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虎の衣を駆る4
2012.09.18 Tuesday
<前回まで>
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る1
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る2
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る3
―――――――
虎の衣を駆る4
8
暗闇の中で獣は私に語りかける。
獣の姿であっても、このように一時は人の理性が戻ってくる。しかし、その本質は獣に変わらないと。元より我は獣であり、ふとしたきっかけで人間に変じたに過ぎなかった。人の姿に変じて、私や他の者たちの前に現れていても、その心は獣のままであり、早く、一刻も早く元の姿に戻りたいと疼いてならないのだと。
人の姿になっていると、このような奇妙な扮装をしている自分を怪しんでしまう。人の姿を続けていると、己の獣としての本分を忘れてしまう。早く獣に戻らなければならないと。
私が初めて出会ったころに比べ、獣はより深い暗闇へと姿を隠し、その声も人と獣の声が混ざりあい聞き取りづらくなっていた。獣は人の姿を捨て、より深い、より本質に近い姿へと変容を続けていたのだと思う。
やがて、私は気がついた。獣はまもなく人の姿を捨てるのだと。自分の本質である獣の性に従い、暗闇の中へと駆けていくのだと。
私はそのような獣のことがたまらなく愛おしく、そして憎らしかった。
*******
「勢いで依頼を受けるのは構わないけれど、これって結局ノープランってことなんじゃないの秋山」
宿見邸の玄関前に佇んだ香月フブキは、後ろの秋山恭輔を睨みつけた。水蛟を入れたバッグを右肩にかけているその姿は昼間とほぼ変わらない。変化があるとすれば左腕が、二の腕から掌にかけて梵字の印された包帯で覆われていることだろう。彼女は、左腕の感触を確かめるかのように何度も振り回している。
比良坂民俗学研究所にて打ち明けられた壱眼の話を聞き、秋山が出した結論は、今夜中に宿見邸内にいるという獣憑きの対策を行うというものだった。その場にいた鷲家口ちせ、部屋の外で立ち聞きしていた香月フブキ、依頼者である壱眼、そして私――夜宮沙耶の四人を引き連れ、秋山は再び宿見邸を訪れた。
「ノープランというわけじゃない。相手が素直に認めてくれればそれで解決だし、そうじゃなければ『虎の衣』を使って過剰適合者を探すのが早いと言っているだけだ」
それは誰が聞いても無策で飛びだしているのと変わらないと思うし、香月が不満を漏らすのも納得がいく。けれども、ここまできていまさら引き下がるわけにもいかないだろう。私は脇に抱えた袋におそるおそる視線を向けた。この袋の中には例の「虎の衣」が入っている。利用しなければ害がないとわかっていてもやはり秋葉直人に絡みつく虎の衣の映像は忘れることができなかった。
「だから、それは相手に武器を与えるってことでしょ、結局出たとこ勝負じゃない」
「まあまあ、フブキちゃん。だから、秋山クンも私やフブキちゃんの事を頼っているわけじゃない。助け合いの心は大切よ?」
ちせが香月の頭をなでることでとりあえず場は収まったが、香月はいまだ納得がいかないのか頬を膨らませている。
「あの、ところでちせさんの腕のそれって?」
香月の頭を撫でているちせの手には巨大な金属製の籠手のようなものが嵌められている。そもそもにして、ちせは呪物鑑定を生業とする職員ではなかったのだろうか。
「ああ、これ? 武器よ武器。ちょっと“力”をこめてやれば、怪異も人間もひとっ飛びってね」
ちせはとびきりの笑顔でファイティングポーズを取る。白衣にボブカットの女性ボクサーというのは珍妙な風景で思わず呆けてしまいそうになったが、「ひとっ飛び」とはあまり穏やかな言葉ではない。そのままシャドウボクシングを始めるちせの横で香月が小さくため息をつく。
「ちせは呪物鑑定の腕を買われて研究所にいるけれど、元々はうちの係の戦闘要員なの。秋山なんかよりよっぽど強いし、戦闘狂なんだから」
「戦闘狂って言い方はないじゃない。ぶっ飛ばすぞ」
「なっ、やる気?」
このままでは仕事に入る前に二人が乱闘を始めそうな始末である。
「二人とも、いい加減にしてください。そろそろ入りますよ」
呆れたように首をふりながら、二人の間を通り抜け、秋山が宿見邸の玄関前に立つ。
「さて、獣退治、と行きますか」
彼の指が玄関のチャイムを鳴らした。
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る1
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る2
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る3
―――――――
虎の衣を駆る4
8
暗闇の中で獣は私に語りかける。
獣の姿であっても、このように一時は人の理性が戻ってくる。しかし、その本質は獣に変わらないと。元より我は獣であり、ふとしたきっかけで人間に変じたに過ぎなかった。人の姿に変じて、私や他の者たちの前に現れていても、その心は獣のままであり、早く、一刻も早く元の姿に戻りたいと疼いてならないのだと。
人の姿になっていると、このような奇妙な扮装をしている自分を怪しんでしまう。人の姿を続けていると、己の獣としての本分を忘れてしまう。早く獣に戻らなければならないと。
私が初めて出会ったころに比べ、獣はより深い暗闇へと姿を隠し、その声も人と獣の声が混ざりあい聞き取りづらくなっていた。獣は人の姿を捨て、より深い、より本質に近い姿へと変容を続けていたのだと思う。
