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作成した小説を保管・公開しているブログです。 現在は連作短編が二篇の他,短編小説,エッセイの類を掲載しています。 連作小説の更新ペースは随時。二か月に三回を最低ラインとして目指しています。
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虎の衣を駆る2
<前回まで>
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る1
――――――
虎の衣を駆る2


 特定の人間の強い念、あるいは不特定多数の人間の想いが染み付き、奇妙な力を発揮し得るモノを呪物と呼ぶ。宿見家は呪物を蒐集・転売することを生業とする家だ。壱眼古物では保管が難しい呪物を引き受けてもらい、宿見家が保管・鑑賞に飽いた呪物を買い取っていた。
「とはいっても、現当主に代わってから取引はなかったのだがな。それが先月、急に保管庫の呪物を処分したいと連絡がきた」
 壱眼は、秋山恭輔と夜宮沙耶を連れ、宿見邸の玄関をくぐる。宿見邸の玄関は、通常の住宅よりも遥かに広い。正面に大きな階段を備え、踊り場の壁には暖炉が、踊り場からは左右に階段が分かれ、右には来客用の寝室が、左には呪物保管庫への通路があるはずだ。玄関だけを見れば、小説に出てくるような富豪の印象を与えるが、壱眼は宿見家が裕福であったという話を聞かない。
 そうした豪華な玄関も、「虎」の出現によって酷く乱れたような印象がある。階段の手すりにはいくつも大きな獣の爪跡が残り、床に敷かれたカーペットはところどころ大きく破けている。虎は玄関内で大きく暴れまわったのであろうか、壁には引っかき傷のような形でいくつもの血の跡が残っていた。変異性災害対策係の鑑定班の面々は、それらの痕跡を検証するため玄関でせわしなく活動を続けている。
「なるほど。確かに、獣が暴れまわったような跡はありますね」
「これを全部、街にいる『虎』がやったのですか」
 実際の現場を見て印象が変わったのか、後ろをついてくるだけだった秋山達が緊張したような面持ちで玄関内を見まわした。
「捜査員たちはそうじゃないかとみているよ。それと、被害者が出たのはここではなく、呪物保管庫の方だ。どうも虎は玄関を通って逃げ出して行ったようだね」
「律儀に玄関の扉を開けて出かけるなんて変わった虎ですね」
「言ったろう? 人が変じたモノだと。人の意識が残っていれば、そうした行動をとることはそこまで不思議なことではないようにも思えるがね」
「僕が不思議なのはそういうことではありませんよ。あの扉を虎が開けたのだとすると、件の虎は賢く器用な動物なのだなと思って」
 秋山は自分たちが通ってきた玄関の扉を振り返った。外開きの金属製の重い扉。扉の内側には特にこれといった傷がみられない。
「捜査官たちは、呪物を持ちだした犯人は、玄関を堂々と開いて入ってきたのではないかと読んでいるようじゃな」
「つまり?」
「窃盗じゃよ」
 自分が入るために開いたドアから、虎となって出て行ったのであれば、扉を開く手間がかからないであろう。壱眼は秋山達が到着するまでの間、そういった意見がテント内で飛び交っていたことを思いかえした。
 秋山はその答えに何か思うことがあるのだろう、右手で口元を隠してじっと玄関の扉の方を見つめている。壱眼は秋山が小さなころから彼のことを知っている。彼が、あのような様子をみせるときは、何か思案していることが多い。どうやら、彼を呼んで正解であったようだ。
「どうかしたんですか、秋山君」
「いえ、窃盗というのは少し……」
 秋山が何かを口にしようとしたところで、一階の奥、応接間のドアが開き、中から二名の捜査官と三人の男女が姿を見せた。
「あの、壱眼さん、あの人たちはどなたでしょうか」
「宿見家の者だな。他にも何名か使用人がいる」
 捜査官と共に一番初めに出てきたスーツに長身の女性が、長女の美代。後ろにくっついている白のワンピースを着た背の低い少女が次女の香代。二人の姉妹の横にいる青白い顔をしたのが二男の香児だ。長男の博美は現在海外にいるらしく、今日この屋敷にいた人間は彼女たちの他、使用人が二名のみだということだった。
「老、それじゃあ虎の被害者というのは」
「どうやらお前さんは資料を流し読みしかしていないようだね。殺されていたのは彼女たちの父親、現宿見家当主宿見新造だよ」
「現当主が保管していた呪物を利用して殺されたってことですか」
「詳しくは現場にいってから説明しよう。現場は二階の北側、左手の廊下の奥だ」
 秋山達を階段の方へと誘導し、壱眼は捜査官と宿見家の人間たちに小さく礼をする。香児は落ち着きなく周囲の様子を確認しているし、美代は壱眼に向かって一礼をしたものの、腕を抱いている左手が小さく震えている。香代に至っては美代の陰に隠れて壱眼の方を見ようともしない。
 彼女たちの目には壱眼はどう映っているのだろうか。そして、秋山には彼女たちがどのように映っているのだろうか。まだそれを尋ねる場ではない。自らに言い聞かせ、壱眼は秋山達を連れて玄関を離れた。

