忍者ブログ
作成した小説を保管・公開しているブログです。 現在は連作短編が二篇の他,短編小説,エッセイの類を掲載しています。 連作小説の更新ペースは随時。二か月に三回を最低ラインとして目指しています。
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

虎の衣を駆る3
<前回まで>
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る1
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る2
―――――――
虎の衣を駆る3


 獣は私の肩にかけた爪を外し、私の怯えきった顔を見つめながら数歩後退した。私は血が流れ出し痛む肩を押さえながらどうしたら目の前の獣から逃げられるか必死に考えようとした。
 けれども、獣の眼に宿る理性の光がどうしようもなく私を捕え、その場を離れることを許さなかった。獣はの眼は私と床の間を何度も行き来し、やがて部屋の闇の中へとその身体を隠してしまった。
 私は獣が暗闇の中から出てこないことを確認し、ゆっくりと座り込んだまま後退りを始めた。傷口を押さえている手が服に染みた血の感触を覚えると、途端に自分の死というものが怖くなる。全身が震え、冷えていく自分の身体に焦りを感じた。けれども、周囲を見渡しても自分が部屋のどこから来てどこにいるのか、部屋の出口はどこにあるのかが皆目見当がつかなくなっていた。声を上げようにも、暗闇の中にはまだあの獣がいるかもしれない。
 私は、獣の姿がなくなって初めて、自分の身の危険を感じとりパニックになったのだ。
 そうして、私が右に行くか左に行くかすら決められず、じりじりと血を流し続けていると、獣が消えた暗闇の向こうで「何ということだ」と繰り返し呟く声が聞こえた。それは何処かで聞いたことのある声であるが、誰の声であったか思い出せない。
 いや、暗闇の中で聞こえる声が唸り声と重なっているからわからないだけだ。唸り声が途切れた時の声は聞き覚えがある。

「その声は、××××ではありませんか? ××××、返事をしてください」

 思い至ったその名前を呼ぶと、周囲の暗闇がぐにゃりと歪んで私から離れた。それに合わせて暗闇に消えたはずの獣の前足が視界に入る。「ひっ」と小さく声をあげ、後ろに下がった私に対し、獣は飛びかかることもなく、ただ前足を小さく挙げて前に進み出た。しかし、先ほどまで聞こえていた××××の声がしない。暫くすると、暗闇から再びしわがれた声が聞こえた。
「私だ。確かに今ここにいるのは××××だ」
 声がしたのは前足の向こう側。私は声の主を探そうとすれば獣に出くわすと考え、探しに行くことを躊躇った。
 しかし、部屋から抜け出る方法も目の前の獣から逃げる方法も思い至らない。ただ、生きられる可能性が徐々に減っていくだけだ。ならば、この身を守る必要などない。そう思い直し、×××××の声のする前足の方へと這いでた。
「××××、どうして姿を見せてくれないのですか。助けてください。××××」
 私の声に暗闇の奥の獣が小さく唸った。余計な刺激をしてしまったかと身を固くしたが、獣は前足以上に闇のなかから顔を出すことがない。代わりに××××の声が答えた。
「私は卑しい獣の姿に身を落としてしまっている。お前の前に私の姿を全てさらすことは出来ぬ。そのようなことをすれば、先ほどのように私の卑しい獣の本性がお前の身を切り裂こうとするに違いない。お前を助けることができずに本当にすまないと思っている。肩口の傷が酷くならないうちにどうかこの部屋から立ち去ってくれはしないだろうか」
 私は、××××のその声を聞いて、あの獣が理性の光を宿した意味を知った。

