作成した小説を保管・公開しているブログです。
現在は連作短編が二篇の他,短編小説,エッセイの類を掲載しています。
連作小説の更新ペースは随時。二か月に三回を最低ラインとして目指しています。
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2025.01.22 Wednesday
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とおりゃんせ5(了)
2013.06.27 Thursday
黒猫堂怪奇絵巻1 煙々羅
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る
黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ1
黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ2
黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ3
黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ4
―――――――
6
くーろくろさん。くーろくろさん。どこですか?
あれ? いない。あれ? いない。こっちにはいなーい。
くーろくろさん。くーろくろさん。どこですか?
みぎ? ひだり? それともうしろ?
いつ、誰が始めた遊びであったか、子供たちは誰ひとりとして思い出せない。けれども、風見山に住む子供たちは定期的にこの遊びをする。「くろくろさん」と呼ばれる遊びは、子に見つからないようにくろくろさんが後をつける遊びだ。子役を割り振られた子供は、くろくろさんたちが作戦を練る間に自分の歩く道を決める。歩く道を決める時には、くろくろさんの数だけ曲がり角を曲がらなければならず、この曲がり角を曲がる行為こそが子がくろくろさんに対抗する唯一の術となる。
子が道を決めると、くろくろさん遊びが始まる。子はくろくろさんがいるところから決めた道を歩いていく。この際、決して走ってはいけない。くろくろさんは子に見つからないように後ろをついていく。定めたルートを歩き切るまでにくろくろさんを全て見つける、あるいはくろくろさんが曲がってくる前にゴールにつけば子の勝ちだ。
但し、子は道なりに歩いているときは振り返ってはならず、振り返ってしまえばその時点で子は負けとなる。これを狙って、子の後ろでくろくろさんたちが囃したてることすらある。
その代わり、子は曲がり角を曲がった後、暫くの間に一度だけ元の道にくろくろさんを探しに戻ってこられる。このときだけは後ろを振り返ることができるのだ。もっとも、この引き返すという行為にも制限があり、子は今歩いている道と交差している場所以外を歩いてはいけない。
こうしたルールの下、子は元の道に引き返す時に全てのくろくろさんを見つけるか、引き返すことをせずにいくつか角を曲がり、ゴールを目指すかを選択できる。
とても細かいルールであるのに、子供たちはこれを破ることがない。どうやってできたのかもわからないゲームに、今日も風見山の子供たちは挑んでいる。
何度も風見山を訪れているうちに、私の中でこのくろくろさんと呼ばれるゲームに関する一つの疑問が湧いた。それは、子役の勝利条件である。
子役が勝つ一番簡単な方法は、くろくろさんを見つけやすいルートを設定し、くろくろさんを見つけてしまうことだ。現に、私が風見山を訪問している間にみかけたくろくろさん遊びのほとんどはくろくろさんを見つけきるか、子が曲がり角以外で後ろを振り返ってしまうことで終了する。しかし、時にゴールを目指して先へ進もうとする子がいるのも事実なのだ。
風見山地区は迷路のように路地が入り組んでいるから、くろくろさんを巻き切れると考えているのだろう。初め私はそう思ったし、そう考えた時、これはゲームとして破たんしていると思った。だって、そうだろう。くろくろさんたちは、子役が曲がる回数はわかっていても、ゴールの正確な位置はわからない。子役が数回角を曲がってしまえば、くろくろさん達は子を追いかけることができない。かといって,子役が曲がり角の先から戻ってくるタイミングなど掴みようがない。振り向いた瞬間に後ろを歩いていればくろくろさんは見つかってしまうから,追いかけるのは必然的に子どもが戻る選択をした後になる。
こうやって考えていくと,くろくろさんに選ばれた子どもたちに課せられた条件は余りに不利なのだ。
けれども、不思議なことにどれだけ子役が先に行こうとも、くろくろさん達は正確に子役の歩いた道を追跡する。これは、私が実際に彼らの遊びに同行させてもらって初めて気が付いたことだ。彼らは子役の歩いた道を知る術を持っているのである。
