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作成した小説を保管・公開しているブログです。 現在は連作短編が二篇の他,短編小説,エッセイの類を掲載しています。 連作小説の更新ペースは随時。二か月に三回を最低ラインとして目指しています。
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虎の衣を駆る5
<前回まで>
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る1
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る2
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る3
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る4

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虎の衣を駆る5
10

 私の周りの者たちは、私と同じものを見ることができない。けれども、彼等は等しく心のうちに獣を飼っていた。暗闇の中で出会った獣と本質的には同じだったのだ。
 私には彼等の獣が見える。しかし、当の本人たちには獣が自覚できない。彼等は私が欲してやまない獣を抱えて、闇に走りだすこともせずに地を歩くのだ。そして、真実を知る私を彼等の世界へと閉じ込める。
 そんな彼等に対して、いったいどうして愛情などを抱けばいいものだろうか。私も家族であるなどと言いながら、彼等は私に牙を向ける。にも関わらず私が暗闇へと駆けていくのを制止する。私は、いったいどうすればよかったというのだ。

 しかし、そんな悩みなどもはや問題にならない。私はここに立ち、私の手元には私の内に潜む獣を呼びだすための残り香がある。この家から獣の待つ暗闇へ、宿見香代という身体を捨てて、私はようやく獣へと姿を変えるのだ。

「残念だけど、あなたが重蔵氏と同じように虎へと姿を変えることは不可能だ」

 闇の中から声が聞こえる。小さな灯りが一つ灯り、その向こう側に一人の男が現れる。何処かで観たような風体だが、誰であっても私には関係がない事だ。しかし、その男が述べた事は聞き捨てならない。私が獣へと姿を変えられないとはどういうことか。

「重蔵氏とあなたは違う。あなたがいくら抗ったところで、その身を虎へと変じることはできない。あなたは何処までいっても獣にはなれない」

 男の声は私の神経を逆なでる。私はこの家の者たちとは違う。獣を視ることができる真実を知る者だ。私はこの手の残り香を使い、獣へと変じる資格がある。内なる獣を自覚できない彼等と異なり、私は私の中の獣を受け入れ、闇へと駆けだすのだ。邪魔をするつもりなら容赦はしない。
 私は男に警告の声をあげた。しかし、男は私の声にひるむことなく闇の中に立ち続けている。

「あなたは既に感じているはずだ。自分が他の者達と異なることに。あなたが手にしている『虎の衣』は内なる獣を呼び起こすきっかけでしかない。内なる獣を宿さない者に、獣の姿は与えられない」

 男の手から灯りが放られ、音を立てて割れた。一瞬の暗闇の後、男の周りを取り囲むように足元に炎が上がる。先ほどまで良く見えなかった男の顔が今度ははっきりと目に入った。彼は残り香を持って現れた男だ。名は何と言ったか……そう、たしか秋山恭輔。

*******

 放り投げた灯りは香月の振るった水蛟に斬られ、床へと散らばり部屋を照らす炎へと変わる。一つの照明もなかった暗闇が、床に広がった炎によってうっすらと晴れていく。今まで通ってきた呪物保管庫に比べると遥かに広く大きい部屋だ。床には血だまりのような痕が多数見える。
「宿見香代。あなたは宿見重蔵より受け継いだ両目のおかげで呪物に宿る念が視えるのでしょう。それだけじゃない、今のあなたには人に宿る獣の姿が視えるのではないですか」
 何故「虎の衣」を秋葉直人に着せたのか。何故、彼女自身は虎に変じず、宿見家の者ばかりが虎へと変じるのか。宿見香代は宿見重蔵の“遊び”場を訪れ、何を視たのか。秋山は確定的な事実を知らない。だが、壱眼の語る宿見重蔵の“遊び”、そして彼が語ろうとしない何か、そして暗闇に包まれたこの“遊び”場の情景、それらは秋山に一つの形を与えていた。
 宿見香代は、「虎の衣」の過剰適合者などではない。それどころか、彼女は「虎の衣」を用いても虎になることができない。
 部屋に入ってしばらく立つにも関わらず、宿見香代からの攻撃がないことが、秋山の仮説を裏付けるものに思えた。それでもなお、獰猛な獣と戦う術を持たない秋山には灯りのない部屋を先へと進むことが躊躇われた。まずは部屋全体を照らす必要がある。そのためには、宿見香代に背後の香月達の存在を気取られるわけにはいかなかった。
 秋山は慎重に、しかし、合間を開けることなく、宿見香代の注意を引くだろう言葉を選んでいく。
「あなたの祖父、宿見重蔵は呪物蒐集の傍ら、この家の何処かで呪物の濫用行為を続けていた。彼がどのような呪物を利用していたのかその全てを知る術はない。ただ、あなたが今持っている『虎の衣』は、重蔵氏が濫用していた呪物の一つであることは確かだ。彼は度々この部屋で、その『虎の衣』を利用し虎へと変じていた。それが全ての始まりだ」