*******

「父様は亡くなったのです。事態を理解していらっしゃるのですか博美兄様」
 宿見美代は、かれこれ10分以上、宿見博美に対して宿見家の現状を説明している。宿見美代、香児、香代並びに使用人の佐久間・岸辺の5人は、事件から一日が経とうとする今も、宿見邸の客間に籠っていた。壁にはスクリーンが設置され、海外へと出かけている長男宿見博美の顔が映されている。
 新造の死体が発見されてからというもの、宿見家は市の環境管理部の職員らにより屋敷内を徹底的に捜索された。美代ら5人も、新造の死亡前後にわたる様々な事情について入れ替わり立ち替わり事情聴取を受けている。陽が落ちてから暫く経ち、さきほどようやく職員たちが立ち去ったところである。
「話はわかっているつもりだ。だが、保管庫に残された品々の転売を進めないわけにはいかない。あのような物、持っていて害はあっても得はないのだよ。今回の件でよくわかったじゃないか。あれらが更に面倒事を引き寄せないうちに全て処分する手はずを整えるべきだと言っているんだよ」
 博美はこの状況に対し、環境管理部の指示に従いつつも、一貫して早いうちに骨董品の転売を行うべきであると主張し続けている。保管庫の骨董品は、亡き祖父の遺品である。と言っても、祖父の蒐集品はいわつきの品が多い。それが気味が悪く、長らく誰も保管庫に近寄らなかった。新造が骨董品の処分を始めた時も、家族は揃ってそれを見守る以外の行動を起こさなかった。保管庫の中にある物が怖かったのである。
 それに加えて今回の事件だ。あれらは宿見家に対して不幸を呼ぶ。持っていても価値など見いだせない。故に、保管庫の骨董品を早々に処分するという博美の意見に皆が賛同している。
 しかし、現在宿見邸にいる者たちはほとんど保管庫の品の価値を理解できないのである。転売すると言ってもどうしてよいかがわからない。
「父さんだって保管庫の物についてはよくわかってなかったんだろ? だから……ほら、祖父さんが作ったリストを見つけて初めて売りに出すって決めたんだし。そうだよ、姉さんは父さんが持っていたリストが何処にあるか知らないの?」
 香児の質問に美代が小さく首を振る。
「父様の書斎を含めどこを探しても見つからないの。佐久間と岸辺にも心当たりの場所を探してもらったけれど、父様のリストは見当たらないわ」
「それじゃあ、父さんを殺した犯人は、例の物品以外にもそのリストを盗んだんじゃないか? なんで役所の奴らに言わない。いや、そもそも、これは立派な犯罪じゃないか、どうして警察主体で捜査が始まらないんだ」
「警察が入ってこないのは仕方がない。保管庫に保管されていた品々はどれも曰くつきのものだったろう。それに、美代の話を総合するに、今回の事件は私たちには理解のできない何かがあるとされたのだろう? それが変異性災害と認定された理由だ。
 少々調べてみたのだが、変異性災害の発生が認定されると、変異性災害対策係が合同捜査をする権限を有するのだそうだ。実質的には変異性災害対策係が主導となって捜査をするのが現状で、一通り事件の全容が解明されて初めて警察に主導が移る運用になっているらしいがな。
 まあ、誰が捜査に当たるかなど些細な問題じゃないか。それに、警察が前面に出れば出るほど大事になっていく。私はそれ相応の準備をする時間が確保できたことを素直に喜ぶべきだと思うがな、香児。血生臭い話がわかってからでは買い手が付かないかもしれない」