やがて、私は気がついた。獣はまもなく人の姿を捨てるのだと。自分の本質である獣の性に従い、暗闇の中へと駆けていくのだと。
私はそのような獣のことがたまらなく愛おしく、そして憎らしかった。
*******
「勢いで依頼を受けるのは構わないけれど、これって結局ノープランってことなんじゃないの秋山」
宿見邸の玄関前に佇んだ香月フブキは、後ろの秋山恭輔を睨みつけた。水蛟を入れたバッグを右肩にかけているその姿は昼間とほぼ変わらない。変化があるとすれば左腕が、二の腕から掌にかけて梵字の印された包帯で覆われていることだろう。彼女は、左腕の感触を確かめるかのように何度も振り回している。
比良坂民俗学研究所にて打ち明けられた壱眼の話を聞き、秋山が出した結論は、今夜中に宿見邸内にいるという獣憑きの対策を行うというものだった。その場にいた鷲家口ちせ、部屋の外で立ち聞きしていた香月フブキ、依頼者である壱眼、そして私――夜宮沙耶の四人を引き連れ、秋山は再び宿見邸を訪れた。
「ノープランというわけじゃない。相手が素直に認めてくれればそれで解決だし、そうじゃなければ『虎の衣』を使って過剰適合者を探すのが早いと言っているだけだ」
それは誰が聞いても無策で飛びだしているのと変わらないと思うし、香月が不満を漏らすのも納得がいく。けれども、ここまできていまさら引き下がるわけにもいかないだろう。私は脇に抱えた袋におそるおそる視線を向けた。この袋の中には例の「虎の衣」が入っている。利用しなければ害がないとわかっていてもやはり秋葉直人に絡みつく虎の衣の映像は忘れることができなかった。
「だから、それは相手に武器を与えるってことでしょ、結局出たとこ勝負じゃない」
「まあまあ、フブキちゃん。だから、秋山クンも私やフブキちゃんの事を頼っているわけじゃない。助け合いの心は大切よ?」
ちせが香月の頭をなでることでとりあえず場は収まったが、香月はいまだ納得がいかないのか頬を膨らませている。
「あの、ところでちせさんの腕のそれって?」
香月の頭を撫でているちせの手には巨大な金属製の籠手のようなものが嵌められている。そもそもにして、ちせは呪物鑑定を生業とする職員ではなかったのだろうか。
「ああ、これ? 武器よ武器。ちょっと“力”をこめてやれば、怪異も人間もひとっ飛びってね」
ちせはとびきりの笑顔でファイティングポーズを取る。白衣にボブカットの女性ボクサーというのは珍妙な風景で思わず呆けてしまいそうになったが、「ひとっ飛び」とはあまり穏やかな言葉ではない。そのままシャドウボクシングを始めるちせの横で香月が小さくため息をつく。
「ちせは呪物鑑定の腕を買われて研究所にいるけれど、元々はうちの係の戦闘要員なの。秋山なんかよりよっぽど強いし、戦闘狂なんだから」
「戦闘狂って言い方はないじゃない。ぶっ飛ばすぞ」
「なっ、やる気?」
このままでは仕事に入る前に二人が乱闘を始めそうな始末である。
「二人とも、いい加減にしてください。そろそろ入りますよ」
呆れたように首をふりながら、二人の間を通り抜け、秋山が宿見邸の玄関前に立つ。
「さて、獣退治、と行きますか」
彼の指が玄関のチャイムを鳴らした。
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虎の衣を駆る3
2012.09.10 Monday
<前回まで>
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る1
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る2
―――――――
虎の衣を駆る3
6
獣は私の肩にかけた爪を外し、私の怯えきった顔を見つめながら数歩後退した。私は血が流れ出し痛む肩を押さえながらどうしたら目の前の獣から逃げられるか必死に考えようとした。
けれども、獣の眼に宿る理性の光がどうしようもなく私を捕え、その場を離れることを許さなかった。獣はの眼は私と床の間を何度も行き来し、やがて部屋の闇の中へとその身体を隠してしまった。
私は獣が暗闇の中から出てこないことを確認し、ゆっくりと座り込んだまま後退りを始めた。傷口を押さえている手が服に染みた血の感触を覚えると、途端に自分の死というものが怖くなる。全身が震え、冷えていく自分の身体に焦りを感じた。けれども、周囲を見渡しても自分が部屋のどこから来てどこにいるのか、部屋の出口はどこにあるのかが皆目見当がつかなくなっていた。声を上げようにも、暗闇の中にはまだあの獣がいるかもしれない。
私は、獣の姿がなくなって初めて、自分の身の危険を感じとりパニックになったのだ。
そうして、私が右に行くか左に行くかすら決められず、じりじりと血を流し続けていると、獣が消えた暗闇の向こうで「何ということだ」と繰り返し呟く声が聞こえた。それは何処かで聞いたことのある声であるが、誰の声であったか思い出せない。
いや、暗闇の中で聞こえる声が唸り声と重なっているからわからないだけだ。唸り声が途切れた時の声は聞き覚えがある。
「その声は、××××ではありませんか? ××××、返事をしてください」
思い至ったその名前を呼ぶと、周囲の暗闇がぐにゃりと歪んで私から離れた。それに合わせて暗闇に消えたはずの獣の前足が視界に入る。「ひっ」と小さく声をあげ、後ろに下がった私に対し、獣は飛びかかることもなく、ただ前足を小さく挙げて前に進み出た。しかし、先ほどまで聞こえていた××××の声がしない。暫くすると、暗闇から再びしわがれた声が聞こえた。
「私だ。確かに今ここにいるのは××××だ」
声がしたのは前足の向こう側。私は声の主を探そうとすれば獣に出くわすと考え、探しに行くことを躊躇った。
しかし、部屋から抜け出る方法も目の前の獣から逃げる方法も思い至らない。ただ、生きられる可能性が徐々に減っていくだけだ。ならば、この身を守る必要などない。そう思い直し、×××××の声のする前足の方へと這いでた。
