなく喰らい、小鬼たちの断末魔を呑みこんで火群の左手へと集まる。彼が左手で火種をもみ消した時には、路地裏に異形の気配は残っていなかった。
「初めから逃げることまで計算に入れていた……結界の中で粘ったのは、あれだけの小鬼を呼びだすまでの時間稼ぎか?」
 優秀な学生に過ぎないと、どこかで甘く見ていたのかもしれない。火群は携帯端末の電源を入れ、対策係へと連絡を入れた。
「やあ、恵理ちゃん?」
「係長ですか。今まで何処で何をしていたんですか」
 久しぶりに聞いた部下の言葉には明らかな怒気が含まれている。きちんと事情を説明しないと許しはでないだろうと思うところだが、今は説明している時間が惜しい。
「その説明は後でする。それより、俺の現在地はそちらで特定できるな?」
「後で説明するって、係長、いったい今どうなっているのか、状況を理解しているんですか?」
「ああ、理解しているさ」
「では、今日は何月何日ですか」
「5月31日……いや6月1日か」
「係長、本当に大丈夫ですか。今日は6月10日ですよ」
 まるで浦島太郎だ。あの異界に入っていた数時間で、現実には10日以上も時間が経過していたというわけか。
「ああ、まあその辺は後で聞くよ。それより、仕事。ウチの管轄で荒事を企てた奴が一人、逃走中だ。現在地は」
「いきなり言われてもわかりません。説明をお願いします」
「それも後。まず、俺の現在地」
「特定できています」
「よし。状況が終了したら、指定エリア住民達に精神変異がないかチェックする」
「ちょっと待ってください。係長、何をするつもりですか」
「狩りだよ狩り」
 端末をコートのポケットに突っ込み、両目を閉じる。心の中に扉をイメージする。頑強な鎖で縛られた扉に手をかけ、力の限り鎖を引きちぎる。
 火群の霊気が大きく膨らみ、彼の精神を内から燃やしつくそうと暴れまわった。
「火群の焔は禁術なんだそうだ。禁術ならば、承継者なんて求めなきゃいいのにな」
 誰に語りかけるわけでもない、もしかすると、懸命に逃走している迎田涼子に向かって語りかけているのかもしれない。
「焔は焔と惹かれあう。一度火群の焔に触れた者はそう簡単には逃れられない」
 目を開いた火群の身体から、空に向かって幾本もの火の矢が吐き出される。火の矢は火群を中心に円形に広がり、周囲に降り注ぐ。
 建物や人間が燃えることはない。地面に到達した火の矢は、紫色の発光を残してその灯を消す。道行く者たちにもその姿が見えることはない。火群が放ったのは、同胞を求めて彷徨う焔だ。火群から放たれた焔の残滓を内に秘める者だけが火の矢に反応し、その内なる焔に心身を焼きつくされていく。