「でも、リストが存在しないんじゃ、あの倉庫にある品物は売りさばけるものじゃない。どれもこれも一見して価値がわかるものじゃないんだぞ。僕たちには骨董品の目利きはできないし、信頼できる鑑定家の知り合いもいない。リストがなければ必死になって処分したところで、父さんが言っていたように借金が返せて、家が持ち直すなんてことは無理だよ」
「香児、それに美代も、本当にそのリストというのはあるのか?」
 香児の反発に一拍おいて博美はそう切り出した。途端に部屋の中に沈黙が漂う。
「佐久間、岸辺。君たちは私たちの父が祖父の骨董品に関するリストを所持している場面を見たことがあるか」
「いえ、申し訳ありませんが現物をみたことは」
 佐久間の答えに、岸辺も頷く。
「そもそも。私は、変異性災害なるものも、祖父のコレクションが超常的な力を持つなどという話も、全く信用していない。あのような話は祖父の戯言に過ぎないだろう。私たちの父、宿見新造もそのように考えていたはずだ。それでもなお、倉庫に溜まったあの骨董品に高値を付けなければ、宿見家の財政は破たんする。だから父はあれらを売ろうと行動していたのではないか。
 要するに高値で骨董品を売却さえできればいいのだ。ありもしない祖父のリストに拘る必要などない」
「兄様。兄様の言いたいことはわかりますが、それでも私たちには保管庫の物品の価値がわからない。高値で売却するなんてことはリストなしでは不可能という香児の意見は正しいと思いますわ」
 美代と香児が互いに顔を見合わせて頷いた。それに、博美はタダの骨董品だと思っているかもしれないが、少なくても虎の毛皮だけは実際に怪現象を引き起こしたのだ。家に滞在していた彼女たちには、その事実を頭ごなしに否定できるほどの強い自我はない。適当に処分しようとして、処分の過程で何かがあったら。そのようなイメージが頭をよぎるのもまた確かなのである。
「壱眼古物とかいう骨董品屋に一部の買い取りを依頼したのだろう。その部分については事件が起きた後でも契約は契約だ。買い取ってもらえば良い。その他の物も高く売ろうと思えば売れるさ。なあ、香代」
 スクリーンの向こう側で博美の顔が歪んだ。
「祖父宿見重蔵と同じ色の瞳を持つ香代が鑑定したものなら、いわくつきかどうかの識別も信頼あるものとなるだろう。リストがないなら香代が作ればいいのだ。そうだろう?」
 スクリーンの真向かいに座った香代はこの日初めて博美の顔から眼をそらした。しかし、目をそらした程度で博美は諦めることない。
「香代。君だって、宿見の家を潰したくはないはずだ。この家は僕たち家族が長く暮らしてきた愛着のある場所だと言っていたじゃないか。それに、生まれつき体の弱い君の入院費や治療費が宿見家の大きな負担になっていたことを知らないわけではないだろう。少し手伝うだけでいいんだ」
 博美の言葉に香代は暫く俯き両手を握りしめて黙り込んだ。部屋にいる他の面々はじっと彼女の様子を窺い彼女が折れるのを待ち続ける。やがて。
「わかりました。皆さんがそう言うのなら」
 両目に入ったコンタクトを取り外し、宿見香代は応接間にいる面々の方へ紫色の瞳を向けた。スクリーンの向こうでは博美が嗤い、美代と香児は何処か力の抜けた表情を見せている。
 結局、博美は初めから全てを香代に押しつけるつもりだったのだ。話し合いの経過を見れば、美代と香児は何も知らされていなかったのだろう。だが、あの二人は自分に害がなければどんな結論でも構わない。博美にとってはとても御しやすい相手であったろう。
 香代がそのように気が付いたときには、博美が前言撤回は許さないといった様子で、大きな拍手をしていたのであった。