「××××、どうして姿を見せてくれないのですか。助けてください。××××」
私の声に暗闇の奥の獣が小さく唸った。余計な刺激をしてしまったかと身を固くしたが、獣は前足以上に闇のなかから顔を出すことがない。代わりに××××の声が答えた。
「私は卑しい獣の姿に身を落としてしまっている。お前の前に私の姿を全てさらすことは出来ぬ。そのようなことをすれば、先ほどのように私の卑しい獣の本性がお前の身を切り裂こうとするに違いない。お前を助けることができずに本当にすまないと思っている。肩口の傷が酷くならないうちにどうかこの部屋から立ち去ってくれはしないだろうか」
私は、××××のその声を聞いて、あの獣が理性の光を宿した意味を知った。
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る1
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る2
―――――――
虎の衣を駆る3
6
獣は私の肩にかけた爪を外し、私の怯えきった顔を見つめながら数歩後退した。私は血が流れ出し痛む肩を押さえながらどうしたら目の前の獣から逃げられるか必死に考えようとした。
けれども、獣の眼に宿る理性の光がどうしようもなく私を捕え、その場を離れることを許さなかった。獣はの眼は私と床の間を何度も行き来し、やがて部屋の闇の中へとその身体を隠してしまった。
私は獣が暗闇の中から出てこないことを確認し、ゆっくりと座り込んだまま後退りを始めた。傷口を押さえている手が服に染みた血の感触を覚えると、途端に自分の死というものが怖くなる。全身が震え、冷えていく自分の身体に焦りを感じた。けれども、周囲を見渡しても自分が部屋のどこから来てどこにいるのか、部屋の出口はどこにあるのかが皆目見当がつかなくなっていた。声を上げようにも、暗闇の中にはまだあの獣がいるかもしれない。
私は、獣の姿がなくなって初めて、自分の身の危険を感じとりパニックになったのだ。
そうして、私が右に行くか左に行くかすら決められず、じりじりと血を流し続けていると、獣が消えた暗闇の向こうで「何ということだ」と繰り返し呟く声が聞こえた。それは何処かで聞いたことのある声であるが、誰の声であったか思い出せない。
いや、暗闇の中で聞こえる声が唸り声と重なっているからわからないだけだ。唸り声が途切れた時の声は聞き覚えがある。
「その声は、××××ではありませんか? ××××、返事をしてください」
思い至ったその名前を呼ぶと、周囲の暗闇がぐにゃりと歪んで私から離れた。それに合わせて暗闇に消えたはずの獣の前足が視界に入る。「ひっ」と小さく声をあげ、後ろに下がった私に対し、獣は飛びかかることもなく、ただ前足を小さく挙げて前に進み出た。しかし、先ほどまで聞こえていた××××の声がしない。暫くすると、暗闇から再びしわがれた声が聞こえた。
「私だ。確かに今ここにいるのは××××だ」
声がしたのは前足の向こう側。私は声の主を探そうとすれば獣に出くわすと考え、探しに行くことを躊躇った。
しかし、部屋から抜け出る方法も目の前の獣から逃げる方法も思い至らない。ただ、生きられる可能性が徐々に減っていくだけだ。ならば、この身を守る必要などない。そう思い直し、×××××の声のする前足の方へと這いでた。
「××××、どうして姿を見せてくれないのですか。助けてください。××××」
私の声に暗闇の奥の獣が小さく唸った。余計な刺激をしてしまったかと身を固くしたが、獣は前足以上に闇のなかから顔を出すことがない。代わりに××××の声が答えた。
「私は卑しい獣の姿に身を落としてしまっている。お前の前に私の姿を全てさらすことは出来ぬ。そのようなことをすれば、先ほどのように私の卑しい獣の本性がお前の身を切り裂こうとするに違いない。お前を助けることができずに本当にすまないと思っている。肩口の傷が酷くならないうちにどうかこの部屋から立ち去ってくれはしないだろうか」
私は、××××のその声を聞いて、あの獣が理性の光を宿した意味を知った。
虎の衣を駆る2
2012.09.02 Sunday
<前回まで>
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る1
――――――
虎の衣を駆る2
4
特定の人間の強い念、あるいは不特定多数の人間の想いが染み付き、奇妙な力を発揮し得るモノを呪物と呼ぶ。宿見家は呪物を蒐集・転売することを生業とする家だ。壱眼古物では保管が難しい呪物を引き受けてもらい、宿見家が保管・鑑賞に飽いた呪物を買い取っていた。
「とはいっても、現当主に代わってから取引はなかったのだがな。それが先月、急に保管庫の呪物を処分したいと連絡がきた」
壱眼は、秋山恭輔と夜宮沙耶を連れ、宿見邸の玄関をくぐる。宿見邸の玄関は、通常の住宅よりも遥かに広い。正面に大きな階段を備え、踊り場の壁には暖炉が、踊り場からは左右に階段が分かれ、右には来客用の寝室が、左には呪物保管庫への通路があるはずだ。玄関だけを見れば、小説に出てくるような富豪の印象を与えるが、壱眼は宿見家が裕福であったという話を聞かない。
そうした豪華な玄関も、「虎」の出現によって酷く乱れたような印象がある。階段の手すりにはいくつも大きな獣の爪跡が残り、床に敷かれたカーペットはところどころ大きく破けている。虎は玄関内で大きく暴れまわったのであろうか、壁には引っかき傷のような形でいくつもの血の跡が残っていた。変異性災害対策係の鑑定班の面々は、それらの痕跡を検証するため玄関でせわしなく活動を続けている。
「なるほど。確かに、獣が暴れまわったような跡はありますね」
「これを全部、街にいる『虎』がやったのですか」
