作成した小説を保管・公開しているブログです。
現在は連作短編が二篇の他,短編小説,エッセイの類を掲載しています。
連作小説の更新ペースは随時。二か月に三回を最低ラインとして目指しています。
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2025.02.02 Sunday
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ラフテキスト エンドロール
2014.11.09 Sunday
しばらく書くことが止まっていたため、リハビリを兼ねて短編を書いています。
全体で1万5千~3万くらいでとどまってくれることを目標に。
以下、ラフテキスト
ーーーーーーーーーーーーーー
仮題(エンドロール)
人が死に直面したときに見る奇妙な風景。
天使。三途の川。走馬灯。
多くの人々により語られているそれらの風景が、本当に存在するものなのか。
私たちはその答えを自分が死ぬ瞬間まで知ることができない。
自らが体感したことを語っている。そのように話す人もいるが、それはあくまで臨死体験であって、死そのものではない。九死に一生を得た人が死の間際に見た光景と、死んでしまった人が死の間際に見た光景が同一であると、どうして断言できるだろうか。
死に直面した人間は、天使も三途の川も、走馬灯すら見ることはない。
少なくても、私が見ているこの光景は、そういった類のものではない。
視界の半分を埋め尽くす不可解な文字列。足元から頭上へと絶え間なく流れる文字列とともに、私の身体は地面へと落ちていく。
耳元で鳴り響くこの曲はなんであったか。そうだ、エドワード・エルガーの「威風堂々」。
私に最も相応しくない曲と、文字列に包まれて、私の生は終わりを迎える。
これは、まるでエンドロールだ。「私」という題名の記録映画の終わり。
落ちていく景色の中で、時計の文字盤が視界に入った。11時59分。12時ちょうどに向かって針が振れた瞬間、身体に衝撃が加わり。
―――――――――
全体で1万5千~3万くらいでとどまってくれることを目標に。
以下、ラフテキスト
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仮題(エンドロール)
人が死に直面したときに見る奇妙な風景。
天使。三途の川。走馬灯。
多くの人々により語られているそれらの風景が、本当に存在するものなのか。
私たちはその答えを自分が死ぬ瞬間まで知ることができない。
自らが体感したことを語っている。そのように話す人もいるが、それはあくまで臨死体験であって、死そのものではない。九死に一生を得た人が死の間際に見た光景と、死んでしまった人が死の間際に見た光景が同一であると、どうして断言できるだろうか。
死に直面した人間は、天使も三途の川も、走馬灯すら見ることはない。
少なくても、私が見ているこの光景は、そういった類のものではない。
視界の半分を埋め尽くす不可解な文字列。足元から頭上へと絶え間なく流れる文字列とともに、私の身体は地面へと落ちていく。
耳元で鳴り響くこの曲はなんであったか。そうだ、エドワード・エルガーの「威風堂々」。
私に最も相応しくない曲と、文字列に包まれて、私の生は終わりを迎える。
これは、まるでエンドロールだ。「私」という題名の記録映画の終わり。
落ちていく景色の中で、時計の文字盤が視界に入った。11時59分。12時ちょうどに向かって針が振れた瞬間、身体に衝撃が加わり。
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家族の肖像(後篇)
2014.03.17 Monday
家族の肖像(前篇)
2014.02.24 Monday
以前書いたラフテキスト呪絵
に肉付けをして,改題した短編です。
前後篇で終える予定です。
パソコンが開き難い環境で思いついた文章を残すのに,久々に手書きで小説を書いてみたら,案外文字数かさまないものなんだなと思い(結局長いけれども)たまには手書きで書いてみるのもいいのかもしれないと思いました。
―――――――――――――――
家族の肖像
絵とは描いた者の内面を抜き取り,被写体に重ね合わせたものである。
故に,時として,絵には被写体に対する描き手の想いが染み込んでしまう。
――西原当麻 絵画と怪異についての一考察
1
家中の荷物をあらかた梱包し,家の中に残っているのは最低限の家具と衣類だけだ。三か月という短い滞在期間も,今日で終わりだ。
私は,一休みしようと二階の自室から一階玄関へと続く階段を下る。リビングでは父と母が食器の梱包を終えて一息ついたところらしい。母は,お茶にしましょうと台所に消えていった。
私は,階段を下りる途中,壁紙の色が変色した部分に目をやった。そこにあったはずのものは既になくなってしまったが,四角く縁取られた黒い染みは,かつてそこにあったものを思い出させる象徴である。
そして,私たち家族に出来た小さな隙間の象徴でもある。
いや,本当はもっと前から溝はあったのだ。あの老人と青年が言うように,私たちは大きな問題を抱えているにも関わらず,誰も直視しようとしなかった。
ただ,それだけのことなのだ。
に肉付けをして,改題した短編です。
前後篇で終える予定です。
パソコンが開き難い環境で思いついた文章を残すのに,久々に手書きで小説を書いてみたら,案外文字数かさまないものなんだなと思い(結局長いけれども)たまには手書きで書いてみるのもいいのかもしれないと思いました。
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家族の肖像
絵とは描いた者の内面を抜き取り,被写体に重ね合わせたものである。
故に,時として,絵には被写体に対する描き手の想いが染み込んでしまう。
――西原当麻 絵画と怪異についての一考察
1
家中の荷物をあらかた梱包し,家の中に残っているのは最低限の家具と衣類だけだ。三か月という短い滞在期間も,今日で終わりだ。
私は,一休みしようと二階の自室から一階玄関へと続く階段を下る。リビングでは父と母が食器の梱包を終えて一息ついたところらしい。母は,お茶にしましょうと台所に消えていった。
私は,階段を下りる途中,壁紙の色が変色した部分に目をやった。そこにあったはずのものは既になくなってしまったが,四角く縁取られた黒い染みは,かつてそこにあったものを思い出させる象徴である。
そして,私たち家族に出来た小さな隙間の象徴でもある。
いや,本当はもっと前から溝はあったのだ。あの老人と青年が言うように,私たちは大きな問題を抱えているにも関わらず,誰も直視しようとしなかった。
ただ,それだけのことなのだ。
天に降る雨と月の空
2014.01.06 Monday
天に降る雨と月の空という題名で,書きだしはこんな感じ。
「 それはまるで,空に浮かんだ月に向かって降り注ぐ雨のように見えた。
天へと昇っていくそれらを眺めながら,僕はふとそんなことを考えた。」
そういう短編が書けないか。という話があったことを思い出して,ふと書いてみた。
題名と冒頭句から,ほんわかしたファンタジーを書こうと思ったんだけど,結果できあがったのはまとまりのない怪談もどきでした。
他の人が書いたらまた違う話になるのかなと思うのです。
以下本文
「 それはまるで,空に浮かんだ月に向かって降り注ぐ雨のように見えた。
天へと昇っていくそれらを眺めながら,僕はふとそんなことを考えた。」
そういう短編が書けないか。という話があったことを思い出して,ふと書いてみた。
題名と冒頭句から,ほんわかしたファンタジーを書こうと思ったんだけど,結果できあがったのはまとまりのない怪談もどきでした。
他の人が書いたらまた違う話になるのかなと思うのです。
以下本文