*******

「老は僕たちに話していないことがあるはずです」
 秋山は壁際に立つ壱眼にそう問いかけた。
「君たちへの依頼の詳細について、ということかね」
「いいえ。今回の騒ぎについてあなただけが知っていることについてです」
 答えるつもりはないのか、壱眼は秋山の問いに対して沈黙を貫く姿勢である。
「答える気がないのなら、まず僕の推測からお話しします」
 今回の騒ぎは「虎の衣」が宿見家から盗まれたことから始まった。犯人は、宿見新造を殺め、「虎の衣」を持って逃走。市内で虎の姿を見せたことで騒ぎになった。壱眼からの通報を受けた変異性災害対策係は、虎の捕獲に向けた介入を始める。そして香月フブキは「虎の衣」が呪物であると確認、その所持者である秋葉直人を確保した。
「それがどうかしたのかね。何か気になることがあったかな」
 秋山に挑戦するかのように壱眼が口を開いた。確かに、一見すると事件の推移には違和感がない。けれども
「それは、やっぱり変ですよ。秋葉直人は霊感がないのに、どうして宿見邸で『虎の衣』を着たのでしょうか」
 私たちは程度の差はあれ、霊感によって、怪異や呪物を認識できる。他方、秋葉直人には霊感がない。呪物を呪物として認識できないのだ。その彼が、盗みに入ったその場所で「虎の衣」を着ようと思うだろうか。
「僕も夜宮さんと同じ点が引っかかります。僕らは呪物が識別できる。だから、初めの筋書きに違和感を持たなかった。しかし、秋葉直人に霊感がないのなら、話は別です」
「えーっと、本当にそうかな。例えば、盗みに入ったら家の人間にばったり出くわしてしまった。とにかくまずは顔を隠そうと思って虎の衣を着ようと思ったとか……ああ、でもこんな大きなものをわざわざ……着るのも大変だし……」
 自分の考えに納得がいかなかったのか、ちせの言葉は途中で小さく途切れてしまった。
「もしかすると、ちせさんの言うような事実があったのかもしれません。ただ、あの場所には簡単に取り外せる斧や剣もあったのです。僕ならこんな毛皮を着るよりも、その辺の凶器を手にとって脅しをかけます」
「でも、彼が人を殺すつもりがなかったのなら?」
「凶器を手に取らず、虎の衣を着たかもしれない? 仮にそうだとしても、他にも妙な点はあるのです。例えばこれ。この写真は宿見邸の廊下と玄関を撮影したものです。壁や床の傷は『虎の衣』により変異した『虎』が暴れた結果とみて間違いないでしょう」
 秋山は手元の資料にまとめられた宿見邸の写真を全員に見せる。
「ところが、入り口の扉には何の疵もない。これだけ屋敷を荒らしたのに玄関の扉だけは綺麗に開錠している」
 鑑定班が立てていた仮説――犯人は虎の衣を着用することを見越して扉を開けていた――は、秋葉が呪物を見分けられないことが判明した以上説得力がない。かといって、家に侵入した泥棒が、侵入した扉を開けたままにしておくだろうか。物色中に侵入口を開いたままにしておくのは、犯行の発覚の危険性を高めやしないだろうか。
 自分が空き巣を行うなら、扉は閉めておこうと考えるような気がする。
「初めから玄関の扉を開けていたという仮説は、犯人に霊感がないのであれば不自然な点が残るのです。ならば、侵入時には扉を閉め、出るときには扉を開けたのか」
「扉が開けられないことに気が付いて虎の姿をやめたっていう発想はそこまで変ではないと思うよ? 初めから扉を開いていたって話よりは現実的なんじゃないかな」
「ちせさんの言うとおりなら、扉に扉を開けようとした痕跡が残ってもいいはずです。この扉にはそうした痕跡がない。そもそも虎の姿で扉を開けられないことがわかるほどに理性があるなら、廊下や玄関を荒らしたでしょうか。まだ建物内に他の人間がいたかもしれないのに」

「それで、お前はいったい何が言いたいのだ恭輔」
 秋山の話に痺れを切らしたのか、彼の言葉を遮って壱眼が一歩前に出る。その様子を見て、秋山は言葉を切り、壱眼に向き直った。結論を述べようとする秋山の顔に少し躊躇があるように見えたのは、私の気のせいだろうか。
「僕は、今回の騒ぎは、宿見家が呪物である『虎の衣』を持つことを知る人間の仕業だと思っています。まず怪しむべきはその所有者である宿見家の人間でしょう。つまり、秋葉直人はその誰かの身代わりであり、僕たちが対処すべき虎は今も宿見家の中にいるのではないかと。老は、それを確かめるために僕を呼んだのではないですか」