実際の現場を見て印象が変わったのか、後ろをついてくるだけだった秋山達が緊張したような面持ちで玄関内を見まわした。
「捜査員たちはそうじゃないかとみているよ。それと、被害者が出たのはここではなく、呪物保管庫の方だ。どうも虎は玄関を通って逃げ出して行ったようだね」
「律儀に玄関の扉を開けて出かけるなんて変わった虎ですね」
「言ったろう? 人が変じたモノだと。人の意識が残っていれば、そうした行動をとることはそこまで不思議なことではないようにも思えるがね」
「僕が不思議なのはそういうことではありませんよ。あの扉を虎が開けたのだとすると、件の虎は賢く器用な動物なのだなと思って」
秋山は自分たちが通ってきた玄関の扉を振り返った。外開きの金属製の重い扉。扉の内側には特にこれといった傷がみられない。
「捜査官たちは、呪物を持ちだした犯人は、玄関を堂々と開いて入ってきたのではないかと読んでいるようじゃな」
「つまり?」
「窃盗じゃよ」
自分が入るために開いたドアから、虎となって出て行ったのであれば、扉を開く手間がかからないであろう。壱眼は秋山達が到着するまでの間、そういった意見がテント内で飛び交っていたことを思いかえした。
秋山はその答えに何か思うことがあるのだろう、右手で口元を隠してじっと玄関の扉の方を見つめている。壱眼は秋山が小さなころから彼のことを知っている。彼が、あのような様子をみせるときは、何か思案していることが多い。どうやら、彼を呼んで正解であったようだ。
「どうかしたんですか、秋山君」
「いえ、窃盗というのは少し……」
秋山が何かを口にしようとしたところで、一階の奥、応接間のドアが開き、中から二名の捜査官と三人の男女が姿を見せた。
「あの、壱眼さん、あの人たちはどなたでしょうか」
「宿見家の者だな。他にも何名か使用人がいる」
捜査官と共に一番初めに出てきたスーツに長身の女性が、長女の美代。後ろにくっついている白のワンピースを着た背の低い少女が次女の香代。二人の姉妹の横にいる青白い顔をしたのが二男の香児だ。長男の博美は現在海外にいるらしく、今日この屋敷にいた人間は彼女たちの他、使用人が二名のみだということだった。
「老、それじゃあ虎の被害者というのは」
「どうやらお前さんは資料を流し読みしかしていないようだね。殺されていたのは彼女たちの父親、現宿見家当主宿見新造だよ」
「現当主が保管していた呪物を利用して殺されたってことですか」
「詳しくは現場にいってから説明しよう。現場は二階の北側、左手の廊下の奥だ」
秋山達を階段の方へと誘導し、壱眼は捜査官と宿見家の人間たちに小さく礼をする。香児は落ち着きなく周囲の様子を確認しているし、美代は壱眼に向かって一礼をしたものの、腕を抱いている左手が小さく震えている。香代に至っては美代の陰に隠れて壱眼の方を見ようともしない。
彼女たちの目には壱眼はどう映っているのだろうか。そして、秋山には彼女たちがどのように映っているのだろうか。まだそれを尋ねる場ではない。自らに言い聞かせ、壱眼は秋山達を連れて玄関を離れた。
黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る1
――――――
虎の衣を駆る2
4
特定の人間の強い念、あるいは不特定多数の人間の想いが染み付き、奇妙な力を発揮し得るモノを呪物と呼ぶ。宿見家は呪物を蒐集・転売することを生業とする家だ。壱眼古物では保管が難しい呪物を引き受けてもらい、宿見家が保管・鑑賞に飽いた呪物を買い取っていた。
「とはいっても、現当主に代わってから取引はなかったのだがな。それが先月、急に保管庫の呪物を処分したいと連絡がきた」
壱眼は、秋山恭輔と夜宮沙耶を連れ、宿見邸の玄関をくぐる。宿見邸の玄関は、通常の住宅よりも遥かに広い。正面に大きな階段を備え、踊り場の壁には暖炉が、踊り場からは左右に階段が分かれ、右には来客用の寝室が、左には呪物保管庫への通路があるはずだ。玄関だけを見れば、小説に出てくるような富豪の印象を与えるが、壱眼は宿見家が裕福であったという話を聞かない。
そうした豪華な玄関も、「虎」の出現によって酷く乱れたような印象がある。階段の手すりにはいくつも大きな獣の爪跡が残り、床に敷かれたカーペットはところどころ大きく破けている。虎は玄関内で大きく暴れまわったのであろうか、壁には引っかき傷のような形でいくつもの血の跡が残っていた。変異性災害対策係の鑑定班の面々は、それらの痕跡を検証するため玄関でせわしなく活動を続けている。
「なるほど。確かに、獣が暴れまわったような跡はありますね」
「これを全部、街にいる『虎』がやったのですか」
実際の現場を見て印象が変わったのか、後ろをついてくるだけだった秋山達が緊張したような面持ちで玄関内を見まわした。
「捜査員たちはそうじゃないかとみているよ。それと、被害者が出たのはここではなく、呪物保管庫の方だ。どうも虎は玄関を通って逃げ出して行ったようだね」
「律儀に玄関の扉を開けて出かけるなんて変わった虎ですね」
「言ったろう? 人が変じたモノだと。人の意識が残っていれば、そうした行動をとることはそこまで不思議なことではないようにも思えるがね」
「僕が不思議なのはそういうことではありませんよ。あの扉を虎が開けたのだとすると、件の虎は賢く器用な動物なのだなと思って」
秋山は自分たちが通ってきた玄関の扉を振り返った。外開きの金属製の重い扉。扉の内側には特にこれといった傷がみられない。
「捜査官たちは、呪物を持ちだした犯人は、玄関を堂々と開いて入ってきたのではないかと読んでいるようじゃな」
「つまり?」
「窃盗じゃよ」
自分が入るために開いたドアから、虎となって出て行ったのであれば、扉を開く手間がかからないであろう。壱眼は秋山達が到着するまでの間、そういった意見がテント内で飛び交っていたことを思いかえした。