*******

 それは怪異そのものだった。私が男に向き合った時、彼は脇に抱えたバッグの中に右手を突っ込んでいた。バッグの中からは強い陰気が籠っていて中身がなんであるかがわからない。
 私が彼の方向へ踏み出す瞬間、その変化は起きた。男の瞳が大きく見開かれ、バッグの中から何かがぬるりと現れる。濃いオレンジと黒色の混ざったそれは、男の身体を一気に包みこむ。男はそれに身体を包まれる間、焦点のあわない眼を必死に左右に動かしていた。
 時間にして二十秒、男の身体がバッグの中身にすっぽり包まれたと思うと、全体が膨れ上がり、唸り声と共に男の身体が変容していく。首が前方に移動し、両腕が太く変化したかと思えば、身体をうつぶせに倒し全身を膨らませる。両手・両足で身体のバランスを保ちながら起き上ったころには、そこに人間の姿はない。私の目の前には『虎』が立ちふさがっていた。
 虎は態勢を低くし、私を威嚇するかのように低い唸り声をあげる。
「こちら香月。対象の変異を確認」
 霊刀を虎の眉間に向け、相手の様子を伺いながら、長正の返答を待つ。
――こちらでも急激な霊気の集束を確認しました。変異の様子は録画しましたか
「録画、っていうか、刀がしっかり覚えたよ」
――水蛇が? 使いすぎて記録が壊れるということはないようにしてくださいね?
「わかってるから、あとは任せて」
 あまり話している余裕はない。目の前の『虎』は、さきほど袋小路で見かけた様子と違う。身体から発する陰気が濃く、怯えの感情どころか何の感情も感じられない。あの男は呪物に呑まれたのだ。
 『虎』が低い唸り声をあげ、飛びかかってくる。とっさに床を蹴り部屋の中に入ることで突撃を回避するが、自分の身体の横を通り過ぎる『虎』の身体に、毛が逆立つ。
 相手は怪異に過ぎないと安請け合いしたが、この案件は想像よりも危険だ。横を通り過ぎてその気配を感じるだけでもわかる。あれは本物の虎と同じ獣なのだ。少しでも気を抜けば命を落としかねない。
「あれは獣、正真正銘の虎の怪異」
 言葉にすると改めて目の前の状況が意識できる。全身からわき上がるのは怯えではなく歓喜だった。全力を行使しなければならない機会に恵まれ、鼓動が高なっている。私は虎がこちらに振り替える前に姿勢を下げて大きく息を吸い込んだ。全身に霊気を巡らせ身体のギアを入れ替える。
 霊感とは、怪異を、異界を見る力だ。けれども、霊感の使い方はそれに留まらない。見るのではなく触れることに、観察ではなく干渉に、外向きの力ではなく、内向きの力に。霊感の方向性や性質を変えてやれば、可能性は一気に開花する。
 そう、例えば風のように宙を舞うことだってやってできないことじゃない。
「怪異ごときに喰われるわけにはいかないね」
 『虎』がこちらに向き直ったころには、私の身体は宙に飛びあがり、『虎』の背中に向かって霊刀を走らせていた。『虎』が刀の攻撃に気が付く前に、私は『虎』の背中を走り抜け、その背後に降り立つ。
 『虎』は突然獲物が姿を消したことに動揺しているのか、首を左右に振りながら部屋の中へと進んでいく。
 一歩。二歩。三歩。『虎』が身体を動かすたびに、霊刀が真一文字に付けた背中の傷が開いていく。薄皮一枚程度の傷であったからか、虎がその傷に気が付くことはない。
 それでいい。今の一撃で私の霊刀は、『虎』の味をしっかりと覚えている。その証拠に、刀の震えが柄を通して身体に伝わってくる。この霊刀は待ちきれない。早く斬りたいのだ、獲物と認識した『虎』を斬りたくて仕方がない。大丈夫。その欲求は今すぐにでも叶えてあげる。
「香月フブキの名に命ずる。霊刀水蛟よ、我が力を喰らい、我と共に怪異を殲滅せよ」
 小さく、しかしはっきりと呪を唱えると、刀の震えが止まり、柄の感触が消えた。いまや水蛇は私の一部である。水蛟の意思は私の意思であり、私の意思は水蛇の意思だ。切先を虎へ、次は確実にあの怪異を葬る。
 私は、『虎』に向かって大きく跳躍した。