*******

 何も知らない祓い師が、私と獣の間だけの真実を汚していく。地面に広がる炎の揺らめきと共に、彼の言葉が私の真実を歪めていく。それなのに、私は身動きを取ることができなかった。彼の語る獣の姿に、彼の語る宿見重蔵の姿に、幼き私の記憶が犯されていく。
 そんなはずはない。暗闇の中で獣は語ったはずだ。この世界の真実を、私だけが視ていた真実を。獣は導いたはずだ。私を深き闇の向こうへ、彼と同じ獣の世界へと。祓い師の語る宿見重蔵の姿は偽りでしかない。私がまとっているこの残り香は、彼が私へと残してくれた獣の世界への道標のはずだ。

「ならば問おう、未だにあなたが獣に変じないのは何故か。宿見家と関係のない者へ衣を与えたのは何故か。その衣は、いかなる道を示しているというのか」

 祓い師の問いが部屋に響くと同時に、部屋いっぱいに光が満ちた。その眩さに私は思わず目を覆ってしまう。身体に満ちていたはずの闇が一瞬にして消えていくような感触を覚える。このままでは私はあの暗闇へと辿りつけない。焦燥感に駆られ私は思わず光の中に顔を向けた。

「獣とは、生きるため、なりふり構わず暴れまわる生への渇望、力の象徴だ。しかし、人は、内に秘めたその獣を理性という蓋で閉じ込めてしまう。なぜならば、なりふり構わぬその態度に、己の将来を掴むためのその一手に、失敗という文字を重ねるからだ。自らの欲求に従った一手が失敗することへの恐怖、そしてそれに対する羞恥心。人間は恐怖や羞恥心に負けて、自らの中に潜む本能を己の奥深くへと封じ込める。
 宿見香代、あなたの眼に視えている獣の正体とは、他者の生への渇望とそれを押さえこむ恐怖や羞恥心だ。生を求めず、闇に駆けようとする貴女には生の渇望も、恐怖も羞恥心も存在しない。そして、獣を宿すことのない貴女に『虎の衣』は力を与えない。
 今の貴女は虎の衣をまとい、他人の獣を操っているだけに過ぎない。今一度、その眼で自らを見つめるといい。私の目の前に立つその姿こそが貴女自身の真実だ。いくら虎の衣を借ろうとも、貴女は人以外の何にもなることはできない」

 声につられ手を離した私の前にあったのは、甘美な暗闇ではなく、灯りのついた地下室だった。見渡す限り血痕が広がり、あちらこちらに人骨が横たわっている。血の匂いのしない、惨劇の跡地。私はその中央で玉座に座り、祓い師達と対峙していた。炎に照らされ偽りを語っていた祓い師の他に、数人見覚えのある顔が目に入った。私を覆うはずの暗闇は部屋のどこを探しても存在しない。
 私は、祓われた闇を取り戻すため、内なる獣に語りかけるため、大きく吠えた。しかし、私の身体には、暗闇の獣が宿していたような、あるいは昨晩あの男が宿したような獰猛な獣の力が宿ることはない。ただ空しく一人の人間が吠える声が響くのみだった。
 どうして。どうして応えてくれないのだ。私の眼にはあんなにもはっきりと獣の姿が視えていたというのに。祖父が視ることができなかった他人の獣を意のままに手なずけることすら出来ると言うのに。どうして、私は獣へと姿を変えられないのだ。