秋山はその答えに何か思うことがあるのだろう、右手で口元を隠してじっと玄関の扉の方を見つめている。壱眼は秋山が小さなころから彼のことを知っている。彼が、あのような様子をみせるときは、何か思案していることが多い。どうやら、彼を呼んで正解であったようだ。
「どうかしたんですか、秋山君」
「いえ、窃盗というのは少し……」
秋山が何かを口にしようとしたところで、一階の奥、応接間のドアが開き、中から二名の捜査官と三人の男女が姿を見せた。
「あの、壱眼さん、あの人たちはどなたでしょうか」
「宿見家の者だな。他にも何名か使用人がいる」
捜査官と共に一番初めに出てきたスーツに長身の女性が、長女の美代。後ろにくっついている白のワンピースを着た背の低い少女が次女の香代。二人の姉妹の横にいる青白い顔をしたのが二男の香児だ。長男の博美は現在海外にいるらしく、今日この屋敷にいた人間は彼女たちの他、使用人が二名のみだということだった。
「老、それじゃあ虎の被害者というのは」
「どうやらお前さんは資料を流し読みしかしていないようだね。殺されていたのは彼女たちの父親、現宿見家当主宿見新造だよ」
「現当主が保管していた呪物を利用して殺されたってことですか」
「詳しくは現場にいってから説明しよう。現場は二階の北側、左手の廊下の奥だ」
秋山達を階段の方へと誘導し、壱眼は捜査官と宿見家の人間たちに小さく礼をする。香児は落ち着きなく周囲の様子を確認しているし、美代は壱眼に向かって一礼をしたものの、腕を抱いている左手が小さく震えている。香代に至っては美代の陰に隠れて壱眼の方を見ようともしない。
彼女たちの目には壱眼はどう映っているのだろうか。そして、秋山には彼女たちがどのように映っているのだろうか。まだそれを尋ねる場ではない。自らに言い聞かせ、壱眼は秋山達を連れて玄関を離れた。
鶏男の話
2012.08.30 Thursday
鶏男の話。
*******
「鶏男? ああ、F村の噂か。最近はよく聞くけど……見たことあるかって? 落ち着きなよ、あんな話を真に受けるなんて、どうかしてるんじゃないかい?」
――
「鶏男なんて言うのは、F村が人寄せのためにばら撒いてる噂だろうさ。ほら、あそこのなんていったかな……有名な家があるだろう? あそこは金持ちだからね、ふと奇抜な事をやってみたくなるもんなのさ」
――
「鶏男って言うのは、鳥神さんの事かい? ええ? いや、それは鳥神とは違いそうだねぇ……そんな話初めて聞いたけれども」
――
「鶏男を観た奴がいるって話なら聞いたことはあるが、「俺は鶏男を観た」って奴にはあったことがないな。これは、ほら……なんていったっけ、そう都市伝説の類なんだろう?」
――
F県F村には、鶏男という怪人がいる。私が、そんな奇妙な噂を聞いたのは、大学時代の同期のMからだった。彼は大学を卒業してからも民俗学の研究という名目で日本各地を旅している。
Mは大学時代から、一人でふらふらと旅に出かけては奇妙な噂を持ちかえる奴だった。サークル活動や日々の生活にあけくれる私たちの横で、一月、二月と、どこともしれない田舎町を歩いて回る。「あんな調子じゃ就職活動にも響くであろうし、将来を考えているのだろうか?」、私たちは当時そのようにMを評したが、心のどこかであのように好き勝手に生きているMを羨んでいたように思う。
特に私たちのMへの羨望が目立っていたのは、「怪談話の日」を執り行う時だったと思う。Mが集めてくる話は、現代においては作り話と切って捨てられる、いわゆる怪談話であることが多かった。M曰く、怪談というのは、その土地の歴史や定住している人々の生活を映し出す鏡らしい。私たちには何の事だかさっぱりであったが、それでもMの持ってくる奇妙な話と、それを集めるに至った旅の話が聞きたくて、「怪談話の日」は決まって皆で盛り上がった。
Mから鶏男の話を初めて聞いたのも、この怪談話の日であったように記憶している。
その時Mが話した噂は、「F県F村には頭は鶏で、身体が人間の鶏男が住んでおり、村人とともに野良仕事に励んでいるのだ」という、なんともオチのない話であった。怪談話と言えば人を怖がらせるタイミングを用意しているのが常であるし、常日頃集めた噂を語るとき、Mは私たちの反応を注意深く観察し、時には怖がらせる創作を挿入したりしていたものである。
ところが、その話に限っては全くそうした工夫が見られず、深夜で皆が眠かったこともあいまったからなのか、誰一人として話を深く聞きだすことはなかった。けれども、Mのその話を聞いてから暫くの間。、私の胸の内にはしこりが残り続けた。
Mの持ってくる話の多くは、奇妙な出来事に人が戸惑い、時には何かしらの被害を受けるという構図が多いし、前にも書いたとおりM自身がそうした展開を付け加えることもある。けれども、鶏男の話においてはそのような要素が一切存在しない。怖がられることもなく、鶏男は村の生活になじんでしまっているのだ。
ちょっとでも想像を巡らせてみれば違和感が残る。頭が鶏の人間が、近所で平然と生活している。そんな空間で人間は正気を保てるのだろうか。自分と少しでも違う者は、他の人との間で軋轢を生み、差別を生む。外見からして人ならざる者であるならば、なおさらそういった反応があるのが自然のように私には思える。F県F村はそうした問題が起きず、平穏無事に鶏男が暮らしているという点において、狂気に満ちているとしか思えないのだ。
だから、Mからこの話を聞いたとき、Mが無理やり作った話なのだろうと疑った。私の疑問に対しては、Mは「まだはっきりとしたことを調べてはいないから」とお茶を濁してしまったため、真偽のほどはわからない。
その後、鶏男の話を再び聞く機会はなく、私たちは大学を卒業、散り散りの生活を始めた。私もあの怪談話の日に語られた「鶏男の話」などすっかり忘れて日々の生活を送っていた。ところが、先日、久しぶりに出会ったMは私にこう言ったのだ。「君は、僕が話した鶏男の話を覚えているか」と。