*******

 狼男と呼ばれる怪異がある。人間が狼へと変貌するという伝承・伝説であり、その姿は半人半狼、狼そのもの、あるいは二足歩行の狼の化け物として描かれる。多くの怪奇小説などで紹介されてきたため架空のモンスターのイメージが強い狼男であるが、古い伝承を紐解けば、獣化伝説の数は多い。
「獣化の怪異が昔から多く記録されているのは、僕も知っています。ですが」
「獣の衣をまとう、という話に聞き覚えがないというのだろう」
 確かに、狼男に関して言えば獣の衣をまとうことで狼に変異するという話はあまり聞かないだろう。しかし、怪異の定義を「獣化」に広げたならば話は違う。例えば、エスキモーの間では、家の外でクマの毛皮を着ると、毛皮の呪力に引き寄せられ熊に変じてしまうと信じられている。そのため、彼らは家の外でクマの毛皮を着ることを禁忌としている。
「なるほど、毛皮を身につけることで獣の外見を手に入れ、それにより人間そのものも獣に変じるということですか」
「そうだ。決して毛皮を媒介とした獣化の怪異は前代未聞ではないことは理解してもらえたかな」
 呪物保管庫の前で一度立ちどまり、壱眼がこちらを振り返った。
「ですが、あくまで獣化と一般化した場合の話ですよね。虎の毛皮でも同じことが起きるとはいえない」
「虎は古くから活力ある獣として人々の中に根付いている存在だよ。熊や、狼。獣化の伝説に出てくるモチーフは人間の敵になりうる強者たち、力の象徴として山や森の神として崇められているものたちばかりだ。虎もまた、大陸において山の神とされ、その毛皮を手にすることは強者の証であるともされていたのだよ。それでも虎の毛皮が同じように獣化を引き起こす可能性がないといいきれるかね」
「なるほど……老は、この写真の毛皮もそういった獣化を引き起こす呪物であるというのですね」
 秋山は、再度壱眼に問いかける。
「そうだ。間違いない、あの虎の衣は『虎』の怪異を生みだす正真正銘の呪物さ」
 壱眼は、事件の前から呪物保管庫に保管された呪物の買い取りに宿見家を訪れていた。「虎の衣」もその眼で鑑定したのだという。揺らぐことのない彼の言葉は、自分の力への自信、そして彼の鑑定は信憑性が高いのだという印象を与える。
 しかし、仮に彼の鑑定の通りだとすれば、今街の外に出ている虎はまさに「虎の衣」の力により引き起こされた怪異そのものだ。香月フブキが虎を仕留めて毛皮を奪還すれば、全ては終わる。彼は、秋山に一体何を望んでいるのだろうか。
 壱眼の目的を推しはかるため、今までの経緯を振り返ってみる。やはり傷のない玄関の扉が気になった。壱眼と夜宮が呪物保管庫の中へと入っていくのを横に、秋山は立ち止まり、後ろを振り返った。壁の傷、床の傷。廊下に残る形跡を見れば、何かが内から溢れ出る力を御しきれなかった結果のように思える。捜査員たちも、この跡をみて同じように考えたのだろう。けれども、秋山にはそれが引っかかるのだ。引っかかりは言葉になることなく、しこりとなって胸の中に残り続ける。とても、気持ちが悪かった。
「秋山君、こちらが現場だそうです」
 夜宮に催促され、秋山は虎が人を襲ったという呪物保管庫に足を踏み入れた。
 