 今考えても不思議な体験だと思う。私は私に爪をかけたその獣に向かい合い、獣の声を聞き、獣に手を差し伸べた。私はその後も事あるたびにあの部屋に出向き、暗闇の中の獣と対話を重ねた。獣から語られる様々な話は、周囲と見えている世界が異なっているという悩みを持つ、当時の私の心を掴むものだった。
 私にだけ見えていたもの、私にしかわからなかったもの、そうした全ての事柄に、あの部屋に満ちた闇が存在感を与えてくれる。私はあの部屋にいることで、私の現実を確かなものにしていったように思う。
 そして、ある日、私は×××××が獣を宿した経緯についてそっと尋ねたのだ。すると、闇の中の声は少しずつ獣の真実について語り始めた。

*******

 宿見家の前当主、宿見重蔵は呪物の優秀な目利きだった。壱眼の左目のように、強く呪われた眼を持つわけではない。しかし、その両目に宿る紫色の光は、重蔵が呪物に宿る念を読みとれることの証であった。
 壱眼が重蔵と出会った頃には既に、重蔵は熟練した呪物蒐集家であり、呪物売りであった。暇があれば全国各地へ飛び回り、自分の目が気にいった呪物を見つけては買い集め、持ち帰ったそれらを眺め、愛でる。その一方で、呪物を求める人間たちに手元の呪物を流し、生計の一部を賄っていた。名の知れた呪物ではないが強い念を秘め、買い手が求める形を有する呪物を売る。その手法には壱眼も学ぶところが多かったものである。
 彼の全国を流浪した体験や呪物にまつわる話はとても軽快で示唆に富んでいた。壱眼は彼の話にのめりこみ、重蔵もまた壱眼の体験に興味を示す。仕事がきっかけで出会ったに過ぎなかったが、重蔵は壱眼にとって貴重な友人になっていった。

 他方で、重蔵には暗い噂もつきまとっていた。彼は特に気にいった呪物を手に入れるとそれを利用して“遊ぶ”のだと。
 呪物を利用するのは、霊感を持つ者の間ではそれほど不思議なことではない。祓い師達の間では呪物の有効な利用方法について日々研究がなされているほどである。だが、重蔵のそれは質が違うと言われていた。
 彼はお気に入りの呪物を身に付け使用し、自分の中に怪異が生まれる感触を楽しむ。そうして、呪物と自分の間に生まれた怪異の力を振るい、その力に酔う。自らが呪物に呑まれるまで呪物を使い、呪物と怪異の意のままに身体を投げ出し、その快楽に溺れるのだという。
 初めにその噂を聞いた時、壱眼は笑ってそれを否定した。そのような遊びに興ずる人間など滅多にいないだろうし、仮にいたとしても重蔵はそのような人間ではないと。

「だがな、彼は確かに“遊んで”いたのだよ。重蔵自身に打ち明けられたのさ」

 重蔵はその身にいくつもの怪異を宿していた。呪物との間で生まれる怪異は、呪物と組み合わせなければ物理的な干渉を起こさないのが特徴だ。だから、遊びの道具を持たない彼と向かい合っても、その怪異の気配に気が付くことができなかった。もしかすると、彼の眼に宿っていた紫の光が全身に漂う怪異の気配をごまかしていたのかもしれない。
 重蔵の打ち明け話を聞かされて、壱眼は困惑した。左目に宿した強い異界の光と引き換えに、壱眼は呪物を“見る”こと以外の干渉方法を失っている。重蔵の身に宿る複数の怪異について、壱眼がしてやれることは何もなかったのだ。それだけではない、重蔵は壱眼にこの話は他に打ち明けないようにと強く懇願したのである。
 際限なく怪異を身に宿した結果、人間がどうなるか。怪異とは現実世界とは異なる層に存在するものであり、存在すべきものだ。怪異に心を呑まれていけば、やがて現実と異界との区分けが曖昧になり、人としての姿を保てなくなるだろう。そうなってしまえばもはや人間としてこの現実で生きる術はない。重蔵は壱眼にとって良き商売相手であり、良き友でもあった。そんな彼を失いたくはなかった。
 しかし、当の本人は、まるでそれを望むかのように、壱眼に打ち明けた後も“遊び”を続けた。やがて、重蔵は宿見邸に引きこもるようになり、訪ねてもその姿を見ることが困難になっていった。当時を知る人間の中で、宿見重蔵が最終的にどのようにして命を落としたのかを知る者は、宿見家の内外を問わず存在しないのだろう。彼は呪物に呑まれその生涯を閉じた。