Mは大学を卒業後も依然として日本各地の怪談話の収集に力を入れていたらしく、たまたまF県F村近郊に立ち寄ることがあったので、大学時代に聞いた鶏男の噂を調べてみることにしたのだと言う。
彼は「調べてみたのだがよくわからない」と前置きを付けた上で、このような話をしてくれた。
+++++
F県F村に住んでいる鶏男は朝が早い。日が昇る前にぱちりと目を覚ますと準備運動がてら家の屋根に登る。朝の空気を吸いながら大きく伸びをして、日の出を待ちかまえる。東の空が明らんだときを狙い彼は朝一番の鳴き声を上げ、その声でF村の朝が始まるのである。
鶏男はどこからどうみても化け物である。頭は鶏であるし、身体は人間の形をしているが所々に羽毛は生えている。人語を解し、鳥とも交流ができるらしい。
F村を尋ね歩いても、鶏男がいつからF村に住んでいるのかは定かではない。ある村人はこう言う。現在の村人たちの親、祖父母の代においてもF村では朝の訪れは鶏の鳴き声であったというから、そのころから鶏男はいたのかもしれないと。それは只の鶏と違うのかと尋ねると、今の鶏男も違う以上は、違ったのであろうと。
誰を尋ねてもそのような返答であるから、困り果てて本人を尋ねようにも、鶏男はF村の人以外とは顔を合わせないのであるという。現に、Mは三日程度F村に滞留していたが、一度もそれらしい姿を観ることはなかったという。
+++++
この話を聞いた私の素直な感想は、やはりそれは単なる作り話であって、遠方はるばる訪れた客に対してF村の村人が悪戯をするための仕掛けなのではないか、というものだった。この考え方にはMも一応頷いてくれて、どうやらF村最寄りのF町においても、そのような噂であるとまことしやかにささやかれているのだと言う。
ただ、一通り鶏男の話について話し終わった後、Mは一つだけ不思議な体験をしたと述べた。F村にいると、本当に朝が早いらしいのだ。滞在中、どんなに夜遅くまで起きていようとも、朝日が昇った直後には目が覚めてしまう。それも、何かの鳴き声に無理やり起こされたような感覚があったのだという。真面目な顔でそう語るMに対して、私は何やら久しぶりに会った友人に化かされているような気分に陥ったが、その体験を語る彼の言葉は何かに脅えたような雰囲気を含んでいたことも否定できない。
その日、飲み屋の外での別れ際、怪談を蒐集していて実際にそれらしきものに出遭ったのは初めてだったんだと、Mは若干青ざめた顔をして駅へと向かっていったのである。
以来、私がMに出遭ったことはない。連絡もないままもう何か月も過ぎている。もしかしたら、鶏男に何かされたのではないだろうか。私がMにしてやれることは、ほとんど残っていない。だから、せめてMの述べたことをこうして纏めていくことが幾分かの役に立てばいい。私はそう願っている。
*******
ふくらませたプロットを放置してるから数年以内になんとかしてあげたい。
*******
「鶏男? ああ、F村の噂か。最近はよく聞くけど……見たことあるかって? 落ち着きなよ、あんな話を真に受けるなんて、どうかしてるんじゃないかい?」
――
「鶏男なんて言うのは、F村が人寄せのためにばら撒いてる噂だろうさ。ほら、あそこのなんていったかな……有名な家があるだろう? あそこは金持ちだからね、ふと奇抜な事をやってみたくなるもんなのさ」
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「鶏男って言うのは、鳥神さんの事かい? ええ? いや、それは鳥神とは違いそうだねぇ……そんな話初めて聞いたけれども」
――
「鶏男を観た奴がいるって話なら聞いたことはあるが、「俺は鶏男を観た」って奴にはあったことがないな。これは、ほら……なんていったっけ、そう都市伝説の類なんだろう?」
――
F県F村には、鶏男という怪人がいる。私が、そんな奇妙な噂を聞いたのは、大学時代の同期のMからだった。彼は大学を卒業してからも民俗学の研究という名目で日本各地を旅している。
Mは大学時代から、一人でふらふらと旅に出かけては奇妙な噂を持ちかえる奴だった。サークル活動や日々の生活にあけくれる私たちの横で、一月、二月と、どこともしれない田舎町を歩いて回る。「あんな調子じゃ就職活動にも響くであろうし、将来を考えているのだろうか?」、私たちは当時そのようにMを評したが、心のどこかであのように好き勝手に生きているMを羨んでいたように思う。
特に私たちのMへの羨望が目立っていたのは、「怪談話の日」を執り行う時だったと思う。Mが集めてくる話は、現代においては作り話と切って捨てられる、いわゆる怪談話であることが多かった。M曰く、怪談というのは、その土地の歴史や定住している人々の生活を映し出す鏡らしい。私たちには何の事だかさっぱりであったが、それでもMの持ってくる奇妙な話と、それを集めるに至った旅の話が聞きたくて、「怪談話の日」は決まって皆で盛り上がった。
Mから鶏男の話を初めて聞いたのも、この怪談話の日であったように記憶している。
その時Mが話した噂は、「F県F村には頭は鶏で、身体が人間の鶏男が住んでおり、村人とともに野良仕事に励んでいるのだ」という、なんともオチのない話であった。怪談話と言えば人を怖がらせるタイミングを用意しているのが常であるし、常日頃集めた噂を語るとき、Mは私たちの反応を注意深く観察し、時には怖がらせる創作を挿入したりしていたものである。
ところが、その話に限っては全くそうした工夫が見られず、深夜で皆が眠かったこともあいまったからなのか、誰一人として話を深く聞きだすことはなかった。けれども、Mのその話を聞いてから暫くの間。、私の胸の内にはしこりが残り続けた。