 事件が起きて六時間程度。室内の血の匂いは大分薄れているのだろう。しかし、部屋中に残された血痕は訪れた人間の目を強く惹きつける。6畳ほどの洋室は、つきあたりの上下に伸びた階段付近を除いては、そこかしこが血で汚れていた。
 部屋の中央に置かれた展示用のガラスケースは、辛うじて割れていないものの、上部に大きなひびが入り、血による赤黒い装飾が施されている。おそらく、そこに被害者がいたのであろう。
 部屋を見回すと、壁際にも棚が並べられ、その中にはおよそ統一感のない本や骨董品の類が並べられている。目を引くのは巨大な斧や銃器などを並べた棚と、その横の展示品が存在しない空の棚である。秋山の記憶によれば、報告書の写真では、空の棚のなかに両手両足に当たる部分を釘で封印した「虎の衣」が置かれていた。
「犯人は、この部屋を物色し『虎の衣』を選び、盗みとろうとしているうちに部屋を訪れた被害者に出くわし、とっさに衣を身につけて被害者を殺めて逃走した?」
 捜査官たちが立てるだろう推測を口に出してみると、壱眼は小さくうなずくものの、言葉を続けることがない。まるで、こちらにその意見を吟味してほしいとでもいうような素振りだ。秋山自身も、口に出した推測を素直に受け取れない。
 何だ。一体何が引っかかっているのだろうか。
「秋山さん、壱眼さん。本部から連絡が入りました。香月フブキ氏が虎の捕獲に成功したそうです」
 夜宮からの報告に、呪物保管庫にいた捜査員の間で安堵の声が上がった。
「それは一安心だな。さて」
 まだ、この部屋で起きたという被害の捜査は終わっていない。しかし、街に潜んでいたという虎は無事に捕獲されたのだ。捜査員の中に流れた安堵は、決して許されないものとはいえないだろう。だが、壱眼は依然屋敷に入った時からの緊張した気配を崩さない。
 包帯の奥の彼の眼は、未だ何かを観察し続けているのだろうか。秋山はもう一度保管庫の中をゆっくりと見渡してみる。ひび割れたガラスケース、棚に入った斧、その他の呪物であろう骨董品の数々、血で汚れた床……。
「被害者の遺体の様子ってわかりますか」
 ふと近くの捜査員に尋ねてみると、簡単な説明をしてくれる。腹部を引き裂かれ内蔵を引きずり出された状態で発見されたのだという。損壊が激しく、検視をしなければ詳しくはわからないと前置きをしながらも、捜査員は、死体の一部は食べられていたのではないかと述べた。
「やはりその死体は『虎』にやられたもの、か」
「あの、どうかしたんですか、秋山君。虎は捕獲されたというので、一応今回の事件はこれで終結に」
 壱眼は虎の後始末を依頼してきたのだ。それに、壱眼の様子を見る限り、香月が虎を捕獲することは初めから織り込み済みに違いない。まだ、依頼は終わっていない、いや、もしかするとまだ始まっていないのではないか。

「恭輔や。どうだ。虎の後始末、手伝ってくれるか」

 壱眼が初めてこちらの名前を飛んだ。包帯をずらし、深紫の瞳で秋山を見つめる。
「まだなんとも言えませんね」
「そうか。では、儂らは一度この家を出て、香月が捕えたという虎の使い手に会いに行ってみようかの」
 壱眼は目元をやや緩めて、秋山に頷いてみせた。どうやら、今この場では「断らない」ことが正解であったらしい。詳細を知らされずに振り回される現状に、苛立ちが募る。
「知らされていない……?」
 自分の心の中によぎった言葉に秋山はふと立ち止まった。自分は何を知らされていないと感じたのだろう。壱眼の語る後始末の内容だろうか。本当にそれだけだろうか?