タネを明かしてしまえばなんのことはない。子役は初めに道を決める際に、子供たちの中で予め定めたルールで道にマーキングをほどこしているのだ。くろくろさんはそのマーキングを確認しながら子を追跡している。それを知って街中を歩いてみれば、いろんなところに彼らが消し損ねた遊びの痕跡が残っている。
このようなことを考えた風見山の子供たちの創意工夫はすごいものだと、私は素直に感心した。そして、くろくろさん遊びの秘密を知って街を眺めることで、あることに気が付いた。
風見山地区の民家等には、子供の背丈では到底届かないところにも、同様のマーキングが施されている。私は風見山地区に来るきっかけとなった神隠しの話を思い出していた。確か、いつもと同じ道を歩いていたはずが、普段と違う景色に迷い込んでしまったという話ではなかっただろうか。そう、突然姿を消してしまうという話ではなく、あくまで歩いていった結果、見知らぬ場所へと迷い込むという体裁の話だったはずだ。
この時、私の中で一つの仮説が組み上がっていた。神隠しの話に出てくる普段と違う景色とは、風見山地区で生活する人間は通常通らないルートを通った結果見えてきたこの街の異なる姿なのではないかと。そして、子供の背丈よりも上にあるマーキングは、神隠しの街を見るためにつけられたものなのではないかと。
それから、私は街中を歩き回ってそのマーキングを探しだした。今手元にある地図には見つけ出した全てのマーキングが書きこまれている。しかも,いつ記したのかわからない順番までも丁寧に書きこまれている。どこの道から始めるべきか、そして何処に辿りつけるかが一目瞭然だ。
私は今、風見山の麓に近い辺りから、マーキングに従い街中を歩き、街の上部までやってきている。これより上にあるのは、名の知られていない神社と、何のために作られたのかはっきりしなかった石の祠だけだ。そういえば、以前風見山に来た時、こどもが石の祠の方に行ってはいけないと述べていなかったか。石段がずっと繋がっていて、途中で曲がるはずなのに友達が上り続けていったと。
もしや、その上り続けた子供というのは神隠しにあったのではないだろうか。その子供は、意図的か、偶然かはわからないが、今の私と同じように街中をめぐりあるき、そして、目の前の角を曲がったのではないか。その先には、神隠しと呼ばれた誰も知らない街の情景が広がっており、子供はそこへ入り込んだのではないだろうか。
私は、自分の胸の高鳴りが抑えられなくなり、曲がり角に向かって走り出していた。勢いよく振り向いた先には、何度も見た寂れた石段が目に入る。今までと異なるのは、石段の向こう側に薄紫色の靄がかかっていることだけだ。靄のせいで先が見えず、石段がどこまでつながっているのかわからない。
「これだ」
思わず声が出てしまう。私はついに見つけたのだ。これが、あの女が言っていた神隠し、願いのかなう土地への入り口に違いない。私は意気揚々と石段に足をかけた。これで全てが戻ってくる。私の時計もこの街と同じように止まり、いや、遡るのだろう。どうか、私の願いを叶えて欲しい。
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る
黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ1
黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ2
黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ3
黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ4
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くーろくろさん。くーろくろさん。どこですか?
あれ? いない。あれ? いない。こっちにはいなーい。
くーろくろさん。くーろくろさん。どこですか?
みぎ? ひだり? それともうしろ?
いつ、誰が始めた遊びであったか、子供たちは誰ひとりとして思い出せない。けれども、風見山に住む子供たちは定期的にこの遊びをする。「くろくろさん」と呼ばれる遊びは、子に見つからないようにくろくろさんが後をつける遊びだ。子役を割り振られた子供は、くろくろさんたちが作戦を練る間に自分の歩く道を決める。歩く道を決める時には、くろくろさんの数だけ曲がり角を曲がらなければならず、この曲がり角を曲がる行為こそが子がくろくろさんに対抗する唯一の術となる。