*******

【6月10日 夜】

 街の中でただ一人、火の矢が降り注ぐ光景に恐れをなしていたのは、異界から逃走し、一刻も早くその場を離れようとしていた迎田涼子だけだった。
「何よ、これ」
 彼女は降り注ぐ紫の焔にたじろいだ。火群たまきが彼女に放った焔と同じ色だ。時折見かける通行人には、その焔がまるで見えていない。涼子だけがただ一人、空から降り注ぐ焔に驚き、逃げていた。
 今のところは深く被ったコートのフードが焔を弾いてくれる。フードの内側や衣服の中に仕込んでおいた護符が他者の呪術を拒絶する限り、火群の焔に負けることはない。その効果が持続しているうちに逃げるしかない。しかし、異界で受けた最後の一撃、護符の一部をたやすく焼き払い、涼子の精神を焼かんとしたその記憶が蘇り、数歩ごとに歩みを止めそうになってしまう。まるで、身体の中であの焔が燃えているかのように熱く、苦しい。
「嘘でしょう。こんな」
 吐き気を催し右手で口元を押さえようとして、涼子の心は恐怖に囚われた。彼女の右手の掌からは、チロチロと紫の焔が顔を覗かせていた。根元から膨らみ、より大きく燃えようとするその焔は、降り注ぐ火の矢に誘われて涼子の身体から出たがっているようだった。
 怖い。涼子は身体の中から吹き出そうな焔を抑えながら、脇道に逃げ込んだ。
「おや、こんなところで会うとは奇遇だね」
 身体の中の焔に怯えながらも顔を上げると、いつか見た顔があった。
「なんで、ここにあなたがいるの。そう思ったのだろう。私だって好きでここにいるわけじゃない」
 涼子は状況を説明しようと口を開いたが、とっさに相手に口を押さえられた。
「駄目だよ、口を開けたら。君の中の焔が出てきてしまうだろう」
 彼は、鮮やかな手際で涼子の後ろに回り込み、涼子の両腕を締め上げた。そして口をふさいだまま耳元で囁く。
「君だって薄々わかっているはずだ。君の身体は、火群たまきの焔に侵されている。この雨が降り続ける限り、君の身体に入りこんだ焔は君の外へと出ようと暴れ続けるだろう。それを抑えこむには語らず、開かずだ」
「君にあげたその護符や法衣も長らく雨に当たり続ければやがて拒絶の力を失ってしまうだろう。そうしたら、火群は君が此処に隠れていることに気がつくし、君の身体は内から紫の焔に焼きつくされるかもしれない。怖いだろう。それは厭なのではないか。ああ、頷かなくてもよい。私も同じだ。君が火群の焔に焼かれてしまうのはとても恐ろしい」
 ならば、この焔を、私の中から出ようとしている焔をどうにかしてはくれないか。
「もちろんそのつもりだよ。ことり。だが、その前に一つ処理をしておかなければならないことがある」
 彼は、私の名前を、出遭った時のそれではなく、もう一つの名で呼んだ。ことり。彼がそう呼ぶということは、彼が此処に来た理由とはすなわち
「ああ。そうだよ。決議の結果、ことりは処分されることになった。これは彼等の総意さ」
 違う。私はカラスに陥れられたのだ。それに、火群たまきを押しとどめている。今もこうして私を追っている以上、柴田幹人の件は予定通りに進んでいるのではないか。
「君が火群たまきを足止めしたことは素晴らしい。それは同意しよう」
 ならば、なぜ私が処分されなければならない。
「総意は総意であって、私の一存ではないし、私は彼らが何を思って参加しているのかを知る立場にはない。ところでことり。一つ昔話をしよう。なに、焦ることはないさ。火群の雨はまもなく尽きる。これ以上降り続ければ、彼の方が変異性災害になってしまうだろうからね」
 涼子の身体の自由を決して許さず、彼は耳元で囁き続けた。涼子は、自分が怖がっているのはもはや火群たまきでも、内なる焔でもなく、自分を拘束している背後の男だということに気がついた。
 この男は、自分に何をするつもりなのか。それに、さきほどから涼子は一言も口を聞いていないのにも関わらず、涼子と彼との間では会話が成立している。
 いったい、背後の男とは何なのか。
「君は、ハーメルンの笛吹き男という話を知っているだろうか。鼠に困っていたハーメルンの街にやってきた男が笛を吹いて鼠を追いたてたという話だ。街の人々は彼のその能力に寄りかかったが、彼に対価を渡すことはなく、怒った彼は笛を吹いて、街中の子供を連れ出してしまったそうだ」
 どうして、今ここで笛吹き男の話なのか。涼子は混乱した。男は涼子の口を塞いでいた手を離し、その手で彼女の首を押さえた。
「さて、君はどうだろう。鼠かね、それとも、子どもだろうか、もしくは街の人々か」
 質問の意図が読めない。
「おや、答えてくれないのかな、ことり」
 心なしか首元に触れた手に力が入った。
 早く答えなければ殺されるのではないか。
 涼子は必死に思い出す。自分の知る限りの笛吹き男の話の顛末を。
 確か、笛吹き男が連れ出した子どもたちは、行方は分からなくなっただけだが、鼠は皮に溺れて死んだ。街の人々は単なる観客に過ぎない。
 今の涼子にとって最良なのはどれか。この様子では、背後の男にいくら訴えたところで、構成員の総意が覆ることはないだろう。ならば、処分という形で姿をくらませ、再び力をつけるのが最良なのか。
「子ども。私は……子どもだ」
 ほう。興味深そうな声を吐き、背後の男が涼子から離れた。
 助かった。これで、私は助かる。そう思った途端、緊張がほぐれたのか、胸が熱くなった。体中から湧きあがる熱は、生きているという実感だろうか。
 いや。
 身体中から溢れる熱は留まる事を知らず、ついには身体中が燃えるように熱い。否、涼子の身体は今、燃えている。
「こ、れは、ど、ういう」
 不思議と痛みはないが、意識はどんどんと遠のいていく。涼子は振り返り、背後に立っていた男を見据えようとした。だが、身体は言う事を聞かず、彼女の身体は崩れ落ちる。
 それでも、涼子は男の足元に手を伸ばした。私は、自分が生きるための選択をしたのではなかったのか。
「君は子どもだと名乗ったではないか。笛吹き男は子どもを街から連れ去った。それは何でだと思う」
 男がしゃがみこみ、頭上で彼女に語りかけてくる。その声には、先ほどまでの囁きとは異なり、愉悦が含まれていた。
「笛吹き男は子どもが欲しかったんじゃない。子どもがいなくなることで怯える街の様子が楽しかったのさ。子どもは街に変化をもたらすための呼び水なのだよ」
 何を言っているのだ、この男は。
「私は君が火群の焔で焼かれてしまうのは忍びない。だから、火群の焔から君を救おうと思う。同時に、君自身が“子ども”でありたいと願うならば、その手助けをすることも厭わないさ」
 待て。私はそういうつもりではない。反論しようにも声が出ない。もう視界も暗く何もみることができない。迫ってくる終わりの横で、ただ、あの男、迎田涼子をこの道へと引きこんだ、ナナシと名乗る男の声だけが、彼女の耳へと届いていた。
「ことり。いや、迎田涼子。偉大なるハーメルンの子どもよ。君のその選択が、この街に新しい物語を呼びこまんことを」
 やがて、音も聞こえなくなり、迎田涼子は燃え尽きた。

―――――――


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若草八雲
年齢:
37
性別:
非公開
誕生日:
1986/09/15
職業:
××××
趣味:
読書とか創作とか
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色んなところで見かける人もいるかもしれませんがあまり気にせず。
ブログとか作ってみたけれど続くかどうかがわからないので、暇な人だけ見ればいいような。
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