 私が、変異性災害対策係に誘われたとき、この部署の業務はとても暇なものだと聞いていた。確かに、変異性災害という名前で呼ばれる怪異をみた体験など数えるほどしかないし、テレビのニュースを騒がせるようなこともない。だから、就職が決まって仕事の概要を伝えられた時には、閑職なのだろうという漠然としたイメージがあった。若くして閑職に回されるのはいささか不満を覚えるべきことのように思うが、職は職である。ちょうど、前の職業を辞めたばかりだった私は、なりふり構うことなく、この誘いを受けた。
 働き始めて半年。私が就職前にもっていたこの部署へのイメージは完全に覆されたと思う。担当の祓い師である秋山恭輔曰く、私が働き始めた直後くらいから仕事の量が増えているに過ぎないらしいのだが――しかも彼は私がわざわざ仕事を持ってきていると思っている。そんなことは決してないのだけれども――私は就職以前のこの部署の様子を知らない。だから、休む暇もなく妙な仕事が延々と舞い込んでくる忙しい部署、それが私にとっての変異性災害対策係である。
 もう一つ、この部署にきて驚いたことは、市役所の一部署に過ぎないにも関わらず個別の施設を多く保有していることである。各種規定を読む限りでは、怪異の現実への影響を最小限にするための配慮らしい。私たちが今訪れている比良坂民俗学研究所も、そうした専門施設の一つだ。民俗学研究所と名を冠してはいるが、専ら変異性災害の研究を行っており、呪物の保管や、怪異に憑かれた人間のケアなどが業務のほとんどを占める。
 私たちは、朝から巻目市内をうろついていた『虎』の怪異を捕獲したとの一報を受けて研究所まで足を運んだ。現在は、職員二名が怪異に憑かれた人間の事情聴取を続けている。けれども、隣の部屋から硝子越しに様子を見る限り、どうにも上手くいっているようには見えない。
「ありゃダメだな。完全に錯乱してる。おい、対策の段階であの男の精神を潰したんじゃないだろうな」
 どうやら、上手くいかないという印象は私だけのものではないらしい。聴取を記録していた分析官の岸則之(きしのりゆき)が背後の片岡長正を睨みつけた。
「大丈夫だと思います。香月さんには細心の注意を払って虎を捕縛するようにと説明しましたし、彼女の戦闘は最善の手法でした」
「んなこといったって、あの様子を見ろよ。あいつ、自分が虎の衣を入手した経路すら理解できてないんだぜ? だいたい、処理に当たったのは香月フブキなんだろ? もうちょっと穏便な祓い師は手配できなかったのか」
「『虎』に対する戦闘を想定するならば、香月さんが適任だったことは明らかです。それに、彼女は評判ほどに手荒い人では」
「手荒くないだって? 片岡、そりゃ香月に甘すぎるぞ。こっちは毎度回収した物品の鑑定や道具のメンテナンスを請け負ってるんだ、香月が絡んだ案件はそりゃまともな状態のモノが来たことがない。あいつのどこが手荒くないんだよ」
 なあ、そうだろう? と岸が私の方をみる。けれども、あいにく私は香月フブキという祓い師と一緒に仕事をしたことがない。返答に困って隣を見ても、秋山は岸と長正の会話よりも硝子の向こう、聴取室の様子が気になっているようで、てんで話を聞いている気配がない。
「あの、それで、彼の身元はわかったんですか」
 岸たちの言い合いそっちのけで、唐突に質問を始める始末だ。投げたボールが返ってくる気配がなく、意気消沈気味の岸が手元の資料をめくった。
「ああ、警察の方に照会した。秋葉直人(あきばなおと)、28歳。窃盗、強盗の前科・前歴あり。空き巣の常習犯だな」
「空き巣の常習、呪物狙いのですか?」
「いんや、そういった情報はないね。搬送時の霊気測定でも特出した数値はなし。怪異に憑かれたおかげで怪異への感度は高まっているが、一時的なものに過ぎないだろう。他の怪異憑きと同じさ、あの男自身に霊感はない。だから、どれが呪物かわかりゃしない、呪物専門の盗みができるとは思えないさ。まあ、香月が男の精神ごと怪異を潰したってなら話は変わってくるんだけどな」
「なるほど」
 秋山は宿見邸を出てからというもの、心ここに非ずといった様子で、終始何かを考えている。この辺りで、考えを話してまとめてみるのはどうだろうか。私から秋山にそう投げかければよいのかもしれない。しかし、今の私には彼の助けとなるような言葉も情報もない。今回の壱眼からの依頼は、私にもその詳細が提示されていないのだ。後ろで座る壱眼の意図は、仕事を仲介しているはずの私にもわからない。

