作成した小説を保管・公開しているブログです。
現在は連作短編が二篇の他,短編小説,エッセイの類を掲載しています。
連作小説の更新ペースは随時。二か月に三回を最低ラインとして目指しています。
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2025.02.02 Sunday
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ネガイカナヘバ3
2015.01.26 Monday
黒猫堂怪奇絵巻6話目 ネガイカナヘバ掲載3回目です。
ネガイカナヘバ1
ネガイカナヘバ2
今までの黒猫堂怪奇絵巻
黒猫堂怪奇絵巻1 煙々羅
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る
黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ
黒猫堂怪奇絵巻4 迷い家
黒猫堂怪奇絵巻4.5 薄闇は隣で嗤う
黒猫堂怪奇絵巻5 キルロイ
―――――――――
2
陽波高校の図書室に書庫があるということを、今の今まで知らなかった。
それはいかに図書室と縁がない時間を過ごしていたかということを示す事実だ。
そんな話を隣でしていたクラスメイトの結城美奈もまた、書庫のなかを見るのは初めてのようで、本棚を眺め驚きの声を上げながら書庫の奥へと消えていった。
ほとんどの学生は図書室を自習のためにしか使わない。それに、陽波高校の図書室は近隣の学校に比べれば規模が大きく、学生が読みたがる本はたいてい開架におかれている。書庫に足を踏み入れる学生は少ないに違いない。
「さくら。こっちに学校史の棚があるよ」
ネガイカナヘバ1
ネガイカナヘバ2
今までの黒猫堂怪奇絵巻
黒猫堂怪奇絵巻1 煙々羅
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る
黒猫堂怪奇絵巻3 とおりゃんせ
黒猫堂怪奇絵巻4 迷い家
黒猫堂怪奇絵巻4.5 薄闇は隣で嗤う
黒猫堂怪奇絵巻5 キルロイ
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2
陽波高校の図書室に書庫があるということを、今の今まで知らなかった。
それはいかに図書室と縁がない時間を過ごしていたかということを示す事実だ。
そんな話を隣でしていたクラスメイトの結城美奈もまた、書庫のなかを見るのは初めてのようで、本棚を眺め驚きの声を上げながら書庫の奥へと消えていった。
ほとんどの学生は図書室を自習のためにしか使わない。それに、陽波高校の図書室は近隣の学校に比べれば規模が大きく、学生が読みたがる本はたいてい開架におかれている。書庫に足を踏み入れる学生は少ないに違いない。
「さくら。こっちに学校史の棚があるよ」
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羊の壁
2015.01.03 Saturday
ひつじ年だし羊の話を書こう。思い立ったものの、羊ってあんまりよく知らない生き物だった。
後ほど、羊もふもふな話をちゃんと書こうと思います。
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羊の壁
今から書くのは、僕が実家に帰省したときの話だ。
君には話したことがあると思うけれど、僕の実家は○○県の▲▲という小さな町にある。
後ほど、羊もふもふな話をちゃんと書こうと思います。
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羊の壁
今から書くのは、僕が実家に帰省したときの話だ。
君には話したことがあると思うけれど、僕の実家は○○県の▲▲という小さな町にある。
エンドロール(後篇)
2014.12.16 Tuesday
エンドロール(前篇)
2014.12.15 Monday
一日を繰り返す話を作ろう。
短編を書こうと思ったのに気が付けば前後篇になりました。
一日を繰り返す話です。年内に後篇も掲載予定です。
黒猫堂の続きも更新できることを目標に。
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短編を書こうと思ったのに気が付けば前後篇になりました。
一日を繰り返す話です。年内に後篇も掲載予定です。
黒猫堂の続きも更新できることを目標に。
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ラフテキスト エンドロール
2014.11.09 Sunday
しばらく書くことが止まっていたため、リハビリを兼ねて短編を書いています。
全体で1万5千~3万くらいでとどまってくれることを目標に。
以下、ラフテキスト
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仮題(エンドロール)
人が死に直面したときに見る奇妙な風景。
天使。三途の川。走馬灯。
多くの人々により語られているそれらの風景が、本当に存在するものなのか。
私たちはその答えを自分が死ぬ瞬間まで知ることができない。
自らが体感したことを語っている。そのように話す人もいるが、それはあくまで臨死体験であって、死そのものではない。九死に一生を得た人が死の間際に見た光景と、死んでしまった人が死の間際に見た光景が同一であると、どうして断言できるだろうか。
死に直面した人間は、天使も三途の川も、走馬灯すら見ることはない。
少なくても、私が見ているこの光景は、そういった類のものではない。
視界の半分を埋め尽くす不可解な文字列。足元から頭上へと絶え間なく流れる文字列とともに、私の身体は地面へと落ちていく。
耳元で鳴り響くこの曲はなんであったか。そうだ、エドワード・エルガーの「威風堂々」。
私に最も相応しくない曲と、文字列に包まれて、私の生は終わりを迎える。
これは、まるでエンドロールだ。「私」という題名の記録映画の終わり。
落ちていく景色の中で、時計の文字盤が視界に入った。11時59分。12時ちょうどに向かって針が振れた瞬間、身体に衝撃が加わり。
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全体で1万5千~3万くらいでとどまってくれることを目標に。
以下、ラフテキスト
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仮題(エンドロール)
人が死に直面したときに見る奇妙な風景。
天使。三途の川。走馬灯。
多くの人々により語られているそれらの風景が、本当に存在するものなのか。
私たちはその答えを自分が死ぬ瞬間まで知ることができない。
自らが体感したことを語っている。そのように話す人もいるが、それはあくまで臨死体験であって、死そのものではない。九死に一生を得た人が死の間際に見た光景と、死んでしまった人が死の間際に見た光景が同一であると、どうして断言できるだろうか。
死に直面した人間は、天使も三途の川も、走馬灯すら見ることはない。
少なくても、私が見ているこの光景は、そういった類のものではない。
視界の半分を埋め尽くす不可解な文字列。足元から頭上へと絶え間なく流れる文字列とともに、私の身体は地面へと落ちていく。
耳元で鳴り響くこの曲はなんであったか。そうだ、エドワード・エルガーの「威風堂々」。
私に最も相応しくない曲と、文字列に包まれて、私の生は終わりを迎える。
これは、まるでエンドロールだ。「私」という題名の記録映画の終わり。
落ちていく景色の中で、時計の文字盤が視界に入った。11時59分。12時ちょうどに向かって針が振れた瞬間、身体に衝撃が加わり。
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