「虎よ! 獣よ! 私の声に応えるのだ! 私こそがあの暗闇の獣となる資格を持つ者だ! 私に力を与えよ! 私の身体を包みこみ、獰猛なる獣へと姿を変じるのだ!」

 私は、宿見香代は祖父と過ごしたこの部屋の中で力の限り叫び続けた。

*******

 灯りのついた地下室の中央で、宿見香代は虚空に向かって何度も何度も吠え続けた。しかし、彼女が虎へと変じることはなく、彼女はいつまでも虎の衣を被った姿のままであった。
 宿見香代に応接間で出会ったときのような禍々しさはない。そこにあるのは、手に入らないモノを求めて泣き叫ぶ少女の小さな身体だけだ。場合によっては争うことも辞さない覚悟で踏み込んだ対策係の面々は、秋山の後ろでその光景を見つめるしかなかった。
「恭輔。彼女に憑いた怪異を祓ってはくれないか」
 部屋の入口に立つ壱眼が小さく呟いた。
「ですが、彼女はもう」
 宿見香代は己の姿を虎へと変じることを目的にしている。だから、その目的が達せられない今、彼女自身の力が脅威になることはない。秋山はそう思った。叫び続けている彼女の身体から『虎の衣』を引きはがし、重蔵の遺物たる呪物を処分すれば、全ては終わりにできるはずだ。
「あの子は他人の中に潜む獣を視ることができる、そして、それを操る術も心得ている。屋敷の使用人たちが虎へと変じたのはそのためだ。重蔵の遺した呪物を使い、他人の虎を使役する。それがあの子の宿した力の正体だ。戦意を失っていようとも、その力は未だ彼女の中に宿っていることは、恭輔もわかっているだろう。今のままでは、彼女は闇に心を捕らわれたままだ。頼む。彼女を解放してやってほしい」

「お前が決めるな。私の事を勝手に決めるんじゃない。私は獣になる者だ。誰に指図されるつもりもない。私は真実を知っている。私は獣を宿し、本当の私へと変じるのだ。誰にも邪魔される筋合いはない!」

 壱眼の頼みを振り切るかのように宿見香代が声を荒げ、玉座を降りた。その足元はふらついており、まっすぐ歩くことすらままならない。秋山達の方へ三歩ほど進んだだけで力が抜けて座りこんでしまった。それでもなお彼女は床を叩き、秋山達に憎悪の籠った薄紫の眼を向ける。
 しかし、彼女の力が秋山達に届くことはない。重蔵の呪物を介することのない彼女の力は非常に弱々しく、何をなすこともできない。彼女はただその場に座りこむことしかできなかった。
 
*******

 私はいつ、どこで間違えたというのだろう。目の前に広がる地下室は、初めに訪れた時とも、その後、獣との邂逅を重ねていた時とも異なり、ただ静かに私を拒絶している。身体には力が入ることはなく、私の声は誰に届くこともないまま地下室に溶けていった。身体を包む残り香は、私に何ら力を与えず、祓い師達すら私に対して手を出すことがない。

 祓い師は言った。獣とは生への渇望だと。私には理解できない。彼は、祖父は陽のあたる世界に渇望していたわけではない。この地下室の先にある闇の中へと駆け抜けていくことを求めていた。私の求めたものと何ら変わることがない。なぜ、祖父は獣に変じ、私はこうして地を這っているのか。祖父の行動は生への渇望によるもので、私はそうではないというのか。
 