Mの持ってくる話の多くは、奇妙な出来事に人が戸惑い、時には何かしらの被害を受けるという構図が多いし、前にも書いたとおりM自身がそうした展開を付け加えることもある。けれども、鶏男の話においてはそのような要素が一切存在しない。怖がられることもなく、鶏男は村の生活になじんでしまっているのだ。
ちょっとでも想像を巡らせてみれば違和感が残る。頭が鶏の人間が、近所で平然と生活している。そんな空間で人間は正気を保てるのだろうか。自分と少しでも違う者は、他の人との間で軋轢を生み、差別を生む。外見からして人ならざる者であるならば、なおさらそういった反応があるのが自然のように私には思える。F県F村はそうした問題が起きず、平穏無事に鶏男が暮らしているという点において、狂気に満ちているとしか思えないのだ。
だから、Mからこの話を聞いたとき、Mが無理やり作った話なのだろうと疑った。私の疑問に対しては、Mは「まだはっきりとしたことを調べてはいないから」とお茶を濁してしまったため、真偽のほどはわからない。
その後、鶏男の話を再び聞く機会はなく、私たちは大学を卒業、散り散りの生活を始めた。私もあの怪談話の日に語られた「鶏男の話」などすっかり忘れて日々の生活を送っていた。ところが、先日、久しぶりに出会ったMは私にこう言ったのだ。「君は、僕が話した鶏男の話を覚えているか」と。
Mは大学を卒業後も依然として日本各地の怪談話の収集に力を入れていたらしく、たまたまF県F村近郊に立ち寄ることがあったので、大学時代に聞いた鶏男の噂を調べてみることにしたのだと言う。
彼は「調べてみたのだがよくわからない」と前置きを付けた上で、このような話をしてくれた。
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F県F村に住んでいる鶏男は朝が早い。日が昇る前にぱちりと目を覚ますと準備運動がてら家の屋根に登る。朝の空気を吸いながら大きく伸びをして、日の出を待ちかまえる。東の空が明らんだときを狙い彼は朝一番の鳴き声を上げ、その声でF村の朝が始まるのである。
鶏男はどこからどうみても化け物である。頭は鶏であるし、身体は人間の形をしているが所々に羽毛は生えている。人語を解し、鳥とも交流ができるらしい。
F村を尋ね歩いても、鶏男がいつからF村に住んでいるのかは定かではない。ある村人はこう言う。現在の村人たちの親、祖父母の代においてもF村では朝の訪れは鶏の鳴き声であったというから、そのころから鶏男はいたのかもしれないと。それは只の鶏と違うのかと尋ねると、今の鶏男も違う以上は、違ったのであろうと。
誰を尋ねてもそのような返答であるから、困り果てて本人を尋ねようにも、鶏男はF村の人以外とは顔を合わせないのであるという。現に、Mは三日程度F村に滞留していたが、一度もそれらしい姿を観ることはなかったという。
+++++
この話を聞いた私の素直な感想は、やはりそれは単なる作り話であって、遠方はるばる訪れた客に対してF村の村人が悪戯をするための仕掛けなのではないか、というものだった。この考え方にはMも一応頷いてくれて、どうやらF村最寄りのF町においても、そのような噂であるとまことしやかにささやかれているのだと言う。
ただ、一通り鶏男の話について話し終わった後、Mは一つだけ不思議な体験をしたと述べた。F村にいると、本当に朝が早いらしいのだ。滞在中、どんなに夜遅くまで起きていようとも、朝日が昇った直後には目が覚めてしまう。それも、何かの鳴き声に無理やり起こされたような感覚があったのだという。真面目な顔でそう語るMに対して、私は何やら久しぶりに会った友人に化かされているような気分に陥ったが、その体験を語る彼の言葉は何かに脅えたような雰囲気を含んでいたことも否定できない。
その日、飲み屋の外での別れ際、怪談を蒐集していて実際にそれらしきものに出遭ったのは初めてだったんだと、Mは若干青ざめた顔をして駅へと向かっていったのである。
以来、私がMに出遭ったことはない。連絡もないままもう何か月も過ぎている。もしかしたら、鶏男に何かされたのではないだろうか。私がMにしてやれることは、ほとんど残っていない。だから、せめてMの述べたことをこうして纏めていくことが幾分かの役に立てばいい。私はそう願っている。
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ふくらませたプロットを放置してるから数年以内になんとかしてあげたい。
虎の衣を駆る1
2012.08.21 Tuesday
黒猫堂怪奇絵巻1
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黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る1
怪異の姿を定める主たる要因は二つ考えられる。一つは、宿主に宿る物語であり、一つは物や生き物の似姿である。このうち注意すべきは後者、そのなかでも長い年月のうちに人の念が染み付いた品物、すなわち呪物である。
呪物は自らの宿す念と適合する人間を求める性質がある。ひとたび呪物と共鳴すれば、たとえ宿主が怪異を呼び込むほどの想いを持たずとも、怪異はその形を得る。呪物の存在が、怪異と関わらずに済んだ宿主を怪異の領域に呑みこんでしまうのだ。故に呪物の扱いには慎重さが求められている。
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私が見つけたその部屋は、息を吸うのも躊躇うような濃い匂いが立ちこめていた。部屋に入った時の私は、その匂いが何であるか理解ができなかったように思う。ただ、部屋のあちらこちらに描かれている奇妙な模様がその匂いを発しており、匂いと模様のおかげで部屋そのものが他の場所と異なる空間を作り上げていることだけは瞬時にわかった。