「ちょっと、誰が手荒なまねをしたって?」
 私が秋山への質問のタイミングを探っているうちに、ドアを勢いよく蹴って、長い髪の女子高生が入ってきた。彼女は肩を大きく上下させながら、右手に持った細長いバッグを岸につきつける。
「え? あ? いや、その……」
 強気な態度を見せていた岸の顔が青ざめる。
「今回の依頼は虎への変異を確認することと、対象者の捕獲でしょ? 私は全部きちんとこなしたじゃない! 手荒なまねをしたなんて言われる筋合いなんてない」
「そんな話をした覚えはないが」
 岸がしらを切った瞬間、彼女は岸の目の前まで踏み込み、手に持ったバッグを彼の喉元に押しつけた。
「今度そういうこと言ったら、喉元に突きつけるだけじゃすまないよ。あんた、ちせのところと通信繋いだままでしょ。初めから全部聞こえてるのよ」
「なっ……わかった悪かった、悪かったからそれを離せよ。だが、そうはいっても、こいつは現に錯乱していて話にならないんだ。対処の時にやりすぎた可能性を考えたっておかしくない」 
「おかしくない? 何言っちゃってんの。あんた分析官なのに、水蛟の記録ちゃんと観てないわけ? そいつは私が会った時からそんな感じよ、呪物片手に逃げ回っている癖に、当の呪物に恐怖を覚えて、終いには呪物に呑まれて襲いかかってきたんだから」
 どうやら彼女が虎を捕縛したという祓い師、香月フブキらしい。まさか高校生だとは思わなかった。
「秋山君、彼女が?」
「夜宮さんはまだ会ったことがなかったですね。そうです、岸分析官につっかかっている彼女が、香月フブキです。フブキ?」
 秋山が声をかけると、彼女は勢いよくこちらに振り返る。その眼はつりあがっているし、今の岸とのやりとりを見れば、私が挨拶をするようなタイミングではない。秋山の意図が読めず、思わず彼の袖口を引いた。しかし、秋山はこちらを見るわけではなく、彼女に近づき、突如彼女の両頬を手で包みこんだ。
「え、秋山君!?」
「ちょっ何、何すんの」
 聴取室に私の声と香月フブキの声が響き渡り、私はなんだか恥ずかしくなって思わず口に手をやった。香月の方はと言えば、頬を両手で包まれたまま、暴れることもなく目の前の秋山の顔をじっと見つめている。先ほどまでの怒気は一瞬にしてしぼんでしまったらしい。
「秋山、放して」
「フブキ、抜き身で水蛟使ったな」
「ええっと……それはほら、私だって色々考えて……」
「水蛟のかけらが残っている。ちせに頼んで浄化してもらった方が良い。ああ、その前にまず、自分で少し気を整えるべきかな」
 秋山の言葉に香月の身体が硬直したように見えた。次いで、彼女は彼の両手を払いのけて、何も言わずに大股でドアの方へと歩いていく。ドアを閉める前に「何よ! 私はちゃんと仕事はした! それだけ言いに来ただけ」と入室時よりは幾分か小さな声を発し、聴取室を退場していった。
 周囲を眺めると、岸と長正が顔を見合わせ小さくため息をついていた。
「ええっと、その何が起きたんですか?」
「ん? まあ、なんていうか。鈍感は罪ってことじゃないの? 仕事が進むのはいいことなんだけどさ」
 私の問いにお茶を濁したように岸が両手をあげた。

「フブキが会った時からあの様子か。岸さん、虎の衣の方は、ちせさんの研究室ですか?」
 何かを思いついたのか突然秋山が声をあげ、岸が再度大きなため息をついた。

*******

――Q 君が「虎の衣」を手にした経緯を教えてもらえないか。
「俺は、何もしらない。さっきから何を尋ねられているんだ。だいたいここは何処だ。お前ら、警察か? 警察? 俺は何にもしちゃいねぇ。前科がある人間は何のいわれもなくこうやって取調室に閉じ込められていいっていうのか?
 なんだよ! なんとか答えろよ! え? 知らない! だから、俺は何も知らないって言っているだろう」
――Q 私たちが尋ねたいのはこの写真の物についてだが、知っている事はないか。
「その写真は……いやだ、俺には関係がない知らない。そんなもの俺は知らない」
――Q君は保護された際、写真の物を身に着けていたが、何も知らないのか。何処かで手に入れたものではないのか。
「身に着けていただろうって? それを? やめてくれ、俺は、俺は何も悪くないし、関わりもない。俺は、俺は……そうだよ、生き残ったんだ、生き残ったんだ。これからも死にたくない。お前ら、こうやって俺を尋問するふりして、俺の命を狙ってるんじゃないのか? いや、違う。俺じゃない、あれか。お前たちの狙いはあれなんだな。
 返せよ! あれは俺のモノだ。あれがないと死んじまう死ぬは嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ」
――精神不安定で聴取続行不可能。鎮静剤の投与。
――投与後様子が落ち着いたため、聴取を再開。
――Q私たちにはあなたの言う「あれ」とは何かわからない。「あれ」とはこの写真の物か。
「知らない。関わりたくない」
――Q先ほどまではあれがないと死ぬ、返してほしいと言っていなかったか
「そんなことを言った覚えはない。あんなもの、持っていちゃいけないんだ。ダメだダメだ」
――Q持っていてはいけないとはどういうことか。
「うるさい黙れ。早くここから出してくれ。早くしないと俺はまた死んでしまう。早く早く。そうだ、あれを持ってこい何処だ。何処にあれはあるんだ。あれさえあれば俺は俺は……嫌だ、あれは化物だ、化物に呑まれてしまう。呑まれ、呑まれ…」