子が道を決めると、くろくろさん遊びが始まる。子はくろくろさんがいるところから決めた道を歩いていく。この際、決して走ってはいけない。くろくろさんは子に見つからないように後ろをついていく。定めたルートを歩き切るまでにくろくろさんを全て見つける、あるいはくろくろさんが曲がってくる前にゴールにつけば子の勝ちだ。
但し、子は道なりに歩いているときは振り返ってはならず、振り返ってしまえばその時点で子は負けとなる。これを狙って、子の後ろでくろくろさんたちが囃したてることすらある。
その代わり、子は曲がり角を曲がった後、暫くの間に一度だけ元の道にくろくろさんを探しに戻ってこられる。このときだけは後ろを振り返ることができるのだ。もっとも、この引き返すという行為にも制限があり、子は今歩いている道と交差している場所以外を歩いてはいけない。
こうしたルールの下、子は元の道に引き返す時に全てのくろくろさんを見つけるか、引き返すことをせずにいくつか角を曲がり、ゴールを目指すかを選択できる。
とても細かいルールであるのに、子供たちはこれを破ることがない。どうやってできたのかもわからないゲームに、今日も風見山の子供たちは挑んでいる。
何度も風見山を訪れているうちに、私の中でこのくろくろさんと呼ばれるゲームに関する一つの疑問が湧いた。それは、子役の勝利条件である。
子役が勝つ一番簡単な方法は、くろくろさんを見つけやすいルートを設定し、くろくろさんを見つけてしまうことだ。現に、私が風見山を訪問している間にみかけたくろくろさん遊びのほとんどはくろくろさんを見つけきるか、子が曲がり角以外で後ろを振り返ってしまうことで終了する。しかし、時にゴールを目指して先へ進もうとする子がいるのも事実なのだ。
風見山地区は迷路のように路地が入り組んでいるから、くろくろさんを巻き切れると考えているのだろう。初め私はそう思ったし、そう考えた時、これはゲームとして破たんしていると思った。だって、そうだろう。くろくろさんたちは、子役が曲がる回数はわかっていても、ゴールの正確な位置はわからない。子役が数回角を曲がってしまえば、くろくろさん達は子を追いかけることができない。かといって,子役が曲がり角の先から戻ってくるタイミングなど掴みようがない。振り向いた瞬間に後ろを歩いていればくろくろさんは見つかってしまうから,追いかけるのは必然的に子どもが戻る選択をした後になる。
こうやって考えていくと,くろくろさんに選ばれた子どもたちに課せられた条件は余りに不利なのだ。
けれども、不思議なことにどれだけ子役が先に行こうとも、くろくろさん達は正確に子役の歩いた道を追跡する。これは、私が実際に彼らの遊びに同行させてもらって初めて気が付いたことだ。彼らは子役の歩いた道を知る術を持っているのである。
タネを明かしてしまえばなんのことはない。子役は初めに道を決める際に、子供たちの中で予め定めたルールで道にマーキングをほどこしているのだ。くろくろさんはそのマーキングを確認しながら子を追跡している。それを知って街中を歩いてみれば、いろんなところに彼らが消し損ねた遊びの痕跡が残っている。
このようなことを考えた風見山の子供たちの創意工夫はすごいものだと、私は素直に感心した。そして、くろくろさん遊びの秘密を知って街を眺めることで、あることに気が付いた。
風見山地区の民家等には、子供の背丈では到底届かないところにも、同様のマーキングが施されている。私は風見山地区に来るきっかけとなった神隠しの話を思い出していた。確か、いつもと同じ道を歩いていたはずが、普段と違う景色に迷い込んでしまったという話ではなかっただろうか。そう、突然姿を消してしまうという話ではなく、あくまで歩いていった結果、見知らぬ場所へと迷い込むという体裁の話だったはずだ。
この時、私の中で一つの仮説が組み上がっていた。神隠しの話に出てくる普段と違う景色とは、風見山地区で生活する人間は通常通らないルートを通った結果見えてきたこの街の異なる姿なのではないかと。そして、子供の背丈よりも上にあるマーキングは、神隠しの街を見るためにつけられたものなのではないかと。
それから、私は街中を歩き回ってそのマーキングを探しだした。今手元にある地図には見つけ出した全てのマーキングが書きこまれている。しかも,いつ記したのかわからない順番までも丁寧に書きこまれている。どこの道から始めるべきか、そして何処に辿りつけるかが一目瞭然だ。
私は今、風見山の麓に近い辺りから、マーキングに従い街中を歩き、街の上部までやってきている。これより上にあるのは、名の知られていない神社と、何のために作られたのかはっきりしなかった石の祠だけだ。そういえば、以前風見山に来た時、こどもが石の祠の方に行ってはいけないと述べていなかったか。石段がずっと繋がっていて、途中で曲がるはずなのに友達が上り続けていったと。