どうしてその部屋を訪れたのか、その経緯について私はあまり覚えていない。この部屋に迷い込む以前、私は見慣れた風景の中にいた。そこは私が守られている場所であり、私にとっての「城」であった。
ところが今はどうだろうか。気が付けば私は部屋の中心に向かって歩を進めており、おそるおそる振り返ると、部屋の入口がとても遠くになってしまっている。足元には奇妙な模様が広がっており、模様を踏んだ足の裏が粘ついて気持ちが悪い。部屋の入口に立っていたころよりも匂いは強まり、私の思考をかき乱す。まとわりつく匂いから離れたいとの一心で私の足は部屋の奥へと向かっていく。本来ならば、部屋の入口へ駆けもどるべきだったのであろう。けれども、気が付けば自分で何も考える必要などない、守護された日々を過ごしていた私には、守護者のいないその部屋でどのような振る舞いをとるべきかわからなかったのだ。
幾度か入り口を振り返りながら部屋の中央へと歩き続けるうちに、私は暗闇に光る獰猛な瞳が、じっとこちらを見つめていることに気が付いた。それは十分距離を取った場所で観察を続ける、まるで獲物が罠にかかるのを待つ狩人のような視線だった。
視線に気が付いた途端、今まで何かに引きずられるように動いていた足が止まり、身体全体から力が抜けていった。床にへたり込んだ私は、粘ついていた奇妙な模様が絵具のような液体によって描かれたものであることに気が付いた。色ははっきりとはわからないがその液体は酷く生臭い。力が抜けた拍子にうっかり大きく息を吸い込んでしまい、私はあまりの匂いに身体をよじって声をあげた。
ちょうどその時である。私を見つめていた視線の主がゆっくりと、しかし力強い気配を発しながら私の下に近付き始めたのは。獰猛で野性的な純粋なる力の気配。無力な私は目の前に現れたそれにただ声を失うしかなかった。漠然と自らの終わりを意識したが、不思議と拒絶の意思は生まれなかった。部屋の異様な光景に呑まれ、正常な判断力を失っていたのかもしれない。
それの眼には、私は理性ある人間などではなく、単なる肉塊にしか映っていなかったのであろう。低い唸り声と共に鋭い爪が私の肩に食い込む。その痛みに弱い私は悲鳴を上げた。
そして、私は見た。獰猛な獣の眼に宿った理性の光を。私を見つめ困惑と後悔の念に包まれたその瞳を。
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黒猫堂怪奇絵巻2 虎の衣を駆る1
怪異の姿を定める主たる要因は二つ考えられる。一つは、宿主に宿る物語であり、一つは物や生き物の似姿である。このうち注意すべきは後者、そのなかでも長い年月のうちに人の念が染み付いた品物、すなわち呪物である。
呪物は自らの宿す念と適合する人間を求める性質がある。ひとたび呪物と共鳴すれば、たとえ宿主が怪異を呼び込むほどの想いを持たずとも、怪異はその形を得る。呪物の存在が、怪異と関わらずに済んだ宿主を怪異の領域に呑みこんでしまうのだ。故に呪物の扱いには慎重さが求められている。
――西原当麻『怪異論』呪物の章より
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私が見つけたその部屋は、息を吸うのも躊躇うような濃い匂いが立ちこめていた。部屋に入った時の私は、その匂いが何であるか理解ができなかったように思う。ただ、部屋のあちらこちらに描かれている奇妙な模様がその匂いを発しており、匂いと模様のおかげで部屋そのものが他の場所と異なる空間を作り上げていることだけは瞬時にわかった。
どうしてその部屋を訪れたのか、その経緯について私はあまり覚えていない。この部屋に迷い込む以前、私は見慣れた風景の中にいた。そこは私が守られている場所であり、私にとっての「城」であった。
ところが今はどうだろうか。気が付けば私は部屋の中心に向かって歩を進めており、おそるおそる振り返ると、部屋の入口がとても遠くになってしまっている。足元には奇妙な模様が広がっており、模様を踏んだ足の裏が粘ついて気持ちが悪い。部屋の入口に立っていたころよりも匂いは強まり、私の思考をかき乱す。まとわりつく匂いから離れたいとの一心で私の足は部屋の奥へと向かっていく。本来ならば、部屋の入口へ駆けもどるべきだったのであろう。けれども、気が付けば自分で何も考える必要などない、守護された日々を過ごしていた私には、守護者のいないその部屋でどのような振る舞いをとるべきかわからなかったのだ。
幾度か入り口を振り返りながら部屋の中央へと歩き続けるうちに、私は暗闇に光る獰猛な瞳が、じっとこちらを見つめていることに気が付いた。それは十分距離を取った場所で観察を続ける、まるで獲物が罠にかかるのを待つ狩人のような視線だった。
視線に気が付いた途端、今まで何かに引きずられるように動いていた足が止まり、身体全体から力が抜けていった。床にへたり込んだ私は、粘ついていた奇妙な模様が絵具のような液体によって描かれたものであることに気が付いた。色ははっきりとはわからないがその液体は酷く生臭い。力が抜けた拍子にうっかり大きく息を吸い込んでしまい、私はあまりの匂いに身体をよじって声をあげた。
ちょうどその時である。私を見つめていた視線の主がゆっくりと、しかし力強い気配を発しながら私の下に近付き始めたのは。獰猛で野性的な純粋なる力の気配。無力な私は目の前に現れたそれにただ声を失うしかなかった。漠然と自らの終わりを意識したが、不思議と拒絶の意思は生まれなかった。部屋の異様な光景に呑まれ、正常な判断力を失っていたのかもしれない。
それの眼には、私は理性ある人間などではなく、単なる肉塊にしか映っていなかったのであろう。低い唸り声と共に鋭い爪が私の肩に食い込む。その痛みに弱い私は悲鳴を上げた。
そして、私は見た。獰猛な獣の眼に宿った理性の光を。私を見つめ困惑と後悔の念に包まれたその瞳を。