――以後、何度か聴取を試みたが、同様の供述を繰り返すばかりで有力な情報は得られなかった。変異性災害とみられる物理的干渉は観測されず。もっとも、呪物に対する執着と拒絶を繰り返すことから、対象者はいまだ変異性災害の影響下にあると思われる。物理的干渉が観測されないのは、現在は証言者と呪物の間に距離を置いているためか?
 今後、類似の呪物により、証言者の精神的変異が物理的な干渉を惹起する危険は極めて高いため、一連の聴取が済み次第、早急な「処置」をする必要があるものと結論づける。
――新たな入力はありません……
――新たな入力はありません……
――新たな入力はありません……
――新たな入力はありません……
――記録の一時保存を行い、入力を終了します。
――……
――……

*******
 大きな作業机の上には虎の毛皮が広げられている。両手両足の部分にピンがさされ、まるで蝶の標本のようだ。比良坂民俗学研究所呪物分析担当、鷲家口ちせ(わしかぐち‐‐)は、作業机の周りをぐるぐると回りながら、毛皮の分析結果を読み上げていた。
「と、この虎の毛皮は100年以上前に作られた品物であり、その残有霊気の総量や、香月フブキの戦闘記録等を総合すると、これは立派な呪物です。効能は『人を虎に変じさせること』。まあ変化後の虎が引き起こす危険を考えたら、個人の所有物として今まで保管されていたのがびっくりの品物だね」
 パタン。手持ちのファイルを閉じて、ちせは私の方に向き直った。一緒に話を聞きに来た秋山は隅の椅子に座り何かを考えているし、壱眼は壁際に立って部屋の様子を窺っているようだ。おかげで彼女の話を聞くのは専ら私の仕事となっている。全くどうして秋山は実物を見たいと言い出したのだろうか。
「さて、一通り分析も終わったし、沙耶ちゃんが気になるなら好きに触ってもいいよー」
 気軽に言われても、目の前の毛皮を触ろうとは思えない。見た目は虎の全身から綺麗にはぎ取った毛皮に過ぎない。平たく敷かれたそれからは、こちらに襲いかかってくるような気配はない。それでも、全体から発せられる呪物特有の気配を拭えない。呪物は人から離れてしまった霊気を際限なく溜めこんでいく。滞留した古く濁った力の流れが人を呑むような異質さを形成している。
 加えて、直前に見せられた香月フブキと『虎』の戦闘記録、特に毛皮が秋葉直人の身体を包み『虎』に変わる様子が目に焼きついていて、私は目の前の呪物が怖くて仕方がない。
「沙耶ちゃんは呪物に触れる経験が少ないんだっけ?」
「え、ええっと。はい」
「別に触ってもいきなり虎になったりはしないよ。秋葉直人の例は過剰適合だから」
 私の胸の内に気が付いたのか、ちせが虎の毛皮をつまんでみせる。毛皮が彼女に吸い寄せられないことを確認して、私も毛皮へ手を伸ばしてみる。指が触れても特に変化はない。毛皮のふさふさした手触りだけが返ってきた。
「あの、過剰適合というのは」
「対策係でもあまり聞かない単語だったかな? 要するに秋葉直人はこの毛皮に呑まれていたのよ」
 世の中には、呪物により引き起こされたとされる怪異がある。しかし、怪異は須らく人間を原因としてうまれる現象である。呪物による怪異も、呪物を利用した人間が原因だ。すなわち、呪物を利用した人間の精神的変異が外界に対して物理的・精神的な干渉を行うこと、それが呪物による怪異の正体である。
「結局のところ、呪物による怪異は他の怪異と別物に見られがちだけど、呪物が怪異の形や性質に強いバイアスをかけるに過ぎないの。呪物は滞留した霊気により霊性を得るけれども、単独では何も起きない。これらはモチーフ、媒介、あるいは怪異を生むきっかけでしかない。怪異そのものは呪物と人間、二つの関係性の中でしか生まれない。ここまでは知ってるよね?」
「そうですね。対策係の研修で一通り聞きました」
「よろしい。それじゃあ、次に実際に呪物による怪異が発生する流れなんだけどっと」
 ちせは不意に秋山に駆け寄り後ろから抱きついた。秋山は驚いたのか瞬きを繰り返していて、私はその姿にちょっと吹き出しそうになった。彼は私と目が合った途端、そっぽを向いて、ちせに「離れろ」「何を探している」などと文句を言い始めた。