 誰か、誰でもいい。私をここから、この世界から闇へと連れ出してはくれないか。私自身にその力がないのであれば、誰か手を引いてはくれないか。私は、私はこの両眼が映したあの世界へと駆け抜けていきたいだけなのだ。些細な望みではないか。宿見の人間たちが抱えている強欲な願いよりも遥かに些細な望みではないか。

「祓い師秋山恭輔の名において、宿見香代の身に宿る怪異を祓おう。汝、我が命に従い、あるべきところへと還りたまえ」

 泣き腫らしていたであろう私の目を、祓い師の手がそっと覆う。彼の手に隠されて、私の視界は闇に包まれた。全身を巡っていたはずの何かがゆっくりと私の中から消えていく。そして、私の意識は深い淵の底へと沈んでいった。

11

「おじいさま。と朗らかに笑うあの子の顔を見たのはいつのころだろうか。右も左もよくわからず、ただ無邪気に遊んでいたあの子の幸せが、ずっと続いていて欲しい。そう願っていた心は今も私の中にあるのだろうか。

 宿見の者が宿しているこの呪われた両目は、必然的に持たざる者との隔絶を生む。初めから視えている世界が違うのだ。年を追うにつれ、その隔たりが大きくなってしまうのは仕方ないことなのだろう。そのように割り切れるようになったのは、ほんの少し前の事だ。そう、同じ眼を、いや私よりも遥かに強く呪われた眼を持った友人と出会ってからだろう。
 彼は、自分の世界と他人の世界が違う事を呪わなかった。もしかすると、過去には呪った時分もあったのかもしれない。だが、私が出会った時の彼は、自分の眼を受け入れ、視えない者達との違いを受け入れていた。彼は私に言った。「どちらが正しいかの問題でも、どちらが歩み寄るかの問題でもない、ただ両者は違うに過ぎないのだ」と。
 果たして、それまでの私はそのように考えていられただろうか。私は己に宿ったこの眼の力を呪って生きてきたのではないか。私はかの友人の言葉に己の人生を深く恥じたように思う。そして、出来ることならば友人のように生きてみたいと願った。
 しかし、彼と出会った時、私の魂は既に限界を迎えていた。若きころから自分を受け入れられず、さりとて力を封じることもできず、あげく幾度も繰り返した禁じ手が私の身体を蝕み続けている。私は己の弱さに負けたのだ。そして負けたことに気が付くのが遅すぎたのだ。
 もっと生きていたい。呪われた眼など捨てて、力などない世界で生きていたい。そのように思っていたならば、早々に力を捨てればよかったのだ。しかし、私にはそれができなかった。宿見の名を継ぐ者として、その力を失うことは全てを失うことであると感じていたからだ。要するに私は、己の身を呪いつつも全てを捨てることが怖かったのだ。今の地位に甘んじていればこれより悪くなることはない。そうした諦めの気持ちが私の魂をすり減らし、諦めたふりをしながらも諦めきれないその優柔不断さが、私の中に獣を生んでしまったのであろう。

 私のほとんどは内なる獣によって蹂躙されている。私は目の前の呪物を手放すことはできないし、おそらくこうしているうちに全てが闇に包まれて消えてしまうに違いない。人である時間であっても、ふと気が付くと私は獣に身を落とし、闇の中で人間を屠ることを想像している。生きた人間を屠ることで、私は自らの生を引きのばせるとでも思っているのだろうか。自分で自分の事がわからない。

 ただ、できることならば。できることならばこの眼を受け継いでしまったあの子だけは救ってやりたい。私はあの子に対してやってはならない行いをしてしまった。あの子は私の中に巣食う獣に憑かれてしまったに違いない。あってはならないことだ。あの子が私と同じように己を呪い、己の身を暗闇へと落としていくことだけは何としても防がなければならない。けれども、獣へと変じた私は、目の前の人影を同志として隙あれば暗闇へと引きずってしまうのだ。