 宿見重蔵が亡くなり、その息子である宿見新造が当主に座ってからは、壱眼と宿見家との交流が途絶えた。重蔵の葬儀に前後して、何度か新造とは顔を合わせているが、彼は重蔵の眼を引き継がなかったらしく、呪物の見分けがつけられなかった。新造はただ、父の集めた品々を遺品として保管しておきたい。そう述べるに留まっていた。
 ところが、一か月ほど前だろうか、突然宿見新造が壱眼の店を訪れた。彼は開口一番、祖父の遺品を引き取ってほしい、買い取りができないのであればこちらから費用を出してもいいと述べた。あまりに唐突な話であったから、新造を落ち着かせることが限界で、壱眼は後日宿見邸を訪れて鑑定等を行うから、その時に詳しい話を聞かせてほしいと、一度新造を家に帰した。
 その後、呪物保管庫の呪物を仕分けするために、何度か宿見邸を訪ねた。訪ねるたびに新造に対し、どうして呪物を手放すつもりになったのか聞いてみたが、彼は家の財政が苦しいのでという理由以外詳しい事を話すことはなかった。しかし、財政が苦しいのであれば、費用を出してまで引き取りを望むなどという真似はしないだろう。新造は何かを恐れていたのだ。それも、家の中にいる何かを。
 最後に会った時、彼は家の中に獣がいると呟いた。父である重蔵が亡くなる直前と同じ獣の匂いがすると。彼は見えない獣に怯え、一刻も早い呪物の引き取りを求めていた。そうした矢先に、今回の騒ぎが起きたのである。

「新造の怯えた様子を思いかえして、私は一つの仮説を立てた。呪物に宿る念を見る“魔女の眼”、私や重蔵が持つこの力は数世代に渡り引き継がれる。息子の新造には発現しなかったようだが、彼の子供たちの中には眼を持つ者がいるのではないか。その者が、重蔵と同じように呪物に呑まれようとしていることに、新造は怯えていたのではないかとな」
 そして、今回の騒ぎはその眼を持つ誰かによって引き起こされたものなのではないか。先入観を持ってみれば、疑わしい点はいくつもあった。だが、新造の子供たちの中に新造を殺めた者がいるという確信が持てなかった。いや、持ちたくなかったのかもしれない。
「だから、私は君たちに私と同じ先入観を持たないで全体を見てほしかった。恭輔が先ほどまで話してみせた推測は、私が見立てたものとほぼ一致していたよ。おそらく恭輔の考えている通りだ。あの家にはまだ獣に憑かれた者がいる。私が話せるのはここまでだ。どうだろうか、恭輔。この騒ぎ、収めてくれはしないだろうか」

 壱眼がしてやれるのはここまでだ。これで良かったのだろうか。そう尋ねたい友人は、もういない。

―――――――
・次回 黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る4
・今後の予定 黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ/「輪入道と暮らすほのぼのボヤ生活」
PR
comments
yourname ()
title ()
website ()
message

pass ()
| 27 | 26 | 25 | 23 | 22 | 21 | 20 | 19 | 18 | 17 | 15 |
| prev | top | next |
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
若草八雲
年齢:
37
性別:
非公開
誕生日:
1986/09/15
職業:
××××
趣味:
読書とか創作とか
自己紹介:
色んなところで見かける人もいるかもしれませんがあまり気にせず。
ブログとか作ってみたけれど続くかどうかがわからないので、暇な人だけ見ればいいような。
バーコード
ブログ内検索
P R
最新CM
[03/01 御拗小太郎]
[01/25 NONAME]
最新TB
Design by Lenny
忍者ブログ [PR]