 ちせはそんな秋山を気にせず彼のポケットをごそごそと探り、紙束を一つ取りだすと、戦利品のように掲げた。そして、ふわふわと左右に揺れながら私の方に戻ってくる。
「これ! 沙耶ちゃんは秋山と仕事をしているんだから、これを使っているところなら見たことあるよね」
 彼女が掲げた紙束は、秋山が利用する呪符だ。私も対策中に何度も利用したことがある。
「これもそこの毛皮と同じように呪物の一種なのね。といっても、これは秋山が自分の霊気をこめて、簡単な術式を施しただけの物だから、毛皮みたいに強烈な干渉は起こせないと思うけど」
 そうはいっても、彼の呪符は汎用性が高い。怪異にぶつければ攻撃手段になるし、複数枚をばら撒いて結界を作る、閉じたドアをこじ開けるなど、秋山は呪符一つで多様なことをこなす。
「さて、この呪符、確かに一枚一枚が秋山の霊気を帯びているし、色々と術式が書きこまれています。ところが、秋山が定めた符丁に従って行使しないと只の紙きれです」
 ほらね。ちせは、紙束の上から数枚の呪符を取り分け、適当に破ってみせる。いつものように呪符の周辺で何かがおきることはない。
「この紙きれで、何やらびっくりな超常現象を起こせるのは、手順に従うことで、紙が帯びる霊気と使用者が共鳴し、紙と秋山の間で一種の変異性災害が発生しているからなの。だから、この紙との共鳴の仕方を知らない私がいくらいじったところで、たまたま共鳴しない限りはメモ帳程度にしか使えないのよ。全く同じことが虎の毛皮でも言えるってこと」
 つまり、この虎の毛皮と共鳴する使い方をしなければ、全身が虎に変じることはない。この毛皮は身にまとうことで人を虎に変えるものであるから、上から毛皮を撫でる程度なら問題はない、ということだろうか。
「ま、呪物との相性とかもあるんだけど、おおむねそんな感じ。そして、過剰適合っていうのは、呪物との間で築いた関係性が特に強くなってしまった場合のことをいうの。過剰適合になってしまうと、使用者の意思に関わらず、呪物は使用者を求め、怪異を発現させようとする。例えば、手に触れただけで毛皮が勝手に全身を包みこんだりね」
 つまり、接し方さえ誤らなければ目の前の呪物に害はない。ちせの説明を聞いて、目の前の毛皮に対する恐怖感は和らいだような気がする。けれども、一度接し方を誤ればあのような怪異が生まれるのだ。やはり危険なモノには変わりないだろう。
「あれ……?」
「何か気になるとこあった? 私、自分の専門になると長く話しちゃうからわかりにくかったかな」
「いいえ、ちせさんの説明はわかりやすかったです。秋葉直人は盗んだ虎の毛皮とどの段階で過剰適合になったんだろうと思って」
「それは最初の着用の段階じゃないかな? 宿見新造氏殺害時の着用で、秋葉直人と虎の毛皮の間に過剰適合関係が生まれた。そのため、フブキとの遭遇時には毛皮が彼の身体を無理やり虎へと変じさせた」
 それはそうなのだが……何かがひっかかった。呪物による怪異も人間を原因とするもの、手順に従った呪物の利用により利用者と共鳴して怪異を生む……?
「どうして秋葉直人は虎の毛皮を着たのでしょう」
「それだ!」
 秋山がいきなり声をあげて立ちあがった。
「えっ秋山君、どうかしたの」
「それだよ、夜宮さん。そうか、だから変だったんだ」
「だから何なの。説明してよ」
「夜宮さんの言うとおりです。問題は何故秋葉直人が虎の怪異になったか、という点だったんです。そして、それが僕を呼ぶ理由になった。そうでしょう、壱眼老」
 秋山の問いかけに、壱眼の表情が心なしか曇った。秋山の読みが外れたのだろうか。いや、壱眼は表情を曇らせたままゆっくりと秋山に頷き返した。おそらく彼の読みが外れたわけではない。そうだとすれば、何故。

―――――――
・次回 黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る3
・今後の予定 黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る / 黒猫堂怪奇絵巻3 /「輪入道と暮らすほのぼのボヤ生活」原案等
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