もしや、その上り続けた子供というのは神隠しにあったのではないだろうか。その子供は、意図的か、偶然かはわからないが、今の私と同じように街中をめぐりあるき、そして、目の前の角を曲がったのではないか。その先には、神隠しと呼ばれた誰も知らない街の情景が広がっており、子供はそこへ入り込んだのではないだろうか。
私は、自分の胸の高鳴りが抑えられなくなり、曲がり角に向かって走り出していた。勢いよく振り向いた先には、何度も見た寂れた石段が目に入る。今までと異なるのは、石段の向こう側に薄紫色の靄がかかっていることだけだ。靄のせいで先が見えず、石段がどこまでつながっているのかわからない。
「これだ」
思わず声が出てしまう。私はついに見つけたのだ。これが、あの女が言っていた神隠し、願いのかなう土地への入り口に違いない。私は意気揚々と石段に足をかけた。これで全てが戻ってくる。私の時計もこの街と同じように止まり、いや、遡るのだろう。どうか、私の願いを叶えて欲しい。
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風見山の麓、歩道が石畳に変わるところから一歩目が始まる。黒地図の噂、それに出てくる黒服の集団は、必ず目撃者の背後に現れる。それは、黒服の集団が他人の歩いた道を集めて地図を作るからだという。彼らが求めているのは特定の地域の地形ではなく、誰かの歩いた痕跡ということなのだろう。
風見山地区の子供たちは、いつからか意識せずにある遊びを行っている。その遊びは、他人の歩く道筋を追いかける遊びだ。話を聞いてみると、いつからその遊びをしたのか、その記憶は誰にもない。遊びの出自について尋ねたときだけ、子供たちは呆けた表情を見せる。それは、怪異によって心を喰われた人々がみせる表情によく似ていた。
秋山は仮定する。この街には、ある怪異が存在している。その怪異は人の痕跡をついてまわり、その姿を隠し、記憶を喰らう。但し、喰らう記憶は子供の遊びの記憶だけだ。そんなことがあるだろうか。それに、岸が見つけた高校生の症状はその仮定とは結びつかない。彼は自分が誰であるかすらまともに語れないほどに心が喰われている。子供達と高校生の違いは何処か。
秋山は風見山地区の住宅街へ、石畳の路地裏へと進んでいく。先の仮定が誤っているのならば、それはどの点においてか。火群たまきは何故石段の噂と同じように隠れ家の噂と呼ばれる記事を記録したのか。“迷い家”と目されるそれは、風見山地区と関係があるのか。
一つ目の曲がり角、周囲を注視すると、家屋の軒先に小さな傷がつけられている。その傷にまとわりつくのは、陰気とも陽気ともつかない異界の気配だった。傷は軒先の縁に合わせてつけられており、見つけた者に曲がる方向を指し示している。試しに傷に従って曲がってみると、二つ目の角にも同様の傷がつけられていた。今度は左。
風見山の子供たちはクロクロさんと呼ぶその遊びの中で、子役が道筋を残して逃げるというルールを持っていた。そのルールがあるから、クロクロさんは迷わないし、子役には逃げ切るという勝ち筋が与えられる。そういうものだと理解することは間違っていないはずだ。けれども、本当にそれだけだろうか。子供たちの行為は、秋山の目の前の傷と似てはいないだろうか。通った道筋を他人が追跡できるようにするための儀式。
子供たちは遊びの出自に関する記憶を失くしたのではない。知らず知らずのうちに、怪異の行動を模倣させられているのではないか。風見山で遊ぶ子供たちは、それを辿る秋山のような者が、答えに辿りつけるために用意されたピースの一つなのではないか。
ならば、目の前に見える石段を上ることは、何者か、あるいは何かの思惑に乗ることになるのではないだろうか。
秋山は今、紫色の靄がかかる石段を前に足をとめている。今まで歩いてきた路地裏の方を振り返ると、知らないうちにそちらも霧に包まれたようである。秋山が立っている場所は七鳴神社の参道のすぐ隣のはずだ。だが、周囲が深い霧に閉ざされてしまい、彼が把握できる唯一の道は、紫の靄へと続く石段のみとなっている。周囲の霧は圧迫感を持って秋山に迫っており、彼を石段へ押し出したくてたまらない様子である。
石段の先にあるのは確か……子供たちからクロクロさんと呼ばれる名もなき祠だ。
意を決して、石段を上る。靄に身体が包まれ始めると、背後の霧が引いていくのが感じられた。やはりあの霧は迷い込んだ者をこちらへと押し出すためのものだったのだろう。
今なら戻れる。そう思って振り返ったが遅かった。