 結局のところ、今の私にできることは、こうして衣に向かって語りかけることくらいなのだ。あわよくば、私が消えさった後に、この言葉を誰かが聞いてくれることを祈って。私のかけがえのない友人、壱眼の眼にとまることを祈って。
 勝手な願いであることはわかっている。どうか、どうかあの子だけは救ってほしい。内なる獣と過ごしてしまったその時間を払いのけられるほどの強さをあの子に持たせてやってほしい」

 壱眼は手にとった「虎の衣」を机の上に置いた。比良坂民俗学研究所は、『虎の衣』を危険性の高い呪物であると認定し、早急に処分することを決定した。二三日も経てば、あの部屋から出てきた他の装飾品と共に完全に消滅させられてしまうのだろう。
 その前に、鷲家口ちせに頼みこみ、壱眼は「虎の衣」に遺された友人の念を読みとる時間を確保した。事件の前に「虎の衣」を鑑定した時は、ここまで鮮明な言葉が読みとれるものではなかった。
 壱眼の眼に映ったのは、獣へと変じる友人の姿と、友人の断片的な言葉だけだった。それだけでも薄々あの家で何が起きていたかは推測できた。しかし、壱眼はそれを誰かに全て吐き出すことを躊躇ってしまった。早い段階で、重蔵の言葉を秋山に伝えていれば違ったのかもしれない。けれども、友人の弱気な言葉を、壱眼は受け入れることができなかったのだ。ましてや誰かに伝えることなど。
 壱眼の判断の遅れもあってか、友人の願いはむなしく、宿見香代はその記憶の大半を失い、意識を回復することなく病床についている。
「なあ、重蔵や。お前の願い、聞いてやれなかった。私もお前と同じで、何もできないただの怖がりだったようだ……すまなかった」
 答える友人はいない。しかし、壱眼は何度も何度も、友人への謝罪を呟き続けた。

*******

「……宿見香代は現在比良坂の施設で経過観察中です。今のところ意識を取り戻す様子は見せていません。回復は絶望的とのことです。やはり、秋山君の読み通り怪異に触れていた時期が長すぎたのではないかと」
 夜宮はそう述べて、報告書を机の上に置いた。秋山はその報告書を手に取り、中身を確認する。ここに書かれていることは、いつもと同じ変異性災害対策の経過と後始末の記述だ。どんな人間に対しても、どんな災害に対しても、報告書は同じ態度を取り続ける。こうして眺めると、まるで、変異性災害対策係にとって、終わってしまえば全ての変異性災害は同一であるとでも言いたいかのように思えてくる。
 街に至っては対策係を超えて遥かに冷淡だ。数日前のことなのに、もはや巻目市の虎騒動は地方紙にすら相手にされない。街を歩いても誰かが噂をすることもなく、まるで事件自体がなくなってしまったかのようだった。
「そういえば、地下室と呪物保管庫の方はどうなるのですか。宿見香代と彼女に憑いた怪異は取り去ったとしても、あそこにはかなりの数の呪物があったはずですよね」
「壱眼さんと比良坂で手分けをして回収、処分をするそうです。特に地下室にあったものについては、『虎の衣』とまとめて処分するとの決定がなされました。本来の利用法に従っても危険な代物に変わりありませんから」
 夜宮の言う通りであれば、近いうちに宿見家から宿見重蔵の遺物は消えてなくなるのであろう。そして、呪物蒐集家宿見重蔵の影は宿見家から綺麗に消え去ることになる。宿見家もこのような事件の後ではあの家に集まることはないのだろう。既に宿見香代の兄姉たちは家を離れて個々の生活を始めているのだと言う。まるで、事件の記憶を早く失くしたいかのように、彼等は宿見の家から離れていく。
「あの、秋山君。一つ尋ねてもいいですか」
「どうぞ」
「あの地下室で、秋山君はいきなり彼女が虎に変異できないと話しましたよね。私、驚いたんです。彼女の怪異の正体にいつから気がついていたんですか」
「あの部屋に入った瞬間、というべきなんでしょうか」
 隠し通路を見つけた時、宿見重蔵と宿見香代の間に何が起きたのか、想像がついていた。けれども、あの時彼女に話した言葉は、あの部屋の暗闇を前にして初めて出てきたものだろうと思う。
「瞬間?」
「夜宮さん、あなたは自身の霊感について、いや、霊感を得た自分についてどう思いますか?」
「霊感を得た自分について、ですか。そうですね……初めて怪異が見えるようになった時には怖いと思いました。今でも仕事で怪異を前にすると身がすくみますし、昔よりも怖がりになったような気分がするというか。変な話なんですけれど」
 夜宮が俯きながらそう語る様子はどこか恥ずかしそうに見える。変異性災害対策係などという仕事につきながら怪異を怖がるなどというのは声を大きくして言えない。そういった想いが頭をよぎったのかもしれない。けれども
「別に変な話じゃありませんよ。寧ろ、僕には夜宮さんの反応が正常なものに見えます。霊感を得ると、今までは見えることがなかった異界が目の前に広がるんです。しかもそこに現れるモノは僕たちに向かって牙をむいてくる。それが怖くないはずない。僕はそう思っています」
「そうなんですかね。対策係の皆さんは、変異性災害に遭遇しても動じないことが多いような気がして、私はまだまだだなっていつも思うんですけれど」
「彼らが動じないように見えるのは場数を多く踏んだからですよ。後発的に霊感を得た人間はきっと誰しも突然見えるようになった異界の風景に怯えるのだと思います。まあ、僕は初めから視えているので、本当の所はわからないんですけれど」
 そう、秋山のようにもの心がついたころには霊感を有していたものにとっては、怪異や異界の存在はごくごく当たり前の風景として映ってしまう。自分の見ているものを誰しもが見られるわけではない、そんな単純なことにさえ、なかなか気が付くことができないのだ。そして
「初めから視えているから、恐怖はない。いや、困惑はないと言う方が正確なのかもしれないですね。初めから霊感をもつ者にとっては、異界と現実が重なっている状態こそが自然な状態です。けれども、そんな状態は他者に共感され得ない。目の前の世界との関わり方を知れないまま僕たちの時は過ぎてしまう。だから、僕たちは導き手に強く影響される。共感をしめしてくれた誰かに、心を委ねてしまうんです」
 もしも、宿見香代が暗闇の獣よりも早く導き手となる同志と出会っていたならば、壱眼や自分がその場にいたのだとしたら、今回のような結末になっていただろうか。
「あの暗闇を見た時、僕は彼女が虎となった宿見重蔵とあの暗闇の中で共感しあう風景が思い浮かびました。怪異に身を落としつつあった祖父と、初めから怪異を視ることの出来た少女。暗闇の中でだけ続いたその交流がどんな意味を持つか、そう考えた時、僕自身が歩んだかもしれない道が見えたような気がした」
 秋山は前に座る夜宮の顔をじっと見た。
「僕はあの時、あの暗闇を前にして、宿見香代と自分の姿を重ねた。そして、自分が歩まなかった道について話をしただけです。僕は、本当の意味で彼女に憑いた怪異を理解できたわけでも、それを祓えたわけでもない。彼女に対してできることは、ただ彼女を鎮めることだけだった。結局、僕は彼女を救えなかったんです」

 救えなかった。その贖罪というわけではない。けれども、せめて、自分だけは彼女の事を忘れずにいたい。秋山はそんなことを考えつつ、目の前の報告書を閉じた。

<黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る 了>
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・次回 黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ
・今後の予定 「輪入道と暮らすほのぼのボヤ生活」輪入道に出遭った話
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プロフィール
HN:
若草八雲
年齢:
37
性別:
非公開
誕生日:
1986/09/15
職業:
××××
趣味:
読書とか創作とか
自己紹介:
色んなところで見かける人もいるかもしれませんがあまり気にせず。
ブログとか作ってみたけれど続くかどうかがわからないので、暇な人だけ見ればいいような。
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