秋山の眼下には終わりの見えない石段が、上を見れば、やはり頂上の見えない石段が続いていた。秋山は、何処ともわからない石段の中腹に一人立ちつくしている。右手には先が地面なのか中空なのかもわからないほどに濃い霧が、左側にはおおよそ人が上るには苦しい高い崖がそびえている。
「……これが無限につづく石段というわけか」
*******
――通りゃんせ 通りゃんせ
「なるほど、それは確かに君が悪いんじゃないかな。畳のへりを踏む。敷居を踏むっていうのは、マナー違反と言われているじゃないか。注意されて当然だよ」
――ここはどこの 細通じゃ
「理由が知りたい? 相変わらず、君は変わったことに興味をもつね。合理的な理由を述べるとするのならば、畳のへりや敷居は建物を構成する重要な個所だけれど、床と違って出っ張りになっていたりするものだから、踏むと壊れてしまうんだよ。建物を長持ちさせるための秘訣というわけだ。
もっとも、畳のへり、敷居を踏んではいけないのには他の理由もあるかもしれない。そうだね。こちらの方が君の好みに合致するかもしれない」
――天神様の 細道じゃ
「敷居や畳のへり……この場合はまとめて“敷居”としてしまっていいだろう。敷居っていうのは、部屋の輪郭を構成する部分でありながら、部屋の内と外を繋ぐ線でもある。部屋の内と外、それを分けているのは壁や窓も同じだって? もちろんそのとおりだ。けれども、人は通常、部屋の壁や窓から出入りするわけではないだろう。そう、内と外を分ける境界線であるにも関わらず、内と外を繋いでいる曖昧な境界線、それが“敷居”というわけさ」
――ちっと通して 下しゃんせ
「敷居は、部屋の外から内へと誰かを招き入れることができる場所でありながら、外と内を分かち続けなければならない。開いていながらもそこに“敷居”が存在していることで、内と外の連続性は遮断されているんだ。ところが、外界から来た者、あるいは内から外へと出る者が、敷居を踏んでしまうとどうなるか。踏まれた敷居は、来訪者を通して内外と接続されてしまう」
――御用のないもの 通しゃせぬ
「つまり、敷居を踏むという行為は、行為者を通して敷居の内と外を繋いでしまう行為なんだよ。建物とは自分の領域を外と区別するためにつくられたものなのに、あろうことか来訪者によってそれが繋がってしまう。それでは本末転倒だろう?」
――この子の七つの お祝いに
「でもね、内と外を繋げる。その敷居を踏むという行為こそが、望みをかなえる術ということもあるのさ。そう、内に溜まっていたモノを外へと吐き出すための一手にね」
――お札を納めに 参ります
「もっとも、僕が踏んでしまいたい敷居はおよそ目にすることは困難でね。気が付けば内と外を繋げることなく、敷居を跨いでしまうかもしれない。そして、一度その敷居を跨いだならば、その敷居が何処にあるのか、わからなくなってしまう」
――行きはよいよい 帰りはこわい
「そう、よくわかっているじゃないか。覗きこんだら最後、僕たちはこちら側へ戻ってこれないかもしれない。だからこそ、何度も実験を重ねるのさ」
実験で戻ってこられなかった人はどうするのかって? 面白い事を聞くね。そんなものは覗きこんだ本人の責任だろう?
――こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
<黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ 了>
―――――――
黒猫堂怪奇絵巻3とおりゃんせは,ここで終了です。
前回の虎の衣を駆るとは異なり,とおりゃんせで事件は終息せず,次回,黒猫堂怪奇絵巻4迷い家へと発展していきます。
<次回予告>
巻目市風見山地区に広がる『終わらない石段の噂』,そしてその付近で発生する短期失踪者とその記憶喪失。変異性災害の可能性を踏まえ,調査を始めた秋山恭輔は,終わらない石段の異界へと迷い込み,現実から姿を消してしまう
秋山が異界に迷い込んだのと同時期に,記憶を失っていた短期失踪者達が,物語を騙り始める。彼らの語る物語の中に現れる,秋山恭輔という名前。夜宮たちは,消えた秋山の行方を追うと共に,風見山地区で進行する変異性災害の正体の解明へと動き出す。
他方,変異性災害対策係係長火群たまきは,人為的な変異性災害の発生を目論む者の影を追うなかで,とある女性の名前に行きあたる。
次回,黒猫堂怪奇絵巻4 迷い家。
・今後の予定
輪入道と暮らすほのぼのボヤ生活:1章「輪入道に出遭った話」
ドッペルゲンガーのパラドックス:狩人の矛盾【2:キャリー・デュケイン氏について】
黒猫堂怪奇絵巻4:迷い家
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